その50 エピローグ1

 その、一週間後。


 目を覚ますと、“魔女”から宅急便が届いていた。


 速達シールが貼られたその中身は、美空らいかの血液が入った薬瓶だという。

 それには、日本語のメッセージカードが添えられていて、


『らいかちゃんより。プレゼントだそうです。』


 差し出し人の名は、七色はくや。

 ……どうやら、気を遣わせてしまったようだ。


 だがこれで、魔衣の“試練”の件も万事解決。


――に、なればいいのだが。


 光久は、眉間に思い切りシワを寄せて、深い溜息をつく。


 ここのところずっと、魔衣とは口をきいてもらえていないためだ。

 原因は明白で、わざわざ危険な目にあってまで”天球”に向かったというのに、魔衣の目的を果たせなかったせいである。


――今更、これを渡したところで、彼女の機嫌が直るかどうか……。


 不安に思いながらも、薬瓶を持って、魔衣の部屋へと向かう。

 ドアをノックして、


「あのぉ……魔衣さん?」


 返答はなかった。


「魔衣ちゃーん?」


 念のため、もう一度声をかける。

 どうやら、留守らしかった。


――仕方ない。“社”を見て回るか。


 人の気配を探って、耳を澄ますと。

 どこか遠くで、薬缶が沸騰している音が聞こえる。

 どこかの誰かが、薪を作っている音が聞こえる。

 どこか近くで、聞き覚えのある、「ちい」という鳴き声がする。


 少し迷って、光久は、鳴き声の聞こえる方へ向かった。



「やあやあ、オハヨー、光久」


 そこに居たのは、月華という名前の女の子。

 彼女の肩には、“サイファイ・モンキー”が乗っている。

 どうやら、一緒に遊んでいたところのようだ。


「おはよう、月華。それと、モンさん」


 光久が挨拶すると、名前を呼ばれた小猿がぴょんと跳ねて、「ちいちい」と、片手を挙げる。


「うふふっ。……モンさん? モンちゃんじゃなくて?」


 無邪気に笑う少女は、光久のジョークセンスに理解があるらしかった。


「ああ。目上の人にちゃん付けはできない。……彼には以前、世話になったからな」

「なるほどー」


 あざとくも可愛らしいデザインの小猿は、「ちいちい」と、どこか得意げにうなずく。

 こいつ、思いっきりでこぴんとしたら死ぬのかな、と、光久は思った。


「ところで、魔衣を知らないか?」


 月華は、少し首を傾げた後……ぽん、と、手のひらを叩く。


「ちょっと前だけど、シキナのところで見かけたわ」

「なるほど。ありがとな」


 光久は、“社”の外を目指す。



「――暑い日が続くな。もうそろそろ秋だというのに」


 シキナは、手のひらで日差しを避けながら、呟いた。


「もうそろそろ休まないんですか?」


 声をかけると、


「今日の仕事はこれからだ。シフトが変わったからな。夜の当番は別の者に任せている」

「そうなんですか」

「言っとくが、この”社”に滞在するつもりなら、君にも手伝ってもらうぞ」

「……俺、戦力になりますかね」

「何を言う。”魔女”を仕留めた男だぞ。十分だ」

「ははは……」


 らいかに勝てたのは、ほとんどまぐれみたいなものだが。


「そういえば、……魔衣を見かけませんでした?」

「ああ、さっき見かけたよ。たしか、レミュエル爺さんのとこにいるはず」

「ありがとうございます」


 シキナに背を向けると、赤い、風船状の生き物と目が合った。


「……やあ、マン」

「よお、光久」


 “魔女”の一件で、もっとも肉体的な損害を被った彼の触手は、もはや一本も残されていない。


「なんか、ずいぶんな姿になっちまったな」

「別にかまわん。どーせ足なんて、放っときゃまた生えてくる。……そういう意味じゃ、便利な身体だ」


 マン=タイプOは、早足で歩くシキナの後を、器用に転がりながらついていっていた。


「あ、そうだ。言い忘れる前に言っとく」

「どうした?」

「しばらく預けていた《抗重力装具》のことだが……」

「ああ」


 光久は、ぽんと手を打つ。

 すっかり忘れていた。

 返すタイミングを逃したまま、学生鞄に入れっぱなしにしていたのだ。


「すぐ返すよ」


 言うと、


「あれはやる。大切に使え」


 その言葉に、光久は驚く。


「もらえないよ。……元のセカイから持ち込んだものなんだろ?」


 “かんなり”にとって、自分の故郷から持ち込んだものには、特別な思い入れがある。

 鞄の隅っこの糸くずでさえ、故郷の思い出の一つ。大切な品だ。

 その中の一つを他人に渡すなんて、少なくとも光久の常識では考えられなかった。


