第四話

 馬車は一路、王都への街道をひた走る。二頭の騎馬に挟まれ、行きとは比べものにならない速度で外の景色が流れていく。


 馬車の中でじっとしていると、身体を動かし、多くの人に指示を出していたときには感じなかった焦燥感と疲れが襲ってきた。

 自分では最適な行動や指示を行ってきたと思う。だが、もっと効率の良い指示の出し方があったのではないか。果たして軍との合流は間に合うのか。村に戻ったときに全滅しているのではないか。そういった悪い想像が、頭の中を駆け巡る。

 『箱庭の神様』を使えば、現時点での未来予想図を見ることは出来る。だが、今日既に何度か使ったために精神的な疲労が貯まってきている。また、今後予想される戦闘で使わざるを得なくなるだろうことを考えると、不安を除くためだけに能力を使うのは悪手だろう。


(考えても仕方がないことだけど、どうしても考えちゃうよね)

(前世に比べて能力の応用範囲は広がったが、燃費が悪くなったのは痛いな。未来予想に頼りすぎると、肝心な時に使えなくなってしまう。確実なのは位階を上げて魂の総量を増やすことなんだろうが、そう簡単に上げられるものでもない。能力の使い方に習熟して効率的な運用法を身に付ける他に、単純に人の動かし方を学ぶ必要があるだろうな)

父様とうさまなんかは能力なんてなくても上手く人に指示出してるもんね。今度仕事してるところを見せてもらおうよ)

(それも良いな。フミヤからそんな提案をしてくるとは思わなかったよ)

(僕だって成長してるんですー。……ところでさ、彩花の召喚術で軍を転移できるんだったら小隊には城に居てもらって、彩花が一回城に転移して再度村まで軍を転移させれば良かったんじゃないの?)

(あーどうなんだろうな。王都には対魔術の防壁が張られているからな。無機物はともかく、生物の防壁を越えての転移は彩花でも容易ではないだろう。この馬車に組み込まれている魔導具を使えば防壁を越えての転移も出来るが、使われている触媒はかなり高価な物だ。軽々しく使える物ではないし、軍隊を丸々転移させるには数も足りないだろう。結局小隊には王都の外まで出てもらう必要がある。軍の準備や展開にかかる時間を考えれば、短縮できて二十分程度だと思う)

(いまさら言っても仕方ないけど、その二十分の差が大きな影響を与えないと良いね)

(そのためにも、一刻も早く軍と合流したいところだな)


 王都からはまだ離れているが、ちらほらと田畑が見えてきた。街道ですれ違った旅人や作業中の農民が、猛スピードで駆けていく馬車を見て目を丸くしていた。

 焦りから目を背けるためにも思索を続ける。自然と今日の狩りについて考えが及んだが、改めて振り返ると彩花とアルフォンスの異常性が良く分かる。

 十六歳でありながら、我が国でも指折りであろう召喚技術。行きの馬車で披露して見せた転移門もそうだが、狩りの最中も複数の索敵魔術を無詠唱で並行処理していた。他にも高度な野草に対する知識を持っているようだし、何よりも幻獣と契約を結んでいるときた。その筋の研究者にでも知られたら、それこそ強引な手段で身柄を確保されかねない。超一流の召喚術士でも、あれほどの格の召喚獣と契約しているものは少ないだろう。

 俺だったら、絶対に国外に流出などさせない人材である。それがなぜ俺の護衛などをしているのか。厄介事の種であることは間違いないだろう。


 そして、彩花やハヤテが分からなかった毒を知っていたアルフォンスである。俺自身、転生してから足繁く図書館に通っており、当然毒物に関する書物も呼んでいるし、ノリスにもいくつか話を聞かせてもらっている。

 それでも、世界樹殺しの毒などという物は初めて聞いたのだ。いったいアルフォンスはどこでその毒について知ったのだろうか。もちろん魔物と繋がりがあるかもしれない秘密結社など、聞いたことがない。相変わらず彼の過去は謎に包まれたままだ。今回の一件が終わったら、直接聞いてみるのも良いかもしれない。


