2-6話 託された記録

 鬱蒼と茂る白檜曽しらびその林が続く。白檜曽は学院領セレネピオスの奥に聳える天山山脈の固有種だ。常緑の針葉樹が日差しをさえぎってほの暗い。

 ああ、森の香りだ。樹幹に漂う深い霧が木々の精を運んでくるのだろうか。


 林間に落葉松からまつが混じり始めたなと気づいた時、突如として視界が開けた。高山帯に抜けたのだ。明るい日差しを浴びて這い松が緑の絨毯のように遠くまで広がっている。残雪を割って開き始めた福寿草アドニスの花の黄色が眩しい。


 広々と開けた雪渓の向こうには、最高峰ヘイムダルビヨルグの峰が輝く。

 あそこに父が眠るのか。

 仙人にも目覚めぬ眠りが訪れるのだということを叔父の記録を読んであらためて自覚した。



「お師匠様。天山のこんなに奥深くに入れるとは思いませんでした……」

「そうだね、リュシアン。本来ならばここは我が父の聖地だ。誰にでも入れるところではなかったはずなのだがね」

 父がもう帰らぬ人となってしまったことは叔父上の記録を待つまでもなく、この父の聖地に私たちが入りこめたことでも明白である。


 我が父は仙人族の礎を築いた世代といわれているが、実をいうとあまり接したことがない。私が目覚めて育った時期と父が活動していた時期がほぼ重ならなかったせいでもあるが。

 私が知る父の姿は、父に仕えた家令のラヤラと、父の末弟のカレルヴォの叔父上から聞かされたものがほとんどだ。

 


 今日、リュシアンを連れてここまで登ってきたのは、父の眠る峰の前で叔父上の資料に記されていたことをあらためて確認したかったからなのかもしれない。

 先日、法学院の研究棟で准教授のフレヤ女史とお会いしたが、かの女史によると現代社会は『法力油』に依存しているという。カレルヴォの叔父上もそのことはご研究されていた。それで残されたその資料を拝見させていただいたのだ。



