エピローグ2

「――さん。――やさん」


 誰かの声が聞こえる……。

 緩やかな風の感触。

 ふと鼻をくすぐる柑橘系の爽やかな香り。

 

 徐々に意識が浮上する中、後頭部に柔らかい感触を感じた。

 まだ意識が混濁しているが、どうやら俺は膝枕をされているようだ。

 

「文弥さん? 聞こえていますか? ……起きないならイタズラしちゃいますよー?」


 頭を撫でる、誰かの柔らかい手。

 気がつけば、左手にも誰かの手の温かさを感じていた。

 聞き馴染んだ誰かの声。この声は確か……


「えいっ」


 俺の頭を撫でていた手が離れ、急に視界が暗くなった。

 気がつけば俺の鼻を摘まむ手の感触。目を開けると、腕越しにノイエの顔が見えた。

 

 目と目が合う。

 

「あ、文弥さん、起きました?」


 未だに鼻を摘まんだままの腕を払いのけ、身体を起こして向き直る。

 無言のままの俺に、ノイエはハテ? といった顔つきで首をかしげる。


「起きました? じゃねぇ! 寝ている人の鼻を摘まむ不届き者にはお仕置きが必要だよなあ!」


 俺はそう叫んでノイエを押し倒す。

 いつの間にかなっていた生前の体格を生かして、ノイエを押さえ込む。

 脇腹をくすぐり、獣耳を撫で倒し、胸に顔をこすりつけ、心の赴くままにじゃれついた。

 

「や! く、苦しっ! ちょ! くすぐったいですって! まって、そこは! だ、だめ。やめて!」


 ノイエは笑いながらもそう抗議してくるが、手を緩めてやるものか。

 端から見れば完全に少女を襲う暴漢の図であるが、かまうものか。今更遠慮するような仲でもないし、ノイエも本気で拒絶しているわけでもない。そもそも本気になればノイエの方が、力が強いのだ。

 何よりも、この空間には俺とノイエしか居ない。なんだかんだ死線をくぐり抜けて気が昂ぶっていたこともあり、普段の五割増しくらいの勢いでじゃれついてしまった。


 暫くじゃれついて気が済んだので、ノイエを解放した。


「うぅ……酷いですよぉ」


 ノイエは乱れた服の裾を直しながら抗議してきた。


「こんなことされたら、もうお嫁に行けません。……責任、取ってくださいね?」


 上目遣いでそんなことを口走るノイエに、思わず第二ラウンドに突入したくなったが、いい加減話が進まなくなるのでなんとかその衝動を飲み込んだ。


「分かった、分かった。……千年後にでもな」


 ノイエの頭を撫でつつそう返事をする。


「やった! ありがとうございます!」


 ノイエは満面の笑みを浮かべて、はっしと抱きついてきた。意趣返しか俺の胸元にぐりぐりと押しつけてきた頭を、緩く撫でてやる。


 撫でながら辺りを見渡すと、大地は見渡す限り草原となっており、少し離れたところに二メートル程の高さになった若木が見えた。空にはまだ雲一つもないが、小さな太陽が浮かんでいた。

