星夢海賊船
エトワール・アエロスタ
- 作者
- 不思議の国のルイス
- このエピソードの文字数
- 5,113文字
- このエピソードの最終更新日時
- 2022年5月6日 19:51
「最後の新入りはお前か? くたびれてんな、まだ20代くらいだろ?」
夜空の黒に映えるような白金の船体を持ち、星を埋め込んでいるのか、闇夜でも淡く照らすマストと帆。つけられている大砲に、帆にかかれた髑髏のマーク。
御伽噺から飛び出して来たとしか思えない、海賊船がそこにはあった。
その船首には一人の少女が、帽子の鍔を指先で押し上げている。
月光には青く、陽光には緑に映える黒髪。軽やかなステップと声色。少女から女性へと変わる僅かな時間を閉じ込めたその少女はこちらを眺めて、
「で? どうすんだ? 新入り? 乗るのか、乗らねえのか。はっきりしろ。出港時間はとっくに過ぎてんだ」
右目につけられている眼帯を確かめるように指先で弾きながら、試すように笑う。
「………乗るって、これに?」
疲労から幻覚を見てると言った方が、まだ分かる。それだけ疲れているし、苦労しているからだ。
だけど、火照る頬を撫でる風は、自分が現実にいる事を教えていて。
「どういう原理で空を飛んでるんだ?? 飛行船か? それともエンジンか何かが………」
「………つまんねえな。発言も態度も考え方も!」
目の前の瞬く星の船を前にして、解明するように理論を唱えた俺に彼女は一喝。呆れたようにため息ひとつ。
「お前は小さな子供に"サンタさんはいないよ。あれはパパとママだよ?"なんて言う夢のない大人か? "虹の橋がかかってるからあれを登れば雲の中に入れる!"って叫ぶ子供に光の屈折云々とか説明する野暮な人間か?」
「そりゃ………しないが」
「思い出せよ。ガキの頃はありとあらゆるものに夢を見ていたはずだろ? "地下には小人が住んでる""雲の中には天空の城がある"なんて………いつからだ? いつから、お前はそんなつまらない考え方をするようになった?」
それは、誰だって等しく経験するはずだ。
同級生に馬鹿にされ、親から諭され、成長するにつれて現実と折り合いをつけていく中で、ふと気づく。
自分はいつから──夢の世界に浸らなくなったのかを。
小さな絶望を伴う甘くて懐かしい喪失。成長過程で誰にでも訪れるはずのそれ。
────なのに。
「"空を飛んで雲の中が見たい" その答えに"飛行機に乗ればいい"って即答できる生き方なんて、私は真っ平だよ。"空飛ぶ舟で月を目指す"私は、そう答える生き方を選ぶね」
今更取り戻せと言うのか、とうに失ってしまったその想いを。目の濁った大人に諭されることなく、叶うはずがない夢物語を純粋に信じ続けていいというのか。
「くっそ、俺だってずっと………ずっと"彼奴"と夢を見ていたかったよ!!」
吐き捨てながら拳を垂直にして壁を殴った。行き場のない怒りを発散させたいが、この胸の痛みは本気であの日を、夢物語を語ったゆえの証拠だ。
本気で信じて、夢を見たのだ。
その激情すらも惜しいくらいに。
それが、現実の前に儚く崩れるまで。
「なら、今からその夢を追いかけようぜ。新入り。難しいことなんて後回し。あの日のお前なら、どうするか。今のお前が選択しろ!」
眩しい程の星屑が散って、音を立てて降りた船梯。はじけるレモン色のペンキで塗られた、その上でシニヨンを船長帽に押し込んだ少女が悪戯っぽく手を差し出す。
懐かしいレモンの匂いに誘われるように、俺は一歩踏み出して。ベランダの欄干を越える。これが幻覚なら自殺志願者間違いなしの中で乗り込む為の裸の爪先が震える。
目を瞑ってほとんどよろめくようにして、どうかすり抜けないでくれと祈りながら俺はそっと船梯に足を掛け──彼女に手を引かれて船の中に転げ込んだ。
「さあ新入り、名前は?」
「真、鴉間真! あの日、夢見た続きを追いかけたい!」
「オーケー! じゃあ出港だ! 総員停止!」
左手を直角に上げて水平に下ろし、同時に号令。
それだけで先に船にいたのだろう、他の4人がピタリと止まる。
「"星の降る夜に生まれた"」
彼女が短い詩を口にする。同時に服の襟から手を入れて、チェーンを引っ張り出した。先端にはシンプルなシルバーのホイッスル。
「"産声がわりに汽笛を鳴らせ、空から錨を引っこ抜け、眠れない夜を切り裂いて──"」
