11.過去の清算

Act.1 再会


 鈴は気が付くと、自分の手にざらざらとした感触を感じていた。ゆっくりと目を開けると空とも何とも言えない暗闇が広がっていた。そうして鈴はすぐに自分が学校のグラウンドにいるのだと気が付いた。鈴はゆっくりと起き上がり周りを見回すと見慣れた校舎があり、そこは「東第一高等学校」のグラウンドであることが分かった。確かあの壁の前にいたはずなのになぜここに飛ばされてしまったのだろうかと鈴は不思議に思った。そしてゆっくりと立ち上がり一緒にいたはずの健を探すが何処にもいない。

「健君!」

叫んでみるがやはり近くにはいないようだった。それに何処となく雰囲気が違うような気がする。空からは月明かりのような薄明かりはあるものの月はどこにも見えなかったし、遠くに見えるはずの山も見えなかった。一体どこへ来てしまったのだろう。これが影の世界なのか。

「鈴…。」

どこかから声が聞こえる。今の鈴にはその声が誰なのか分かっていた。

「鈴…久しぶりだな。」

その声がどこからするのかはやはり分からなかった。

「亮一…亮一なんでしょう?」

そう言った瞬間だった。鈴の目の前に地の底から湧いてくるように一体の黒い影が現れたのだ。

「よくも俺の名前を思い出せたな。」

やはり声は亮一だが、その影は真っ黒で顔も分からなかった。

「沙羅と健君はどうしたの?」

鈴は少し怯えながら影に話しかけた。

「ああ…あの2人か…もうすぐこっちの一員になるんじゃないか?」

「ちょ…どういうことよ!!2人に何したの?」

影はその場でゆらゆらと不気味に揺れている。

「俺が招待したのさ。お前達の子供をな!途中で邪魔が入ったがな。」

「どういうこと?」

「悪いのは自分達のせいなんだからな!俺を怨むなよ。」

「亮一!一体何言ってるのよ!あなた最後のあの日から何があったの?私分からないよ。私が悪いの?」

「そうだ。お前が悪い。お前が悪いんだ。」

鈴はなぜ自分が責められているのか分からなかった。

「亮一!分からない…どうして私が…。ねえ、どうして亮一は消えたの?教えて…教えてよ!私はあの卒業式の前の日から全てが止まってるの…。」

「ふん、どうせ俺のことなんか完全に記憶から消えてたくせに!今更お前に話すことなんかねえよ!」

顔こそ分からないものの、その声は怒っていた。いや、怒っていたなんてものではない。恨みや憎しみの念が伝わって来る。しかしやはり鈴には全く分からなかった。

「亮一…ごめんなさい…。」

鈴は気が付くと涙を流していた。自分が悪いことは確かなようだ。しかし一体何がいけなかったのか分からないのが辛かった。鈴にはまだ思い出していないことがあるとでもいうのだろうか。

「もう何を言ったって遅いんだよ…。なあ!もうお前が思い出そうが思い出すまいがそんなことどうだっていいんだよ!俺ももうお前達のことなんざ記憶から消したいんだ!!」

その時だった。ゆらゆら揺れる影の後ろから無数の影が湧いてきたのだ。その影達はみるみるうちに増え、鈴の方へ向かってきている。

「鈴…お前も消えてくれ。俺の記憶から消えてくれ。もうこんなに辛いのはたくさんだ!」

「亮一…ごめんなさい…ごめんなさい…。何も思い出せなくて…私も辛いよ!」

「もう何を喚いても遅い!!」

影達は無限に増え続け鈴を取り囲もうとしている。

「お母さん!」

その時だった。鈴の後ろから声がした。鈴が後ろを振り返るとそこには沙羅と健がいた。

「沙羅!健君!来ちゃだめ!」

鈴はそういうがそんな言葉は聞かずに2人は鈴の元へと走ってきている。

「お母さん!!」

沙羅は鈴を見るなり泣きそうな表情になり、鈴の顔をずっと見ていた。

「来ちゃだめよ!逃げて!あなた達も消えちゃう!」

「鈴さん!何言ってるんですか!皆でこっから出ましょう!」

そして2人も鈴の元へとやってきた。

「お願いだから2人だけでも逃げて…。」

「お母さん!行こう!一緒にこっから出よう!」

「さあ!ついに揃ったな。お前ら全員揃ってこっちへ来い!」

再び亮一の声が聞こえ、目の前の影達もどんどん迫ってきている。

「亮一!この子たちは関係ないでしょう!もうやめて。消すなら私だけ消して!」

「そうはいかないんだよ…。そこの2人が重要なんだからさ。皆に消えてもらわないと精算できないんだよ。お前だけ消えたって意味がない。」

「鈴さん!行きましょう!」

「お母さん!」

2人が鈴の手を無理やり引いて後ろを振り返った時、鈴と健は落胆した。なんと後ろからも大量の影達がいつの間にか迫って来ていたのだ。更に周りを見回すとどんどん影達に取り囲まれていっている。もう逃げ場はほぼなかった。