 ここは俺の能力の核となる空間であり、ノイエ達管理者が住む領域に最も近い場所である。

 ノイエの頭を撫で続けていると、視線を感じたので脇を見た。

 そこには、膝を抱えて頭をのせ、ややふてくされた顔でこちらを眺めるフミヤが居た。

 訂正。ここには俺とノイエしか居ないが、俺は一人ではなかったのだった。


「相変わらず二人は仲が良いね」

「あ、フミヤ君! フミヤ君もお疲れ様」


 フミヤの声でノイエは身を起こし、振り返ってフミヤに声を掛けた。


「そうなんだよー。もう、くたくた。ノイエ、慰めてー」


 フミヤはそう言ってノイエに飛びついた。


「よしよし。頑張ったね」


 フミヤが幼い頃からちょくちょくとノイエは遊びに来ていたので、フミヤはノイエに相当懐いている。フミヤにとっては少し年の離れたお姉さんだ。恐らくは初恋の相手だろう。

 俺が一回り小さいノイエの頭をなで、ノイエがさらに一回り小さいフミヤの頭を撫でる。

 三人が団子になった状態で暫く過ごした。


「それで、やっぱり見ていたのか?」

「はい。流石に外でランクDの魔物が現れたとなれば、私たちの監視網にも引っかかります。いざとなったら誰かの身体を借りてでも介入しようと思っていたのですが、流石は文弥さん。きっちり倒してしまいましたね」

「色々と幸運が重なった結果だったけどね。誰か一人でも欠けていたら危なかったと思う」


 思い返すと味方に恵まれただけではなく、敵の調子もだいぶ悪かったように感じる。敵の正体が気になるところではあるが、管理者は原則的に個人を優遇するような情報は伝えないはずなので、ノイエに聞いても答えは得られないだろう。


「たぶん教えてはもらえないのだろうけど、敵の正体は何だったんだろうね?」

「ふふっ、内緒です。けど、文弥さんならきっと正体にたどり着けるはずです。そして恐らくは彼らを救うことも――」


 最後の言葉は聞き取ることが出来なかった。ここは精神の影響が強い空間だ。聞こえなかったということは、ノイエに伝える意志が無いということだろう。


 しばらくたわいない会話を楽しんでいると、ノイエの耳がピクリと動いた。


「どうやら、調査団が到着したようですね」

「そっかー、もうお別れだね」

「どうせまたすぐに会えるさ」


 日頃の感謝も込めてフミヤを撫でて宥める。


「ですよね。それではこの場はお暇します。今度はマスター達も連れてきますね」


 ノイエはそう言うと、始めからそこに居なかったかのように消え去った。


「あの人達に会うのは久しぶりだな……」

「僕は話しでしか聞いたことがないよ。どんな人たちなの?」

「どんな人たちなんだろうな? 俺も正直把握しかねているんだが、まあ、気のいい人たちではあるさ」


 景色が遠ざかり意識が沈み行くなか、俺とフミヤはそんな会話を交わしていた。




 起きて先ず飛び込んできたのは、強烈な酒の匂いだった。

 この世界の人間は基本的に酒に強い。内蔵を含めた身体のスペックが優れているので、ちょっとやそっとのアルコールでは酔わないのだ。


「あ、フミヤ様も起きましたね。おなか減っていませんか? この唐揚げおいしいですよ?」


 そう声を掛けてきたのは、俺の隣で寝ていたはずの彩花である。どうやらいつの間にか起き出して、酒盛りに混ざっていたようである。


「盛り上がっているところ悪いけど、そろそろ帰る準備をしてくれ。協会の調査団の到着だ」


 寝台から降りて皆に混ざり、唐揚げを口にする。やや冷めてはいるものの、サクリと音を立てて噛みちぎられた断面はみずみずしく、旨みが凝縮された肉汁を湛えていた。

 味付けはこの国に伝わる数種の野菜と穀物のペーストにつけ込んだようで、食欲をそそる香りと共に、複雑な旨みと僅かな辛みが溶け込んだ肉汁が、口の中いっぱいに広がった。

 旨い。誰が作ったのかは知らないが、いくらでも食べられそうである。冷めてもおいしいところもポイントだ。次は是非揚げたてを食べたいものである。


「ようやくの到着ですか。しかし、護衛である俺たちより先に気がつかれると、俺たちの立場ってものがないよなあ」

「うむ」

「フミヤ様ですから、仕方ありませんわ。それに要請してから半日も経たずに到着したのです。数十年ぶりの事態だと言うことを考えれば、相当に速い対応と見るべきでしょう」

「うむ」

「あまり国に対して口を出さない協会が、マニュアルの遵守を毎年通達してくるような事柄だからね。協会としても相当重視している案件なんだろう。それから、僕より先に気がつかないなんて、酔っ払っているんじゃないの?」

