その2 プロローグ(後篇)

 なるほど。

 どうやら、――小さな奇跡には恵まれたらしい。

 そう思うと同時に、落胆する。


 現れた少女は、光久の好みからすると、少し幼すぎたのだ。

 歳は十に届かないくらいだろう。

 死に装束を思わせる白い着物をまとった、華奢な娘だった。

 彼女は数匹の子猫に囲まれながら、誰彼構わずに聞こえるような大仰な仕草で声を張り上げている。

 それはまるで、理想的な聴衆を前にした独裁者のようであった。


「むろん、質問はいくらでも受け付けよう」


 少女は、ぎゅっと拳を握りしめ、にやりと微笑む。

 光久は、そんな彼女を寝ぼけ眼で眺めていた。


「まこと急な話で、驚きのことじゃろう。だがまあ、それも人生の一興……」

「なーん」

「……そもそも、君らの魂は、血を飲み、屍肉を喰らうようできており、……」

「にゃーーー」

「強固な生命エネルギーでもっても、この“試練”に……」

「なーん。なーん」

「むろん、諸君らの原初的な本能は……」

「にゃ?」

「“死”! むろん、それは大きな問題じゃろう。だが、時としてその課題を乗り越える必要こそが、諸君らには、……」

「ふーん。……なぁーーーーーーーーーーーーーー」

「焼き魚! チーズ! そして煮干し類! ふむ! 望むのはそれだけかね! はあはあ! ずいぶん高度な文明社会を築き上げた割には! 比較的シンプルな至上目的を……」


「ねえ、君」


「しかしのう、諸君。これはチャンスだぞ。今こそ、素晴らしき新世界への一歩を!」

「ねえ……」

 もう一度声をかける。


 少女は振り向いた。

「今は忙しいのだ! 向こう行けオス猿ッ」


 ぴしゃりと言い捨てられて、凍り付く。

 ひどい言われようだった。


「猿? ……猿の子孫?」

 だが、少女は自分の言葉を反芻するように言って、驚いたように目を瞬く。

「あれれ?」


 ――なんなんだ、この娘。


 そして、光久と、目の前にいる子猫を見比べた。

 その後、小声でもう一度、「アリャ?」と呟く。


「……うん。君の方が知能高そうだな。みたとこ」


 そして子供らしくない仕草で、大きく咳払いをした。

 よくわからないが、少女の耳が赤く染まっている。

 一人遊びを見とがめられて、恥ずかしがっているのだろうか。


「これは……その。違うのだ」

「何が違うって?」

「ずいぶん久しぶりに、この世界に降りたものだから。……まあ、“造物主”レベルにおいては、よくある誤りでな。獣型の文明人というのも、広くこの世には存在する訳で」

「……へえ」

「ところで。念のため訊くが、ここんとこ文明を席巻してる生命体って、君ら?」

「ここんとこ? ブンメイ? セッケン?」


 光久は首を傾げる。

 言葉の意味そのものに、ではなく、その手の単語が、年端もいかない少女の口から飛び出したことに違和感を覚えたからだ。


「……ええと。なんと言えばわかるかな。あっちこっちで木を切り倒したり、建物を建てたり、戦争したり、性交の際、特別な工夫をこらしたりする。そういうのが一般的な文明人の特徴なのだが。……いかが?」