「もう逃げられない。お前達も消えてしまえ。そうすれば俺のことだって分かるはずだ!」

「どうしよう…もう逃げられない…。」

この量の影では先ほどのように強行突破することは不可能に思えた。影に向かっていっても今度こそ影に引き込まれてしまう。何かいい方法はないかと健も考えていたが良い方法など思いつかなかった。影達はじりじりと健達に迫って来る。

「亮一!なんでこんなことするの?3人で仲良くやってたじゃない!なんで亮一だけが消えちゃったのよ。私達の記憶からも消えてしまって…亮一もここに連れて来られたの?」

鈴の言葉に亮一は更に怒りを露わにした。

「違う!俺は自らここへ来ることを望んだんだ。だから望み通りここに来られて悔いはないよ。」

「もしかして…亮一…。」

影達はもう数十メートルのところまで3人を取り囲んでいる。

「もうだめだ!」

健も絶望を感じていた。このまま影に飲み込まれて消えてしまうのか。しかし健にも覚悟でき始めていた。消えて言った6人のように影になってもいい。また影として皆と一緒になれればいいかもしれないと思ったのだ。

「駄目だよ!!絶対にこっから出るんだ!健もお母さんも!」

まるで健の心の仲を見透かしたように沙羅が叫んだ。

「絶対皆でこっから出て生きるんだから!」

「お前達の子も生意気な子に育ったもんだな!おとなしくここで諦めればいいんだよ。もう逃げられないんだからな。」

「そうはいくか!」

その時だった。新たにもう一人の声が聞こえた。

「亮一、悪いが俺の子供達と鈴を返してもらおうか。」

声の方を見ると隙間なく迫って来ていた影に隙間ができ、そこから隼人がやってきていたのだ。

「隼人。お前も来てくれたのか。」

そして全員が亮一の方を見た時だった。今まで真っ黒なゆらゆらと揺れているだけだった影が亮一の実体を持っていたのだ。しかしその姿は鈴や隼人のような年齢を重ねた姿ではなく、健や沙羅くらいの高校生のままの亮一だった。

「隼人!隼人!」

鈴は隼人を見るなり再び泣きそうな顔になっていた。

「父さん!」

健もなぜ父親がそこにいるのかは分からなかった。一体どうやってここへやって来たのだろうか。

「相変わらずだな!亮一。お前全然変わってないじゃないか。ウチの息子が世話になってるようだが、まさかこんなホラーなことになってるとは思わなかったぜ。」

隼人はこの状況に物怖じ一つ見せなかった。寧ろ亮一との再会を楽しんでいるようにも感じることができたのだ。亮一は隼人の登場にただただニヤニヤとしていた。

「隼人。どうしてここに?」

そう隼人に聞いてきたのは鈴だった。

「鈴か。お互い年食っちまったな。そうだよな。あの時以来だもんな。」

「隼人!今そんな呑気にしてる場合?」

「まさか隼人までここに来てくれるとはな。好都合だ。」

やはり隼人はにやにやとした表情のままだった。

「父さん。どうやってここに…。」

「思い出しちまったんだよ。俺の一番の相方のことをな。」

そう言いながら隼人は亮一のことを鋭い目つきで見ていた。

「一番の相方とは、光栄な言い方してくれるじゃねえか。」

「隼人…。」

鈴は2人の会話を心配そうに聞いていた。

「健のボールを見た時に俺達のお守りのことを思い出してな。それから亮一のことも全部思い出したよ。それから妙な胸騒ぎがして、もしかしてと思って急いで実家に帰ってきたんだ。俺の部屋に昔の制服が広げられてて、そこから俺達のお守りが無くなってることにすぐに気が付いたよ。そうしたら健は何故か鈴の家に行ってるって言うんで急いで鈴の家に行っても誰もいない。すぐに俺はあの場所のことが頭をよぎった。不思議と勝手に向かってしまうあの場所のことがな。俺はどうしてもあの場所へ行かなければならない気がしてあの場所へ行くとビンゴだ………。そうか…お前が消えてからもう22年つんだな。」

「22年……そうか、もうそんなに経つんだな。そして今になってようやく俺のことを思い出してくれたってわけか。それはありがたいことだな。で、結局は俺のことを嘲笑いにでも来たか…それともお前も消えたいとでも思ったのか。」