「うむ」

「ライアン、お前さっきから頷いてばかりじゃねえか!」

「うむ? 黙々と飲み食いするよりは良いだろう? それにフミヤ様が先に気がついたのは事実なのだ。護衛としての不甲斐なさを噛みしめながら、こうして料理を味わっているのさ」

「……こ、こいつ、本当は酔っ払ってんじゃないのか?」

「支障をきたすまで酩酊していないことは良く分かっているのだろう? お前も反省したらどうだ?」

「やっぱり酒が入ると面倒くせえな、こいつ」


 ライアンは酒が入ると寡黙になるタイプかと思ったのだが、そうでもないようだ。


(やっぱりこの二人は仲良いねー)

(……息が合っているのは確かだよな)


『ふむ、アルフォンスが戻ってきたな』


 皿に盛られた肉や野菜を上品にむさぼっていたテレジアがそう告げると、部屋の扉がノックされた。


「フミヤ王子、調査団が到着しましたよ」

「分かってる。みんな、そろそろ出るとしよう」


 酒瓶を片手に握ったアルフォンスにそう答える。

 俺が寝ている間に荷造りは済んでいたのか、皆すぐに立ち上がった。


 兵舎を出て駐屯地の門を潜る。

 すれ違う兵士達に挨拶をしながら中央広場へと繋がる坂を下ると、待ち受けていたカーマインに遭遇した。


「フミヤ王子。これからお帰りでしょうが、少々お時間頂いてもよろしいですか?」

「ええ。大丈夫ですよ?」


 日付が変わるまではまだ余裕がある。何が出てくるのか期待しつつ、カーマインに承諾する。


「ありがとうございます。……お前ら! 今日の主役のお帰りだ! 気合い入れて挨拶しろ!」


 カーマインの号令と共に、皆が思い思いに声を掛けてくれた。中には酔っ払っていて呂律が回ってなかったり、敬語が怪しくなっていたりする者も居るが、わざわざ忠告するのも無粋というものだろう。


 暫くすると雨あられのような挨拶も止み、辺りは静寂に包まれた。


「それでは最後にお付き合いください。演目は、今宵限りの英雄譚です」


 カーマインが目配せをすると、後ろに控えていた吟遊詩人達が演奏を始める。

 冒険者達が片手間に身につけた宴会芸とは一線を画すその演奏は、始めの数フレーズで聴衆の心を鷲掴みにした。

 軽やかな笛の音と何処か水のせせらぎを思わせる打楽器の調べが、森の中に居るかのような錯覚をもたらす。


――世界の重石たる四大国が一つ、南の王国リソニアにヒルメスの森なる異界あり

――激戦の地となるこの森にその日訪れたるは、神童の名を冠するフミヤ=シュタインベルク第一王子

――森へ向かう王子の傍らに立つは二人

――一人は金眼赤髪の大剣使い、爆炎剣のアルフォンス

――もう一人は謎多き異国の召喚術士、北条彩花

――彼らは森の最奥にて運命の出会いを果たす……


 語り部の唄が、現実ではあり得ない響きを持って情景を再現する。


 吟遊詩人が得意とする共感魔術は、歌や踊りを媒介に様々な効果を発揮する。対象が自発的に魔術を受け入れないと効果を発揮しないという制約があるものの、いや、その制約があるが故に共感魔術は絶大な効果と自由度を誇る。

 空間に幻を映し出す幻影魔術とは比較にならないほど精緻な世界を作り出し、視覚のみならず聴覚、嗅覚、触覚などの、あらゆる感覚に訴えて記録の再現をすることができるのだ。

