第五章 ロザリア・ワーゲン

「リリトぉ!」

 泣きながら、リリトに抱きつく。

「リリト、レギンレイブが、私を守って……えっ、えっ」

 状況を見て、全てを理解したリリトは、ゼッハの目線に腰を下ろして、抱きしめた。

「えらいですよ。ゼッハ、怖かったでしょう? もう大丈夫です。アーベル様、ゼッハと安全な所に!」

「分かった。ゼッハ、行こう」

「でも……」

 リリトはゼッハの頭を撫でると言った。

「大丈夫、アーベル様は元の優しいアーベル様にお戻りになられました。心配いりません」

 リリトにそう言われ、ゼッハはアーベルについて扉の外に出た。

 別館でリリトはブリュンヒルデと二人になって問いかけた。

「貴女の目的は何ですか? もう雇用主のハイルブロンの怪人はいません。しかしブリュンヒルデ、お金でも力でも、そんな所ではないでしょう?」

 リリトは異形の鎧を身につけたブリュンヒルデに質問した。

「もちろん、これから金は必要でしょうね。この身体の維持に、そしてこの力を手に入れたかったのも事実、これで私は完全なるワルキューレになった」

 リリトは腕を組むと言った。

「そこです。貴女はどうしてワルキューレにそこまで拘るのですか?」

「それは……」

 

                   ★

 

 ロザリア・ワーゲンと呼ばれる少女がいた。

 世間は彼女を神童と呼び、勉学・芸術・運動、何をやらせても、彼女は他の追随を許さなかった。

 しかし、彼女は自身の能力を鼻にかけるわけでなく、努力も怠らなかった。

 それは全て母親に褒めて貰うため。

 家に帰るとすぐに、母親の元へと彼女は走った。研究で忙しい父よりも、いつも相手をしてくれる母が大好きだった。

「お母様!」

「ロザリア、お帰りなさい」

 優しく抱きしめてくれ、暖かい紅茶を入れてくれた。

「今日は学校で何をしたの?」

 鞄から楽譜を出すと、それを母に見せた。

「特別なピアノの曲を習いました」

「聞きたいわロザリア、聴かせて頂戴」

 にっこり微笑むと、ピアノの前で一礼をした。

 ロザリアはピアノの前に座ると、ゆっくり息を吸い、鍵盤を叩いた。力強いリズムで指を滑らせていく。

「ワーグナーね。素敵だわ」

 目を瞑り、リズムを取るロザリアの母、ロザリアは弾き終わると、椅子から降り一礼した。

「ご静聴ありがとうございましたっ、お母様がワルキューレの絵画を、とても大事にしているから練習したんです」

 パチパチと拍手するロザリアの母。

「ワルキューレの騎行だなんて、お母さんがロザリアくらいの年の時には、弾けなかったわ」

 ロザリアは最高の笑顔を見せた。

 父から出されていた宿題を、父の部屋の机にそっとを置くと、再び母の元に戻った。ロザリアにとっては、勉強もスポーツも、誰かと競う為でも自身の為でもなく、ただ母に褒めてもらう、その為だけの物であった。

 くる日もくる日も、母に甘えた。

「お母様、今日は油絵を描いてきました」

 イギリスの有名な画家の絵を模写したそれは、小学生の子供が描くレベルの代物ではなかった。

「ブリュンヒルデね。よく描けているは」

「今の絵の具では、少し明るさが主張しすぎてしまうのです。やはり、本物に比べれば私の物は足下にも及びません」

 そう言ったロザリアの頭を撫でる母、ロザリアは永遠にその幸せが続くと思っていた。

 しかし、ロザリアのささやかな幸せは一瞬で崩れ去った。

 体調を崩し、午前中に帰宅したロザリアが見た風景は絶望だった。

 途切れなく続く、雑音と途切れ途切れに聞こえてくる喘ぎ声、ロザリアにもその行為が何か理解していた。

 音の聞こえる部屋の前まで辿りつく。

「おかあさ……」

「もう、あの子の声が……辛い。あん、あっあっあぁ」

 あの人と同じ。

 理解出来ない事を言って私を困らせる。

 私は普通の家族が欲しかった。

 あんな、何でも出来る子供、私の娘じゃない。

「アレは私を困らせる怪物だわ」

 そう、ロザリアは呟くと部屋で先ほどまで動いていた母らしき物と、見た事もない男であった肉塊を、何度も手斧で叩いた。

 足下には、小さな拳銃が落ちていた。

 音を聞きつけ、ロザリアの父がその部屋と光景を見た。

「ふむ、ロザリア、君がやったのか?」

 涙を流しながら頷くロザリア、十字を切ると、ロザリアの父は言った。

「汚れた血と魂は浄化された。彼らはヴァルハラへと旅だったのだ。悲しむ事はない、君は天才だ。私の研究の後継となれるだろう。ワルキューレを作るというね」

 その言葉に、ロザリアは目を見開いた。母との唯一の繋がりであった単語。

「お父様、私はワルキューレになりたい」

 

