第8貸 冒険者の買い物

 塔の探索を始めて3日目。

 昨日の時点でラースがソロで到達していた6階層まであっさりと行く事が出来た為、今日からはまだ足を踏み入れていない7階層へと向かう事になっていた。


「おはようございます、ラースさん」

「おはよう、セフィーさん」


 昨日一昨日と同じように冒険者支援協会併設の食堂“大地の根”で2人は落ち合う。

 セフィーがこの食堂の名前を知ったのは、つい昨日の夜の事だ。

 それまでは様々な事が一気に押し寄せて来ていて、心に余裕が無かったのだが、サクサクと6階層まで踏破出来た事で心に余裕が生まれ、ようやく周囲に注意を向ける事が出来るようになったのだった。

 今思い返せば、最初の時に看板娘のミリィに食堂の名前を言われたような気もするが、あの時は放心状態で何も耳に入らなかった状態だったのだから、大目に見て欲しい所である。

 ちなみにウエイトレスであるミリィの名前も昨日知ったばかりだったりするが、流石に本人には言えない。

 そしてこの食堂の店主兼料理長は“マスター”とか“おやっさん”と呼ばれているだけで名前は不明だ。

 本人も寡黙で厳つい顔つきの為、聞こうという勇気のある者も居ないし、懇意にしているラースでさえ知らないという。

 巷ではセブンスヘブンの七不思議の1つと言われているとかいないとか。

 気にはなるが、知らなくても生きていけるし、本人もマスターやおやっさんと呼ばれても嫌な顔をしないのでセフィーは追及しない事にしている。


「あ、ミリィさん。私に青スラジュースを下さい」

「は~い。かしこまりました~♪」


 ラースは丁度朝食を終えたばかりで、まだ食後のお茶を飲んでいないようだったので、セフィーは一緒に飲む為に注文する。

 青スラジュースとは、6階層に出るブルースライムというゼリー状のモンスターを熱して溶かし液状化させたものといくつかの香草を混ぜた青い飲み物だ。

 液状化した後は何故か冷やしてもゼリー状に戻る事が無い不思議な液体で、味は柑橘系の果物を砂糖漬けにしたような甘いのだけど酸味を感じ、且つ清涼感のある、これまた不思議な味をしている。

 セフィーはラースの向かい側に座り、飲み物が来るまでの間に今日の方針を話し合う。

 特に今日からは未だラースが足を踏み入れていない7階層に進む予定であるから、綿密に打ち合わせや準備はした方が良いだろう。

 とはいえ、既に7階層以降へ進んでいる他の冒険者が居るので、出てくるモンスターや地図などの情報は十分に揃っている。

 にも関わらず、ラースは7階層には足を踏み入れていない。

 その理由は適正レベルが4人パーティーで平均レベル8だという事もあったが、それ以上に、出てくるモンスターに理由があった。


「確か、7階層に出てくるモンスターって、リザードタートルとメタルウルフだよね。ものの見事に戦士系とは相性の悪い防御系モンスターが揃ったわね」

「1度だけ6階層に降りて来たリザードタートルと戦ったんだけど、攻撃がことごとく甲羅に跳ね返されて、まるでダメージを与えてる気がしなかったんだ。幸い、動きが鈍かったから逃げても追い掛けては来れなかったけどね」


 ラースが逃げる事に専念したら、例え動きが鈍くなくても殆ど追い付けないだろうと思いつつも、セフィーは予習していた2体のモンスターの特徴を思い出す。

 リザードタートルは亀の甲羅を背負った大蜥蜴、メタルウルフは毛が鉄のように硬く、鉄色を帯びた大型の狼だ。

 硬い甲羅と硬い体毛という、どちらも防御力に特化したモンスターだが、その代わりに動きが遅い。

 初めて遭遇した時点でのラースのレベルがいくつだったのかはセフィーは知らないが、ラースのような攻撃力は低めだが速さを生かして手数で勝負を仕掛ける戦法とは、相性が悪かったのだろう。

