18.宴の後に片づけを

 俺に寄りかかるようにして眠りこける清美を地面に置き、一息つく。


「…旦那」


 すると、すっかり存在を忘れていた柳が俺に声をかける。

 いや、本当に忘れていた。てっきり、帰ったものかと思うほどに。


「ああ、全部終わったよ。すまんな、色々と面倒をかけ――――」

「尻叩いてニッコニコって…その若さで道外れすぎとちゃうん!?」

「待て、大いに待て」


 なにやら盛大にろくでもない勘違いをされていた。何という事だアレなプレイの一環だと思われてしまったらしい。

 だが柳よ、あれはプレイではない。躾の一環から生まれた行為なのだ。

 これまでの日々、清美の躾がどれだけ大変だったことか。特に関係なく引っ叩いた覚えもなくないが、それはそれである。

 つまり、不純な関係などは介在せず、潔白な言わば友愛や友情の証なのである尻を叩くのは。


「いいかよく聞け。事実として尻を叩かれ笑顔で眠りこけるなど、おかしな話かもしれない…いや、おかしな話だな。しかし、俺と清美の今まで積み重ねてきた日々があってこそのだな」

「今まで積み重ね!? 積み重なるほど尻叩いたんか!? お譲ちゃんお知り大丈夫なんか!? ドS過ぎやろ!?」

「落着け柳、いいか極めて冷静になり俺の言葉を聞くんだ。事実積み重なるほど叩いたが、そこにSM的な物はなくてだな」

「DVやん! 旦那彼女になにしとんねん! あかんやろ! マルキ・ド・サドか自分!」

「あの豚が彼女だと!? 冗談ではない! DVではなく躾だ! し・つ・け! ついでにサド伯爵はマゾでもあったからな、俺とは違う! 失礼なことを言うな!」

「何言うとんねん! 頭おかしいとちゃうか!?」


 俺たちは深夜にもかかわらず激しい言い争いをする羽目となった。

 柳は俺の言い分を聞かず、顔を真っ赤にして説教をかまし、対して俺は必死の説得を試みたが己の行いを鑑み土台無理な話であった。

 結果として、俺が折れる形で決着が付いた訳である。決して負けたわけではないがな、決してだ。


「ほんなら復唱してな。未成年は清く正しくお付き合い」

「…未成年は清く正しくお付き合い」

「そ…その…え、えっちな事は極力しません」

「お前、自分で言っておいてなにを顔を赤くしているんだ? 初心すぎだろうが。無理をするな無理を」

「う、うっさいわ! お姉さんなめんなや! ええから復唱しいや!」

「はいはい、生殖行為は行いません」

「ちょっ! ちゃうやろ!? 旦那そういうこと言うなや! わざとやろ!?」

「当たり前だ阿呆め。言い分は理解したし、不純な事など毛頭する気もない。つまりいつまでも、こんな無駄なやり取りを続けるのはごめんなんだよ。それより、やるべき事があるからな」


 そう言って地面で寝苦しそうにしている清美をあごで指す。

 柳も俺の言いたい事を察知してくれたようで、冷静になってくれたようだ。


「あかん、ちょっとテンションおかしなっとったわ。まずは、怪我人第一やな」

「そういう事だ。このまま放って置くと、夏の暑さで焼き豚になりかねんからな。さっさと家に連れて帰らせてもらうさ」

「焼き豚って、どんな理由やっちゅうねん。ツンツンするにしてももうちょい…ちょ、なんか焦げ臭ない?」


 何を言っているんだと思ったが、実際に何かが焼けている匂いがしたので、その匂いのする方を向くと、


「ん…暑…」


 清美の髪が燃えていた。

 そりゃあもうボウボウとである。ヴィクトリア調に纏められていた髪が解け、地面に投げ出されていた清美後自慢のロングヘアーが、毛先からどんどん燃え上がっているのである。


「は? は? はぁ? 何? 何おこっとるん?」

「ふむ、本当に焼けて俺の言葉通りなろうとは見事な家畜魂だ。脱帽だよ清美。お前がナンバーワンポークだ」

「冷静に何アホぬかしとんねん! いや、目が泳いどる…ってバグっとんのかい! しっかりしてえな!」


 思えば清美よ、お前はいつも俺の期待に応えようとしてくれていたな。豚と罵れば、ブヒブヒ鳴き、尻を蹴り上げればブヒブヒと鳴く。


「俺は心配だったよ、いつかこうなるんじゃないかと。俺の期待に応えねばならないと訳の分からん強迫観念で、自分を傷つけるんじゃないかってな。すまない、俺が止めていれば、こうならなかったかもしれないというのに。せめてもの償いにお前が燃えるさまを見届けよう」

