19.鎌倉問答

 時刻は深夜0時を回っていた。

 俺は清美を部屋に寝かせ、柳とユエの布団も用意し、ゆっくり休んでくれと声をかけた後、


「殿方の寝室に深夜に訪れるというのは緊張するものですね。めっさドキドキです」


 自分の部屋で九音と二人して正座のまま向き合っていた。


「ふん、何がドキドキだ。そんな事思っていないだろうが」

「あら酷いですよ義君。お姉さんとはいえ、男性慣れしていないのですから」

「…まあいい、本題に入ろうか」


 柔らかい動作で自分の胸に手を当てて微笑む九音から、話を誤魔化そうとしている雰囲気を嗅ぎ取り、本題に早く入ることにした。

 九音は何かを考えるように目をそらすと、


「分かりました。何事かは存じ上げませんが、お付き合いいたします」


 仕方ないといった様子で瞳を閉じた後、目を見開き正面から俺を見つめる。

 覚悟はあったが相手も臨戦態勢に入ると、どうにも緊張というものを感じてしまうのは、俺が小心者のせいであろうか。

 あるいは、


「それでは始めようか。これまでの事、そしてお前にまつわる推論を」


 今までの関係が壊れてしまう事への恐れがあるのかもしれない。

 それでも進めなければいけない。何を得て何を失うかも分からないが、今までの出来事を紐解くために。


「私に対する推論…ですか?」


 九音が小首をかしげる。それはそうであろう、突然自分に対する推論を聞かされるともなれば、意図を測りかねるに決まっている。


「ああ結果的にそうなるな。あの夜…始めてお前と出会い、あの大男を初めて目にした日から今までの事を考えると、それが必要になるんだ」

「…私には、よく分かりませんが、義君が必要というのならお話を聞かせてください」


 全て分かっているのだろう、という言葉を俺は飲み込み、咳払いをすると話を始めた。


「結論から言おう。九音、お前は前世もちであり、あの大男の関係者だろう?」

「…随分とまた、にべもない言いようですね」


 九音の言う通りだと俺も思うが、


「面倒事にさらに面倒を重ねてどうする。こちとら腹を括ったんだ。悪いが余計な気を回す事はできない」


 誤魔化す事も誤魔化される事も御免である以上、直球で行かざるを得ない。引くわけにはいかないのだ。


「そうですか、ではこちらも直球で聞かねばなりませんね。どうしてその結論が出たのかを」

「順を追って話そう。まずは、お前がなぜあの夜あそこにいたのか、だな」


 俺と九音が出会った日。あの時九音は、ユエの姿を追ってあの場所へ来たと言った。


「何故居たかと言われましても、偶然としか言いようがありません。私はあの日、ユエちゃん…でよかったでしょうか? その子を追ってきたのですから」

「その時点で俺からすると妙な話な訳だ。ユエがあの時鶴岡八幡宮離れていたというのが、まずは腑に落ちない」


 ユエは俺から家へ来るようにという誘いも断っている。たしか死体葛篭だったか…自身を人間でないという理由でだったはずである。それに負い目のようなものを感じているならば、必要以上の行動をとるとは思えない。

 さらに本拠地を鶴岡鶴岡八幡宮に作っており、かつ柳との戦闘があった事を考えると、鶴岡鶴岡八幡宮から深夜に離れているというのは考えづらいのだ。

 それに、


「清美が鶴岡八幡宮に入っていった萩を見ている。萩がユエを追っていたならば、ユエがいたからこそ鶴岡八幡宮に行った事になる。よって、不可解が生まれるわけだ」

「ご本人からお話を聞いたのでしょうか?」

「いいや、聞いていない。よってこれは俺の予想であり、不確定要素だ。そこからお前の言い分を否定することはできない。例え、明確な意思があってあの場所にお前がいたとしてもだ」


 そういくら言い分を否定したとしても、根本をどうにかしない限りどうにもならないのである。

 ならば最初に行うべきは、


「あの日、お前はある目的を持って俺に接触を図った」


 九音が何をしようとしていたかを明確にすることだ。


「どういう事でしょうか? 私の記憶が定かだとすれば、義君が先に私を見つけ声をかけてくれたと思うのですが」

「そうなるように誘導しただろう? まあ、俺から声をかけるかお前から声をかけるか、どちらでもよかったんだろうがな」


 俺の言葉に九音の眉がピクリと動く。わずかながら揺さぶる事に成功したようでなによりだ。


「誘導ですか? また、突拍子のない事を言うのですね」

「突拍子のない事でもない…と言っても結論だけではそうなるか。いいだろう、話はお前と出会う直前から始まる。あの時、俺は頭上で音を聞いている。それが気になり、お前の方へ行く事となった訳だ」