 そんな理由でラースは自身の攻撃が通用するレベルまで上がるか、共に戦える仲間を得るまでは7階層へ進まない事にしていたのだ。

 足止めされた格好にはなるが、強行して命を危険に晒すよりは安全策を取る方を選ぶのが冒険者の心得だ。

 冒険者の勇気は難題や強敵に立ち向かう事では無い。そんなものは勇敢を履き違えたただの無謀でしかない。

 その難題や強敵を回避する、あるいは立ち向かっても問題無いくらいになるまで我慢する事こそが真の勇気なのだ。

 今回、7階層に挑む事を決めたのは、セフィーの回復魔法があれば、長期戦になっても体力と傷を回復可能であれば十分に戦えると踏んでの事だった。

 単純に手数が増えた事も戦闘を有利に運べる要因の1つになる。

 本当なら攻撃魔法の使える魔導師が欲しい所だったが、無い袖を振る事は出来ない。


「一応、塔に入る前にちゃんと準備を整えたいから、今日の探索は昼からにして、午前中は準備にあてたいんだけど良いかな?」

「あ、そういう事なら私も買い物したいですし、神殿にも顔を出したかったので丁度良かったです」


 昨日一昨日の探索で調子に乗って狩りまくっていたので、かなりのポイントが溜まっていた。

 オークの肉を始めとした食材を大量に買い取って貰えたのも大きい。

 セフィーは未だ相場が良く分かっていないが、魔道書がどのくらいのポイントが必要なのかくらいは確認しておきたかったし、もし可能なら買いたいとも思っている。

 せめてエンチャント系魔法をいくつか習得出来れば、戦力の底上げが可能となるからだ。

 それと試しに大剣を見に行ってみようとも思っていた。

 セフィーが身に付けた剣技がユリイース由来ならば、ショートソードよりも有効に扱えるかもしれないからだ。

 更に言うと、レンタルの魔法の事でシンプティに相談したい事もあったので、色々な面で丁度良かったとも言える。


「神殿か。僕もそれなりに経験値が溜まってきたし、久しぶりに行ってみようかな」


 そんなわけで食後の一服を済ませた2人は、まずは場所的に最も近い神殿へと向かった。

 神殿は朝にも関わらず、相変わらず人が多かった。

 冒険者よりも礼拝者の方が多いのも、以前と同じ、いや以前よりも多い気がする。

 多分、朝早くからミサやら何やらをしているのだろう。

 地下世界とはいえここに住んでいる人達には地上と同じく生活があり、仕事もある。

 礼拝はそれなりに長い時間を要するので仕事中は当然だが、仕事の合間にもそう簡単に行く事は出来ない。

 仕事前の朝早くか仕事を終えた夜以降にしか行く時間が取れないというのが普通だ。

 それに信仰を持たない冒険者の場合は探索を終えてから神殿に来る事の方が多いので、そういう理由で朝の時間帯は冒険者よりも礼拝者が多いのだろう。


「そういえばセフィーさんって数日前にも神殿に行ってるよね?レベルアップ確認するにはまだ早いんじゃない?」

「レベルアップじゃなくて、個人的にシンプティさんに用があるんです」

「あ、そういえば彼ってレベルアップ作業の合間に、迷える子羊をなんたらかんたらって神父紛いに相談事も聞いているんだったっけ」


 レベルアップの間に向かう道中、そんな会話をするが、セフィーはラースの言葉に違和感を覚える。

 懺悔や人生相談を受け付けているのが初耳だったからではない。

 セフィーの耳に彼とか神父という言葉が聞こえたのは気のせいだっただろうか。

 確かに犬頭族は性別は判別しにくいが、巫女服を着ていたし、じっくりと見た訳ではないが胸元も膨らんでいたような気がする。


「えっと、それってシンプティさんの事で良いんですよね?」

「そんな名前の人はこの街じゃ彼1人しか居ないよ?」


 やはりラースはシンプティの事を“彼”と言った。

 今度はしっかり聞いていたので間違いは無い。言い違いでも聞き違いでも無い。


「え、え~っと、シンプティさんって巫女服着てたし、胸も膨らんでた気がしたので、ずっと女性だと思ってたんですけど……」


 セフィーがそこまで言った所で、ラースもようやく彼女が怪訝そうな顔をしている理由に気付いたようだ。


「ああ!そういうことか。えっとどう言えばいいのかな……シンプティさんって確かに男性なんだけど、女性の格好をしてるんだよ。ま、まぁ、本人は心が女だからこれが普通の格好なんだとか言ってるみたいだけど……ま、まぁ、そういう趣味の持ち主ってことさ。僕にはちょっと分からない世界ではあるけれどね……」

