【5周年記念SS】田中家、転生する。
スチュワート家と家庭菜園。
- 作者
- DRAGON NOVELS
- このエピソードの文字数
- 5,835文字
- このエピソードの最終更新日時
- 2024年1月11日 13:12
辺境の地、パレス領から王都へと一家が引っ越してきて数か月。
未だに慣れない王都の広い邸宅の庭でメイドや家令が見守る中、スチュワート家の三兄弟はどういうわけか、土いじりに精を出していた。
「このくらいでいいか?」
びっしりと生えていた芝生の一角を無理やり剥がし、土を掘り起こし耕していた長男、ゲオルグが一息つく。
「うわ……兄様、その半分くらいでもよかったのですが……」
家庭菜園の本を熟読していた末っ子次男のウィリアムが顔を上げて呆れた声を出す。
ゲオルグの言う、このくらいはテニスコート一面分を優に超えていた。
初めての家庭菜園の規模としては広すぎやしないだろうか。
根の張った芝生を剥がすだけでもかなりの重労働である。
更にその下の硬い地面を耕す大変な作業を、ゴリラ並みの体力を持つゲオルグは鼻歌交じりで難なくやってのけていた。
「良いじゃない、ウィリアム。畑が広いってことは沢山できるってことなんだから」
「にゃあ!」
スコップを握る長女、エマに愛猫コーメイ(巨大)も激しく同意する。
この畑に植えるのはコーメイの大好物、キュウリなのである。
「そうですね。去年のキュウリの消費量を考えればもっとあってもいいかもしれません」
苗を配達しに来ていた三兄弟の幼馴染、ヨシュアが即座にエマの意見に同意する。
ヨシュアの家は王国一の豪商である。
エマに夢中の彼は商会長の息子として働く忙しい日々の中、隙あらばスチュワート家を訪れ、エマのために働くことに喜びを見出している。
ヨシュアはさも当たり前のように目配せだけで、一緒に来ていた商会の従業員に苗の追加を指示し、幸せそうな笑みを浮かべている。
「……ご苦労様です」
苗の追加のために踵を返す可哀想な従業員に一人だけ気づいてしまったウィリアムが頭を下げる。
ゴリラの兄と罪作りな姉のせいで、ウィリアムは毎日気苦労が絶えないのである。
「にゃーにゃにゃ、にゃ!」
キュウリいっぱい楽しみにゃ! とコーメイは嬉しそうに鳴く。
大量に植えられる苗に心を躍らせている。
「うふふ、いっぱい育つと良いね!」
「にゃん!」
そんな嬉しそうな猫と姉の様子に結局ウィリアムはまあいいか……と、肩を竦めた。
「たまには息抜きもしたいですし」
ここ最近、姉のエマとウィリアムは皇国を滅亡の危機に追い込んでいる植物魔物オワタの倒し方を探すのに忙殺されていた。
学園が終わったら速攻で帰宅し、大量の資料を読み漁る日々。
なんら良い解決法が見つからない中、根詰めすぎては良いアイデアも浮かばないだろうということで、今日だけはオワタを忘れてキュウリを植えることにしたのだ。
ここで、まあいいか。となるのが騒動の元なのだが、なんだかんだで姉に甘いウィリアムは、大事なところで見逃してしまい、ストッパーの役目は果たせないのであった。
「あ、あの……お嬢様達は一体何を?」
天気にも恵まれ、スチュワート家の三兄弟は最高の気分転換だと楽しそうに苗を植えている。
土いじり……しかも家庭菜園なんて普通は貴族令息、令嬢がするようなことではない。
引っ越しの際に新しく雇われたメイドや家令達は戸惑い、古参メイドのマーサに状況説明を求めるような視線を送る。
「慣れなさい」
だが、頼りの古参メイドマーサの答えは諦めに近いものだった。
そう、この程度のことで驚いていたら、スチュワート家ではこの先やっていけない。
日に日にスペースを拡大してゆくエマの虫小屋がある方向を見て、マーサは深いため息を吐いた。
「おーきくなーれ、おーきくなーれ!」
「にゃーにゃにゃ、にゃーにゃにゃ!」
そんな従業員達の戸惑いや心配などつゆ知らず、エマはご機嫌な様子でコーメイと苗を植えたのであった。
その……二か月後。
キュウリを植えてから数日後に一家は皇国へと旅立ち、その間のキュウリの世話はスラムの子供達に任せていた。
スチュワート家では積極的に彼らを雇用し、自活できるようにサポートしている。
スラムの子供達が通いやすいように、初めからキュウリ畑は敷地内でも臣民街に近い場所に作ってあった。
そのためキュウリ畑は屋敷から離れており、住み込みで働く従業員達の目に留まることもなく完全お任せ状態になっていた。
古参メイドのマーサは、己の人生で珍しくも貴重な一家のいない平和で平穏で平凡な日々を過ごしていたが、そんなものは幻だったのだと気づくことになる。
とある日、臣民街からの通いのメイドが、首を傾げながらマーサに相談があるとやって来た。
「あの、マーサさん。パレス領のキュウリって結構大きかったりします?」
王国は南北に伸びた半島にあり、辺境パレスと王都では気温がかなり違う。
南部のパレスは暖かいが、北部にある王都は夏でも比較的涼しく、冬は極寒の地となる。
