海が燃えてる

水木レナ

第1話海が燃えてる

 御堂みどうセンセは、ヘンな先生だった。

 髪が茶色で、モテなさそうで、給食費を納めてなくって、いつもお昼にお腹を空かせては生徒たちに給食を恵んでもらっている。それでもってアマチュアの俳優さんなんだって。


『声優さんはすごいぞお。漫画は読むか? 

おまえら。おっ、新劇の巨匠? それいいよな。あそこで必死で仲間をかばうだろう? この総毛そうけだってるキャラクターを、鳥肌立てさせる演技で魅せるんだ。感動だよなあ』


 って、漫画を開きながら、飽き飽きしてた道徳の時間に、話してくれた。そういうときのセンセは、目がきらきらして別人のよう。

 あたしは、そんなセンセが大好きだ。だから、中学に入ったら、演劇部に入りたいと思う。




 その日、マンションに帰ると。


「部活? だめよ。特に演劇は。お金かかってしょうがない」


 家出していたはずの姉が、偉そうに言った。


「お姉ちゃんが、演劇の何を知ってるの?」


 彼女は無視して、ごろりと横になる。


「あー、かったるい。愛紀穂あきほ、お茶とって」


「おねえちゃん、少しは苦労を知ったら?」


「ふん。お説教? でも怒らないわよ。タイキョーに悪いから」


 タイキョーってなんだろう。あとで調べるか。

 いまどきゲームもスマホも持ってないあたし、伊藤いとう 愛紀穂あきほ。前は木杉きすぎって姓だった。

 両親が離婚し、母方の叔父の家に預けられたけど、その叔父さんっていうのが海外シュッチョーとかでいない。以来姉の愛奈まななと二人暮らし……だったんだけどね?


「お姉ちゃん、ちゃんと高校行かせてもらってるんだから、あんまり心配かけないでよね」


「ガッコーなんてうんざり。それより私、御堂 忠助ただすけさんと結婚するから」


「はあっ?」


 いま、なんて? ミドウ タダスケって言った?


「それってタダッチのこと? え? それ、あたしの担任~~!」


 つかみかかるあたしの手をふりほどいて、お姉ちゃんはケロッとして言う。


「ん~~そうだったかも」


「なによ、どういうことよ?」


「私ももう十九だよ? 来年二十歳。おかしいこと何にもない」


 そういって、お姉ちゃんはお腹をなでる。

 そのしぐさ、見たことある。バスなんかでお腹の大きな女のひとが、優先席をすすめられて、で、ゆっくり腰かけたそのひとが、「今何週ですか?」とか聞かれて、


「もうすぐ二十週になります」


「いい子が産まれるといいわねえ」


 なんてやりとりしてた!

 あたしは思わずキンチョールをつきつけて、お姉ちゃんに言った。


「お姉ちゃん、そのお腹……なに?」


「あんた、エイリアンじゃないのよ。キンチョールはやめなさいよ」


「エイリアンの卵じゃないなら、ニンシンってこと?」


「え~? ばれちゃった~?」


 うふふん、とか笑ってとっても安らぎに満ちた視線であたしを見た。こんなお姉ちゃん見たことない!


「一体どこで……いい! センセにちょくせつ、聞く!」


 あたしは黒電話でセンセの自宅に電話をかける。すると!


「……いや~、な? 公演のたびに差し入れしてくれて、いつも来てくれて、いつの間にかそういうことに」


 いや~、な? じゃない!

 モテないくせに、スキあらば手をだすなんて。

 いいや、センセはお姉ちゃんが近づいてきたって言ってたんだから、完全にお姉ちゃんのせいだ。

 その結果、子供ができても。

 あ~~頭ではわかってるつもりでも。

 あたしの中のセンセが、なんかよごされた気がする……。だから、あたしは思わず言ってしまった。

 クラスのホームルームで。

 みんなの前で。


「センセはあたしにキスしたくせに、お姉ちゃんをニンシンさせた!」


 って……。

 あとから考えれば、それは教職であるセンセを社会的にマッサツすることばだった。困らせたかっただけなのが、ほんねだ。

 だけど、キスしたのは、ほんと。

 