「そ、そうなんですか……」


 セフィーもそういう特殊な趣味というか特殊な感情を持つ人が居るという事は話には聞いていたが、実際に会ったのは初めてだった。

 こんな事を知ってしまったら、シンプティを見る目が若干変わるかもしれないとも思ったが、元々シンプティの容姿も言葉遣いも男女どちらとも取れるものなので、最初と変わらずに普通に接する事が出来るような気もする。多分。

 そんな真実を知らされている内に2人はレベルアップの間まで到着する。

 流石にこんな朝早くから、ここに来る冒険者は居ないようで、全てと扉の前に使用可能という札が掛かっている。

 というか逆にレベルアップの担当者がいつ誰が来ても大丈夫なように体制が整っている方が驚きだった。

 扉をよく見ると最初に来た時には気付かなかったが、札の下にはちゃんとレベルアップを対応してくれる担当者の名前が書かれてあった。

 これならば一目でシンプティがどの部屋に居るかどうかが分かる。

 シンプティの名前は先日同様左から2番目の扉にあった。

 他の部屋の担当者を確認した訳じゃないので、正確な所は分からないが、もしかすると各部屋と担当者は固定なのかもしれない。


「それじゃあ、僕も行ってくるから、もし先に終わったら神殿の前で待ってて」

「はい、分かりました」


 セフィーは頷き、シンプティのいる部屋へと入って行く。


「おや?確か、君はセフィーくんだったよね。もうレベルアップしそうなのかな?」

「あ、いえ、今日はちょっと例の限定魔法の事で相談がありまして……」


 シンプティは今日は部屋の中央にある机に座って、おにぎりを片手にお茶を啜りながら、机の上に広げた難しそうな本を読んでいたのだが、セフィーが扉を開けた音で気が付いたのか、先に声を掛けてくる。

 相変わらずの巫女服姿でその胸元はやはり膨らんでいる。

 パットか何かで詰め物をしているのだろう。

 今しがたラースからシンプティが男性だと教えられていなければ絶対に気付けず、ずっと女性だと思い続けていただろう。

 とはいえ人の趣味に口を出す気も無いし、わざわざ指摘するような事でも無い。

 何故女装しているのか少し気になる所ではあるが、そんな事は顔にも出さず、冷静を装って自分の相談事を話し始める。


「レンタルの魔法の事なんですけど、色々と試してみたいんです。シンプティさんには口外するなと止められましたが、折角の魔法ですし、やっぱり使ってみたいんですよ」


 攻撃魔法ならモンスターを相手に使用して試す事が出来るし、普通の回復魔法や付与魔法なら自分自身を対象に出来るので、自分1人でも効果や特性を知る事が出来る。

 だがレンタルの魔法は使う相手が居てこそ、初めてその効果を発揮する。

 どんなに強力で凄い魔法でも、誰か協力者が居なければ無価値だし無用の長物と成り下がってしまうのがこの魔法だ。

 その上、他の一般的に知られている魔法と異なり、同じ魔法を習得している者が居ない為、どのような効果があるかは全くと言っていい程分かっていない。

 自分のレベルを他者に貸し与えて、その利子として経験値の一部を得る事が出来るという概要は、冒険者カードの魔法の説明文で分かったが、ユリイースのものらしき熟練の剣技を手に入れた事についてはセフィーの予想でしか無く、本当にレンタルの魔法の効果なのかは分かっていない。

 冒険者カードの所有技能に《後天:戦士の素質》が新たに追加されてはいるが、それがセフィー自身の魔法戦士としてのレベルが上がった事で後天的に追加された技能なのか、ユリイースの経験値の一部を得たから追加された技能なのかは分かっていないのだ。

 後で大剣の扱いを試してはみる予定だが、それで確証が得られるかどうかも分からない。

 レンタルの魔法を理解し効果的に使う為にも、この魔法を使用しても悪用しようと考えず、秘密を守ってくれる信頼出来る協力者が必要だった。


「そうは言っても冒険者でもない私にレベルを貸した所で大した経験が得られるわけでもないし、私もレベルが上がった所で冒険者になれる訳でも無いし、かと言って何か特別変わるような事も無いし……」

「あ、いえ、シンプティさんに試すという訳では無くて、このレベルアップの間に居れば、この街にいる色んな冒険者と知り合っていますよね?出来れば口が固くて信用出来そうな人を知っていれば、教えて欲しいと思ったんですけど」


