Q初詣 A追いかける。
行き交う人々の浮足立った楽しげな雰囲気に気が紛れるのではないかと思ったがそんな事はなかった。当然のように現実とのギャップについつい沈む。誰かと来れればきっと楽しくて嫌な事も忘れていられるのだけれど、友人達は皆祖父母の元へ行っていて会う事は叶わなかった。
境内で一人手を合わせる。こんな気持ちでいるのなら、叔母夫婦に嘘をついてまで参拝などしなければ良かった。素直に一緒に行けばよかったと後悔してももう遅い。
神様、家族を元に戻してください。
離れてからふと気が付く、ここはお寺で神様ではなく仏様。学業守りを握りしめ、込み上げる涙をぐっと堪えた。愉快そうな人々が羨ましくて、美しく着飾っている振袖姿の女性が眩くて、どうして自分はこんなに辛い目にあっているのかと相対的に悲しくなる。
楽しいことを想像しようと、こんな時に小さな朗報があるかもしれない。例えばそうだ、初めてメールの返信がくるかもしれない。
顔文字にするか、絵文字にするか、いっそ可愛らしくデコるかいろいろ悩んでなるべくシンプルな文章にすることにした。
今年もよろしくねと打ってから、今年がいつを指すのか自問自答してみる。この先二人の距離が縮まる事はあるのだろうか。雪菜と佐藤亮平が付き合っている限り、このメールが宛先不明にならない限りは繋がりは途切れない。
薄氷の上を歩くような頼りない状況だけれども後悔しないように行動したい。
叔父と叔母から貰ったお年玉で何か美味しいものでも買っていこうと和菓子屋へ入った。
これから先、どうなるのだろう。
母の好きな芋羊羹を手にすると自然に泣きたくなってきた。試食をする気にも購入する気分も失せていく。けれどもお世話になっているのだからとグッと堪えて芋羊羹を買ってすぐに店を出た。
楽しげな親子が目に痛い。つい2年前までは自分がそこに居たはずなのにどうしてこんな事になってしまったのだろう。早くファーストフード店かファミレスを見つけて勉強をしなくては。それぐらいしか気を紛らわせる術がない。
このままでは不合格になってしまうという焦燥感も酷く不安を煽る。
「おい。」
急に誰かに腕を掴まれて思わず声をあげそうになったが、聞きなれた声で恐怖は感じなかった。
「賢輔君。」
学校の時と変わらない紺色のダッフルコートと灰色のマフラー。例えばものすごくお洒落だったら驚くと同時に可笑しくて笑っただろう。想像通りの彼になんだか安心する。
目は赤くないだろうか、睫毛くらいあげてくれば良かった、ダウンではなく可愛いコートを着ていれば良かった。みすぼらしくないかと恥ずかしくてぼさぼさかもしれない髪を右手で撫でつけた。
「迷子?」
「え?」
「さっきそんな顔してたから。」
仏頂面の彼と向かい合って止まっていると明らかに交通の邪魔になっているのを感じた。彼もそう思ったのか背中を押され、端へと誘導してくれた。
「佐藤加奈子とか?携帯は?」
「叔母の家に遊びに来てて勉強前にちょっと合格祈願しようかと思って来たんだけど凄い人で驚いちゃった。」
一人で来たと言うと何でと始まりそうで、きちんと説明すると関を切ったように止まらなそうで、言い出せない。口にした内容的に一人で来たというのは明らかなのに、その一言が出てこない。
白い息を吐いて、思考を張り巡らしているような彼のほくろの多い白い横顔を見つめる。くあっきりした二重瞼から延びる睫毛は結構長い。
「腹減ってない?俺は減ってるんだ。」
「あれ、でも。」
中山君や亮介君と来ているんじゃないのと言いかけて口を閉じた。雪菜から勝手に聞いた事を話すのは良くない。
「いや、何でもない。受験勉強がんばれよ。」
「私も、おなか減ってる。」
今にも立ち去りそうな彼のコートの裾を思わず掴んだ。彼は驚いたのか口を開けて固まった。それからこくんと小さく頷くと飯、行こうかと囁いた。
二人で無言で坂を登る。確か坂を登りきって駅へ向かうほど飲食店は限られてくる。自分がお店を決めた方が良いのか彼に何か考えがあるのか、リップクリームを忘れたから唇がカサカサでみっともないよな、あとでこの話を雪菜にしよう、などとぐるぐる思考が変化して状況に感情が追い付かない。
人の波に押され体が触れそうになりそうになるたびに緊張が全身を駆け巡って落ち着かない。
「何食べたい?」
坂がなくなって道が二手で別れるところまで来て彼が口を開いた。丁度人が分岐する場所で立ち止まっても邪魔にならない場所だった。
「名物は鰻だけど、結構値段する。」
坂の下を指さしてあそこと、あそこと、そこが美味いと彼が教えてくれた。心なしか目が輝いて見えるのは錯覚だろうか。
「ピザとかなら駅の方にそういう店あるけど入ったことないから保証できない。」
「定食屋はだいぶ戻る。あと蕎麦とかはあそことか。」
先ほどよりは落ち着いたテンションに鰻を食べに行きたいのかなと感じた。
「詳しいね、地元だもんね。」
「行ったことない所も多いけど。」
「そしたら、鰻食べよう。」
正直なところお財布の中身が心配だったが、豪華な食事で気分も更に晴れるだろう。こういう縁起の良い日くらい贅沢をしてもバチは当たらないはずだ。
参拝早々にいくつもはずうずうしくて願えなかった密かな願いを見透かして叶えてくれた仏様に感謝する。
「少し並ぶけど平気?」