「たしかに御堂みどう先生は生徒に人気がありますが、時々、妙に距離感が近くなりすぎて、このようなことになるのではないですか?」


 あたしは教頭室の前でみんなと息を殺して、耳をそばだてていた。


「ぼくには愛するひとがいます。子供もできました。結婚するつもりです。それと、生徒に対してそういった行為はしてません」


「あなたにそういうつもりがなくても、相手がそう受けとった可能性はあるでしょう」


「どういう意味でしょうか?」


 緊張が走る。もう、それ以上は聞いてられなかった。




 独りの帰り道、あたしはマンション前のコンビニで貯金をおろした。お父さんは養育費をちゃんとくれるから好きだ。なのになんで、あたしはお母さんときたんだろう。


「子供には母親が必要だ」


 なんて言われて……。もう七年たつ。

 いまはもう、働いているのか、どこに住んでいるのかすらわからない。


「死んじゃったのかもしれないな……」


 むしろ、そっちのほうが、気が軽くなるかなって、思う。最初っから、いないと思ってた方が。それがあたり前なのなら、だれをうらむだろうか?

 あたしは買いものぶくろをシャカシャカいわせながら、エレベーターにのった。

 部屋では黒電話がジャンジャン鳴ってた。めずらしい。と思ったらお姉ちゃんで。


「忠助さん、今日帰ってこないって」


「演劇でしょ。どうせまた」


「ちがう。あんたが嘘つくから、学校から大目玉くらったんだよ」


「……嘘じゃないもん」


「すべては忠助さんから聞いた。あんた、そのうち刺されるよ」


 あたしはその一言に、わっと泣いてしまった。


「嘘じゃ、ないもん」


 そう、あれはまぎれもないじじつなのだ。



 

 ある暑かった日のこと。ランドセルをしょったまま、道を歩くのがしんどかったので、文房具屋の隣にある、じはんきでジュースを買って一休みしていたとき。運悪く、いいや運よく通りかかったセンセに見つかって、


「お、愛紀穂。ジュース買い食いか? いや買いのみか。いかんぞー。ぼっしゅーだ……ごくっ」


「あ、あたしのジュース!」


 とゆーことがあったのだ。


(あれは漫画なんかで見る、ゾクにいう間接キスというもの。うん、嘘はついてない)


 まだある。


「センセまた、お弁当日忘れたの? はい、愛紀穂のあげるよ。ただで」


 そのときのセンセのなみだは美しかった。

 そしてあたしはすっかり恋人のように、ほっぺについたごはんつぶをとってあげたり、それをこっそり口にはこんだり、したのだ。


(あれは恋人同士のラブラブシーンだった……はず)


 その証拠に、センセは食べ終わってから言ったのだ。


「やさしいな。愛紀穂はいいお嫁さんになるよ」


 あたしは思わずくらいついて、


「おおきくなったら、お嫁さんにしてくれる?」


 すると、とたんにセンセはむせて、


「げほ、ごほ……お茶、もいっぱいくんでくる」


(センセったら、照れちゃって。……そりゃそっか、モテなさそーだもん)


 そして、クスッなーんて、笑っていたのだあたしは。

 だけど。だけど今は、じじょうが違う。お姉ちゃんのお腹の中には、センセの子供がいるのだ。ユユシキことに。

 夕方、冷え込む中、学校横のおいなり神社の階段をあがって、静かにトリイをくぐった。こういうシンイキではそうするべきだと思ったし、それにだれにも見つかりたくない。

 とっておきの五百円玉をおさい銭箱に放り、カネを鳴らした。


(お姉ちゃんとセンセの子供が、どっかいっちゃいますように)


 どっかはどっかだ。今までだってどっかへ行って、帰ってなんかこなかったくせに。あたしからセンセをうばっておいて、のうのうと自分のいばしょをかくほしようなんて、いけずうずうしい。だからまたどっかへ、行ってしまってほしいのだ。



 

 翌日、お姉ちゃんは妊娠八か月にして、セッパクリューザンした。昼間、学校に電話があって、病院へ行くように言われた。

 ただし、面会時間というのがあるらしいので、給食を食べた後でということになった。


「あたしのおいのり聞いてくれたんだ、神様」


 さっすが五百円もの大金をはたいただけある。じーんときた。セッパクリューザンが、母子の命にかかわるとは、まだ知らなかった。

 友達に話すと、


「えー! それのろいじゃない?」


 のたまった。


「のろい?」


「のろいってね、じっさいに効果があってもなくても、キョ、キョーハクザイっていう罪になることあるんだよ。やめたほうがいいよ」


「知らないもん。神様がやったんだもん」


 そういってもその友達は、あたしを非難するようにつづけた。


「のろいって、はねかえってくるんだよ」


「へーき。どっちかっていうと、あたしの方がどっかいきたい気分」


 友達は愛紀穂はつよいんだねと言った。だからあたしは、そうだと返す。


「そうよ。あたしは、つよいんだから……」


 気づけばセンセはいなかった。

 お昼を終えて、あたしは保健室にむかった。




 もうはるかむかしのことのように思えるけれど。

 お父さんとお母さんは、毎晩遅くまで喧嘩をしていた。理由は知らないけれど。リコンしてよかったと思うくらいにはシュラバだった。そしてお姉ちゃんは泣いて、とりすがって、うったえた。