 そんなことを考えていたら、ふと、悪寒を感じた。彩花も何か感じ取ったようで、お互い目を合わせた。

 確認の為に声を出そうとしたところ、御者台との扉がノックされた。


「入れ」

「失礼します、フミヤ王子」


 そう言って入ってきたのは、上で見張りを行っていたはずのハヤテだった。


「先ほど荷馬車の一行とすれ違いましたが、不穏な気配を感じました。服装に着慣れた雰囲気がなかったことから、恐らくは変装です。立ち居振る舞いからしてかなりの手練れのようでした。例の結社の一味かと思われます」

「やはりか。俺も何か不穏な空気は感じ取った。彩花も同じかい?」

「はい。魔物に似た波長を感じました。普通の人間ではないことは確かだと思います」


 魔物と関わりある結社。アルフォンスの話は本当だったか。


「ハヤテ、何人見えた?」

「視認できたのは六人です。荷台の中にも居た可能性は否定できません」

「ヒルメス村に連絡。別ルートからも来る可能性も考えられる。油断しないようにも伝えてくれ。それから、向こうもこちらに気づいたと思うか?」

「恐らくは。相手に後続が居る場合、待ち伏せされる危険性があります」

「御者には前方を、ライアンとフレッドには脇からの奇襲を警戒させてくれ。途中で林に囲まれた小高い丘があったな。奇襲されるとしたら、あそこの可能性が高い」

「かしこまりました」


 ハヤテが出て行くのを尻目に、装備の確認を始める。ハンドルにリムを取り付け、片側に弦を取り付ける。弓をたわませて反対側のリムにも弦を引っかけ、弓を軽くしごいて弦を伸ばした後、数度空射ちをして馴染ませた。

 職人が手ずから調整してくれた弓は、リムの角度調節などしなくとも、しっかりと弦が中心を通ってくれている。前世での苦労を思い出し、思わず職人に感謝をしてしまう。やはり品質の維持にはある程度の生産量が必要なのである。

 弓を脇に置き、剣と矢筒を装備する。その後各種魔導具の点検も済ませ、襲撃に備えて心を落ち着かせる。杞憂で済めば良いが、先ほど感じた嫌な感覚が徐々に近づいて来る。待ち伏せされているのはほぼ間違いないだろう。



 見覚えのある林道に入った。丘の中腹にさしかかった辺りで、馬車は急停止した。前方を見ると、倒木によるバリケードが作られていた。また、傍目には分からないがご丁寧にも落とし穴が掘られており、恐らくは倒木を除けるために近づこうとした者を狙っているのだろう。


「フミヤ様。いかがなさいますか?」

「彩花は御者台から、魔術で倒木の除去と落とし穴の処理をしてくれ。それでも襲撃がないようなら、御者に指示をだして馬車を出してくれ」

「落とし穴……? っ! なるほど、かしこまりました」


 彩花は御者台へと出て行き、術式の展開を始めた。


 さあ、相手はどう出る……?


 彩花は浮遊の魔術で倒木を脇の林に移動させ、次いで地属性の魔術でさり気なく落とし穴を潰してくれた。

 そのまま馬車は進み始め、落とし穴があった場所を通り過ぎた。この時点で潜伏していた奴らは策が破られたことに気がついたらしく、慌ただしく襲撃の気配を見せた。


 そのまま突き進め!


 そう指示を出そうとしたところで、前方にも嫌な気配が存在することに気がついた。


(ちぃっ! 二段構えの奇襲用に、倒木の向こうにも人員を配置していたか!)


 敵ながらやってくれる。そう胸の中で吐き捨て、御者に停車の指示を出す。


「囲まれた! ここで殲滅するぞ!」


 前方に三人、後方の左右から三人ずつ、合計九名がじりじりと馬車を取り囲むように近づいてきた。彼らは焦げ茶色のフード付きの外套を着込み、不思議な光沢を放つ金属質の仮面をしていた。

 対するこちらは馬から降りたライアンとフレッド、ハヤテたち隠密四人が馬車を守るように仮面相手に対峙していた。俺と彩花は馬車の上に陣取り、援護の構えである。


 初めて浴びせられる殺意の冷たさに、思わず唾を飲み込む。萎縮してしまいそうになる恐怖をいなし、弓に矢ををつがえる。


「ここに御座すはリソニア王国が第一王子、フミヤ様である! 直ちに立ち止まって武器を捨て、汝らの所属と氏名を述べよ! 命令に従わぬ場合は大逆罪とみなされ、命の保証はないものと思え!」