 アンダガイナスに落とされてまだ数日で冒険者の知り合いが未だラースしか居ないセフィーよりもシンプティの方が顔も広く、多くの冒険者の事を知っているのは当然だ。

 懺悔や悩み相談にも乗っているならば、人の内面を見抜く能力にも長けているだろうし、人の善し悪しも知っているだろう。

 それに、こんな相談は今現在レンタルの魔法の事を知っている唯一の人物であるシンプティにしか出来ない事だった。


「う~ん、そうだなぁ~」


 シンプティは口元に手を当てて記憶を探る。


「ゴローの奴は何も考えてない脳筋だけど口が軽いから駄目……ガイくんは怪我をしてこの間、引退しちゃったから駄目……ミンティくんは…あ、イケメン以外には心を開かないから駄目だな。後、考えられるのはエリアンスくんかラースくんぐらいかな」

「えっ?今、最後になんて言いましたか?」

「エリアンスくんかい?」

「いえ、その後です」

「ラースくん?」

「はい。そうです!もしかしてその人って、鳥人族の剣刀士でずっとソロで探索してて、いっつも大地の根で食事をしてて、人の良さそうな笑顔の人ですか?」

「えっと、いつも大地の根で食事をしているかは流石に私は知らないけど、それ以外は一致しているから、多分、同一人物だと思うけど」


 まさかシンプティの口からラースの名が出るとは思っていなかったので驚いてしまう。

 まだ会って数日だが、冒険者としての実力もあるし、誠実で実直、裏表のない性格だという事は何となく分かって来ていた。

 もしシンプティと相談して、信頼出来そうな人が見つからなかったら、同じパーティに居るという事もあり、彼に協力を要請しようと考えていた所でもあった。


「彼の事を知っているのかい?」

「はい。知ってるも何も、一昨日からパーティーを組んで、一緒に塔の探索をしている所ですから」

「そうかそうか。遂にラースくんもパーティーを組む事が出来たんだね。良かった良かった。でもセフィーくん。いくら同じパーティーだからって横取りはしちゃいけないよ。あの子に先に目を付けたのは私なんだからねっ!」


 嬉しそうな笑顔を見せた後、急に真顔でそんな事を言われてもセフィーとしては苦笑いを浮かべるしかない。

 シンプティの性別を知らないままなら素直に応援出来ただろうが、今となっては複雑な心境だった。

 確かに誰かを好きになるのは自由だ。

 ましてやシンプティは心は女性だと主張しているらしいので、女性ならば男性を好きになってもおかしくない。

 シンプティの気持ちはそこまでなら一応はセフィーも理解出来るし、否定するつもりも無い。

 ラースは容姿も良いし、言葉遣いや行動1つをとっても優しく紳士的で、好感が持てる好青年だ。

 大地の根のミリィからそれと無く聞いた所によると、街の女性達からもかなり人気があるようで、もし街の中で一緒に行動するなら嫉妬ややっかみに気を付けた方が良いとアドバイスをされた程だ。

 だから彼を好きになるのも頷ける。

 セフィーとしては今の所ラースには冒険者仲間以上の感情は抱いていないので、自分に実害が無ければ、どうぞご自由にという気持ちが強い。

 ただラースの立場になって考えてみると、例え心が女性といえども、実際は男性と男性である。

 ここへ来るまでのラースとのやりとりを考えるまでも無く、健全な男性ならばシンプティの想いに応える事は無いだろう。

 それを思うと不憫に思えて仕方が無いという気持ちにはなってしまう。

 だが、だからといってセフィーに何か出来る訳ではないし、口を出すような問題でも無い。

 出来る事はただ生暖かく見守るだけ。

 というか不干渉を決め込んでおかないと、とばっちりを受けてしまいかねない。


「え、えっと、シンプティさんからの信頼もあるようですし、レンタルの魔法の事はラースさんに話をしても構いませんよね?」


 とりあえずその話題にはあまり触れないようにしながら、本題の結論を尋ねる。


「まぁ、ラースくんなら問題は起きないだろうし、何よりセフィーくんが話しても良いと思った相手だったら良いんじゃないかな?」


 セフィー自身、人を見る目があるかと言われれば首を傾げる所である。

 これまで誰かに騙されたり、トラウマになるような心の傷を受けた事は無いので、全く見る目が無いという訳ではないだろうが、それでも自分の決断には自身が持てなかった。

 しかしシンプティのお墨付きを貰ったので、決心は固まる。

 いや、ただ単に自身の決断に対して誰かに背中を押して貰いたかっただけなのかもしれない。

 けれどこれでレンタルの魔法の検証も行えるようになるし、いざとなったら、他力本願になってしまうが、ラースに全レベルを貸し与え、自分を抱えて逃げに徹して切り抜けるという事も出来るようになるだろう。