「見届けてどうすんねん!! あんな必死になって助けといて、頭沸いとるんとちゃうか!? と、とにかく水や! 水! 鎮火せなあかん!!」

「水か…柳、お前水の龍を出せなかったか?」

「お譲ちゃん死んでまうやろ!! なんなん!? お譲ちゃんにそこまで恨みあるん!?」


 てんやわんやとはこの事である。俺と柳は完全に焦りから、冷静な判断ができなくなっていた。

 その間にも清美のブロンドヘアーは燃えていき、だいぶ短くなっていしまった辺りで、


「黒ちゃん、ゴー」

「もごっ」


 大きな黒い物体が清美の顔と髪を全て覆った。いや、覆ったというより押しつぶされているという方が正しいだろうか。

 何事かと思ったが、


「何してるの?」


 相変わらずの無表情でユエが立っていた事で、大よその事態を飲み込むことができた。

 清美の顔に乗っかっている黒い物体もよく見れば耳のようなものが付いており、雪ウサギのような形をしていたため、ユエの能力の一部だと伺えた。

 つまり俺たちの状況を見かねたユエが、文字通り事態を鎮火してくれたという訳だ。


「助かった。すまないな、ユエ」

「ん、おっけー。それじゃ、後ヨロシク」


 そう言うと、そのままゆっくりと倒れ始めるユエ。

 明らかに遅れて反応した俺に代わり、柳がユエを受け止めてくれる。


「限界やったんやな。よう気張った、ありがとさん」

「まったく、最初から最後までお世話になりっぱなしだったな」


 俺の言葉を聞き、自分を指差し面倒見てやったアピールをしてくる柳を尻目に、俺は清美へと近づく。


「…どうしたものだろうか」


 そして溜息を吐く。清美のロングヘアーは半分近く燃え尽きてしまい、歪なセミロングになってしまっていた。

 どうやって誤魔化せばよいのだろうか。あれだ、カニにやられたとでも言えば馬鹿だから騙されるのではなかろうか。いや、さすがに無理か。だが河童の件もある、カニのメスだと言えば…うむ、やはり無理だろうな。


「面倒な…だいたい何故髪が燃え始めたんだ? 俺の不甲斐なさを悔いて燃えようとでもしたのか、この阿呆は」

「んな訳あるかい。状況的考えて、旦那が原因やろ」

「ああん? 焼き豚とは言ったが、それで実際に燃える訳があるまい。炎の熱で沸騰してるんじゃないのかお前の頭」

「失敬な! ええか、覚えとき。能力には肉体の状態なんかも発動条件になるもんがあるんや。そう考えれば、分かるやろ。お譲ちゃんの力の発動条件なんかも、ようわからんけど、答えは一つや。自分で燃やしたんやろ、ほぼ無意識下の中でな。もう二度と同じこと起こさんように、旦那に迷惑かけんようにな」

「…そう、か」


 俺は清美の隣で屈むと、短くなってしまった清美の髪を撫でた。初めて触れた清美の髪は自分のものとは違い、すくえばすぐに指の間から逃げてしまうほどに美しく、目を見張るほどに艶やかなものであった。

 