「構わん。お前が持ってろ」

「……一応、理由を聞いてもいいか」


 光久が、真摯な表情で訊ねる。

 マンは、まん丸い目を細めて、言った。


「……ここで。この、“はじまりの世界”で。生きていくことに決めたんだろ」

「そうだけど」

「だったら、実力が必要だ。最低でも、隣にいる人を守れるくらいの実力が」

「………………まあ、な」

「うまく使え。あれは武器にもなる」


 光久は、少しだけ迷った後、頭を下げる。


「ありがとう」


 タコの怪物は応えず、コロコロと転がりながら、シキナの後を追っていった。

 別れ際、


――マンの大切な人っていうは、シキナさんなのか?


 という疑問を口にしようと思う。

 だが、止めておいた。

 あまりにも無粋に過ぎる質問だと思われたためである。



「――魔衣? ここにはいないよ?」


 レミュエル老人は、書き物の最中であった。

 以前話していた手記の執筆作業中らしい。

 光久は、興味深げにそれを覗き込んだ。

 癖のある英語、しかも筆記体で書かれているためか、内容はまったくと言って良いほどわからない。

 老人はメガネを外して、光久に一杯の紅茶を注いだ。


「あ、どうも。ありがとうございます」

「いやいや。こちらこそ、手記のネタを提供してもらって助かるよ」


 光久は苦笑する。


――“助かる”か。


 自主的にやっていることなのに、少し変わった言い回しだ。

 あるいは、異世界での出来事を書き留める作業は、彼の中で義務化しているのかもしれない。


 紅茶を啜っていると、ふいに、部屋の隅にあるものが目に止まった。

 ずいぶんと可愛らしい、ミニチュアセットである。

 それは、家畜小屋のような形をしていて、いくつかの小さな木箱の中に、細かく砕かれたビスケットがいっぱいに詰まっていた。


 そっと小屋の内部を覗き込む。

 するとそこには、驚くべきものがあった。

 十二分の一くらいのサイズの牛が数匹と、同じくらいのスケールの羊が十匹。

 ちょうど餌を食んでいるところである。


「うわぁ……」


 喜びとも驚きともつかぬ歓声が上がった。

 ふいに、その中の一匹を撫でてやりたい衝動に駆られる。

 家畜小屋に指先を入れると、驚いた数匹の羊が、小屋の外へと飛び出してきた。

 確信する。これは玩具の類ではない。本物だ。


「驚いたかね?」


 老人が、例のくしゃりとした笑顔を作って、光久の顔を覗き込む。


「昔、六百ポンドで全て売り払ったものだが、友達に見せるため、少し買い戻したのだ」

「へえ……」


 光久は感心する。


「私はこれまで、様々な国を旅してきたが。――思えばこの、“こびとの国リリパット”での経験が、冒険好きな性分の原点かもしれないな」


 老人は、しみじみと言った。


――リリパット。


 どこかで、聞いた覚えがある単語な気がした。

 が、それよりも、目の前にある不思議な光景に目を奪われている。


「ところで、魔衣のことだけれど、そういえばさっき、“ショートケーキ”に用があると言っていたよ」


 レミュエルはふと、思い出したように言った。


「ああ……ありがとうございます」


 夢から覚めたように、光久は顔を上げる。


「それと、……時々でいいんで、これ、また見せてもらっていいですか?」


 小柄な動物たちの、こじんまりとした生活。

 どこか、心の琴線に触れるものがあったのだ。


「なんだったら、何匹か飼ってみるかい?」

「いいんですか?」


 素直に、嬉しくなる。


「構わないよ。羊に関しては、増えすぎて困っていたところだ」


 一瞬、光久の眼前に、手のひらサイズの羊さんと過ごす楽しい生活がありありと浮かんだ気がした。

 ……が。

 ずいぶん迷った末、光久はその申し出を辞退する。


「いつまで、この“社”には居られるかわかりませんから」

「……そうか。君には、新たな”試練”が待ち受けているんだったね」


 レミュエルも、あっさりと納得してくれた。

 光久は、小さな動物たちと別れを告げて、席を立つ。

 部屋を去り際に、


「そういえば。最近気づいたんですけど」

「何かね?」

「……“レミュエル”って、名字ですよね」

「まさしく」

「そーいや俺、レミュエルさんのフルネーム、聞いてなかったなって。名前の方は、なんて言うんです?」

「おや、言ってなかったかね?」


 老人は、少しだけ前置きした後、こう応えた。



「ガリバーだよ。レミュエル・ガリバー。それが私の名前だ」

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