 ライアンが声を張り上げ、警告を発する。相手の表情は仮面で隠され見えないが、九名共に躊躇する気配を見せなかった。


「ライアン、やっちまって良いんじゃないか、これ」

「ああ、そうだな。これより貴様らを逆賊と見なし、討伐を始める。命が惜しい時は武器を捨て、手を腰に回して額を地面に付けるように」


 仮面の連中は包囲網を狭めていたが、馬車を守る六人の隙を見つけられぬまま攻め入ることが出来ず、ライアンの警告をおとなしく聞いていた。


「フレッド、行くぞ」

「応よ」

「ハヤテ殿は前方の守りを頼みます」

「心得た」


 ライアンとフレッドは視線を交わして頷くと、槍を持っている敵に向かって爆発的な加速で攻め入った。二人の加速に槍持ちはたじろぐが、懐に入らせまいと槍を横凪に振るった。音を置き去りにする速度で振られた槍を、フレッドは軽々と飛び越えつつ唐竹割りに剣を振り下ろし、ライアンは槍をくぐり抜け、相手の左足に斬りかかった。

 槍持ちの頭に迫るフレッドの剣だったが、脇から振り上げられた斧によって迎撃された。斧とかち合ったフレッドの身体は一瞬宙で止まるが、フレッドは力に逆らわずに斧を支点として前方宙返り。そのまま槍持ちに斬りかかった。

 槍持ちはフレッドに反応して右半身を下げるが、その隙を突かれてライアンに左腿を切り裂かれる。ライアンはそのまま剣を跳ね上げ相手の左腕を狙うが、敵は槍を手放して全力で後退した。

 ライアンは右側から斬りかかってきた別の相手を右手の剣で抑え、宙の槍を左手で掴んで振り回し、振り下す勢いを利用して後退する敵に投げつけた。相手は避けようとしたが左脚の怪我で反応が遅れ、首筋を槍で切り裂かれる。槍はそのまま後方の木に突き刺さり、男は首筋を押さえながらもんどり打って倒れた。

 一方フレッドは、着地の勢いのまま前方に一歩踏み出してライアンの振るった槍を回避。そのまま振り返り、斧持ちの脇腹に向かって剣を突き出した。

 斧持ちは受け流された斧の勢いと振り回された槍に意識を持って行かれており、死角から迫るフレッドに気づけずそのまま突きを受けた。フレッドの剣は男の心臓に突き刺さり斧持ちを絶命させた。


「危ねえっ。俺に当たるところだったぞ!」


 フレッドは男から剣を引き抜きつつライアンに愚痴を放ち、ライアンと鍔迫り合いになっていた敵の後方から斬りかかった。


「なに、あれくらいお前なら避けられるとの判断だ」


 ライアンは一歩下がって肩をすくめつつ、フレッドに言葉を返した。敵は後退して隙をさらしたライアンに狙いを定めたが、寸前で後ろから迫るフレッドに気づいて弾かれるように回避した。受け身をとって振り返った敵だったが、ライアンとフレッドを視界に収めた瞬間完全に意識が馬車から外れてしまった。

 俺はその隙を逃さずに素早くドローイング。狙いを定め、矢を放った。放たれた矢は馬車に迫る他の敵の頭上を越え、振り向いた敵の仮面を貫いて眉間に吸い込まれた。


「お見事。やりますねぇ」


 フレッドは口笛で囃しつつ感想を述べた。


「ぼさっとするな。まだ敵は残っているぞ」

「あいよ。けど、もう俺たちの出番はないんじゃねぇのかな」


 馬車の後方から迫ってきていた残りの三人は、ライアンとフレッドが攻めに出たことで生じた守りの穴を狙い、馬車に駈け寄っていた。

 その内二人は、二号と三号によって足止めされた。残りの一人は馬車のすぐそこまで迫り、俺に狙いを定めて跳躍の動作に入る。

 初めて人を殺した感慨にふける暇もなく、俺は明確な殺意にさらされた。

 ハヤテと一号は前方の三人を相手にしており、彩花の意識も二人の補助に向いていた。

 俺と短剣を構える敵との間に遮る者は無く、近接能力の低そうな五歳児の見た目から、相手は勝利を確信したようだった。


 だが――


「残念でした」


 敵が跳躍しようとする直前、馬車のすぐ後ろで姿を消していた雷伯が隠行を解き、短剣持ちに襲いかかった。

 雷伯はその名の通りいかづちの化身だ。雷伯の爪から流れ込んだ電流は敵を身体の内側から焼き、轟音と共に天へと昇っていった。

 突然の昇雷に、馬車で遮られて雷伯が見えていなかった前方の敵の手が止まる。その隙を逃さず、彩花が『氷爆槍』を放つ。敵の一人に着弾した槍はそのまま相手の身体を貫き、術式に従って氷の花を咲かせた。