 さらに熟練の吟遊詩人が紡ぐ呪歌は時間の概念すら歪め、本来ならば数時間は掛かるであろう内容を、ものの十数分で伝えることを可能とする。

 だが、これらの技術を習得したとしても、真の吟遊詩人と呼ばれることは無い。歴史の語り部として認められるためには、ある一つの才能が必要となる。

 それは、世界樹との同調能力だ。その才を持つ者は修練と放浪の果てに、自身が紡いだ唄が事実とどれだけ符合するのかを、体感することが出来るという。経験者が語るところに因るとそれは音程の調律と似ているそうで、一致するときれいに響き、外れていると唄が濁る感覚を得るらしい。

 これらの理由から真の吟遊詩人は事件の詳細を調べるために駆り出されることも多く、数多の証言を集めて見出された唄は、真実として認定されると聞く。


 そんな、今回の事件のあらまし。誓約の為にこの場に居る人間にしか聴かせることが出来ない、今宵限りの英雄譚もいつしか終わりを迎えた。

 改めて振り返って戦闘直後の興奮を思い出したのか、叙事詩が終わると場は熱狂した。

 お互いの活躍を称え合う者達も居れば、最後の魔物との戦いに参加することが出来た冒険者に羨ましげに話しかける、余り活躍の場を得られなかった者もいた。

 俺は吟遊詩人達に近寄り、感謝の言葉を掛ける。


「ありがとう。すばらしいものを見ることが出来ました。今日は良い夢が見られそうです」

「いえ、こちらこそ感謝しなければなりません。ここまでの効果を発揮できたのは、フミヤ様のおかげなのです」

「僕の?」

「ええ。フミヤ様が皆に掛けた誓約魔術の術式が非常に洗練されたものであったので、それで繋げられたパスを通して効果的に唄を聴かせることが出来ました。この場に居ない者にも、そのパスを通して唄を届けることが出来たはずです」


 なるほど、図らずとも全員にパスを繋ぐこととなっていたのか。言われてパスを認識して、よりいっそうの連帯感を感じることが出来た。

 

「それでも、僕が助けることが出来たのは伝えることだけです。唄の内容が優れていたのは、あなた方の腕前によるものですよ。演奏もすばらしいものでした」


 音楽を担当していた人たちにも礼を言って、彼らと別れた。


 カーマインの元に戻り、いつの間にかやってきていた調査団に挨拶をする。

 追加の誓約が必要かどうかを確かめるために調停官へ契約内容を伝えたが、対応としては間違っていなかったらしく、仕事が無くなってしまったと意気消沈していた。

 給料はしっかり払われるように伝えておくと慰め、皆を連れて村の外へと向かった。


 俺が生やしてしまった大木にたどり着く。辺りは戦闘の余波で崩壊してしまっており、未だ大量の瓦礫が残っていた。

 幸いにも少し離れた場所に建っていた食堂は無事であり、村人達は壊れた建物など露程も気にせずに、陽気に飲んだくれていた。

 よく見ると駆け出し冒険者達も混ざっており、避難中に仲良くなったのか、かなり打ち解けた様子で談笑していた。

 すれ違うときに目が合ったので手を振ると、彼らは立ち上がって頭を下げてきた。

 遠ざかる喧噪。かすかに伝わってくる会話に耳を澄ませると、どうやら俺が彼らに渡した金喰いウサギの話をしているようだった。余程衝撃的だったのか随分と俺の動作を誇張して伝えており、むずがゆくなって会話から意識を逸らした。