「二人とも、ケンカはやめて! 愛紀穂だって、泣いてるじゃない! ね、愛紀穂?」


 あたしは首を横にふった。泣いてなかった。


「愛紀穂がこわがるから、ケンカやめて、二人とも、やめて!」


 そうね……四歳のあたしは、こわがってたかもしれない。

 だけど、お姉ちゃんほどではなかったよ。

 お父さんも、お母さんも、お姉ちゃんのことをどなりつけた。


「うるさい! おまえらのせいでこうなったんだ!」


「あんたたちは黙ってなさい!」


 暗い部屋のすみで身をちぢめていた、お姉ちゃんをなぐさめたのは、このあたしだ。

 だから、あたしは、強い。




 保健の先生に、車でつれていってもらった。

 病室では先に男のひとの姿があって、ささやくような会話が聞こえてきた。


「こんなことで、ぼくと君の愛は終わったりしない。仲直りして、チャペルで記念撮影しよう」


(記念撮影……?)


 かげで聞いていたんだから、間違いない。

 二人は貸し衣装を着て、教会で写真をとるんだ。


(お金がないからって、だからモテ……ているのか、お姉ちゃんには)


「これが、二人のためなんだ。順番が逆で、だれも祝ってくれなくても、二人で……しあわせに、なろう……!」


 センセのむせび泣きが聞こえた。

 そこへ透明の水が入った袋をもって、看護師さんが入っていった。ついたての横であたしは、この雰囲気の中ですごいなと思った。


「はーい。点滴かえまーす。だんなさんですか? あかちゃんご無事でね、なによりです」


 よけいなことを言った。

 はあ? まだ生きてるの? 二人の赤ちゃん。

 思ったのはセンセも同じだったらしく、


「セッパクリューザンって赤ん坊は無事なんですか?」


 あわてて聞いている。


「おちついてよ、忠助さん。切迫流産っていうのはね……」


 つまり流産しかけたけど、もちなおしたんだって。点滴すんだら、帰れるって。


「なんだ……ハハ、なんだ。よかった……よかったあ!」


 今度はガッツでうれし泣きのセンセに、明るい笑い声が上がる。あたしはいたたまれずに、タクシーで帰った。




 独りきりのマンションのカギを開けると、半畳もないタタキのそばに、見なれないケースが二つ置いてあった。一つは空で、もう一つは黒い背広みたいなえりのついた洋服が、片面だけ光った白い紙に包まれていた。

 まさか……!

 部屋に入ると、正面に、真っ白なレースをふんだんにぬいつけたドレスが飾ってあった。あたしはひざが、がくっとして、フローリングにへばった。


(本気、なんだ……)


 本気でケッコンしちゃうんだ。お姉ちゃんとセンセ。

 待ってよ、待って!

 お姉ちゃんはまだ高校生で、あたしはもう、思春期っていわれる中学生になるんだよ? らいねん。

 こんなことあっていいわけないでしょ?

 いままでずっと、ガマンしていたのは、こっちだよ?

 保護者もなくて、参観日も父兄はこなくて、卒業式まで一人ぼっちのよていのあたしがだよ?

 なんでよ?

 なんでお姉ちゃんが。

 そうか……お姉ちゃんは、敵だったんだ。

 だらしないお姉ちゃんだけど、お姉ちゃんはお姉ちゃんだからと思ってきたけど。

 ほんとうはずっと、あたしをだましてきたんだ。

 ずるくて、コザカシクて、いけすかない。

 だから、あたしのセンセも持って行っちゃう気なんだ。

 許せない。

 許さない。

 そんなこと、絶対!