「今日は相談に乗って頂いてありがとうございました」

「うん。暇な時は悩み相談も受け付けてるから気軽に顔を見せに来ていいからね。それと今度来る時は出来ればラースくんも一緒に連れてくると良い。というか連れて来て」

「えっ、あはははは。そ、そうですね。ラースさんの都合が合えば……」


 最後のは希望というより切望に近かった。

 今、隣の部屋に居る事を教えたら、とんでもない事になりそうなので黙っておく事にする。

 それが2人の、いや、全員の為になると信じて。


「よし、約束だからね!」


 最後に念を押されてしまうが、それに対してはやはり乾いた笑みを浮かべて適当な言葉で濁しつつ、その場から逃げるように退散するしか出来ないのであった。




*  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *




 精神的に疲れを感じだ神殿を後にしたセフィーがラースと合流して次に向かったのは武具屋だった。

 方向音痴という訳ではないが、不慣れな街で場所が良く分からなかったので、ラースに案内して貰ったという方が正しい。

 というかわざとらしく周囲に聞こえるように、


「ラースさん、すみません。わざわざ武具屋まで案内して貰って!」


 などと言いながら歩いていたのだ。

 その理由としては、周囲から何処となく冷たい突き刺すような無数の視線にセフィーが晒されていたからだ。

 冒険者支援協会や塔の周囲では冒険者の方が多い為か、そういう視線はあまり感じなかった。というよりセフィーよりもラースの方に視線が集中していた。

 パーティーを組んだという話が流れていても、やはり色んな意味で注目されていた人物なのだから、暫くは続くだろう。

 ラースへ向けられていたはずの視線がセフィーに変わったのは、神殿を離れて暫くしてからだった。

 ミリィから話を聞かされていなければ、意味も分からず不快な気分になっていたかもしれない。

 この視線の正体は恐らくラースの隣を歩くセフィーに対する嫉妬や僻みの視線なのだろう。

 塔から離れるにつれて一般人が増えたのが、この不快な視線を感じるようになった要因の1つだ。

 意識して周囲の声を拾うと「なんなのあの女は!」とか「モンスターに殺されちゃえ」とか聞こえてしまったので、自分はただ案内して貰っているだけで彼とは別に何でもないですよ、と喧伝して歩いているのだ。

 ラースが紳士的で優しいというのは周知の事実なので、セフィー本人がそう言う事で、彼が親切心で案内しているだけと理解して貰える上に、変な誤解を招くような事も無くなる。