                   ★


「忘れてしまいましたは、そんな理由。今となってはどうでもいい」

 八本の触手をうねらせ、リリトに対峙した。

「神の与えし翼です。四対の翼を持つ私は、天使すら越えた存在。分かりますか? 悪魔である貴女、リリトさんを越えた力を、今の私は持っていますわ」

 リリトは構えると言った。

「翼ですか? 私にはモンストルム怪物の触手だと思っていました」

「私を……化け物扱いするとは許しません」

 触手がリリトを襲う。

 それをリリトは回避すると、一本の触手を殴った。

「はぁああ!」

 触手を退け、リリトはブリュンヒルデの懐に入った。

「終わりです!」

「無駄です」

 背中が熱くなる。

「あっ……うっ」

 リリトの拳が届く前に、リリトの背中に二本の触手が深く突き刺さっていた。

 それを、リリトは引き抜くと、数メートル後ろに下がった。

 シューシューと、空気が抜けるような音がし、リリトの背中の傷が修復を始める。

「やはり、私が殺すべき相手は貴女です。リリトさん。そこに転がっているレギンレイブは、あの娘さえ守らなければ、あるいは私を殺すに至ったかもしれないのに愚かですわね」

「レギンレイブが?」

「えぇ、何でも、貴女達と暮らすとか言ってましたよ。姉妹一緒にヴァルハラに逝きましたが」

「姉妹?」

 完全に傷が癒えたリリトは、さらなる攻撃のタイミングを計っていた。

「貴女達が飼っていた猟犬、ブリジット・ブルーの行方不明になった妹、ジャンヌ・ブルーという妹、それはレギンレイブですのよ。どちらも今日が命日となりましたが、それもまた運命でしょう」

 リリトは衝撃を受ける。

「そんな……ブリジットが死んだなんて……それにレギンレイブがブリジットの妹……」

 驚愕するリリトと逆に、輸血パックを飲み干すと、ブリュンヒルデは楽しそうに話した。

「猟犬はシュベルトライテと相打ち、レギンレイブは私が、猟犬はよくやりました。人の身でありながら、シュベルトライテを倒したその実績は、ヴァルハラでも高く評価され良い活躍をするでしょう」

「……だまれ!」

 リリトは怒りの表情を見せ叫んだ。

「私は、天国も地獄も知らない。だけど、ブリジットとその妹には、戦いなんてなく、仲良く眠って欲しいと願います。そして死者を、私の友人を、冒涜する貴女を許しません」

リリトは自ら攻めた。

自身の最高スピードの連撃を放つが、ブリュンヒルデは触手を用い、それらを全て受け、凌いだ。

「これならどうです!」

スライディングから至近距離でのハイキック、それをブリュンヒルデは、四本の触手で受け止めるが、そのままリリトはボールのように蹴り飛ばした。

「やりますね」

壁に激突する前にブリュンヒルデは、片方の四本の触手で衝撃を殺した。

「そろそろ私も攻めますよ」

触手の形が全て槍のように変わる。

「ワルキューレの槍は、悪魔を消滅させます」

リリトを襲う触手を紙一重でかわし、触手に手刀を叩き込んだ。

「くっ……」

リリトも全てかわしきれるわけでなく、致命傷にならない攻撃は受ける。

そして、少しずつ動きが鈍くなる。

「チェックメイト!」

八本の槍がリリトを貫いた。

「ぐっ……やられました。あぁあああ!」

無理矢理、触手を引き抜くと、大量の出血を気にせずに、リリトは構えた。

「きなさい! まだ、私は死んでませんよ」

自分の勝利を確信したブリュンヒルデは、同時に攻撃せずに、数本の触手でリリトを襲った。

「まさに要塞ですね。攻め手が見つかりません」

「よく頑張りました。さぁリリトさん、今宵、夜の魔女は死ぬのです。ヴァルハラで、お友達も待っている事でしょう」

壁を背に、リリトはブリュンヒルデの攻撃に備えた。

ブリュンヒルデの八本の槍が刺さる瞬間、リリトは上に滑空した。

「高い! でも、逃げ場がないですよ!」

バリバリと壁に外へと続く大穴を開け、触手はブリュンヒルデの元に戻ると、空中のリリトに向けて放たれた。

「せぇい!」

リリトは一本の触手に自分の腕を自ら刺すと、そのまま触手にそって着地した。

腕を無理やり触手から引き抜く、皮一枚で繋がったような腕を無理矢理くっつけると、そのままブリュンヒルデが作った穴から外に出た。

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