 残りの二人は凍結によって身動きを封じられ、ハヤテと一号によって首を刈り取られた。


 二号と三号に足止めされていた二人は視線を交わし、味方がやられたため撤退の姿勢を見せた。

 だが、その内の一人が身体を震わせる。いつの間にか背後に忍び寄っていた御者が心臓を一突き。力を失った敵の身体はそのまま崩れ落ちた。

 ついに残り一人となった襲撃者は御者を見て舌打ち。素早く後方を確認して誰も居ないことを確認すると、一目散に駆けだした。

 そして脇の林に敵が逃げ込もうとした直前、林道に二発の銃声が響き渡る。御者が懐から取り出した拳銃は容赦なく火を噴き、放たれた弾丸は狙い過たず敵の心臓を貫いたのだった。


「王子を襲ったあなた方を逃がすわけが無いでしょう。冥界で悔い改めなさい」


 御者は拳銃をホルスターにしまい、懐から取り出した紙でナイフの血をぬぐいながらそう言い放った。


「相変わらずうちの執事達はおっかねえな。しかし、リソニアの王族だと分かっていながら手を出すとは相手も馬鹿だねぇ。少なくともこの国の奴らじゃあないのかね」

「よほど潜伏することに自信があるのかもしれないな。生きているのは……槍使いだけか。彩花さん、治療と無力化をお願い出来ますか?」

「かしこまりました。あと、敵の遺体は一カ所に集めておいてください。魔術で城に送ります」

「何か手がかりが見つかれば良いんだけどねえ」

「少なくとも外套と仮面は市場に流通しているようなものではなさそうだな。仮面の下は……特にこれといった特徴があるわけでも無いか」

「こっちも至って普通の人間だ。仮面にも仕掛けっぽいのは見つからないしな。ハヤテさんたちは何か気づいたことはあるかい?」


 フレッドの問いに、前方から氷漬けの遺体を抱えてきたハヤテは首を振った。


「いや、皆目見当が付かぬ。仮面と外套の下も至って普通の人間だ。ただ、あえて言うならば普通すぎるということだろうか」

「普通すぎる?」

「ああ。我々も仕事の関係で変装して市民に潜り込むことや、紛れていた間諜を始末することがある。服装や立ち居振る舞いはいくらでも変えることが出来るが、骨格や肉付き、タコの位置などはどうしても鍛錬の後が残るものだ。だが、今回の相手はそういったものがない。おそらく普段は、本当に一般市民として暮らしていたのではないだろうか」

「なるほど。だが、先ほどの戦闘を見るに一般人の動きでは無かった。腕力や脚さばきを見て取っても、明らかに達人の域に入っていた。……なるほど、そう考えると確かに普通すぎるか。その辺りに敵の手がかりがあると良いのだが」

「同業者の一部には薬と暗示をつかって肉体の枷を外す輩もいる。だがそれで得られるのは単純な力だけだ。技術を有し指揮官も無しに連携をとっていた彼らのからくりは、おそらく別物だろう」


 終わってみれば戦闘は圧勝。かすり傷一つどころか、返り血すら誰も浴びずに制圧することが出来た。改めて皆の戦闘能力の高さを実感し、そんな彼らが仕えてくれることの幸運と安心感を噛みしめた。

 だが、その安堵も俺の左手の強張りを解いてくれることはなく、本来力をいれて握ってはいけないはずの押し手は、震えながら弓を握ったままだった。

 遺体を集め、敵の素性を推し量るライアン達の会話を聞きながら、俺はあぐらをかいて深呼吸、気を静めることに集中した。


――一つ――二つ――三つ――


 初めてこの手で人を殺した。幸いにも仮面に隠れて最後の表情を見ることはなかったが、彼――恐らくは男であろう――がこの世界に影響を与えることはもう二度と無い。彼はこれまでに何を成し、この先どんなことを成したかったのだろうか。それを答えてくれる者はもういない。