作物は王都周辺よりも辺境の方が育ちがいいらしい。
だが、気候に恵まれている南部側の辺境には魔物が出現するため、安定的な供給が難しいといった問題があり、王都に辺境の作物が出回ることは殆どない。
「ええ、多少は大きいかもしれません」
マーサは通いのメイドに頷く。
実際、王都の野菜はパレスよりもやや小ぶりのものが多かった。
こっちに来た当初は、王都は野菜までお上品を求められるのかと思っていたくらいだ。
「た、多少?」
そんなマーサの答えに、通いのメイドは傾げていた首の角度を深めた。
「……」
「……」
嫌な、予感がした。
通いのメイドの表情で、マーサは悟った。
何かが、起きていると。
「今すぐ案内しなさい」
大事になっていませんように、と祈るような気持ちでマーサはキュウリ畑まで走った。
スチュワート家の敷地は広いので、走ったのはマーサを乗せた馬なのだが……到着したキュウリ畑と思われる場所では、予想だにしない光景が広がっていた。
「なっ……」
思わぬことに立ち尽くすマーサ。
「あ、マーサさん!」
「すっごいでしょ? 育ったでしょー?」
一生懸命働いていたスラムの子供達がマーサに気づく。
「ねえ? この苗、ヨシュアの兄ちゃんがパレスから持ってきたって言ってたけど、パレスのキュウリって、でっかいんだねー?」
屈託のない笑顔でスラムの少年がマーサに声をかける。
そしてその隣には、少年と同じ大きさの瑞々しく実ったキュウリが……いた。
「そ……そうね」
マーサの口の端はヒクヒクと痙攣し、言葉が続かない。
だって、いくら王都で見るよりも大きいとはいえ、パレスのキュウリだって人間の子供サイズもあるわけがないのだ。
世の中には、常識ってものがある。
だが、それはしばしばスチュワート家では逸脱することがある。
「マーサ様? このキュウリ、そろそろ収穫かなって思うんですけど……これ、どうやったら収穫できるのですか?」
「これ、ハサミの刃なんて全然通らなかったよ?」
純粋無垢なスラムの子供達がマーサに助言を求めてくる。
己と同じ大きさのキュウリなんて収穫したことないのだと
……いや、知らんがな。
マーサは思わず出そうになった言葉をギリギリのところで飲み込む。
私は由緒正しき伯爵家のメイドなのだ。
品格を損なうようなことは言うべきではないと己を律する。
「……これは、旅行に行かれた皆様が帰って来るまで放っておきましょう」
何とか平静を装いマーサは子供達に答える。
普通に考えて世界広しといえども、こんなキュウリはスチュワート家の庭以外には絶対にないだろう。
それを踏まえて、マーサは古参メイドらしく冷静に放置することを決めた。
だってコレの収穫は人の仕事ではない。
ゴリラとか、ゴリラとか、ゴリラの仕事である。
キュウリが巨大化した事件の元凶はもう、分かっていた。
間違いなく犯人は、あの(一家の)中にいる!
問題は……一家の帰国が大幅に遅れていることだが……。
「まあ、何とかなるでしょう」
マーサは諦めた。
こういう問題にいちいち頭を悩ませるようでは、スチュワート家のメイドは務まらない。
「このキュウリのことは決して口外してはなりません。いいですね?」
マーサは、スラムの子供達と新しく雇われたメイドに念を押す。
これの対処に正解があるとすれば、情報が外に漏れないようにすることのみ。
スチュワート三兄弟の母親であるメルサ様からは、王都で目立つことをしてはならないときつく言い渡されている。
それがどんなに困難で過酷で無理難題なことだと、本人以下スチュワート家に関わる全ての人間が思っていても、従うしかない。
「あー……やっぱり? これ言っちゃダメなやつだったかー」
「は、はい。心得ております!」
スラムの子供達も、新しく雇われたメイドもマーサの口止めに、納得の表情を浮かべている。
スチュワート家で起きた普通ではないことは絶対に口外してはならない。
雇用条件の中で一番重要な項目であると同時に、スチュワート家に仕えれば誰もが数日で意外にすんなり身につくスキルであった。
だって、言っても誰も信じてくれないのは目に見えている。
異様に大きな猫と虫がいることも、なぜか屋敷に忍者が住み着くようになったことも、お嬢様が猫と会話していることも。
そんな物語の世界じゃないのだから、あり得ないと笑われるだけだろう。
こうして、スチュワート家の秘密は意外にもしっかりと守られているのである。
♦ ♦ ♦
「いや、いやいやいや! でかくない⁉ キュウリ、でかくない⁉」
予定よりも大幅に遅れたものの、皇国から無事に帰国したウィリアムが叫ぶ。
持ち帰った大量のオワタの破片を庭に仮置きする場所を探していたところに、信じられない光景が目に入ってしまったのだ。
「あ、ウィリアム様―! おかえりなさーい!」
キュウリに水やりをしていたスラムの子供達がウィリアムに気づき、無邪気に手を振っている。
