どんぐり目のアンダーグラウンド
第14話『心の根城』
- 作者
- どんぐり目@相互フォロー
- このエピソードの文字数
- 5,514文字
- このエピソードの最終更新日時
- 2025年4月18日 13:55
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シュアックの声がわずかに震えた。
恐怖ではない。そこにあったのは、裏切られた者だけが持つ静かな動揺だった。
「こんな規模のことができるのは、博士しかいない。でも、僕にも何が起きたのかは分からない」
まるで、自分に言い聞かせるような口ぶりだった。
「あの先はノードだ。アイツはなんだ、何を企んでいる」
ラグナの声に、空気が一段冷えたような気がした。
遠くの空に浮かぶ影が、じわじわと街の方角へ進んでいる。
「計画なんてなかった。あいつが何なのかも、どうしてああなったのかも、僕は知らされてない」
シュアックは視線を落とし、短く息を吐いた。
「判断を急げ。お前が黙ってる間にも、ヤツは進行をしているぞ」
ラグナが詰め寄るように言うと、シュアックは静かに顔を上げた。
「ジップタックの拠点がある。仲間が何か知ってるはずだ。……でも、今の俺じゃ、そこまで行けない。連れて行ってくれ」
声に力はなかったが、意思はあった。
少なくとも嘘をついているようには見えなかった。
「自分を圧縮しようとしてるんじゃないのか?」
「それはない。信じてほしい。けど、疑うならそれでもいい」
「万が一、逃げようとしたら――そのときは俺が斬る。お前の首を」
静かなやり取りの中に、殺気がわずかに走った。
ラグナが無言でこちらを見て、目を伏せる。
「やっぱり面白いこと言うね、君。僕の首は任せたよ」
シュアックは口元だけで笑う。
だがその笑みに、もう飄々とした余裕はなかった。
「行くぞ、振り落とされるなよ」
「もちろん」
ラグナがそう言うと、膝を落としてシュアックを背負い、俺の方へ片手を伸ばす。
俺は迷わずその手を取った。
風が裂ける音がした。
視界が一気に流れ、地面が斜めに吹き飛んでいくように感じた。
「次、右。岩の裂け目を抜けて谷へ。森に入ったら、あとはまっすぐ」
背後で聞こえるシュアックの指示に合わせて、ラグナが跳ぶ。
《ときおくり》の力が身体を引っ張り、森の中を音もなく駆け抜けていく。
やがて視界がぱっと開け、木々の向こうに黒く口を開けた岩壁が見えた。
「ここがジップタックの拠点なんだな」
ラグナが速度を落とし、足元に土を蹴り立てながら着地する。
俺も後ろに転がるように飛び降りた。
その瞬間、洞窟の入り口から数人の人影が飛び出してくる。
ジップタックの団員たちだった。何人かは荷物を抱え、走りながらも後ろを振り返っている。
どう見ても、拠点からの脱出の最中だった。
「あれは、団長?」
一人の団員が足を止め、ラグナの背に担がれたシュアックを見て声を上げる。
その一言をきっかけに、他の者たちも次々に立ち止まった。
「戻ってこられたのですね、団長!!」
「遅れてごめん。ちょっと手間取ったよ」
近づいてきた男が息を荒げながら問う。
声には驚きと混乱が混ざっていた。
目の前の現実を、まだうまく飲み込めていないようだった。
「そちらの方々は?」
「後にしよう。それより何があったの?」
シュアックの声は落ち着いていたが、わずかに硬さが混じっていた。
団員は口元を引き結び、短くうなずいてから話し始める。
「研究棟の奥で、急に爆発音がしました。みんなで駆けつけたんですが……博士が、そこにいて」
一瞬、言葉が止まる。
話すのもためらわれる空気が、場を押し沈めていた。
「“これでお前らともおさらばだ”って言い残して、そっから姿が変わり始めたんです。もう人間じゃなかった」
その表情には、恐怖と信じたくなさが入り混じっていた。
団員たちの間にも、ざわめきが走る。
「変わり始めたって、どういうことだ?」
ラグナが眉をひそめて問い返す。
団員は一度目を伏せ、少し息を整えてから答えた。
「身体が歪んで、骨が崩れて、肉が盛り上がって……気づいたときには、もう別のものになってた」
その声には、あの場にいた者にしかわからない実感があった。
「博士の足元に転がっていたzipファイル……それが博士の身体に触れるたび、取り込まれていくんです」
俺たちは言葉を失った。
それでも団員たちは続ける。
「取り込むたびに、見た目が変わっていきました。金属片みたいなパーツや、どこかの施設の構造……それから、生き物みたいな一部が浮き出てきたんです」