ヴェールの如く纏った甘い酸味の霧が、レモンの森を通り抜けて来たような香りが体に纏わりつく。
その中でも彼女の声は鮮明に聞こえて、
「"──夢の世界で私達、いつか必ずまた会おう"」
『──夢の世界でお前に、また会いに行くから』
情けない、若かりし頃の自分の幻影が重なっていく。
甘い霧が掻き消えて、船底の竜骨が空をゆっくりと突き放す。
それを確認した彼女は顎に垂れた汗を拭うと、こちらを見て、吹き出して。
「ふはっ! 随分とくたびれてんなとは思ってだけど………まさか元ヤンかよ」
「!? どうして、それを!?」
「ムトー! 鏡持ってこい!」
「あいあいキャプテン!」
小動物のような女の子が船内に走ったかと思うと、手鏡を持って帰還する。差し出されたそれを見れば、鏡の中には太陽のような金髪の緑の目をした少年がいて。
「は、はぁ!? なんで、髪は黒染めしたはずだ! カラコンも! つか若っ! え!? はい? どういうことだ!?」
「言い忘れてだけどな。私の船には大人は乗れねえ。だから船員達は全員子供に戻るのさ。夢を、理想を追い求めた青い尻の自分にな!」
再度見直せば、そこにいたのはやんちゃしていた頃の自分。蒸発した父親の遺伝だったらしい太陽のような金髪に鮮やかな緑の目。
背丈も小さくなり、けれど余分な贅肉は落ちた若い肉体。それを実感していれば、彼女は無垢な少女の笑顔のまま、片手を出して
「新入り。お前は今から"レイヴン"って名乗れ」
「レイヴン………渡鴉ね。OK、船長。因みにお前の名前は?」
「──ステラだ。ステラ船長。気安く船長って呼べよ。改めて歓迎するぜ、レイヴン。星夢の海賊船。エトワール・アエロスタへようこそ!」
求められた握手に俺は右手を出して答えたのだった。
*
「煙草が………葉巻に代わってるだと………?」
「それもこれも夢だからなのだ! それらしい空気に合わせるようになっているんだよ!」
「なるほど………お前、誰?」
段々小さくなっていく街の明かりを見下ろしながら、ちょっと色々整理しようと煙草を………なぜか変わっていた葉巻を取り出す。
葉巻の吸い方なんて興味本位で覚えていたが、まさか使うことになるなんて思わなかった。
葉巻を吸って、甘い香りを夜の空に垂れ流す。それに釣られてか、先程ムトーと呼ばれた小動物のような少女がこちらにやって来た。
何というか、ピンクが似合っちゃう系の女子。目はくりくりだし、髪の毛はピンクで艶が掛かったウェーブだし、ネイルも淡いピンクで強調し過ぎずでも手は抜いていない。
「ムトーちゃんは副船長ムトーなのだ! よろしくね、レイヴンちゃん! ムトーちゃんは船長に次いで長いから何でも聞いてね!」
「副、船長なのか………見た目によらないな」
オマケに声も随分と高く可愛いらしい声だった。
背丈も小さく、守ってやりたいと思わせるような女の子。
「でも、趣味じゃねえんだよなぁ………」
「あれ? ムトーちゃん、お気に召さない??? こんなキラ可愛〜なのに〜?」
「男媚を狙いすぎてるのが気に入らねえ………待て、今のは悪かった。人それぞれだ。俺に貴方のものを否定する権利はないしな」
あまりにも不躾な発言に途中で撤回し、謝罪する。そんな俺に彼女は、にぱっと笑って
「構わないよ! 口が悪いのも別に仕方ないもん! だって今の私たちはティーンに戻ってるから、どうしてもそちらに引っ張られちゃって」
えへへ、とはにかむ彼女を見て胸中で疑問がすとんと落ちる。先程の船長の言葉が漸く実感できたが、また別の疑問が湧いたので、彼女に問う。
「なら、ムトーさんの現実は──「言わない」どん、な?」
気が付けば、目の前の少女には海賊映画でよく見るサーベルが握られていて。切っ先は俺の喉笛を柔らかく撫でている。
そこに小動物はいなかった。いるのは今にも人間に牙を立てそうな獰猛な獣。不良時代にもあったひりつくような空気感。
「………自分が軽率でした。すみません」
「分かればいいんだよ、分かればっ!」
10秒も満たないであろう、それに手を上げて降参の証と謝罪を述べれば、サーベルは虚空に消えて、再び小動物の軽やかな声が聞こえてくる。
「一応、暗黙のルールだもん! レイヴンちゃんも周りに聞いちゃダメだよ? 答えてもいいなら答えていいけど!」
「俺だけ不良やってたってのがバレバレなのはいかがなんですかねえ。もうちょい学ランきちんと来とくべきだったか」