 かがり火も遠くなると、戦闘の熱が嘘だったかのような涼しい風が吹いてきた。宴の喧噪も遠く彼方であり、小川のせせらぎが聞こえなければ時が止まっているかの様だった。


「ハヤテ」

「此処に」


 建物の間に気配が生まれる。漆黒の装束の合間から除く瞳だけが、月明かりを反射して光っていた。


「今回は君たちにも大変世話になった。シラヌイさんや部下達にも感謝していると伝えてほしい」

「かしこまりました。皆喜ぶことでしょう」


 それだけ伝えると、俺は歩き始めた。

 村の入り口にたどり着くと、貧乏くじを引いた警備の兵が遠いかがり火を羨ましそうに眺めながら立っていた。


「お務めご苦労様。馬車はもう来ているかな?」

「はい。既に到着しております」


 礼を言って橋を渡る。対岸の警備兵にも挨拶をして、先に出てもらっていた馬車へとたどり着いた。


「そろそろ到着なされる頃かとお待ちしていました」

「ありがとう。君のところにもあの光景は伝わったのかな?」

「ええ。フミヤ様の活躍をしかと拝見させて頂きました。事情が事情とはいえ、余り無茶をするとお父上が心配なされますよ?」

「分かっているさ。危険は未然に防ぐのが僕の信条だ。敵の存在を知ったからには、今回のような事態はもう起こさせやしないよ」

「頼もしいお言葉です。もし何かご用命があれば、是非とも我らにお申し付けください。国や王家に仇成す者、その全てを屠ってご覧に入れましょう」

「そっちこそ頼もしい言葉だよ。とはいえ、敵は身を隠す術に長けているようだ。出番はそう直ぐには来ないと思うよ」

「そうですか。残念ですね」


 後ろの方で、「やっぱりあいつら怖えな」「うむ」なんて会話が聞こえたが、気にしないことにした。

 御者が開けてくれた扉を潜る。俺に続いて彩花、エミリア、テレジアが続いて乗り込んだ。

 行きに比べて女子率(?) が一気に上がった馬車を、アルフォンス達三人が騎乗して取り囲む。

 緩やかに動き出した馬車は相変わらず室内に揺れを伝えず、滑るように加速して王都への道を走り始めた。


 御者が詰めておいてくれた弁当箱を開き、宴会で供された料理に手を付ける。酒の肴を目的としただけあって味付けが濃いものが多いが、疲れた身体にはそれが心地よく感じられた。


 走ること暫し、数時間前に待ち伏せを受けた小高い丘にたどり着いた。ここなら視界も通らないし、この時間なら通過する者も殆ど居ないだろう。

 馬車を止めてもらい、周囲の環境を確かめる。

 幸いなことに、ヒルメスの森程では無いが小さな龍穴になっているらしく、術式の駆動力の心配はしなくて良さそうである。


「彩花、人払いを頼む」

「はい!」


 先ほど彩花を酷使したことを反省したばかりだというのに、また彩花に頼んでしまった。とはいえ他に頼る相手も居ないので、彩花には頑張ってもらうとしよう。


 さて、日付が変わるまであと少し。術式の確認をしつつ、二人の立ち位置を定める。

 

「そろそろ始めようか。アルフォンスとテレジアはそことそこに入ってくれ」


 俺が設置した術式の円陣に二人が入る。

 龍脈と接続。あふれ出る理力を丁寧に操作。体内で魔力に変換する。


「リソニア王国第一王子、フミヤ=シュタインベルクの名において契約を提示する」


 アルフォンスとテレジアの身体を術式が取り囲む。誓約魔術は契約内容を口頭で読み上げるという性質上、詠唱による術式の補助が出来ない。完全無詠唱で術式を操ることが出来ないと魔術を成立させられない辺りが、人気が無いというか精通している人が少ない理由の一つだろう。


「アルフォンス。汝契約に従いテレジアを監督し、庇護することを誓うか?」

「誓う」

「テレジア。汝契約に従いアルフォンスの庇護下に収まり、彼の者に従属することを誓うか?」

『誓おう』


 彼らの眼前に契約内容を提示する。二人は虚空に示された承認の円陣に手をかざし、契約に同意する宣言をした。

 二人の言葉を受けて契約内容を示していた術式が変化。かざした手を包むように円形に形を変え、手首の周りを緩やかに回転した。


「よろしい。此処に誓約は交わされた。アルフォンスよ、汝はテレジアの身を守り、生活を保障し、テレジアが徒に周囲へ危害を加えることを戒める限り、彼女に命令する権利を有する。テレジアよ、汝はアルフォンスが御身を庇護する限り、彼の者に従う義務を負う。願わくは両者の関係が末永く良好であらんことを――契約せよコントラクト!」