「た、ただいま……? え? 何このキュウリ?」
「え? このキュウリが何で大きいかウィリアム様も知らないの?」
戸惑いを隠せないウィリアムの言葉に、スラムの子供達はきょとんとした顔をする。
子供達がしっかりとお世話を続けてくれていたお陰か、あれからキュウリは更に大きく成長していたのであった。
事態を重く見たウィリアムの緊急招集を受け、一家がキュウリ畑に集合する。
「うわー! すごいね! おっきくなったねぇー!」
エマが自分の身長と同じくらいにまでなったキュウリを見上げ、驚いている。
「……エマ?」
なんなのこれは……と、母親のメルサはこめかみを揉み解す。
元凶が誰かなんてもう、聞くまでもないといった様子である。
「へ? お母様、私何もしてな……」
「にゃ!」
たしかに大きくなーれ! と言って植えたのはエマだが、そんなもので大きくなるには限度ってものがある。
私、知らないっと、ぶんぶんと首を横に振るエマの隣で、コーメイは嬉しそうに尻尾を立てている。
「うーん、もしかしたら……水のせい……かな?」
一家の領地パレスでは水は大変貴重だった。
引っ越し先である王都でもスチュワート家ではこれまでの習慣のまま、キュウリ畑の水やりの水は、エマの蚕の繭糸を浸す水を再利用して使っていた。
スチュワート家の蚕は普通ではなく、虫愛でる令嬢エマによる品種改良で少々大きめである。
ウィリアムは、その普通よりちょっとばかし大きめな蚕の繭糸を浸した水をキュウリに使ったことが原因ではないか、と推理する。
「え?」
だったら、やはり……お前じゃないか、という家族の視線がエマに注がれる。
騒動の元凶はいつだってエマである。
「え? そんな……」
エマは家族からの圧に、後ずさる……が、その時、
「にゃーん!」
コーメイが畑に向かって駆け出して嬉しそうにキュウリに齧りついた。
そして、美味しーい! と、それはそれは満足そうに鳴いた。
「……可愛い」
「うん」
「コーメイさんが……喜んでくれるならオッケーなのでは?」
「……そうね」
「たっくさん、お食べ」
バリバリとキュウリを食べるコーメイを前に、家族は一瞬で絆される。
「え? まさか……これで終わり……ですか?」
新しく雇われたメイドは古参メイドのマーサを見る。
家の庭に人の子を超える超巨大キュウリができたのに、猫が喜んでいるから一件落着的な雰囲気が漂っている。
「ええ。これで終わりね」
「これで……終わり……」
納得はできなかったが、新しく雇われたメイドがこれ以上の追及をすることはなかった。
それが貴族家に仕えるということ。主人が黒と言えば黒なのだ。
たとえ己にはどう見ても虹色に見えたとしても、黒だとしなくてはならない。
納得するかどうかは問題ではない。
しかし、残念なことにこれが終わりとならないのが田中家である。
むしろ、始まりだったと言わねばならない。
スラムの子供達がしっかりと世話をしてくれたからか、巨大キュウリは豊作で、コーメイが食べきれないくらいたくさんできてしまった。
規格外と呼ぶにもほどがあるキュウリを市場に出すわけにはいかず、スチュワート家の中で消費するしかない。
この日以降、スチュワート家では三食全てに大量のキュウリが使われるようになった。
日本人だった一家のモッタイナイ精神は従業員にもばっちり浸透しており、食品ロスなんてもってのほか、出されたご飯は文句を言わず食べることが習慣になっていた。
キュウリは九十パーセントが水分といわれる低カロリー食材である。
毎日お腹いっぱい食べたとしても、そのカロリーの低さゆえに皆の体重が減少していった。
特にふっくらしていた者の変化は劇的で、分かりやすくほっそりすっきりした。
更にはキュウリに含まれるビタミンCのお陰か、夏場の強い日差しでこんがり焼けた肌も嘘のように美白へと変貌した。
ただ、キュウリを消費していただけなのに、その効果は怖いくらいに目に見えて分かりやすく絶大だった。
皇国から帰国後、みるみるうちに痩せて顔色が紙のように白くなっていく一家と従業員。
その姿は傍から見れば、異様であった。
彼らを見た者はあまりの変わりように気を遣い、面と向かって尋ねることはできず、かと言って沈黙を貫くこともできなかった。
いつしかスチュワート家にまつわる者達の異様な姿についての噂話が、水面下でこっそりと伝言ゲームのように尾ひれが追加されつつ広まっていった。
とにかく目立つな。
メルサが掲げた王都での目標は、スチュワート家で起きた普通でないことを、誰一人口外していなくても到底達成できるものではなかったのである。
その結果、学園でちょっと想像力豊かなとある令息が広めてしまった【エマ・スチュワート伯爵令嬢重病説】に大きな信憑性を持たせ、拍車をかけることになってしまうのだが、それをスチュワート家が知ることはなかった。
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