その異常な光景を語る彼の表情は、どこか現実からズレていた。
見たことは確かでも、理解が追いついていない目だった。
「吸い込んだ分だけ、体がどんどんでかくなっていって……気づいたら、あんなバケモノに。あれが、今の博士です」
「どうりで建物や魔物の一部が合わさった見た目をしていたわけか」
沈黙の中で、シュアックの顔色が変わった。
肌から血の気が引いているのがわかった。
「俺のファイルは?」
声は、かすれていた。
そのひとことが空気を変えた。誰もが息を止める。
「どこだ。あの日以来、俺がずっと保管していた、あのzipは」
シュアックの身体が傾き、ラグナの背からずり落ちる。
地面に膝をつき、震える腕で何度も起き上がろうとするが、力が入らない。
一歩も、進めない。
「言え、どうなったんだ!」
怒鳴るというより、叫ぶような声だった。
感情が抑えきれず、唇が震えていた。
「おそらく、取り込まれました」
団員の短い返答がすべてだった。
それだけで、シュアックの動きが止まる。
すぐに、また前へと身体を這わせ始めた。
無理に腕に力を込め、地を這い、進もうとする。
「行く。あいつのところへ行く」
足が動かない。肩が震える。
進みたくても、前に出られない。
それでも、地を這おうとする。
「その体じゃ無理だ。お前が行っても、止められない」
俺がそう言うと、シュアックは顔を上げた。
喉が鳴るような音が漏れ、口を開いたまま何も言えなかった。
その目にあったのは、怒りでも悲しみでもなかった。
――悔しさ。何より、自分の無力さへの。
「分かってる。そんなことは分かってる……それなら、それなら僕をバベルの元へ連れて行ってくれ!!」
拳を握り、地面にぶつけるように叩く。
小さな砂が跳ね、指先に土が滲む。
「いいから早くっ!!!」
言葉が、振り絞るようにこぼれた。
シュアックは俺たちを見上げ、必死に目を逸らさずに言った。
「お願いだ、レイン、ラグナ」
顔を上げる。
目が、必死にこちらを見ていた。
「行かせてくれ。僕の、大切なものまで、奪わせたくないんだ」
ラグナがわずかに目を伏せた。
俺はひと呼吸だけ間を取り、ゆっくりと頷く。
「君たちも、今はジップタックとして休戦だ。彼らに力を貸してやってくれ」
団員たちは顔を見合わせ、無言でうなずいた。
その表情に迷いはなかった。バベルは進んでいる。
今この瞬間にも、街に近づいているかもしれない。
「僕は先に行く。君たちは戦う用意を済ませ、至急バベルの元へ行け」
「シュアック、行くぞ」
ラグナが無言でシュアックを背に担ぎ、加速する。
そして、俺たちはバベルの足元にたどり着いた。
シュアックが静かにラグナの背から降ろされる。
その目は真っ赤に充血していた。
それでも彼は立ち上がった。よろけながらも、力を込めて膝を伸ばす。
「頼む、最後までやらせてくれ」
誰にでもなく、彼はそう言った。
跳んだ。
シュアックはその傷の具合から考えられないほどの跳躍を発揮した。
地を蹴り、身体をねじりながら、空に浮かんだzipファイルへ。
ファイルは空中で微かに揺れ、彼を受け入れるように静止していた。
その上に着地すると、目の前に“それ”がいた。
異形と化したバベル。肉と金属と構造体が混ざり合った巨体。
「何を考えてる、バベル。あのとき交わした杯はどこ行った?」
風が止まったような静寂のなかで、“それ”は口を開いた。
声は低く、どこか遠くから響いてくるような音だった。
「私は生まれつき、この世界に理不尽を感じていた」
淡々とした口調だった。
「すべてが容量で決まる世界。地位も、名声も、金も、発言力も。重ければ正義、軽ければ無価値。それがこの世界の仕組みだ」
バベルの体の一部、かつて魔物だった残骸が、かすかに動いた。
「だがお前たちが作成できるziipは、革新的だった。圧縮によって、この世界の容量に空きが生まれる。これこそ私の容量に、余白を与える術だ」
その“声”には、わずかな感動すら混じっていた。
けれど、その先の言葉は――冷酷そのものだった。
「だから私は、その空きをすべて取り込むことにした。余白すなわちzipを喰らい、肥大化し、より強大な存在となる」
一瞬の間。
そして最後に、低く呟く。
「手始めに、あの街だ。私の偉大さを街の偏狭人に見せしめるため破壊する」
シュアックの表情が凍りついた。
「……お前、本気で」
「貴様は、ここまでだ。用済みだよ、シュアック」
返す言葉もなく、次の瞬間だった。
巨大な腕が横から振り抜かれる。
風圧だけで空気が割れる。