 人を殺すということは、良くも悪くもその人が成したかもしれない可能性を閉ざすことである。当然その中にはその人に向けられるはずだった、想いの行き場を閉ざすことも含まれている。彼に恨みを抱いていた人からは感謝されることもあるかもしれないし、中には自分の手で殺したかったという人も居るかもしれない。そして彼と愛情や友情を結んでいた人からは恨まれることだろう。

 人を殺すと言うことはきっとそういうことなのだと思う。その重みが肩にのしかかる気がした。だが、俺は王族である。この先命を狙われることもあるだろうし、政治や軍を動かした結果、何処かで犠牲を強いることはきっと避けられない。人によっては直接殺すことと、回り回って間接的に人の命を奪うことの重みは違うと言うだろう。だが、上に立つ者にとってはどちらも同列に扱わねばならない。もちろん直接手を下した人の命を軽く見るのではなく、全ての人の命を同列に重く扱うのである。それが、国を動かす者としての覚悟。そう父上には教えられた。

 前世で世界征服を夢想したときには、その選択の重さに耐えることは出来なかった。だが、ノイエ達から力をもらったときに、力を振るう資格と覚悟を身につけると心に誓ったのだ。この先、もっと重責を背負うことになる。これくらいの重みでくじけるわけには行かない。

 

(一人で抱え込まなくてもいいんだよー? 僕も一緒に居るし、頼めば支えてくれる人はきっと沢山いるよ)

(――ああ、そうだな。ありがとう、フミヤ)


 前世から余り人に頼ることは得意ではなかった。孤独が苦ではなかったこともあるし、社会のシステムと俺自身の能力が噛み合いすぎたために、大抵のことは一人で出来てしまったこともあるだろう。

 そんな俺が能力を得て初めて生み出した人格がフミヤである。彼が甘え上手というか人を惹き付けるのは、俺が無意識のうちに苦手な分野を補うことを願っていたからなのかもしれない。

 面と向かって伝えることは無いが、彼の何気ない一言にはかなり救われているのだ。頭を撫でてやれないのが悔やまれる。


 目を開くと、左手の強張りはとれていた。気がつくと、御者が水筒をもって馬車の上に来ていた。


「フミヤ様、こちらをどうぞ」


 差し出された器を受け取って口をつける。よく冷えた、柑橘ベースの果実水が乾いた喉に心地よく染み渡る。さわやかな陽射しの下、一陣の風が木々の間をくぐり抜け、新緑の香りと木々のさざめきを運んでくれる。状況が状況で無ければ、ピクニックにでも来たいくらいである。

 だが現実は、残念なことに下では八つの遺体が転がっているし、刻一刻とヒルメスの森に危険が迫っている。昼寝を楽しむ暇はなさそうである。


「出発まではもう暫くかかります。車内でお休みになりますか?」


 ……昼寝を楽しむ時間はないが、多少の猶予は与えられたようだ。


「いや、暫くここで風に当たっていたい。もう一杯もらえるかな」

「かしこまりました」


 御者が注いでくれた容器を口に運ぶ。戦闘の直後だというのに、彼は至って落ち着き払っており、興奮の痕跡は見えなかった。城に勤めている他の執事と同様に、気に障らない絶妙な距離感と気配を保ちつつ、視界の端には常にいてさり気なく寄り添ってくれていた。

 そのたたずまいからは暴力性のかけらも見えず、何も知らなければつい先ほどその手で二人も殺めたとは、露程も思わないだろう。


「あなたは随分と荒事に慣れているようだけど、初めて人を殺めたときも躊躇はなかったのかい? それとも、やはり葛藤に苛まれたのだろうか?」

「……我々の多くは、国が運営している孤児院の出身です。孤児院の中で特別な才を見出された者は、国が秘密裏に運営する教育施設に入れられます。集められた孤児達はその施設で才能を伸ばしつつ、その道のプロフェッショナルとして国のあらゆる分野へと排出されます」


 御者は昔を懐かしむかのように、遠い目をした。その視線の先には王都があり、その教育施設を思い出しているのだろう。


「中でも戦闘の分野に才能を発揮した子供達には、概ね三つの進路が存在します。好奇心が旺盛な者は協会員となり、世界各地を旅して貴重な情報を国に伝える役割を果たします。愛国心の強い者は軍へと入り、国の盾や矛として活躍します。そして国よりも王家に恩義を抱いた者は、王族付きの執事となるべく、さらなる教育を受けるのです」