改造学ランを見下ろして、ムトーさんのゴスロリっぽい服を見て、過去の自分のだらしなさに殴りたくなって来た。
委員長に言われても直さなかったのがここで帰ってくるとは。
「な、なあなあ! ちょっといいか、あんた!」
「えっと………誰です?」
とりあえず学ラン脱ぐかと、適当な樽に学ランを投げかけておけばいつの間にか目をキラキラさせた中学生くらいの少年がそこにいて。
「あんた………もしかして、不良集団"八咫烏"のヘッドだよな!」
「チョット、ナニヲイッテルカ、ワカリマセーン」
「そんな訳あるかよ! 渋谷を手中に収めてた不良集団! 喧嘩は売らず、売られた喧嘩しか買わない。女子供には手を出さないがモットーのヘッド、鴉間──」
「ちょっとその辺りでやめようか。お兄さんの黒い歴史が顔を覗かせてるからね。 というかお前、詳しすぎない?? なんなの?? ファンなの??」
これ以上語らせると色々なやんちゃ時代の馬鹿さが出て来るので、割愛。目の前のバンダナを頭につけた中学生を押し止めれば、
「オレはシュヴァルツ! 航海士シュヴァルツ・ヴァイス! かっけえだろ! オレ、あんたの弟子になりたいんだ! オレに不良を教えてくれよ!」
彼はこれ以上にないくらいに興奮した眼差しでそう言ってくれた。俺は照れ隠しにかっこよく笑って、彼の肩に手を置いて、
「やめなさい。不良なんてなるものじゃない」
「………へ?」
「日夜、抗争の上にやられたらやられたで復讐で周りに迷惑ばっかりかける癖に得られるのは小さな自尊心だけ。その癖、真っ当に生きたら更生した!と手放しで喜ばれる」
「カッケェじゃん! 腕っ節で上り詰めるなんてマジで漫画みたいでさ!」
「本当にかっこいいのは不良にならず、真面目に生きてきた奴だよ。社会で不良のトップだったって自慢は何も通用しないけど、学園で成績トップだったって自慢はそれなりには通用するからな」
夢壊れたみたいな目になるのは申し訳ないが、実体験なので勘弁してほしい。というか勉強が出来なかったからブラック企業にて勤める羽目になったわけで。
「真面目に生きて、真面目に仕事をする事が何よりかっこいいんだよ、少年………いや、少年かは知らないけど」
「何、生暖かい目で語ってんだ。レイヴン、キモいぞ」
甲板に足音を響かせながら、鼻で笑うように馬鹿にした態度でやってくるステラ船長。
「現実で頑張っても無駄だろうが。真面目にやっても報われねえ事は多々あるし、ガキの時くらいは不良かっけえ!って夢を見させとけよ。どうせ責任は本人が取るしかねえんだから」
「だとしてもな、若い頃から現実を見た堅実的な生き方が一番正しい………あだあっ!」
ステラ船長による無慈悲のローキックに脛を押さえて蹲れば、ステラ船長は舌打ち一つし、ずしりと背中に柔らかな感触と重み。
こいつ、平然と俺を椅子にしやがったな??
「いいか、レイヴン。テメェだけじゃねえが、お前みたいな考え方をする奴が現実で増え続けてるのは何故かわかるか?」
「まず船員を普通に椅子にする船長の思考回路を見せてほしいんですが」
「夢が奪われてるからだ。この世界でな」
「スルーですか、会話のキャッチボールが大暴投なんだが」
返答代わりに更に体重をかけてきたステラ船長に、対抗する為に四つん這い態勢に。遠目で見ていた魔法少女みたいな船員が豚を見るような目で見ているので泣いた。
「この世界は"星が見ている夢の世界"。現実の奴らはその世界に間借りして、自分の好きな夢を反映してるだけにすぎねえ」
「だから夢の世界なのに、街とかあるんだな………という事はもっとファンタジーな場所もあるのか」
「ああ。私たちが向かっている"星の海"とかな。で、だ。新入りには私達、星夢の海賊の夢をまだ話していなかったな」
彼女は漸く立ち上がって、月を背後に宣言する。
「私達の夢は『人の夢を食い尽くした"星鯨セラ"を捕縛し、人々の夢を奪い返す事』だ。如何にも海賊らしくてワクワクして来るだろ?」
その言葉に、俺は高鳴る鼓動を抑えるように立ち上がる。
何故なら──
「当然。血が滾るね」
──昔の血が余りにも騒いでうるさいからだ。
共有されたエピソードはここまで。 不思議の国のルイスさんに感想を伝えましょう!
小説情報
- 小説タイトル
- 星夢海賊船
- 作者
- 不思議の国のルイス
- 公開済みエピソードの総文字数
- 0文字