 その甲斐があってか暫くすると視線は感じるものの刺すような視線は大分減っていた。

 おかげでシンプティから始まった精神的疲労はピークを迎えようとしていた。

 減っただけで完全に視線が無くならないのは、ラースの隣を歩いているというだけで僻んでいる人が居る為だろうが、もうそこまで気を回す余裕は無い。


「ラースさん、とりあえず武具屋まで案内していただいたら、お昼まで別行動で良いですよね?」

「ん?どうして?どうせ行く所は似たり寄ったりなんだし、最後まで付き合うよ」


 例え冒険者といえど女性の買い物は長い。

 その事を念頭に置きつつも最後まで付き合うと言ってくれるのは、ラースの優しさだろう。

 普段ならばそんな優しい言葉と共に笑顔を浮かべられたら、コロッと靡いてしまいそうな所だ。

 けれど今の状況ではその優しさは苦痛でしかない。

 というかこれ以上一緒に行動したら、周囲に気を遣い過ぎた心労で胃がキリキリと痛み出すか爆発するかのどちらかに違いない。


「えっと、その、そ、そうだ。ほら、女性専用のアレやコレも見てみたいから、男の人が側にいるっていうのは……」

「え?あっ!そ、そうか、そうだよね!ゴ、ゴメン、気が利かなくて。じゃ、武具屋はあそこだから、また後で大地の根で!」


 咄嗟に思い付いた事を口に出したのだが、効果は大ありだったようで、ラースは武具屋を指し示した後、顔を真っ赤にして別の店に飛び込んでしまった。

 悪い事をしてしまったかなと思いつつも、あながち嘘とも言えない。

 セフィーが今身に付けているレザーアーマーも女性の胸の事を考えて作られた形になっている。

 男性用のものは胸元は僅かに湾曲しているだけでほぼ平らだが、女性用のものは胸の膨らみに合わせて湾曲しているし、サイズ毎に各種取り揃えられている。

 ちなみにセフィーは1サイズ大きめにして隙間にはパットを入れたりして少しばかり見栄を張っていたりする。

 セブンスヘブンに存在するかは分からないが、地上では女性用防具屋が存在し、男性が装備する武骨で頑丈で機能性を重視する防具とは異なり、頑丈な作りだけどもファッション性に優れていたり、可愛らしさを重視した防具というものが売られているのだ。

 防具としての機能はちゃんとあるので、値段は男性用の数割増しがざらだが、女性冒険者には人気がある。

 今日はそういった装備を買う予定は無いのだが、どれくらいのポイントで購入出来るかくらいは確認しておきたい所だったし、流石にそういった装備を恋人でも無い男性の前で見て回るというのは、女性用下着売り場に男性を連れて行くのと同じようなもので、お互い気恥ずかしく、気まずい事になるに違いない。

 そう考えれば少しは罪悪感も薄れる。

 ラースが離れていった事で自身に向けられる視線が少なくなった事に少しだけほっとしてから、セフィーは武具屋へと向かう。

 ラースは武具屋と説明していたが、それは武器と防具を同時に扱っているという意味では無かった。

 長屋の様に3軒が繋がっていて、武器屋を中心に左右に防具屋が隣接していた。

 防具屋が2つも存在するのは男性用と女性用で別れているのだとすぐに理解出来る。

 一先ずは最初からの目的である武器屋へと向かう。


「へい、らっしゃい!!リダルマースの武器屋へようこそ!!」


 髭面で頭の毛が薄いダルマの様な店主が元気良く、入店したセフィーに挨拶をする。


「すみません。こちらって武器の試し斬りとかって出来ますか?」


 さっそく店主へ尋ねる。

 大剣を買ってみたけど使いこなせませんでした、では買う意味が無い。

 その為には買う前に扱えるかどうかを確認するのが一番良い。


「おう!うちの裏手にゃ、ちょっとした広場があるからそこで試すと良い。2ポイント払えば藁人形も用意するぜ!!」

「あ、それじゃあ、それもお願いします」


 藁人形といっても呪いに使うとかそういう類のものではない。

 名前通り藁で作られた等身大の人形だ。

 木と異なり柔らかい為、斬り抜けなくても商品である武器が刃零れしないので試し斬りには丁度良いのだ。

 斬り裂かれてしまうので消耗品だが、2ポイントなら飲み物を2杯程我慢すれば良いだけなので安いと言えるだろう。


「お嬢ちゃんの獲物はなんだい?見た感じ魔導師とも軽戦士とも取れるが、やっぱりダガーとかその辺か?」

「いえ、まずは大剣でお願いします」

「おいおい、冗談は程々にしろって。お嬢ちゃんみたいな細腕じゃ剣に振り回されるだけだぜ?」

「これでもそう思いますか?」


 確かにぱっと見は魔導師風の細腕の少女だ。大剣を振るう程の腕力があるようには見えない。

 だが、レベルアップによる筋力増強は外見からは分からない。

 理屈は分からないが、ステータスが上がっても見た目は殆ど変わらない。

 もしステータスの上昇に伴って筋肉がついたら、高レベル者は全員ムキムキのマッチョしか居なくなってしまう事になる。

 そうなっていないのだから、何かしら別の作用が働いているのだろう。

 だから店主がセフィーの姿を見て無理だと言うのは仕方が無い事だ。

 なのでセフィーは冒険者カードを提示する。


「うへっ!お嬢ちゃんってレベル9だったのか!?それなら大丈夫そうだな」


 セフィーのレベルを知ると素直に大剣を渡してくれる。

 それは刀身にいくつか継ぎ接ぎのあるやや武骨な感じの大剣だった。

 受け取った瞬間、ずしりとした重さを感じる。

 大きさや長さは地上での冒険者仲間だったマトラが持っていたものと同じくらいだ。

 たしかグレートソードという大剣の中では最も軽い部類の武器だったはずだ。

 だが今手にしている大剣はステータスの上がった今のセフィーでも重いと感じるので、恐らくは使っている素材に違いがあるのだろう。

 アンダガイナスには鉱脈が無く、金属は貴重品だ。

 店内には『金属製の武器防具高価買取』というチラシと共に買い取り価格が書かれてあり、そこに書かれていた数字が、売り物である武器よりも桁が多かった事からもその貴重さが分かる。