「鳥や虫が木を揺らしたという事でしょうか?」

「いいや、石だ。石が投げられたんだ」


 最初は俺も気が付かなかったが、後に九音と結界のある階段下へ向かったことにより、確かに石の存在を確認していた。


「結界の近くにあった石、それが投げられたものの正体だ。方角もあっている上、あの時鳥も虫の存在も確認できなかった。当然だ、あの場所はすでにほぼ結界の中で、俺たち以外には何も居なかったのだからな。必然、あの音も人為的なものである事となる。さらに、石はお前がいた池周辺にしかないものだ。これらが示すものは一つだ」

「お話は理解いたしました。しかし、義君の言い分では私が故意に義君へ投石を行ったことになります。そのような事をする人間だと思われていたなら、私悲しいです」


 九音は俺の言葉を聞き、わざとらしくへこんで見せる。このヤロウと悪態をつきたくなるが、九音の言い分も最もである。

 なにせ、


「まあ、せんだろうなお前なら。最初から俺に当てるつもりなんぞなかったんだろう? あれは別の意図で投げられたものだ」

「別の意図…ですか?」


 あの時に投げられた石は、誰かを傷つけるなんて悪意を一切含んでいないものだったのだから。


「そうだ。そして、その意図は俺を…個人を狙っていたと言うわけではない事は、清美も同じように石が降ってくるのを確認している事から伺える。では、共通する現象とは何か? 九音、お前が石を投げたと仮定すると、お前は俺の前でもう一つ物を投げているな?」


 そう出会ってからすぐ、九音は俺の前で、


「靴、ですね」


 天気占いで靴を遠くへ放り投げるという、奇妙な行動をとっていた。

 あの時は天然と断定し行為を受け止めていたが、九音は多少ボケてはいるが、突然人の話を聞かずに天気占いなど行う人間ではない。

 即ち、


「石を頭上に投げる。靴を空へ蹴飛ばす。これらが意図するものがある。通常人間が頭上に物音や物体を確認すればどうなるかと言う事だ」


 その行為には、意味がある。


「結論から言おう。頭上を確認する。即ち空を見上げる、だ」

「ええ、そうなりますね。実に分かりやすい説明です」


 九音は表情を崩し、脱力したように力ない笑みを浮かべた。

 どうしてか俺はその笑みを見て、寂しさを感じた。言葉を紡ぐ度に、何かを失っていくように気がしていたからだ。


「あの場所において、空を見上げると言う行為には明確な意味がある。見えているのであれば、確実に目に入るものがあるからだ。それは―――――」

「富士坊主、ですね」

「…そうだ。お前は確認したがっていたんだ。自分以外の人間に、あの大男が見えるかどうかを。それは即ち、最初からお前は見えていた事になる」

「なるほど、私が関係者であるというのは事実であるなら確定でしょう。感応が起きる前であれば、本来は見えるものでありませんから」

「その前提が真実であるならば、結果としてお前が前世持ちであると言う事になる。以上が俺の推論だ」


 俺の言葉を最後まで受け取り、九音は悩ましげな吐息を漏らすと、


「やはりこうなりましたか。参りました、義君の言うとおりです」


 両手を挙げて、降参を宣言した。まだ逃げようもあるのにだ。

 それはつまり、九音にとってはバレてもよい事。あるいは誤魔化すよりも信頼を取ってくれたと言う事であった。


「最初から完璧に隠し通そうとすべきでしたね。思ったとおり、バレてしまいました」

「隠そうとするのが間違っているんだ。最初から話しておけ」


 そんな簡単な事が出来ないから、こんな面倒な方法を取る事になるんだ。自分の事を棚に上げている気がしなくもないが、俺は今夜から変わるため、言う権利があるので悪しからず。


