スオウとツムギ2(本編後)

 そういえばツムギは、一度物事に集中すると寝食を忘れるたぐいの人間だった——と、スオウは最近再認識している。

 ハフリが村を去ってからはよりその傾向が強く、かと言ってふさぎ込んでいるわけでもなさそうだ。毎日何かをつかもうとするかのように、糸や布と戯れ、休むことなく針や編み棒を動かし続けている。

 昼に声をかけにいくのは、もはやスオウの日課になりつつあった。右手には板に乗せた乾酪チーズと干し肉。左手には火にかけて熱した乳茶の入った鍋。扉を開けるのにも苦心しどうにか織鶴の幕家に入るも、今日も今日とてツムギは気づく様子もない。

「ひるめし」

 声をかけると、はたと顔を上げ目を瞬かせる。

「もう昼?」

「そ」 

 板と鍋をツムギの近くに置く。食器置きから椀をふたつ取り出して、柄杓ですくった乳茶を注いで手渡す。

「ほい」

「ありがと」

 ツムギはぬくもった椀を、温度を移すように何度もさする。一人で仕事をするときは薪が勿体無いからと火を焚かないので、手が冷えきっているのだ。最初は暖炉をつけるよう促していたが、スオウに忠告されたり世話を焼かれたりするのをツムギは好まない。機嫌を損ねそうだったので、結局暖かい飲み物を差し入れるようになった。イグサからの頼まれごとついでに村の外で仕入れた香辛料も使っているので、体も多少は温まるはずだ。ツムギは欠片も気づいていなそうだが。

 乳茶を飲んでほうっと一息つくと、紺の瞳がようやくスオウに向けられた。


「毎日持ってきてくれなくてもいいのよ。あんたも仕事があるでしょ」

「ついでやから」


 村の外に出る日には、コソデに一声掛けることにしている。「健気だねえ、スオウお兄ちゃん」とませた表情と口調で応じられるたびに居た堪れない気持ちになるが、他の人間——ソラトやホタカといった同世代には特に——任せる気にはどうしたってなれなかった。半ば意地だ。

 拗らせている自覚はある。現状を打開したい気持ちもある。しかし——


「そういえばソラトなんだけど」


 思考を遮るように持ち出された名前に、がくりと肩を落としそうになるのを耐える。ツムギは右に左に視線を彷徨わせ、苦々しいとも笑いを堪えているとも付かない表情を浮かべていた。

「なに」

「……ハフリのこと話しすぎじゃない?」

 あー、と自分が漏らした声にも、なんとも言い難い苦笑いが混じった。

 二人にとっての年上の幼馴染は、森にハフリを送り届け帰ってきてからというもの、子細は語らないが――たいへんに、しあわせそうである。表情や態度は平時とさして変わらないが、

「何を見てもどこに行っても二言目には『ハフリが好きそう』『ハフリが喜びそう』『ハフリに見せたい』よ!?」

「しかも本人はまったくの無自覚っていう」

「それよ」

 食い気味に同意したツムギは、気を取り直すように乾酪を口に放った。

「びっくりだわ。あんな風になるなんて」

 確かにソラトといえば、幼少期は冒険好きのがき大将、イグサから教育を受けるようになった十三歳ころからは徐々にお堅い感じになり、一貫して色恋沙汰とは無縁だった。女性に全く興味がないわけではなかっただろうし、次代の村長という立場上言い寄ってくる娘がいないわけでもなかったが、女性に対しては扱いに困ったり慄いたりしていた印象が強い。それが恐らくはハフリと想いを通わせ、果てには無自覚に惚気のようなあれこれを垂れ流すようになるのだから、旅の詩人が歌うように「恋は人を変える」のかもしれなかった。

 とは言え、スオウからすればある種の鈍感さと愚直さが本来のソラトであるのは確かで、今の彼はある意味まっとうに彼らしいとも思う。

 ソラトの変化よりも図りかねているのはツムギの心境だ。

 正直に言えばもっと、付け入る隙ができると思っていた。ソラトに失恋し、ツムギが抱えるであろう喪失を自分が埋められる立場になるのではと目論んでいたところがあった。それが、ツムギといえば現実逃避という風もなく、どちらかというと精力的に情熱を込めて手芸に向き合っているのだから、何がなんだかわからない。


「四六時中ハフリのこと考えてそうよね。まあ仕事も以前よりさらに頑張ってるみたいだけど」


 空元気の可能性もあり得るが、ここにきて今まで互いに意図的に恋愛沙汰の話を避けてきたのもあって踏み込めない。

 それに、


「……ツムギも人のこと言えんことない?」

「どういう意味よ」

「それ、ハフリちゃんにやろ」

 

 ツムギの傍らには、手のひら大の繊細な編み物や、凝った刺繍の山がある。事あるごとにハフリの元に鳥を遣わせているのは聞き及んでいた。


「……糸が余ったから。ついでよ、ついで」

「へえ~」


 ついでにしては随分手が込んでますけど、という言葉を飲み込む。

 オレには作ってくれへんの、という言葉を喉元で押さえつける。

 先日話の流れで「あんたにもなんかつくってあげる」と言われた記憶があるのだが、まさかこちらから注文しなければ作ってくれないのだろうか。ハフリには頼まれずとも作っているのに?

(ソラトにも負け、新参者のハフリちゃんにも負け)

 ツムギの中の自分の優先度の低さを実感し、結構に心がえぐられる。怒りとも悲しみともつかない感情が、いっそのことこの場で押し倒して「わからせて」しまおうか——と囁くけれど、そうしたら最後、本当に欲しいものは一生に手に入らなくなることを知っている。

 拗らせている自覚はある。現状を打開したい気持ちもある。でも、どうしたら良いかがわからない。


「仕事戻るわ」


 ツムギが食べ終えたのを見届けて、板と鍋を手に立ち上がる。扉に手をかけたところで「スオウ」と呼び止められた。


「なに」

「……いや、いい。なんでもない。お昼、ありがと」


  *

 

 一人になった幕家で、ツムギは自分が手がけた刺繍を手に取った。白い花をもした小さな立体刺繍の髪飾りは、次にハフリに贈るつもりの品だ。身勝手だけれど、絶対に喜んでくれる確信がある。気兼ねなくものを贈れる相手は良い。

 ころん、と手の上で花を転がす。

「何が欲しい、って訊いたのに」

 スオウは何も言ってくる様子がない。つまりは要らないということだ。

 毎日毎日甲斐甲斐しく世話ばかり焼いてくるくせに、ツムギには何も求めてくれない。期待をしていないのかもしれなかった。もう一度欲しいものはないかと尋ねれば良いのかもしれないが、言いよどまれたらひどく落ち込みそうで、言えない。


「……ばーか」

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