 そんな理由から武具の素材はモンスターから剥ぎ取った骨や皮等の素材で作られている事が殆どである。

 この大剣が継ぎ接ぎなのもモンスターの素材を何種類か使っているからだろう。

 セフィーは両腕に力を込めて大剣を構える。

 目の前に掲げてみるとその巨大さが良く分かる。刃の部分は幅だけでセフィーの腰くらいの太さがあり、長さも身長くらいある。

 大剣を構えるのは人生で初めてだが、妙に手に馴染む。

 馴染むが、ずっとショートソードを使って来たせいか、その重さにはあまり慣れない。

 試しに素振りをしてみるとぶぅんという鈍い風斬り音がする。

 やや重さに振り回される感じがするが、この重さを利用して攻撃するのだから、このくらいが丁度良いのだろう。

 現に客が居なくて暇なのかダルマ店主が様子を見物していて、「おお~」とか「ほほ~」とか感心したように唸っている。

 暫く剣の重さを確かめつつ、気合いを込めて中央に立たせておいた藁人形へ遠心力を利用して横薙ぎで振るう。

 手応えすら感じる事も無く藁人形は上下に分断された。


「ふぅ~。扱える事は扱えるけど、これは少し探索向けじゃないかな~」


 確かに威力は抜群だ。

 それに初めてとは思えない程、手に馴染み、使い方も身体で理解出来た。

 このように広い場所なら有効に活用出来るだろうし、大型のモンスターへのダメージも期待出来るだろう。

 だが塔は通路が基本だし天井もある。

 それなりの広さの通路とはいえ、大剣を振り回すにはほぼ中央にいなければ壁に剣がぶつかってしまうし、何よりこんなものを前で振り回していたら他の前衛が何も出来ない。

 ラースのように素早ければ回避しながら戦う事も可能だろうが、その場合、前と後ろの両方に気を配らなければならなくなり、精神的な疲労は計り知れないだろう。

 そして探索に不向きな理由としては、何より大きくて重い事だ。

 身長と同じ長さなので腰に差すことが出来ず、必然的に背負う事になる。

 背負うと今度はアイテム類を入れたり、モンスターから剥ぎ取った素材を入れるバックパックを背負えなくなってしまう。

 それに重いという事はその分だけ若干ではあるが、移動速度が遅くなるし、疲れやすくもなる。

 それら諸々の理由から塔の探索に大剣を使うメリットは殆ど無くなってしまった。


「え~っと、すみません。大剣じゃなくていいので、ブロードソードくらいでもう少し軽くて持ち運びしやすいものってありますか?」


 見物していたダルマ店主に大剣を返しつつ、別の武器を試させて貰う事にする。

 ブロードソードは大剣に比べれば大きくも重くも無いが、名前の通り刀身も幅広で、ショートソードに比べたら、かなり大きな剣だ。

 そのくらいならば大剣を扱う技術で応用が利きそうな気がする。


「おや?お気に召さなかったのかい?かなり使い慣れているように見えたんだが?」


 そのダルマ店主の言葉で確信する。

 一度も使ったことの無い大剣の使い方が身体に染み付いていたので、可能性は高いと思っていたが、やはりレンタルの魔法でユリイースの剣技が身に付いたのは間違いなさそうだった。

 そしてこの剣技がユリイース由来のものであるならば、使い慣れているのは当然だろう。

 なにせレベル40オーバーの使い手の剣技である。

 これでレンタルの魔法がレベルを貸した相手の技術まで手に入れてしまう魔法だということが確実になった。

 セフィーが後天的に身に付けた剣の素質がレベルアップのおかげなのかユリイースの経験のおかげなのかは未だ検証の必要はあるが、その結果と今後の使い方次第では、世界最強になれる可能性もある。

 そこまでいかなくても最強の冒険者にはなれるかもしれない。

 改めてレンタルの魔法の凄さと恐ろしさを実感するのであった。

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