「全てを話す…それが出来ればどれほど楽だったことでしょうか。私には出来ませんでしたし、出来ないのです」

「どうしてだ?」

「この家から出なければいけなくなってしまうからです」

「なに?」


 聞き捨てならない言葉であった。ああそうか、こいつは勘違いをしている。俺は九音の今までの様子にようやく合点がいった。


「阿呆め、出て行くことなんてないんだよ。例えお前が何であったとしても、誰であったとしても、な」


 俺の言葉に、九音は寂しそうに目を伏せる。今の言葉だけで、俺が言わんとした事を理解したのだろう。


「本当に全て分かっているのですね」

「推論であるがな。お前の正体にはとっくに当たりをつけてある」

「…聞かせていただけますか」

「ああ、最初からそのつもりだ。では、お前の正体を紐解いていこう」


 俺は自分自身で調べ、構築した考えを静かに口にし始めた。


「さて、物事の取っ掛かりは、違和感や不可解から始まるものだ。そういった意味では、最初に引っかかったのは、あの日俺たちが出会ったときに張られていた結界だ」

「あの日張られていた陰陽結界の事でしょうか?」

「そうだ。あの結界、お前が張りなおしたものだろう? ユエから聞いた話では、本来ユエが張ったものは五芒星結界で階段の上に設置したらしいからな」


 俺の言葉に九音が目を見開く。どうやら、そこまでの情報を得ているとは思わなかったようだ。本当につめが甘い奴だと、俺は思わず笑ってしまいそうになった。


「そう…ですか。迂闊でした。種類を間違えてしまうなんて、あまりにも間抜けすぎますね。場所はあとからどうとでも言い訳出来ると思っていたのですが、場所と種類が違ってしまっては、言い訳も出来ませんね」

「まったくだ。しかしながら、それだけではお前の正体は微塵も分からない。だが、確かに取っ掛かりになった。この件から、お前が意図して自分で結界を張りなおしたという事が分かったのだからな」

「それが私の正体につながると?」


 その目は困惑というよりは、疑惑に満ち足りていた。こいつ、適当抜かしてるんじゃないか、という感じである。


「そんな目で見るな、やりづらい。結びつくものがあるんだよ。お前がしでかしたミスという奴だ。お前、意図的か無意識か知らんが舞殿を消してしまったろう?」


 あっ、という短い声が九音の口から漏れる。そして、俺と目が合うと唇をかみ締め、顔を逸らした。これまでのやり取りで、このわずかなミスが何をもたらすかを理解しているのだ。


「舞殿、鶴岡八幡宮の中央に設置された静御前が舞を踊った場所だ。それを消すという事は、何かしら関係性があるという事になるのではないか、俺はそう考えた。そうなると、関係者とは誰かという事になる。そう、範囲は広いがおおよそ源氏の関係者という事になる」

「…そうなりますね」


 か細い声で俺に相槌を打つと、九音は顔をうつむかせ肩をシュンと沈める。


「それさえ分かれば、後はこじ付けでもいい、合理的に考えれば済む。前世を当てるならば、名前や個人のパーソナリティーを精査すればいいという事だ。まず第一にお前の出身地だ。確か岩手県の平泉で間違いないな?」

「ええ間違いありません。本当に…最初から隠し通すべきでした。いらない事ばかりを口にして、気がついた時には、手遅れです。また繰り返してしまいましたね」


 その言葉は、どこへと向けて誰に放たれたものだったのだろうか。九音のどこか遠くを思いながらの言葉からは伺えない。


「かもしれんな。だが、それこそがお前の魅力だったのだろう。今も昔もな」


 痛ましいまでの意気消沈した様子に、俺は息苦しさを覚える。ああ、そうだ、九音を見るために問答を始めたのではない。早く、終わらせるべきだ。


「出身地は平泉。そしてお前の名前は常盤九音。名前の方は一旦置いておくとして、常盤という苗字には源氏に関係する人物がいる。常盤御前、それがお前に関係する人物になる」


 そう、前世を当てるという行為は、清美のときと同じく、一度確定された情報が出てしまうと、意外なほどに正解へと進んでいってしまうのである。

 そして、当てられた場合逃げる事ができない。あのガラスの割れるような音が聞こえるからだ。それを理解し、俺は話を続ける。


「では、その二つが示すものはなんだ? 岩手県平泉、そして常盤御前。この二つに合致する人物は何人かいるが、その中でも最も有名な人物こそがお前の正体だ。そうだろう?」


 俺は真っ直ぐに九音の顔を正面から見つめた。九音はわずかに戸惑うように視線を泳がせたが、しっかりと俺を見つめてくれた。

 そうして、


「源義経」


 常盤九音の真実が告げられた。

 ガラスの割れるような音が響く。その音は、染み渡るように繊細に、騒音とはかけ離れた音色を奏で、やがて静まっていった。

 ああ、と九音の口から溜息のような声が漏れ、


「お見事にございます。数々のご無礼、まこと申し訳なく存じます。させども、何卒我が戯言にお付き合い頂きたくございます」


 ゆっくりと姿勢を正すと、両手を畳み付け頭を下げ、


「どうぞ、この義経めの、戯言果つるまで、些かの暇を」


 自らの名を口にした。

 かくして、短い問答は終わりを告げたのである。

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