 あたしは、ケースの中にはさまっていた、船上チャペルのチケット二枚を、やぶり捨ててやった。




 夢の中で、あたしは見たこともないような情熱的な光景を見た。真っ赤な太陽が海から昇って、二人の男女が抱き合う。漫画なんかのラブシーンなんかより、ずっと生々しかった。あ、これがキスか……なんて思った。




 目が覚めたら、真っ白なドレスなんて、どこにもなくて。

 あれは夢だったんじゃないかとすら思えたけれど、テーブルの上にセロハンテープのきれはし、べたべた。一枚残ったチケット。テープで補強するように再現されてて、これはやぶれない。不気味な存在感があった。

 あれは嘘じゃなかったんだと思い知る。

 あきらめてない!

 お姉ちゃんとセンセ!

 こうなったら、ジャマしてやる!

 あたしは断ち切りばさみをにぎりしめて、玄関へ向かった。このままお姉ちゃんのお腹にタックルしてやるんだ。赤ちゃんは死ぬし、ドレスはマッカッカのずたぼろよ!

 いいよね? あたしは一人ぼっちで、ずっとずっと、ガマンしてきたんだもんね?

 ちょっと天地がゆがんで感じるけど、どうってことない。二人を追うんだ。今、どこ?

 ところがセンセのかわりに、受話器から聞こえてきたのは、気のいいおじさんの声。


「御堂の、ああ彼女さんの妹さん?……ああ、いや。いま二人は埠頭にいるよ。ハッピー婚の二人で記念撮影ってなあ。俺たち手伝いさ」


 声のむこうから、汽笛が聞こえる。


「わかりました。Aふとうですね。ありがとうございます」


 あたしは急いで、現金をにぎりしめタクシーを呼んだ。ついでにチケットをスウェットのポケットに入れると、舌打ち。これはあたしのぶんだ。お姉ちゃんめ……これみよがしに見せつけようって言うんだな。


(許さないから!)


 あたしはタクシーの来る間、メタリックな断ち切りばさみを見下ろし、無意味にちゃきちゃきと鳴らしていた。

 ところが、一足早く友達が来てしまい、気まずい。今日は祭日だったんだ。しまった。

 友達は、どうでもいいことをくだくだ。


「えー、チケットやぶいちゃったのー? 愛紀穂って単純だねー」


 うるさい。


「まー、そんだけタダッチに本気だったってことかあ」


「だったじゃない。本気なの!」


「えー、でもタダッチ、愛紀穂のお姉ちゃんとデキテルんでしょ。聞いたよ……」


 表の道路から、静かな走行車の、空気をふるわすうなりが聞こえてきた。


「タクシー来たから、帰って」


「えー、どこいくのー?」


「いいから、帰って!」


 あたしは、けげんそうな友達をふりきり、すぐにタクシーに乗って、チケットに書かれた住所を示した。


(だれもかれもだまれ! あたしはあたしのしたいようにする!)


 断ち切りばさみを持って……。




 A埠頭。

 たどりついてみると、でっかい船がとまってた。

 みなれない風景に、きょろきょろしていると、数少ない通行人がこちらを見るから、はさみをかくした。スウェットの下。やましい象徴のようで、くやしくも

ある。

 ヒガイシャはあたしだ! あたしが正義なんだ!

 のりばで、かん高い声がするから、ん? と思っていたら、真っ白なドレスを着た女のひとが、受付にむかって前のめりになって話している。

 あの船に乗るんだあ? 真っ白なドレス着て、ウェディングのカネを鳴らすんだ? あたしが一人で鳴らしたのは神社のカネだったけど。へええ。へええ? 

 そっと近寄ると、それはあたしのお姉ちゃんだった。いったんびりびりになった乗船チケットでは乗せてもらえないらしい。


「そこをなんとか、一生に一回のことなんです。お願いします!」


 くいさがってるよ……みっともなー。


「お客様、再発行ならできますが」


 ついにその言葉をひきだしたお姉ちゃんの顔! そこへ、大きな機材をもちこんできたおじさんが、聞き覚えのある重いカネをならすような声で言った。


「そのぼろぼろのチケット。説得しとくべき相手がまだいるんじゃねえのか? ほい、御堂のケータイ、返しといてくれや」


 受けとったお姉ちゃんは、いつもよりださい化粧をしていた。目の周りが黒くて、紅い口紅で、ほっぺも赤い。おてもやんみたい。みっともない。あたしは少し気がやすまった。

 ライバルはそんなに強敵でないように思えた。

 そこへ、あたしの名を呼ぶ声。

 見つかった!