「平気。」
人だかりの店の前まで来ると120分待ちと手描きの半紙が掲げられていて、少し並ぶという言葉に語弊があるのではと不安になった。彼は涼しい顔で携帯電話をいじっている。
「名前、書くんだよね。」
「大分前に名前書いておいたからそんなかからないと思う。」
「それって平気なの?」
友人達と入る準備をしていたのだろう。携帯電話を閉じると彼はにっと悪戯っぽく笑った。2年間同じ教室で過ごして、全く見られなかった笑顔が新鮮で、今日までの騒動はこのご褒美の為だったのではとさえ感じた。
そのくらい感動的に嬉しかった。にやけ顔を見られたくなくて少し俯いて、茶色いブーツのつま先に視線を落とす。
「ここさ、毎年混雑してるから。」
私の質問の意味を理解しているのにはぐらかすように携帯電話を閉じると彼の掌の中でバイブ音が鳴った。それを無視してダッフルコートのポケットに突っ込むと彼は無表情に戻った。
「受験勉強、どう?」
「微妙かな、英語が相変わらず苦手で。」
しばしの沈黙後に急に彼が英単語を呟いた。言われたつづりを携帯電話に打ってみる。
「えっと、受け入れる?」
「bear」
「我慢?」
「動詞な。consider」
「うーん、考える。」
「なんとかと見なすとか、について考える。」
突然始まった英単語の授業に必死についていこうとするが発音だけだと余計にすぐに答えられない。数秒答えられないと彼が正解を言って、私が繰り返す。そして次に進んでいく。途中で気が付いたのだが、器用にアルファベット順に出題している。不意打ちで英文も出てきた。
新年早々、気になる男子と鰻屋の前で英語のレッスンを受けている受験生は全国でも私だけに違いない。それは確信できる。サカナや香ならきっとウザいとか気持ち悪いとか言い出すかもしれないけれど、この状況が楽しくて仕方なかった。
「How ~。」
「ちょっと待って。全然分からない。」
「How tall you’ve grown」
携帯電話に英文を打ってもう一度発音されてみると耳に残る。
「Howは感嘆文で…。なんてあなたは、あなたはなんて高く成長したのでしょう?」
「背が高くなったね。って感じでいいんじゃないの。」
言われればそうだ。そういえば彼も随分大きくなった気がする。
「賢輔君も伸びたよね、身長。同じくらいだったよね。」
「いや、少しはでかかったと思うけど。」
不機嫌そうに眉を顰めて彼がそっぽを向いた。まだクラスメートになる前、廊下ですれ違うだけだった頃は確かに同じくらいの身長だったけれど2年生の時には頭半分は大きかったはずだ。自分で言ってずっと前からあなたの事を知っていましたと同じ意味ではないかと気恥ずかしくなった。
「えっと、今と比べたら同じくらいだったなと。もう頭一個分くらい違うもんね。」
「そこまでは違くないだろ。何センチだっけ。」
「158㎝。」
「頭一個って2-30㎝だろ。そんな無いけど。むしろあんまり身長差変わってないと思うけど。」
首を傾げて自分と私の背を見比べる彼の視線がこそばゆい。彼が私の頭を見ているとへの字に曲がった唇が目線に来るのもまた気になっていしまう。
「せいぜい頭半分じゃないか。顎、乗らないし。」
「え、顎乗せるの?」
「いや、妹だと小さくて乗るから。」
「妹いるんだ。」
「兄弟、いる?」
「うん、お兄ちゃんがいる。あと私も妹。」
そう口にしてから紗子の事を思い出して憂鬱になった。こんな事になって私以上に辛いに違いない。今頃祖父の家で何をしているだろうか。
「なんか、悪い。」
困ったように凛々しい眉毛を下げて彼が頭を掻いた。
「え、何で?」
「調子狂う、そういう顔されると。」
そんな酷い表情をしていたのかと自分に飽きれて、両手のこぶしをギュッと握りしめた。
「ちょっと、お兄ちゃんが遅い反抗期で。でもきっと大丈夫だと思うんだ。」
反抗期で済めばどんなに良かっただろう。どうしていたら兄を救えたのだろう。考えるほど泣きたくなるので、折角の楽しい時間なのだからと嫌な感情を追い出そうと笑ってみた。少し色素の薄い茶色い瞳に苦笑いする自分が映った。
「無理すんなよ。中原とか推薦決まってるし聞いてもらえよ。」
灰色のマフラーに首を埋めて彼は俯いた。
「ありがとう。」
「あのさ。」
口元が隠れた状態でこちらを覗き込むように彼が呟いた。
「勉強は手伝えると思うから。」
こんなに饒舌な彼と一緒に居ることも、ぶっきらぼうに告げられた発言にも、そもそも二人でこうして過ごしていることも、全部初夢なのかもしれない。
ようやく席について口にした、皮目のパリッとしたふわふわの鰻の味とほのかな炭の香、そして満面の笑みで旨いと何度も口にした彼の無邪気さ、そしてなによりそのあと本当に勉強に付き合ってくれた事が、眠りにつくまで現実だと思えなかった。
「お姉ちゃん、お母さんが…。」
真夜中に啜り泣く妹の声で世の中上手くは行かないよなと、虚しくなった。
突き刺さるように冷たい震える指にはほとんど感覚がなかった。その白さが夜空にぼんやりと浮かび上がる。夢だったのか、現実だったのか、あの日勇気を振り絞って手を伸ばしてみれば良かったな。
風が体を横切っていった。
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