深海なる樹林1
「だああああもう! どこに捨てやがったんだよ!」
相当頭にきているスミナの怒鳴り声が、やや薄暗い森林の中へと消えていく。近くで鳥が飛び立つ音が聞え、切り株に座って休憩していたスミナは、多少オーバー気味に驚いた。
「なあユキ。この辺りもハズレか?」
少し肌寒く感じるような時期ではあるが、薄暗い森の中であっても凍えるような気温では無い。
「ええ。死臭の一つもしないわ」
いつもの黒いゴスロリ姿に、軍用の黒いブーツを履いているユキホは、彼女にそう返答をした。その後、背中の軽登山用のバックパックから水筒を取り出して、外ぶたになっているカップを外す。
「はい、どうぞ」
カップに中味のお茶を注いで、それを彼女はスミナに手渡した。
「ん」
スミナはいつもの白衣の下に、登山用のパーカーを着込んでいた。ショートパンツから伸びるその細い脚は、保温性のある厚手のタイツに包まれている。
「……しっかし、なんでこうも見つからねえんだよ」
アタシらへの嫌がらせか? と、スミナは仏頂面でお茶を啜った。猫舌の彼女でも飲めるように、それはかなり温めになっていた。
「それはないと思うわ。
空になったカップを受け取ったユキホは、蓋を戻してから水筒を再びしまった。
「そりゃそうだけどよ」
ああ、面倒臭え……、とぼやきつつ立ち上がったスミナは、GPSの端末で位置情報をチェックしているユキホと手を繋ぐ。
黒土の地面に当たる木漏れ日は、やや日が傾いてきているせいで楕円形に歪んでいた。
「日が沈むまでには戻りてえな」
「そうね」
彼女が携帯の時計を見ると、時刻は午後三時過ぎだった。
時々、ユキホが端末を確認しつつ、二人はある程度手入れされている森の中を東に進む。
三十分ほど歩いたところで、平坦だった地形がやや上り坂になってきた。
「ユキ……、疲れた……」
そのせいで、あっという間にスミナは体力が尽きてしまう。
寄りかかるような格好で、抱きついてきた彼女の痩躯を、すかさずユキホは抱きかかえた。
「……いつも悪い」
「気にしなくてもいいのよ」
荷物とスミナの重さをものともせず、彼女は至って涼しい顔でそう言った。
平坦ではあるが、手入れが行き届いてないエリアを、二人はユキホを先頭に、ナイフで藪を切り開きながら進んでいく。
すると突然森が開け、四畳半ほどの広さがある所に出た。倒木がいくつか転がっていて、それは朽ちて若木の苗床になっていた。
「はぁ……、依頼主サマはなーに考えてんだか」
人海戦術でやれば、もっと早く見つかるだろ……、などと、スミナがぶつぶつ言っていると、
「……
スミナの携帯電話に、『掃除屋』の代表取締役である『社長』から電話が掛かってきた。
「もしもし?」
「ようちびっ子、首尾はどうだ?」
受話器の向こうの『社長』は、社長室でイスにどっかりと腰掛けている。
「うっせえこの野郎! 催促するなら人手よこせハゲ!」
特に部下をねぎらう様子もない『社長』に、スミナは眉間にしわを寄せて語気を荒げた。
「少人数でやってくれって言われてんだよ! あと俺は禿げてねえ!」
「じゃあ他の連中でいいだろ!」
「出来るわけ無いだろバーカ」
「どういう意味だクソオヤジ!」
「熊が出没するからな」
『社長』はそう言ってから、机の上にあった禁煙パイポを口に咥えた。
「あぁん!? いまなんつったテメエ!」
少し間を空けてスミナは、眉間に思い切りしわを寄せて憤怒する。
「最近熊が出るんだとさ」
彼は頭を抑えて、やけくそ気味にそう言い直した。
「ふざけんな! 先に言えこの野郎!」
「お前そうしたら行かないだろ!」
「当たり前だバーカ!」
「んだとクソガキ!」
スミナと『社長』は、子供じみた罵り合いを始めた。
「……?」
何かの気配を察知したユキホは、立ち止まってそれが居る方に視線を向けた。
「失礼いたします」
ちょうどその頃、電話の向こうでは秘書のアオイが書類を持って、社長室に入ってきた。
「お前なあ! いい加減にしねえと半殺しにすっぞ!」
ユキホがな! と、スミナはやや情けない脅しを『社長』にかける。
「スミちゃん、あれ見て」
ユキホが話しかけてきて、姿を現した気配の主に向かって指をさす。
「んだよ、ユキ――」
怪訝そうな顔で携帯を耳から放し、その先を見たスミナは、表情と動きがフリーズした。
「うわあああ! 熊ああああ!?」
気配の主は普通の個体よりも、やけに身体が大きいツキノワグマだった。
スミナは大量の冷や汗をかいて、ユキホの後ろに大慌てで隠れる。
「じゃ、なるべく早く頼むぜー」
「覚えてろこのエロガッパああああ!」
『社長』がしれっとそう言って電話を切ると同時に、アオイが床の段差に足を引っかけて、持って来た書類を床に散らかした。
「す、すいませんっ!」
「やれやれ……。しょうが無いなあ、君は」
イスから立ち上がった『社長』は苦笑いを浮かべつつ、散らかったそれの回収作業を手伝った。
「ユキホおおおお! 何とかしてくれええええ!」
先程まで強気だったスミナは、低音の鳴き声威嚇してくる熊に怯え、ユキホにしがみついて半ばパニック状態になっていた。
「はいはーい」
その一方でユキホは全く動じず、むしろ『主人』に抱きつかれ、満足げな表情をしている。
彼女は熊と目が合うと、不気味な笑みを浮かべ、
「消えなさい」
のしのしと迫ってくるそれに、殺気を軽く浴びせかける。
「――!」
その途端、熊はきびすを返し、上手(かみて)の方へと逃げ帰っていった。
「もう大丈夫よ、スミちゃん」
「本当か……?」
「ええ」
その言葉を聞いて、ひょっこりと身体を半分出したスミナは、
「ざまあねえなこのヘタレが!」
その熊の黒い背に向かって、子鹿の様に震える脚で思い切りヤジを飛ばした。
「かわいい……」
いつものように虚勢を張るスミナを、ユキホはそっと包み込む様に抱き寄せた。
「……んだよ?」
うっとりとした顔で自分を見ている彼女を見上げ、スミナは怪訝そうな顔で訊ねる。その声色には、まだ震えが残っていた。
「なんでもないわ」
「そうか」
ユキホは猫を愛でる様に微笑み、スミナの身体をひょいと抱きかかえた。
歩みを進めていく度に勾配はきつくなり、もはや山登りと大して変わりがなくなった。
「やれやれ、やっと境目か」
斜面を登り切ると、地面に敷地境界を示す杭が刺さっている。付近に生えている幾つかの落葉樹の木の幹に、蛍光色のリボンが巻かれていた。
ユキホはスミナを降ろして、またGPS端末で位置を確認している。その間、暇を持て余して呆けていたスミナの足元を、
「のわっ」
野ねずみが忙しそうに駆け抜けていった。
「今日はこの位で引き上げましょう?」
「おう」
確認が終わると、登るときとはコースを変えて、二人は山を下り始めた。
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