「女にとって髪ってもんは、ほんまに大事なもんなんや。ましてや、その年頃ならなおさらやろな。それを誰かの為に投げ出したっちゅう事をしっかり噛み締める事やな」

「ああ、本当に馬鹿な女だよ。本当に」

「ほんま口悪いな自分。まあええわ、ほんなら行こか。自宅戻るんやろ。んで、どっち持つ?」


 そう言うと自分が支えてるユエと清美を交互に指差す柳。この女、いい性格をしていやがる。


「ちっ、清美を背負うに決まっているだろう。そういうもんだろ、流れ的にな」

「ええんか? お譲ちゃんスリムやけど、ウサギちゃんよりは重いで? 変わった方がええんちゃう?」

「ふん、馬鹿め。女一人背負えないとでも思っているのか? こいつ一人ぐらいな、どうって事ないんだよ」


 そう言うと、俺は清美をゆっくりと負ぶった。意識のない人間を背負うのは中々に面倒なものである。ついでに、意識がない分普段よりも重たいときている。


「まったく、面倒だ。実に面倒だこの女は」

「ぷふっ。ああ、すまんすまん。なんや、朗らかな顔で言う言葉やないと思ってなぁ。ほんなら、レッツラゴーや。あ、場所分からんから旦那先歩いてや」


 軽口を叩きつつ、柳はユエを軽々と背負うと勝手に歩き出す。こいつは本当に腹の立つ奴だ、やはり好きにはなれそうにもない。

 だが、世話になってしまった以上礼はのべねばらない。俺は柳に気がつかれないように、清美を背負ったまま頭を下げた。

 うむ、これでよし礼儀は尽くしたというものだろう。よって、


「間抜けが! そっちではない! 逆だ逆! 俺に着いて来い!」


 ここからは、ぞんざいに扱わせていただくとしよう。

 という訳でだ、俺がもっとも気にしていた事を口にしよう。


「それと、いつまでスクール水着姿なんだ? 趣味だろやっぱ」

「あっ、忘れとったわ」


 その後、デニムのショートパンツに白いTシャツ、そしてシルバーの指輪が吊るしてあるネックレスを付けたなんとも似合っている姿となった柳と家へと帰る事となった。


「なんや、結構歩くんやな」

「悪かったな」

「いやいや、文句なんてありませんて。しばらくお世話になるんやしな」

「はっはっは、おいおい図々しいなこのアマ。何を勝手に決めていやがるんだ」

「ええー、むしろここまで世話になっとって、そんぐらいもしてくれんとか…。いや、ええんやで、旦那がそれでええ言うんやったら。ほんまにウチは気にせんから。ウチは旦那が薄情クソ野郎やったとしても、一向にかまへんから」

「かまわん、薄情もの上等だ」

「うっわ、ノータイムで答えおった! 旦那、ウチに厳しすぎるんとちゃいます!?」

「冗談だ。お前には借りがある。その程度なら許すさ」


 事実、柳には借りがあった。どうやって返せばいいかは分からんが、感謝の気持ち分は先にサービスで渡すべきだろう。

 果たして返しきれるかどうかは分からんがな。


「いきなりデレられると怖いんですけど」

「よし分かった。家の敷居をまたがせんからな」


 深夜だというのに、大声で罵り合いながら俺たちはゆっくりと帰路へとつく。

 流石に疲れてきたのか、お互い静かになり蝉の声が耳に届くようになった辺りで、


「お前、なんでスクール水着だったんだ?」


 俺何気なくそれを口にした。


「せやから、仕様やって。なんや、もう今日は疲れたし、あんま怒鳴らせんといてや」


 うむ、完全にタイミングを見誤ったな。先ほどまでの言い合いを鑑みるに、そう思われて止むを得ないだろう。


「こちらとてお前と騒ぐのは飽き飽きしているに決まってるだろうが。純粋に気になったんだ。仕様って部分が特にな」

「仕様? 話したやろ? 前世以外に初めての転身の時のものや、大事なもんに引っ張られるって。せやから仕様やねん。自分で決めるもんやないからな」

「それでスクール水着という状況が分からん。趣味を隠したいがあまりに嘘を吐いているのではないかと、俺の中では専らな噂なのだが」

「もう素直に自分が疑っている言えや! なんで、そないに遠まわしやねん! ちゅーかあれやろ? ウサギちゃんの服装の件やらで、ウチの話聞いときたいだけやろ? ほんままどろっこしいわ!」


 あっさりと俺の思惑が看破されてしまう。柳の奴め、妙に人の心理を読んできやがるな。年の功という奴か? どう見ても大学生ぐらいにしか見えんがな。

 しかし参った。事情があるだろうに深入りしていいのか探るつもりだったのだが、こういわれた以上は、聞かざるを得ないだろう。


「ああそうだともよ。さっさと話せ」

「え? 変わり身ひどない? なんかもうちょい躊躇したりとか、気つかったりしいひんの?」

「黙れ、こっちも引っ込みがつかんのだ」

「言うたかて、もうちょい何かあるやろ? ネタバレするとな、聞くも涙な話やで? 引っ込みつかんとかでなく、場所とかも考えて―――――」

「いいから話せ」

「あ、はい」


 御託ばかりグダグダと口にしおってからに、面倒ここに極まれりである。

 柳は溜息一つ吐くと、観念したように項垂れて、


「始まりは、今日みたいな暑い夏の日やったな」


 遠くを見ながら、在りし日を思う出すように目を細め語り始めた。


「ウチな、学生時代水泳部だったんや。まあ、これ言うたら分かると思うけどな、ウチの鎧の下がスクール水着なんもそれが原因や」

「水泳部だというならば、水着は競泳のものではないのか?」

「部活言うても適当なもんでな、みんなで楽しむクラブに近かった。せやから大会なんかにも力入れてなくてな。惰性みたいなもんやったかな、今思えば。それでも、楽しんどったんやで?」