「お師匠様。かの資料には『法力油』と、この天山山脈が、何かかかわりがあると記載されていたのですか?」

「ふむ。そうだね、リュシアン」

 かかわりか……


「リュシアン、君は法力はどこから発動するのだと思う?」

「それは、生きるものの身の内から発する気力からだと思います。気力を高め練り鍛えることで法力をより確かに発動することができますから」

 はきはきと応える。よき弟子だ。


「そうだね。この地に生きる全ての生き物は身の内に気力を流すものだ」

「はい、そのように学びました」

「ふむ。それは正しい認識だ。しかし大切なのは、その気力の源が何かということなのだよ。流れる気力はどこから来て、そしてどこへ行くのかということだ」

 リュシアンは目を瞬かせて考え込む。


「お師匠様。気力の源は生き物の身の内にあるのではないのですか?」

「リュシアン、気力は天地の気脈に通じているものだ。この天山の霊気の中と首都ハトナガンドの街中とでは、法力の発動に差があるだろう?」



 リュシアンは目をつぶり深く呼吸をしている。気力を練って法力の発動を確かめているようだ。

「確かにそうです、お師匠様。全然違います」

「そういうことだ。生き物の身の内に気力が流れるように、天地にも気脈が流れているのだよ。その流れを調えるものが神木だと云われている」


 目を見張り何度も頷くリュシアンにそう答えながら、私も静かに気脈の流れを探る。

 しかしこれはどうしたことだ……気脈が薄い。

 ここは聖地ヘイムダルビヨルグの峰、天山山脈のただ中だというのに。




 叔父上の記録によると、我が父が天山に籠ったのは今から二千年近く前の事だ。私がまだ幼く、ようやく初めての復活の眠りに入ったばかりの頃にあたる。

 その頃のことだ。天地の気脈に乱れが生じ、仙人達の法力の発動に陰りが見え始めたことがあったらしい。復活の眠りに入ったまま目覚めてこない仙人が増えたのだ。


 幼い私が玄室に籠っていたこともあり、父は大層それを憂いていた。

 そして何もかもを投げ打ち、気脈の乱れを探っていた父はその原因の何かを掴んだらしい。

 叔父に気脈を調えるために天山に籠ると言い置いて、父はヘイムダルビヨルグの峰の玄室に向ったという。



 そしてそれは突然起こった。父の聖域の結界が消滅したのだ。原因は全くわからない。ただ法力の気脈もそのまま途絶えた事から、父がもう帰らないということを叔父は悟った。



 叔父上の記録によると、その後まもなく天地の気脈は調い、玄室に籠ったままだった仙人も次々と復活の眠りから目覚め始めたということだ。

 気脈の乱れの原因を突き止めたと父は確かに言っていたので、おそらく何かを成し遂げたものだと思われる。しかし今となってはもう何も知る術はない、と古い記録に記されていた。




 そして、今から六百年ほど前の記録。

 私が三百年近くも眠り、目覚めてこなかった頃のことが記されている。


 時は移り変わり、法力や仙術は仙人だけのものではなくなって、仙人の弟子となる人の子らも増え始めた。法学院も設立され気力を錬成する気風も育った。この頃のことは私もよく知っている。


 ただ、八百年前に私が玄室に籠ったころより、次第に天地の気脈が乱れ始めたらしい。

 もともと仙術に長けた仙人はともかくも、気力に乏しい人の子の中から、自力での法力を発動する力に欠くものが出はじめた。そうして世の中は大きく乱れ国々は争い資源を奪い合ったという。



 その時それらを一気に解決したのが、この国、フォルセクイルの現王室の中興の祖であるひとりの法学者だった。

 彼は、現在この国で広く使われている法力油を発見し、その活用法を開発したのだ。


 法力油が全てを決した。

 ハトナハルの港町の代官であったフォルセクイル家は、あっという間に都に攻めのぼり、当時この国を治めていたセルド朝を倒し、現フォルセクイル王国を建国したのだ。




 確かに法力油の発見で人々は便利に法力を使えるようになった。しかし依然として気脈の乱れは収まらぬまま、人の子で自力で法力を発動できる者は少ない。

 仙人達の目覚めが遅れている。

 甥の私も三百年経っても目覚めてこない。


 カレルヴォの叔父上は、その状況を二千年前の気脈の乱れに重ね合わせて考えておられた。

 我が父が、何かを成し遂げそして解決した方法を何とか探り出そうとしておられたようだ。



 叔父上の残された膨大な記録には、天山山脈から始まり、国中の気脈の流れを書き留めた資料があった。それから聖域の水場の縮小の記録。そして各地の立ち枯れた神木について。

 しかしその叔父上にも聖域に籠る時期が訪れ、研究は道半ばで途切れている。



 気脈の乱れはなぜ生じるのか。

 なぜ仙人の目覚めが遅れているのか。

 人の子の法力の発動が喪われたのは何故か。

 法力油とは何か。

 二千年前の我が父の成し遂げた解決法とはいかなるものであったのか。



 記録の最後に、私宛の言葉が綴られていた。

 『我が甥ローデヴェイクよ。其方の結界は揺るぎなく堅く、いささかの気脈の乱れも生じてはいない。故に我は其方の目覚めを固く信じるものである。ローデヴェイクに告ぐ。決して己が身を持って解決を図ってはならない。この記録が其方の助けとならんことを切に請い願う』




「ああ、お師匠様。あんなところに鳥が」


 山肌を吹き上げる風に乗って浮かびあがろうとする渡りの鳥の一群れが目に入る。

 天山の標高は遥かに高く、鳥も越えられぬと人は言う。しかしそれでもなお、越えようとする鳥がいるのか。



「天山をも越えて行くのだな」

 リュシアンとふたり、ヘルムダルビョルグのその輝く峰を越えようと、何度も何度も上昇を繰り返していく渡りの鳥のその行方を、私はずっと眺めていたのだった。

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