スオウとツムギ(終章前)

「裁縫道具貸して」

 朝から突然押し掛けて来た一つ年上の幼馴染に仏頂面で手を差し出されて、スオウは幕家の扉を開けたまま固まった。状況もさながら、言葉をそのま飲み込むことができなかったのだ。——裁縫道具。それらはこの少女が自ら遠ざけ、触れなくなって久しいものだった。

 こめかみをかきながら、ひとまず軽口を返す。

「貸してって……家に山ほどあるやろ」

「いいから貸してってば!」

 頬を赤らめばつの悪そうな顔をする幼馴染は、どうやら本気らしい。ひとまずツムギを幕家のなかに招き入れる。家には誰もいない。仕事にでた両親と入れ違いに、先刻愛馬の手入れから帰ってきたばかりだ。

 ツムギを座布団に座らせて、自身は母の道具が入った長櫃を開け、目当てのものを探す。

(裁縫道具くらい、あるけど)

 一体どんな心境の変化なのか。五年ほど前に、嫁ぎ村を出た姉に膝掛けを贈ったのは知っているが、それ以降で彼女が糸と戯れているところなど目にした記憶がない。

 手芸を得意とする織鶴の民として生まれたツムギは、例に漏れず手先が器用だ。けれど、彼女の姉と妹の手芸の才は一族のなかでも飛び抜けていて、板挟みになった彼女は手芸を厭うようになった。手芸が嫌いなわけではない。けれど遠ざけることでしか、彼女は自分を守れなかったのだ。

(オレは、ツムギがつくるものが好きだったけど)

 彼女の手から生まれるものは、大胆で鮮やかで、活き活きとしている。小刀の鞘に小物を入れる袋など、幼い頃によく押し付けられたものだ。ぜんぶ取ってある、とは我ながら気持ちが悪いので口が裂けても言えないが。

(でもオレは、手芸を遠ざけたツムギを心変わりさせることはできんかった)

 むしろ、遠ざけるのを手伝ったといっても過言ではない。塞ぎがちになっていた彼女に馬を勧めて外にひっぱり出したのは他ならぬ自分だ。

 ツムギは自分のなかの隙間を埋めるように乗馬にのめり込み、外での仕事に勤しむようになった。

 そんな彼女を心変わりさせる要因があるとすれば、ひとつしか思い当たらない。

「ハフリちゃん?」

 問うと、ツムギはぎくりと肩を揺らす。図星のようだ。苦笑を漏らしつつ、裁縫道具が収まった箱を手渡す。

「はい、どーぞ」

「ありがと」

 裁縫箱に視線を落として、ツムギが言葉をもらす。

「……なんでって、訊かないの」

「訊いて欲しいん?」

 にっこりと笑みをつくって尋ねると、ツムギは「いい」と拗ねたようにそっぽを向いた。

「うそうそ、教えて? 何つくるん?」

 正座するツムギの前に手をついて、わずかに身を乗り出す。触れようと思えば触れられる距離だ。けれどここまで近づいてもツムギは警戒する様子すら見せない。ため息をつきそうになったのをどうにかこらえて前を見据えれば、紺色の眸とかち合う。その奥を覗くかのように目を細めると、ツムギが少したじろぐ様子を見せのでわずかに胸がすいた。

「額飾り。あの子のもの、汚しちゃったのよ。だから作ってあげようと思って」

「へえ」

 でもさ、と。勝手に口が動いていた。

「なんで、つくろうと思ったん。この数年間ずっと、針も糸も、絶対に触らんかったやん」

「それ、は。あたしもよくわからないけど」

 こたえを探すようにツムギが言いよどむ。

「あえて、いうなら」

 ぎゅっと、箱を掴む手に力がこもったのがわかった。

「ツム姉のところにいったとき。あの子、あたしのつくったものを好きって言ってくれたのよ」

 それだけ、と口を噤んだツムギを、スオウはまじまじと見つめた。

 それだけで、良かったのか。——それだけのことすら、自分はできなかったのだ。

(なんや、悔しいな)

 唇をかみしめそうになったのを押しとどめて、「そっか」と笑って返そうとしたそのとき。

 ふいに、頭に何かが触れる気配がした。

「あんたにも、なんかつくってあげる。なにがいい?」

 手を伸ばしてスオウの頭をぽんぽんとなでながら、ツムギが小首をかしげる。「なんで」と思わずこぼれた言葉に、ツムギは冗談めいた笑みを浮かべた。

「ものほしそうな顔してたから」

「しとった?」

「うん」

 あー、とスオウは声にならない声をあげて身体を起こすと、ツムギから距離をとる。天上を仰いで片手で顔を覆う。

(ちょう、かっこわるい)

 さいあくだ。

「これ、借りてくわね」

 ツムギが立ち上がって、軽やかな足取りで扉に向かう。そのまま出て行くかと思われたが、こちらに背を向けたまま、ぽつりとつぶやいた。

「——あんたに。あんたにはなしを、きいてほしかったのよ」

 ちらとこちらに視線をくれて、鮮やかに笑う。

「それだけ。またね」

 ひらと手を振って去っていたツムギを見送って、スオウは再度顔を手で覆った。顔が熱いのだけは、よくよくわかった。

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