「なら惰性ではないだろう。そこに続ける意思があったならば、それは行動だろうが」

「…ああ、そやな。随分と昔のこと過ぎてな、自分ではどうにも後悔やらが先走ってまう。取り返せない日々への恋慕やな。憎まれ口も叩きたくなるわな。あー、歳なんて取りたないなー」


 やけに楽しそうに話してはいるが、どうも核心に触れようとしないように喋っている気がするのだが。ふむ、やはり話したくない内容だったのだろうか。

 人には人の事情がある。自分から聞いておいてなんだが、引き下がるとするか。


「柳、大体分かった。もう十分――――」

「んでな、部活中に水霊に教われてな、じいさまから渡されとった懐刀…まあ、鉛筆を削るように使用しとったんが、まさかの修物おさメものでな。そこから死に掛けたり、覚醒したりでチャンチャンバラバラやって、気がつけばスクール水着が転身時の服になりましたとさ。以上や」

「お前は本当にやりづらいな」

「なんでやねん! しっかり話したやろ!」

「話したな、確かに話した。だが、勿体つける必要はなかったろうが! 気を使って損したぞ、阿呆が!」

「誰が阿呆や! 感傷に浸っとったんや! こちとら友人全滅しとるんやからな!」

「は?」


 思わず耳を疑う。軽く話していたものだから、てっきり一騒動あっただけだと思っていたのだが、


「なにキョトンとしてんねん。水霊はな言うたら、神に近い生物や。生身の人間が襲われて無事なわけないやろ。16人全滅や、ウチも入れてな」


 柳の言葉通り聞くも涙な話しであったようだ。友人が全滅か、それならば話を渋ったのも分かると言うものだ。

 聞いたことに対して、わずかに罪悪感が生まれるが、それ以上に、


「お前も含めて?」


 柳の言葉が気にかかった。


「せや、亡くなった人間は原型…というよりミンチっちゅうか、まあ溶けてもうててな。せやからその場から離れたウチも死んだ事になってもうたんや」

「お前、よくもまあ重たい話を軽く言えるな」

「過ぎたことやし、よくある事やからな。いやー、しっかしあの時はほんまに焦ったで? 死ぬような思いして一ヶ月帰ってみれば、家族は引っ越しとるし、居場所なんて公園のベンチぐいらいや。家もなければ戸籍も無くなってましたっちゅう話やからな。こんなんあります思ったわ。挙句人に見られたおかげで、幽霊が出る言うて大騒ぎや」


 ケラケラと笑いながら過去を話す柳。内容自体も実に興味深いが、よくある事という柳の言葉が俺には響いた。

 友人が死ぬような事が、よくある事なのだ柳にとっては。


「それからはずっと戦ってきたのか?」

「あん? ずっとな訳あるかい。戦う日もあれば戦わない日もある。ああ、戦いにすららなん時もな。旦那が学校行くんと同じや。メインはあるが、それだけやないってな! 因みに戦うんも理由はさまざまやで? 言うて基本は金がらみやけどなっ!」

「明け透けな奴め」

「隠す必要あらへんもん。金は大事やで? 生きていくのにも必要やし、あるに超したことはない。取捨選択にもバッチリやしな」

「取捨選択?」


 妙な言葉を耳にして、思わず聞き返してしまう。すると、柳はバツの悪そうな顔をして、俺から目をそらした。


「…あー、なんでもないわ」

「誤魔化すなら、もっと上手くやってくれ」

「なんや、あれやな、あれ。そうでもせんと、やらなあかん事が多くなってまうやろ? 人間全部を掬い取れるわけやない。せやから、順序をな…ああ、くそっ! せやから嫌やったんや! この話すんの!」


 顔を赤く染めて、柳は月夜に吠えた。それは不器用すぎる女の精一杯の照れ隠しだったのだろう。

 そして、俺は柳を初対面から気に食わない理由をようやく理解した。

 柳は誰かを助けるにも、言い訳をしなければいけないのだ。その生き方からか、あるいは生きてきた経験からか。金だ金だと言っているが、本心では困っている人間を全員助けたいと思っているのだろう。