 そこまで話して御者はこちらを見据え、僅かに浮かんだ躊躇を振り払って言葉を続けた。


「王子もいずれ知ることとなるでしょうが、執事を目指した者達は王家を絶対に裏切らないように、また、害意のある者に操られないように、魔術や薬物を併用して徹底的に洗脳を施されます。もちろん子供達は事前に説明を受けますし、体調の管理は徹底され、途中で耐えられなくなった者は軍や協会員へと転身します。そして洗脳が完了した後は、執事としての教育を受けることとなります。その中には拷問術も含まれており、愚かにも王城への侵入を試みた者達の一部を教材として、執事見習いは拷問を施すのです。私が人を手に掛けたのは、その拷問術の訓練が初めてでした。情報を吐かせ切った後は心臓を一突きしましたが、教えられた拷問方法を使って上手く情報を吐かせることが出来た安堵はあっても、初めて人の命を奪ったことへの嫌悪感はありませんでした。むしろ、王家に仇成す存在を消すことが出来た喜びすらありました」


 前世の日本では絶対に許されない行為である。もちろん教育と洗脳が紙一重であるのは確かだが、薬物まで使った強引な暗示とまでなると、拒否感を抱いてしまう。

 よくよく話しを聞けば、その課程において他の選択肢は与えられている。何より魔術が当たり前に存在し、魔術抜きでも個々人の能力が高いこの世界。情報の漏洩を防ぎ、王族の身の回りを固めるという意味ではこれほど信頼出来る手法も無いのだろう。


「その後の訓練や、正式に執事となってからも何度か人を殺めましたが、後悔を覚えたことは一度もありません。王子達の身を守り、雑事の一切を引き受けるのが我らの役目。王族の皆様が快適に過ごせることこそ我らの喜び。他のことに気を病むことなどありませんし、あってはならないのです」


 これこそまさに洗脳の成果なのだろう。だが、そんな彼が脇に控えてくれることが頼もしくもある。


「君たちにそんなことを強いてきた王を継ぐはずの僕が、この有様だ。初めての殺意におびえ、人を手に掛けたことを割り切れず、後悔し悩んでいる。情けないな……」

「そのようなことはありません。悩むことが出来るということは、非常に恵まれていることなのです。金銭に余裕が無ければ、食事を始めとした日々の選択肢は悩むまでも無く自ずと定まります。そして教養が無ければ、金銭を得るための職を選ぶこともままなりません。何よりも、継続した教育と幅広い見聞が無ければ、悩み、考え、決めるという行為は満足に行えないのです。この国は他国と比べて孤児院の経営状況は良好ですが、それでも不自由なことは多々あります。孤児院から見出されて『学園』に招かれた我々は、そこで多くの教育と知識、そして選択肢を与えられたことに、皆感謝しております」


 果たして悩むという概念を理解出来ていない者は、悩むことがあるのか。なかなか哲学的な問いである。だが、「知らなければ悩むことも無かった」なんて台詞もある。他のことを気にせずに悩めることと、悩まざるを得ず、悩みを解消する術を知らず、他のことがおろそかになってしまうことは別物だろう。


「フミヤ王子のお気持ちを推し量ることなど出来ませんが、今回の件に関しましてもフミヤ王子には様々な選択肢があったはずです。過程が逆になってしまいましたが、ご自身が選んだ選択肢について、存分にお悩みください。この先様々なご決断を要求されたときに、ここで自身の選択と向き合い、思い悩んだことが糧となりましょう」


 他の雑事をこなし、俺たち王族が思う存分に悩み考える環境を作ることこそが、彼らの誇りなのかもしれない。

 いずれにせよ、すぐに答えを出せるものではないし、出すべきでも無いだろう。折に触れて、思い悩むとしようか。そう考えると、だいぶ身体が軽くなった気がした。


「いろいろ話してくれてありがとう。だいぶ気が楽になったよ。……ところで、あなたの名前を聞いても良いかな?」

「力になれたのであれば幸いです。名前に関してなのですが、申し訳ありませんが名乗ることを許されておりませぬ。いえ、そもそも名を与えられていないというのが正確でしょうか」