シュアックの身体が空ごと吹き飛ばされ、激しく地面へ叩きつけられた。
轟音が遅れて響く。
あたり一面に砂煙が舞い、空が歪んで見えた。
「シュアック!!!」
地面に深くえぐれた土の中、シュアックはうつ伏せのまま動かなかった。
それでも、わずかに肩が上下している。
俺とラグナが駆け寄ったとき、彼はようやく顔を上げた。
血と土でぐしゃぐしゃになった顔には、それでもはっきりと涙の筋があった。
「アイツを止めてくれ」
声はかすれていた。
それでも、しっかりと届いた。
「僕は、間違ってた。ずっと、自分のことばかりだった。イェリナのことも、ヤツの裏切りも、見てるようで見てなかった」
言葉を吐くたびに、血が混じる。
それでも彼は、絞るように続けた。
「ジップタックは、
唇が震えていた。
どこかで、気づいていたのかもしれない。
けれど、止めなかった。止められなかった。
「だから頼む。レイン、ラグナ。君たちが、終わらせてくれ」
目が、真っ直ぐこちらを見ていた。
もう泣いているのか、痛みに震えているのか、分からない。
けれど、その言葉に迷いはなかった。
「分かった。もう喋らなくていい。お前はもう、任せろって言えばいい」
俺がそう言うと、シュアックは少しだけ、微笑んだように見えた。
ラグナが立ち上がり、彼の身体を再び背負う。
俺は先を見据えながら、進路を示す。
「レイン、行くぞ」
ラグナが振り向き、迷いなく俺の手をつかむ。
世界が一気に流れ出した。
地面が横に逃げていく。風が、景色を削るように吹き抜ける。
《ときおくり》。
森を貫き、俺たちはノードを目指す。
『……さん!! レインさん!!』
ルスの声だった。
外部からじゃない。脳内に直接飛び込んできた。あいつの能力だ。
『街の外にいるアレ!! 何かあったんですか!?』
門を抜けた瞬間、目の前に広がった光景に息を呑んだ。
通りは人で溢れかえっていた。悲鳴、怒声、避難する群衆――
通れる隙間なんてどこにもない。
「くそ、これじゃ行けない」
人を押しのけるどころか、立ち止まることすら困難だった。
ルスの声が脳の奥に響いているのに、目の前の現実が追いつかない。
『早く! ノードフォートに来てください! もしかして人混みで塞がっていて進めてないとか、ですか?』
この状況を見抜いてるかのようなルスの声に、俺は小さく舌打ちした。
次の瞬間、脳内にルスの声が直接飛び込んでくる。
『だったら――屋根の上を行ってください! 道はもうどこもパンパンです! でも上なら、人もいないし視界も広い。ラグナさんの脚なら絶対いけます!』
「……言ってくれるじゃねぇか。屋根の上だ、ラグナ」
苦笑しながら、俺は顔を上げた。
ラグナはすでに、次の行動に移っていた。
「なるほどな。行くぞ、掴まれ!」
「分かった!」
ラグナが先に壁を蹴って跳び上がり、俺の手を掴んで引き上げる。
建物の屋根を走り抜けるたび、街全体の混乱が下に見えていく。
ノードフォートの外壁が、ついに目に入った。
ルスの声はもう近くで聞こえていた。
次の瞬間、屋根から飛び降りると同時にルスが姿を見せる。
「レインさん! ラグナさん!」
駆け寄ってきたルスの顔には、混乱と焦りが浮かんでいた。
俺たちはそのまま地面に着地し、息を整える間もなくラグナが口を開いた。
「ルス、今はアイツを止めなければならない。状況は後だ」
「コイツを傷病室に。今すぐ軍を動かすぞ。弓兵と前衛を半々に分けて編成。二部隊にしてくれ。キーレン、投石器や大砲の準備を頼む」
「へい。兵士、今すぐ諸々の軍備の支度を整えろ」
兵士たちへ指示を飛ばしていく。
数分も経たないうちに、装備を整えた兵たちが列を作り始めた。
ラグナはその様子を見て言った。
「キーレン。お前が第二部隊を率いて後詰を頼む。レインと私は先行して、バベルの足を止める」
「わあった」
兵士たちは手際よく馬車に詰め込まれていく。
ひとつの荷台にぎゅうぎゅうに押し込められた兵を前に、ラグナが馬車の轅を無言で握る。
「レイン、しっかり掴まってろ」
「僕も僕なりにフォローできるように頑張ります!」
「ああ、頼んだぜ」
その瞬間、空気が裂けるような風圧が走った。
《ときおくり》の能力が発動し、馬車が疾風のごとく地を駆け出す。
建物の屋根や壁を駆け抜け、森の地形を蹴散らすように、ノードの街を背に全速力で突き進んでいく。
目指すはただひとつ――バベル、あの異形の巨体。
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