 何かをする事に恥ずかしさを覚え、言い訳をする様子は、


「やはり、俺はお前が気に食わないよ柳」


 まるで自分を見ているようで、気に食わないのだ。ああそうだ、認めよう。これは同属嫌悪というやつなのだ。

 そして、俺の心の内を


「知っとる。けど、ウチは嫌いになれん」


 柳は最初から分かっていたのだ。まるで子供大人である。最初から柳は全部分かっていたのだ。


「そう言う訳やから、仲良うしよや。ウチはほんまに旦那の事気に入っとるんよ?」

「金金うるさい奴はお断りだ」

「しゃあないやろ? 生きていくためやし。好き好んで戦うほど血の気も多くないしな。自分がやりあいたい言うんはほとんどないんやで? せや、旦那とやりあおう思ったんも久々やったんや」

「そいつは光栄な事だ」

「せやろー? 自慢してええでー」


 くだらないやり取りをしながら思う、もっと大人になるべきであると。柳は自分を受け入れ、真っ直ぐに生きている。

 柳のようになりたい訳ではない、それでもその姿に仄かな憧れを抱いたのは確かだったのだ。

 成すべき事を成し、自分を受け入れる。違うな、もし気に食わないのであれば変えていくのだ。きっと若い自分にはそれが許されるはずなのだから。


「そうだな、決着をつけよう」

「あん? ウチとやりあうんをか?」

「冗談、そんな無謀はごめんだ。独り言だ、気にするな」


 柳に訝しげな目を向けられる。軽く腹が立ったが、自業自得であるため黙っていよう。

 それよりも、先を急ごう。家はもうだいぶ近いが、清美が重いせいで結構限界なのだ。

 足を急がせ、家に向かうための最後坂道の途中で、


「義君」


 まるで幽霊のように夏の夜風に髪をたなびかせながら、


「九音…か」


 九音が静かに俺たちの目の前に現れた。


「そんな所でどうしたんだ?」

「こちらの台詞です。清美ちゃんが居なくなった事に気がつきまして、探しに行く所だったのですが…どうやら、お邪魔だったようですね。無駄足を踏まされてプンプンです」

「そいつはすまんな。すまんついでに、清美を頼んでいいか? 豚なだけに結構な重さでな」


 そう言って、顎でなんとかしてくれとジェスチャーを送る。九音は少し寂しそうに目を細めると、


「残念ながら、か弱い私には無理ですよ」


 困ったように微笑んだ。

 その微笑を見て、俺は心が締め付けられるのを感じた。九音は聡い女である。つまり全てを理解しているのだ。その上でこれから起こる事を回避しようと、抵抗しているのである。

 だが、俺は決着をつけると決めた。引き下がるわけにはいかない。

 だから俺は、


「お前なら出来るだろう?」


 その一言を口にした。

 柳は目を開き、困ったように笑うと、


「ええ、そのようですね」


 俺に近づき、清美を軽々と受け取るとお姫様抱っこの状態で、家へと向かい歩き出す。その一連の動作にか弱い女性の影は微塵も感じられないままに。


「九音、話がある。夜分に悪いが、清美を寝かせたら俺の部屋へ来てくれ」

「あら、夜分に殿方の部屋にですか? 困ってしまいますが…ええ、分かりました。覚悟を決めましょう」

「すまんな」

「渾身のボケだったのですが、スルーされて悲しいです。では、後ほど」


 そう言うともう振り返ることもなく、九音は俺たちを置いて家へと帰っていった。


「なあ、旦那。今の子は…ええわ、決着つける言うとったもんな」

「物分りがよくて助かる。布団を用意するから、ユエと同じ部屋で休んでくれ」

「なんやったら近くで待機したろか?」

「いらん、あいつは…なんだ? 仲間? 家族…ではなく、居候というべきか。まあ、そんな感じだから平気だ」

「あやふやすぎやろ!? ほんまに大丈夫なんか!?」

「大丈夫なんだよ、絶対に」


 俺の言葉に柳は真顔になり、そのまま呆れたように溜息を吐いた。


「ほんなら、早う旦那ん家行こか」

「そうだな…そうだ、聞きたいことがあった。あの大男が見えるようになったのっていつからだ?」

「なんやねん藪から棒に。前にも言ったやろ、旦那達のせいで感応してもうたって。たしか、ウサギちゃんと銀髪の子がやりあってた日やな」

「そうか」


 推論ではあるが、持つべき意見は固まった。俺は歩き出す。この騒動の俺がつけられるであろう決着をつけるために。

 その道が俺が嫌がるものであるとしても、真っ直ぐに前を見ながら。

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