 光久は、内心で笑いをこらえる。

 何かのアニメのセリフを真似したものだろうか。

 なんにせよ、――彼女は、ずいぶんとお高いレベルの言葉遊びを嗜むらしい。


「俺が知る限り。……そういうことをするのは、もっぱら猿の子孫の仕事だな」

「そうか。やはりか」

 光久の答えを聞いて少女は、ぱあっと笑った。


「あの畜生ども。どうりで胡乱な返答しかしないと思っていたのだよ」

「ふうん。……ちなみにあの子猫、なんて言ってた?」

「オサカナタベタイ、オサカナタベタイ。ゴタクはイイからオサカナヨコセ! チーズでも可!」


 今度こそ、笑ってもいいタイミングだろう。

 光久は軽く吹き出してみせる。


「……でも、珍しいな。最近では、野良猫も見かけなくなったんだが」

「それより、君」


 そこで少女は、ずいっと顔を寄せてきて、光久を睨めつけた。


 そして、小声で、

「どこまで聞いた?」

「どこまでって?」

「とぼけるな。さっきの演説だ」

「ああ……」

 光久は、ゆっくりと思い出す。


「”造物主”がどうとかって言う?」

「なんだ。やはり聞かれていたか」


 ふーーーーーっ、と。

 少女は、長い長いため息を吐いた。


「まー、よかろ。……少し腹が減った。何か甘い物をたもれ」


 光久は、少しだけ顔をしかめる。


「知らない人に物をもらっちゃダメって、お母さんに言われなかったか?」

「親はおらん。産まれた時、呑み込まれかけたのでお返しにぶち殺した」

「……そうかい」


 そいつはまた、ヘヴィメタルな人生で。

 ダメ元で鞄の中をまさぐってみる。

 すると一週間前、焼肉屋の帰りにもらったあめ玉を発見した。


「ほれ」


 元々食べる気のなかったそれを手渡す。


「グッド。リンゴ味」


 少女は、あめ玉を口の中でころころして、


「ふみゅ。良ひ良ひ」


 もっともらしくうなずく。

 そして自称“造物主”は、こちらの顔を見上げつつ、


「ひひ、ははへは?」


 訝しげな眼で少女を見返すと、あめ玉を口の中で動かして、

「ひみ、名前は?」

 と、言い直した。


「……合原光久」

「みつひさ、か。どう書く?」

「光るに、久しぶりのひさ」

 言うと、少女はペンと手帳を取り出し、何ごとか書き込み始めた。


「――?」

 何の気なしに手帳の中身を覗きこむと、


「候補者リスト」


 と、子供にしてはずいぶんな達筆で題されたページが見える。

 友達の連絡先のまとめか何かだろうか。

 リストには、いくつかの細かい区分けがなされており、”南エリア”と書かれたページの最後の行に、光久の名前があった。


 ――合原光久……空気が読める。ほとんど無害。


 空気が読めて、無害。

 その不可解な文章の羅列を眺めて、光久は苦笑する。

 こんなふうに、わざわざ知り合った人間の特徴を書き付けているのだろうか。


「……ちなみに、君は?」

 少女は鷹揚にうなずいた後、言った。


 まるで、その言葉がもたらす衝撃的な意図を、全世界に知らしめるように。


「ヒトからは、“造物主”、――あるいは“神”などと呼ばれておる」



*        *        *



 ここに、“造物主”サマの第一印象を、正直に書き記しておく。


 ――どれだけ誇大妄想の過ぎるガキなんだ、と。


 そういう風に思っていた。

 だがまあ、それでも。

 異常だ、とまでは考えなかった。

 だってそうだろ? あの子は見たとこ、小学生くらいの子供だったんだ。

 ガキってのは、大なり小なり、どっかしらイカレてるモンだ。

 道路に落ちている軍手を、むやみやたらに収集してみたりな。

 俺がそうだったから間違いない。


 “造物主”とは、それから十数分以上にわたってとりとめのない雑談を繰り広げた記憶がある。


 40日40夜、地上を洪水で洗い流したことがある。あの時は超ウケた、とか。

 クソ野郎の住処になっていた、二つの街を焼き払ったことがある。あの時はマジでテンション上がった、とか。

(2015年2月5日 記)


*        *        *


「で、その。……“造物主”が、何しにここへ?」


 話を合わせながら、光久は訊ねる。

 すると“造物主”は、少し逡巡する素振りを見せた後、応えた。


「実はこう見えて、仕事中だったり」

「ほほー」

 光久は舌を巻く。


 空想の表現法もいろいろだ。


「先ほど君も耳にした通り、仲間になれそうな人間を探しとるのだ」

「仲間?」

「うん。あっちこっちのセカイを巡ってな。そういうの、興味ある?」

「そういうのって?」

「もちろん“造物主”だ。大変だが、やりがいのある仕事じゃよ。一人を救うために百万人犠牲にしたりとか、そういうことが平気でできる」

「おもしろそうだな」

 生返事で応える。


「そうでもない。“造物主”になるためには、前準備として修行せにゃならん。修行にはだいたい百年くらいかかるのが普通なので、途中で投げ出す輩も多いのだ」

 少し考え込む。


「それでも、」

 自然と、笑みが漏れ出た。


「なれるもんなら、なってみたいモンだな。その、……“造物主”サマとやらに」

 結局のところ。


 ――奇跡が起こらないなら、それを起こす立場になるしかないのだ。


 光久は、ぼんやりした頭でそんな風に思った。

 どうやら自分は、思っていたよりもロマンチストらしい。


「なるほど。思い切りが良いの。即決で了解を得られるのは珍しいことなんじゃが」

 “造物主”は、しきりに感心して、光久の肩をぽんぽんと叩いた。


「そういう性分でね」

「えらい。気に入ったぞ」


 言って、少女は懐から袋菓子を取り出す。

 見ると、中身はピーナッツだった。


「あめ玉のお礼だ」


 そして、声を潜めるようにして、


「三時のおやつにするつもりだったが。……特別だぞ?」

「そりゃ光栄だな」


 光久は礼を言って、それを鞄に詰め込む。


「時空を超えると、塩分とタンパク質を失うからな。向こうで食べなさい」

「時空って?」


 “造物主”は応えず、


「……そんじゃ、せいぜいガンバっておくれ。期待しとるよ」

 手を振った。


 そして、特に劇的な台詞も、演出もなく。

 契約の言葉を口にしていたことも、気がつかないまま。


「――ん?」


 一瞬にして、四方が濃霧に閉ざされた。

 半歩先さえ見えないほどのひどい霧が、――。


 そこからの意識は、定かではない。

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