 回転していた術式が収縮。二人の手首と手の甲に、術式が刻まれた。

 これによって俺を介して二人の間に強固なパスが形成された。これからパスを通して二人に介入して契約内容を刻み込むのだが、これが一番難しい作業なのだ。

 パスを繋いで分かったのだが、テレジアのみならずアルフォンスさえも魂の位階が高い。いくら鍛え上げたとはいえ、確実に人の枠を越えている。とはいえ、俺だって管理者かみさま手ずから魂を拡張してくれたのだ。三人に胸を張って会うためにも、これくらい確実にこなして見せようじゃないか。


 気を抜けば逆に浸食してきそうな圧力を押し返し、二人の魂に干渉する。

 余り周囲に気を配る余裕は無いのだが、気がつけば周囲は光に包まれていた。断言は出来ないが、俺を含めた三つの強大な魂が干渉し合っていることが龍脈を通して世界樹に検知され、周囲に影響を与えないように何らかのサポートがされているのだと思う。

 そんな思考を頭の片隅でしつつ、術式操作に専念する。魂の強い干渉は、お互いの境界を曖昧にし、記憶の混濁を招く。それに惑わされないように一つ一つ確実に、かつ相手の魂に害を及ぼさないように丁寧に作業を続ける。

 どこかの隠れ里。強烈な熱気を放つ火口。神の眷属が平和に暮らす日常。自分が何者か、何者になれるのかすら分からない子供が集う孤児院。次々と断片的な記憶が通り過ぎていく。

 謎に包まれたアルフォンスの過去をつい探りたくなるが、礼を失する行為だと誘惑を振り払う。

 

 ――あと三つ……二つ……一つ……!


 時間の感覚が曖昧になる中、何とか作業をやり遂げる。


 ――これで……終わり!


 ついに術式が完成した瞬間、銀色の髪の毛に銀色の獣耳を生やし、引っ込み思案な笑みを浮かべる少女の姿を幻視した。

 直後、辺りに漂っていた光の粒がアルフォンスとテレジアに殺到した。

 あまりの眩さに目を覆う。

 暫くして音の無い光の爆発が去った後、二人が居た場所に目を向けた。

 

 ……そこには二人の人影があった。


 一人はアルフォンス。特に姿形は変わっていないが、妙に覇気が増していた。

 そしてもう一人は、未だ僅かに残る光の粒を纏い、キラキラと光り輝く艶やかな銀髪を腰まで伸ばした、二十才程に見える女性であった。その容貌は整っており、誰もが心を許してしまいそうな愛嬌と、寝転びたくなるような日向の草原を思わせる健康的な包容力を備えていた。

 その服装は素朴な萌葱色のワンピースであったが、見る人が見れば、極上の素材を用いて作られていることが分かるだろう。

 彼女はしばらく自身の手足を確認していたが、気が済んだのかアルフォンスに向き直り、ニコリと笑って彼の手を包み込んだ。


「これから宜しくお願いしますね、アルフォンスさん!」


 恐らくはテレジアなのだろう。だが、あまりの変貌ぶりに皆理解が追いつかず、ただただ呆然としていた。

 それはアルフォンスも同じであり、暫く惚けたのちに一言、


「えっと、あんた誰?」


 そうつぶやいた。



 斯くして激動の一日は終わりを告げた。


 これがリソニア王国の歴史に後世まで名を残すアルフォンスとテレジアの出会いであり、長きに渡る敵組織との因縁の始まりでもあった。


 そして、もしかしたら俺の調停者としての、記念すべき第一歩だったのかもしれない。

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