亮一は吐き捨てるように言った。健も沙羅もじっとその会話を聞いていた。

「お前を思い出した瞬間俺は複雑だったんだよ。俺だってお前のことを思い出さなきゃよかったって少しは思った。」

「ほう…認めるんだな?お前の中に、俺を憎む思いがあったことを。」

隼人は少し俯いてしばらく過去を思い出しているようだった。

「あの時だって一度は認めたろ。だからこそお前はあの日、あんなことを言ったんだ。亮一、あの日のこと、全部覚えてるか?」

「忘れるわけねえだろ。俺達にとって重要なことを話すのを諦めた俺は、あの場所でこう言ったんだ。隼人、俺と勝負しろ……ってな。」

健には亮一だけでなく3人が高校の頃の姿に戻っているように見えていた。もしかすると実際にその姿になっていたのかもしれない。そうすると隼人はやはり今の自分にそっくりに見えていた。だがその時健にはもう一つ違和感を覚えていた。その違和感とは何なのだろうか。健は沙羅の方を見た。沙羅も3人のことをじっと見つめていたが、健の方を向いて何か言いたそうな顔をしていたがお互いその何かが何なのかは分からなかった。とにかく感じる違和感というものに健も沙羅も疑問を感じていたに違いない。周りを見ると影達は5人を取り囲んでいるが先ほどのように寄って来てはいない。一定の距離を保ってゆらゆらとしているだけだった。というよりは3人が空間を作りそこには誰も入りこめないような雰囲気があった。

「勝負って…何よ一体!」

鈴には何も分かっていなかった。一体2人の間に何があったのか。なんのことを言っているのか理解できないでいた。

「勝負って…野球のこと?」

健は思い出していた。健は隼人になぜ野球をもうやらないのか聞いたことがあった。その時隼人は昔に誰かと勝負をした覚えがある、しかしその勝負が何だったのかその結果がどうだったのか全く思い出せず野球をすること自体が嫌になってしまったのだと言っていた。それは嫌ではなく本当は思い出せないことが怖かったのではないかと健は感じていた。

「健、そうだ。勝負とはこのことだったんだよ。俺は元々ピッチャーだったし、亮一はチーム一のスラッガーだった。」

「でもなんで勝負なんか!」

鈴は2人だけが知っているその勝負に対して不満を持っているようだった。なぜ2人だけがそんな勝負をしたのか、鈴に言えない勝負事とは一体何だったのか。

「それはお前を賭けたからだ。」

亮一が鈴をまっすぐに見て言った。

「え!?」

それを聞いた鈴は口を押さえて驚き、それ以上の言葉が出なかった。

「この馬鹿、俺と話す代わりに、鈴を賭けて勝負しろって言い出したんだ。」

隼人は亮一に対して呆れたように言う。その姿は高校時代の姿そのものだった。

「そんな…あ、あたしを?」

鈴はまだ驚きが隠せないでいるようだった。

「ああ、俺も隼人も…後戻りできなかったんだ。」

亮一はやはり鈴を見たまま言う。

「亮一。俺がここに来た理由が分かるか?俺には分かったよ。」

隼人は急に真剣な顔つきになってそう言った。

「息子を追ってきたんだろ?それとも行方不明になった俺がそんなに懐かしかったのかよ。」

亮一は今度は隼人を睨みながら言う。

「どっちもそうだが、それだけじゃない。お前、あれから二十二年、ずっとここにいたんだな。」

「時間の感覚はまるでないけどな。ここを出たことは一度もない。」

「そうか。お前に会ったら、どうしても言いたいことがあったんだ。」

隼人はそう言って目を閉じると心を落ち着かせているようだった。その言いたいことを言い出すには少し気持ちの整理が必要らしい。

「謝罪なら受け付けねえぞ。もう俺達の関係は壊れたんだ。今更お前が何を言っても受け入れるつもりはない。」

隼人はそれを聞いているのかいないのか黙って自分と格闘していた。一体何を言い出すのだろうか。その場にいる全員が隼人の次の言葉を待って沈黙していた。

「なんだよ?」

隼人が声をかけると決心したように目を開き、亮一のことをまっすぐに見て深呼吸をする。

「亮一。もう一度俺と勝負しろ。」

「………は?」

その言葉にそこにいる全員が唖然とした。一体隼人はこの状況でなにを言っているのだろう。亮一でさえもその予想外の言葉を理解するのに少し時間がかかっていたようだった。

「ここまでこじれちまったんだ。お互い謝って水に流すってわけにはいかないだろ?俺が勝ったら俺達をここから出してくれ。お前が勝ったら、俺達を煮るなり焼くなり好きにしろ。」

「ちょっと隼人、勝負って……。」

鈴もこの状況にまだ頭の整理が付かずにいた。

「悪いな、鈴、健、沙羅ちゃん。お前達を勝手に巻き込んで。でもそれだけ命をかけてこいつと勝負しなきゃならないんだ。でなければここから出ても一生俺達は心に闇を抱えたままになる。まあ、出られるかどうかも分からないけど。」

3人は何も言えなかった。もちろん隼人が勝手に自分達を景品のように賭けたことは咎めないし構わなかったが、この流れ自体にまだ付いていっていなかった。

「か、勝手なこと言ってんじゃねえ。なんで俺がそんなこと…。」

亮一も未だなお戸惑っているようだった。

「あの時お前の勝負は受けてやったんだ。まさか断らないよな?」

隼人だけは冷静になっていた。そこから見えるのは恐らく根拠のない自信なのかもしれない。

「何を考えてるんだ?何の意味があってこんなことを!」

亮一は隼人を睨んだままそう言う。

「理由は、あの時と同じだ。俺達二人のことに決着をつける。それで十分だろ?」

そして沈黙が流れた。

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