暴言

 翌日、空と潔子は、「黒百合」の女給でもっとも懇意にしていた、黒井くろい吉江よしえの元を訪ねた。吉江は蓮っ葉な、十九か二十くらいの、器量の良い娘で、常に煙草……主にバットを喫っている。二人が訪ねた時も、案の定バットを口に銜えた儘だった。

「で、書生さん、何をお聞きしたいとおっしゃいますの。あんた、探偵の真似事みたいなことしてらっしゃるのと、違って?」

 媚びるような甘ったるい声で、吉江が言った。空は煙草の煙を吸わないように、襟巻で口元を覆いながら言った。

「あらまあ、俺みたいなが探偵ですって。そんな大層なもんじゃあないぜ、ヨシちゃん。あっはっは」

 カラカラと笑う空を、吉江も潔子も白い目で見る。視線に気づき、空は数度咳き込んでから、

「あ、じゃあまあ、本題に入ろうか」

「ええ、どうぞ、探偵気取りの書生さん」

「お美江さんと元畑さんは、まあ、その、何だ……給仕と客、っていうのを超えた付き合いがあったんだね?」

 吉江は、ふーっと煙を吐き出し、笑いながら言った。

「そりゃあ、モチよ。そもそもがあのお店、喫茶店なんだから。そういうこと、あるに決まってるじゃない、やァね、書生さん」

 空は苦笑いを零し、困ったように潔子に目配せした。潔子はそれを全く無視し、じっと出された茶を眺めている。空は狼狽したが、吉江が苛立ったように指で机を叩いているのに気付いて、言葉を続けた。

「で、近頃お美江さんは、店長の、廉蔵さんに気があったと」

「気があるなんてもんじゃあないわよォ」

 吉江は即答し、身を乗り出した。蓮っ葉な女特有の、妖艶な笑みを浮かべて、

「ここ一カ月ね、お美江ちゃん、廉さんと良い思いしてたみたいよ。廉さんにしちゃァ、数ある中の一人なんでしょうけどね、お美江ちゃんのはしゃぎようったらなかったわ。昨夜はアレをした、今度はコレをするって――廉さん、とってもお上手なのだそうよ」

 茶を啜っていた空は、激しくむせ返った。吉江の吐き出す煙を勢いよく吸ってしまったことも理由の一つではあるのだが、無論それだけではない。潔子が白い目で空を睨む。吉江は可笑しくて堪らないと言いたげにケタケタ笑い、続けた。

「あら、書生さんはうぶだからいけませんわ。……まあいいわ。それでね、お美江ちゃん、辰弥さんが邪魔になったのよ。辰弥さんに、廉蔵はろくな男じゃないぞって、何度も何度も脅すようなこと言われたらしくて。あんまりにしつこくて、お美江ちゃん、何度も廉さんに、辰弥さんを黙らせて、駄目なら殺してって懇願したって話よ。結局あの子、器量で選んだのね。でも廉さんは、辰弥さんは親友だから無理だって言ったらしいけど」

 すると、今まで黙っていた潔子が口を開いた。

「元畑さんが、小橋さんのことを悪く言っていたこと、小橋さんは御存知でいらっしゃった?」

「ええ。だってこのお店でも、此処一カ月くらい、辰弥さんは廉さんに悪態ついてらしたわ。廉さんは、ただにこにこ笑うだけで、取り合っていなかったけど。そうねえ、あたしの印象に残ってるのは……『おまえも、佳代子も、俺は大嫌いだ。器量のいいのに囲まれて、ずっと惨めだったんだ。殺してやるッ、いつか殺してやるぞ、おまえら!』……っていう台詞ね。あの方が殺される二日前の台詞よ。あたし、びっくりしちゃったァ。お店でこんな恐いことを言う方、いらっしゃらなかったんですもの。お店であんな悪態つかれちゃあ、御客も減っちゃうじゃない。お店の看板に泥を塗られて、こっちが殺してやりたいくらいよ」

 ひゅうと、空が口笛を吹いた。口を窄め、顎に手をやる。暫くその儘でいると、吉江は苛立たしげに、指で机を叩き始めた。

「ああ、いや……ヨシちゃん、有難うよ。おかげで、かなり解決に近づいた」

「あら、やっぱり探偵さんなんじゃない。まさか、今のあたしの言葉で、あたしを疑ってらっしゃるんじゃあなくって?」

「まさか、探偵なんてそんな、大層なもんじゃあないさ。探偵小説は大好きだがね。じゃあ俺たちは此処でお暇するとしよう。行こう、お潔ちゃん」

 潔子が頷き、立ち上がった。刹那、潔子と吉江は意味ありげに視線を絡めたが、それが何であるかは空には分からない。

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