「それは、いじめとかでは無く、使用人の中での取り決めみたいなものなのかな?」

「ええ。先ほど操られないように洗脳を施すとの話をしましたが、やはり超一流の魔術師が相手ですと、施された防壁を突破して干渉されることがございます。その対策の一つとして、名を奪い魔術の対象とされることを防いでいるのです」

「なるほど。だけど、それって結構不便じゃないかな? そもそも、ルドルフみたいに名前を持ってる執事の人たちも多いようだけど」

「ええ。全員が全員というわけでもありません。また、要職に就いている先輩方の場合は襲名制であり、名前に細工を施して対策をしているとも聞きます」

「そんなことまでしてるんだね」


 ということは、名前を与えられていない目の前の彼は、将来の要職候補ということだろうか。先ほどの身のこなしを見れば納得である。

 三杯目の果実水を飲み干し下に目を向けると、後片付けも概ね終わったようだった。八人の遺体は彩花によって城へと送られ、唯一の生存者である槍使いは、傷の手当てをされた後に捕縛用の縄で後ろ手に縛られ、無力化用の様々な式符を貼られていた。


「下の準備も終わったようだ。僕は車内に戻るとするよ。これから先は軍の巡回範囲だから待ち伏せは無いとは思うけど、注意はしておいて欲しい」

「かしこまりました」


 後方の梯子から荷台に降り、車内に入る。弓をたわめて弦を外し、リムとハンドルを分解していると、彩花が入ってきた。


「お疲れ様。槍使いの人はどうしたの?」

「フミヤ様こそ、お手を煩わせてしまい申し訳ありません。槍使いの彼は無力化した上で眠らせました。今はハヤテさんが荷台で監視しています」

「ありがとう。雷伯にも世話になったね。後でねぎらっておいて欲しい」

「それが私たちの勤めですから。ですが、もしよければ今度桃を用意してあげてください。雷伯は桃が好物なんですよ」


 彩花が慈母の笑みを浮かべてそう語る。不覚にもその柔らかな笑みに目を奪われてしまった。


「な、なるほど。肉食だと思ってたんだけど、果物も食べるんだね」

「虎の形をしていますが、その本質は動物よりも精霊に近いですからね。清らかな水と魔力を含んだ霞があれば、存在を維持出来るようです。桃に関しても雷伯の好みであって、白虎族の全てが桃を好んで食べるわけでは無いみたいですよ」


 霞を食べて生きるとはまるで仙人である。


「もしよければ神獣学の連中に協力して欲しい。というより、雷伯のことを知られれば幻獣に飢えている連中のことだ、無理矢理実験に付き合わされかねない。事前に穏健派というか、良識と節操を持っているダグラスやミリアムにコンタクトを取っておいた方が良いと思う。雷伯のことを知っているのは誰が居るんだい?」

「この国に来てからは今日始めて召喚したので、この場に居ない人ですとアルフォンスさんと隠密の方達くらいです。一応偽装術式は掛けてあるので、駐屯地に居た方達にはばれていないと思います」

「彩花に良識があるようで良かったよ」

「どういうことですか!」

「なんというか抜けてる……というよりも、自身のことを過小評価している節があったからね。幻獣なんてめったに契約できるものではないんだよ?」

「それくらいは分かってますよぅ。雷伯のことで騒ぎは起こしたくないですからね、それとなく神獣学の人たちに近づいておくことにします」



 彩花と話し込んでいるうちに、馬車の速度が落とされたことに気がついた。

 御者台に上がって前を見ると、向こうから土煙を上げて近づいて来る一団が確認できた。

 時計を確認し、村を出てからまだ一時間は経っていないことに安堵する。途中襲撃を受けたが、何とか間に合いそうである。


「彩花。転移門の術式の展開にはどれくらい時間がかかる?」

「基点を用意してあるので、一分もかからずに展開出来ます」


 車内に戻って彩花に問うと、そう答えが返ってきた。


「軍隊の先頭が視認できるまで近づいてくれ。向こうが進軍を止めるようなら、そのまま合流するように」


 御者台へ顔を出してそう伝える。

 そのまま軍隊を眺めたのだが、どうにも数が多い。車両の数からして百五十人程、三個小隊は居るのではないだろうか?