 慌ててしまい、手が震えてはさみをとり落としてしまった。センセが――黒い服を着てこちらへやってきた。あわててはさみを拾う。


「愛紀穂。それはなんだ」


 目線を合わせるようにかがみこんでくる、あたしの大好きなセンセ。


「センセ、髪の毛固まってるよ」


 オールバックというらしい。


「そんなもんでなにするんだよ?」


「ウェディングドレスをめった切り」


 って言ったら、わかるかな? あたしの気持ち、伝わるかな?


「やめなさい」


「なんでよ!」


 ふりあげられた手に、びくっとする。


「彼女も先生も一生に一度っきりのことだと決めているから」


 それを聞いて、まぶたをきつく閉じた。なみだが出てくる。とめどなく。あとからあとから。


「ひどい! お姉ちゃんはあたしの好きなもの全部とってっちゃう。あたしのお姉ちゃんなのに、あたしにひどいことばかりする!」


 そのまま泣いていると、しばらくして頭がほっとあったかくなった。大きな手が頭の上をなぜていく。何度も。


「そっか。愛紀穂は先生が好きか。そっか。うれしいぞお」


「うそ! そんなこと言うくせに……一番はあたしじゃない! お姉ちゃんなんでしょ」


「ああ。でもな、愛紀穂。おまえは先生の特別だ。愛奈さんを支えてきたすべてだからな」


「?」


 いつの間にかセンセの胸に抱かれて、涙がひっこんでいた。


「おまえが、愛奈さんをお姉さんにした。おまえが、つらいときの愛奈さんを強くした。なんども聞いた。おまえがいてくれたからと」


「う……そ」


 嘘じゃない、というように、センセは首を横にふった。

 風が吹いた。

 うわ! 真っ白な花が、先生の背後に広がって……きれい。

 思って、見下ろしたそこに、ウェディングドレス姿で三つ指をつく、お姉ちゃん。花じゃなかった。それは、潮風に舞ってる長い長い、ヴェールだった。


「ごめん、愛紀穂。私がばかだった。あんたが寂しくて死にそうになっていても、ちゃんと学校行ってるときに、グレたりして」


 もう涙は止めるすべを知らなかった。


「そうだよ。お姉ちゃんはつっぱってるくせにけじめがなくて、ばかでだらしなくって、自分はモテるんだとかカンチガイしてて、反省もなくって、いつもエラそうで、だから誰も祝福してくれないケッコンをするんだ」


「……謝ります。これまでの事全部……。だから、私とヴァージンロードを歩いてください!」


「愛奈さん、そのかっこう、お腹の子に悪いんじゃ……」


「いいの! 私はこの子にひどいことをしたんだから! だから、今まで言えなかった。たった一言が……許してって。どうしても」


 うめきもしないで、強がるけど、お姉ちゃんは全身が震えていた。そこまでしてくれていた。あたしはもう、なんにも言えなくなってしまって……。ただただ、白い真昼の太陽をにらみ続けた。

 お姉ちゃんの、ばか……。

 センセのばか……!


「大人ってずるいよ。自分が子供だったころのこと、すっかりわすれちゃった顔して、ひきょうだよ。あたしにだって感情があるのに」


 胸苦しい想いを、一気に吐き出していた。

 泣きじゃくって、はさみは海に捨てた。




 あれから数か月が経つけれど、通う学校が変わった以外、生活はあまりかわらない。クラスの顔ぶれも、地域の区画で見知ったものばかりだ。

 そうねえ。

 伊藤あらため御堂姓となった姉が、たまに甥っ子を見せにくるくらいかな。おかげでラックの上がフレームでいっぱいになった。『祝! ご結婚。お幸せに!』の文字の写真の中に、あたしもいる。

 あたしはとりあえず進学組に振り分けられてしまったので、恥ずかしくない成績をとるつもり。だから、早朝からジョギングをして、体力もつける。

 マンションの窓からでは方向が逆向きだけれど、この坂道を登るとわかるんだ。この地域では、海から朝日が昇る。地理でならったけど、山から昇る地方もあるんだってね?

 まだひんやりとした空気が、肺に気持ち良い。うっすらと青い静かな空間に、ぐんぐんと踏み入ってく感覚。始めたばかりなので、息が切れてくる。だけど、負けない。あたしは強いから。ポニーテールは泣かないしるし。


 丘はまだか。もう近い。ああ……。


 太陽が昇る。

 海が燃えている。

 ぎらぎらと。めらめらと。

 あの頃のあたしを、焼き尽くしてく。


                                         END






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