 数分もしないうちに軍隊と合流した。馬車を降りると、軍の中程から最上級の軍馬に跨がった一人の女性が現れた。彼女は銀色に光を放つ長髪をたなびかせ、見事な身のこなしで馬から降りた。

 彼女は片膝をついて頭を垂れ、言葉を発した。


「エミリア中佐、王命に従い三個小隊を率いて参りました。これよりフミヤ第一王子の指揮下に入ります。ご命令を」

「要請したのは二個小隊のはずだけど、三個小隊に増えているのはなぜだろうか?」

「はっ。私とリソニア王で話し合った結果、街道の確認や敵の援軍への守り、追撃に移った場合の挟撃用として、一個小隊を追加するのが適当であると判断したからであります。

「なるほど。見落としていたね。ありがとう」


 軍の様子を見ると、二個小隊は車両から降りて装備を確認し、隊列を整えていた。残りの一個小隊は空いた車両を隊に加え、こちらへと移動してきた。


「それでは作戦に従い、街道の警戒に当たります」

「よろしく頼む、ロディ少尉」

「ああ。少尉、少し待って欲しい。ここに来る途中で捕虜を一名確保した。貴君の小隊に身柄の拘束をお願いしたい」

「なんと! お手柄ですな。かしこまりました、こちらでお引き受け致します」


 ロディ少尉は二名の兵士に指示し、槍使いを馬車から引き取らせた。


「小官はこれにて失礼致します。フミヤ王子、エミリア中佐、御武運をお祈りしております」


 指揮官用の馬具を纏った軍馬に跨がったロディ少尉は、こちらに敬礼をして去って行った。


「それでは参るとしましょう、フミヤ王子」

「そうだね。時間が惜しい、急ごう」


 振り返ると彩花が転移門を展開しており、その前に馬車と二個小隊が並んでいた。


「彩花、やってくれ」

「はい。――開門!」


 彩花の一言により目の前の術式と、駐屯地に用意されていた基点が接続される。一瞬の揺らぎの後には、穴の向こうにヒルメス村が存在していた。


「全軍出撃! 周囲の警戒を怠らず、拠点の確保を最優先に行え!」


 俺の指示に従ってまず一個小隊が門を潜っていった。


「そろそろ私たちも参りましょう」

「ああ。軍の指揮は任せる。僕は協会員達の手綱を取るよ」

「よろしいので?」

「先に一戦交えた感触から、村を襲っているのが連中の中でも手練れだとしても、ライアン達と護符の守りがあれば僕の危険はないよ。それに軍隊は信頼出来る、有能な指揮官の下でこそ真価を発揮する。あなたが指揮を執ることが、一番被害を抑えられる選択だと思う」

「かしこまりました。ですが、万が一ということもあります。相互の通信手段として、こちらをお持ちください」


 エミリアはそう言って、インカム型の魔導具を手渡してきた。魔導具を片耳に掛け、起動させる。


「『あー繋がっているかな?』」

「『ええ。問題ありませんわ』」


 魔導具はきちんと作動しているようで、声が二重に聞こえていた。

 魔導具の送信を切ると、脇に控えていた兵士からコンパウンドボウと矢筒を受け取る。

 矢筒を肩に掛け、リリーサーを手に弦の調子を確かめる。狙撃用のこの弓は、引きと戻りで張力が変わる優れものである。魔術万歳。

 準備は整った。深呼吸を一つ。ライアンにフレッド、ハヤテ達と目を合わせ、軽く頷く。


「行くぞ!」


 門を潜る。

 急激な位置の変化に伴う不快感を振り切り、周囲を見渡す。

 村の中は戦士達の怒号で満たされており、木の焼ける匂いと煙が鼻を刺激した。

 駐屯地にはまだ敵の手は及んでいないようだが、村の入り口は既に制圧されており、現在は大通りの中程でせめぎ合っていた。

 想像していたよりも敵の攻勢は弱く建物への被害も少ないようだが、それでも大通りの脇に味方の遺体がいくつか転がっていた。


 完全には間に合わなかったことへの後悔を噛みしめると共に、防衛に命をかけてくれた彼らに感謝する。

 名も知らぬ敵よ、あなた達がどんな目的で幻獣を狙うのかは分からない。だが、こうして二個小隊を引き連れて俺が戻ってきた以上、もう好き勝手にさせはしない。


 ――さあ、反撃に移るとしよう。

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