第1章

彼と彼女の冒険譚

第6貸 地下世界生活のはじまり

 セフィーが神殿を出ると辺りは既に薄暗くなっていた。

 どうやら地下世界でも昼と夜はあるようだ。

 適当に明かりが灯った宿屋に入り、そこの店主である恰幅の良いオジサンにその事を尋ねてみる。


「すみません。私、ここに落ちてきたばかりで分からない事だらけなので教えて貰いたい事があるんですけど、お聞きしてもいいですか?」

「ああ、はいはい。私で分かる事でしたらなんなりと」

「ありがとうございます。えっと、ここって地下なんですよね?どうして外には光源があって明るかったり暗かったりするんでしょうか?」


 宿にはセフィー以外にはまだ他の客がおらず、店主は気前良くセフィーの疑問に答えてくれる。

 店主によると、この世界を囲んでいる岩壁には光苔が生えており、それが発光している為、明るいそうだ。

 地表、地下世界にとっては天井に当たるのだが、そこに日が昇ると光苔は一層の明かりを放ち、日が沈むと光量が抑えられる。

 その為、夜中でも完全に真っ暗になる事はないが、昼夜の判別はつきやすいという。


「教えていただきありがとうございます。それと今晩の宿泊もお願いしたいんですけど」

「はいはい。ありがとうございます。宿泊をご希望という事ですが、見ての通りここは私と妻の2人で切り盛りしている宿です。大変申し訳ありませんが、大きな宿屋と違いましてお夕飯はご用意出来ませんがよろしいでしょうか?」


 最初に目に付いた宿屋だったので、あまり気にせず入ったのだが、確かにこの宿屋は大きくは無かった。どちらかと言えば小さい部類だ。

 入り口から入ってすぐにカウンターがあり、その脇に階段が設置されている。

 恐らく2階が客間でカウンターの奥は彼らの自宅になっていると思われる。

 トマスの町で泊まっていた宿のように1階が食堂や酒場になっているような店では無かったので、夕食は用意出来ないという事なのだろう。

 その代わりに部屋は個室で、朝食ならば用意して部屋に運ぶくらいの事は出来るという事だった。

 宿泊料金も個室でありながら、他の宿なら大部屋の宿泊料金となる20ポイントより少し高めの22ポイント。

 個室の相場が30ポイント前後だというのだから、朝食付きでこれなら格安と言っても良いだろう。

 夕食は豪華な食事でもしなければ、食堂や酒場で5ポイント前後で食事が可能らしいので、やはり1日を過ごすには25~30ポイント前後が必要のようだ。

 セフィーは即決でこの宿に泊まることを決める。

 個室なのに相場より安いというのもあったが、一番の理由は純粋に宿泊施設しか無いという事だった。

 酒場兼宿屋のような所は同じ宿の中で食事が出来るので大変楽なのだが、防音がしっかりしていないと、部屋で寝ていても酒場の喧騒が煩くて眠れないような宿もあるのだ。

 だから安眠の為にはこういう宿の方が確実だった。

 冒険者を続ける事を決めたとはいえ、未だ探索には行っていない為、冒険者カードには冒険者支援協会から支給されたポイントしかまだ入っていない。

 元手が乏しい事もあり、セフィーは一先ず今夜の分の宿泊代だけ、冒険者カードに溜まっているポイントで先払いをして部屋を確保してから、夕食を食べる為に1度宿屋を出る。

 どこか食堂か酒場でも探そうと考えた時、ふとこの街に来て一番最初に親切にこの世界の事や街の事を教えてくれたラースの顔が思い浮かぶ。


(あ、冒険者を続けることにしたし、ラースさんには報告しておかないといけないよね。それに丁度、パーティーメンバーも集めてるみたいだったし、塔を探索して頂上を目指すにしてもやっぱり仲間は居た方が安全だし心強いもんね)


 ラースがいつも冒険者支援協会に併設されている食堂で食事をしているというのを思い出し、早速行ってみる事にする。

 どこにあるかもまだ分かっていない食堂や酒場をあても無く探すよりも、場所の分かる店の方が楽だと思ったのもある。

 もしそこでラースに会えたら、その場でパーティーを組む事を提案しても良いし、もし今日会えなかったとしても食堂の人に伝言を伝えておけば、明日の朝には伝わるはずだ。

 そんな事を考えているうちにあっと言う間に冒険者支援協会に辿り着く。

 冒険者支援協会の正面入口から入り、そのまま内側を通って隣の食堂へと向かう。

 時間帯のせいか、昼間に来た時よりも人で賑わっている。

 食堂内を見回せば、冒険者支援協会に併設されているだけあって、冒険者風の格好をした人が多い。

 身に付けている装備が薄汚れている者。食事が運ばれてくるまでの間に傷を治す者。酒を掲げて今日の成果を喜ぶ者。

 大抵は1つの大きなテーブルに5、6人が座っている事から、塔の探索を終えたパーティーメンバー全員で集まって食事をしているのかもしれない。

 そんな中、カウンター席に1人で座る背中から翼を生やした青年の姿が見えた。

 パーティーメンバーが居ないという事で1人静かに食事をしている姿は、周囲の喧騒からはやや浮いていて、その背中には哀愁すら感じる。

 何故かそこだけは誰も近寄らずラースの周囲は空席が目立つ。

 何か見えない負のオーラみたいなのを放っているかのようだ。

 しかしそんな事は気にせずセフィーは真っ直ぐにラースの元へと向かう。

 一瞬、周囲の冒険者の視線が彼女に集まるが、セフィーにはその視線の意味は分からない。


「こんばんは、ラースさん」

「ん?やぁ、セフィーさん。偶然…ってわけじゃないよね?僕の事を探しに来たのかな?」

「はい、朝と夜はここに顔を出すとさっき別れる前に聞きましたから。えっと、まず話をする前に……」


 セフィーがラースの背中に声を掛けると彼は隣の椅子を引いて座るように促す。

 その前にセフィーは手近に居た店員の女性に声を掛ける。

 人族の女性で、短い緑髪がとてもよく似合う快活そうな店員だ。

 丈の短いエプロンドレスの裾をフワフワとさせながらセフィーの元へやってくる。


「ここで食べるのは初めてなんだけど、何かおススメってあるかな?」

「はい。今日のおススメはこちらのラースさんが単独で今日大量に狩って来たシルバーギルの焼き魚定食です!」

「ええっ?ち、ちょっと待った!もしかしていつもそんな感じの触れ込みで売ってたの?!」


 店員の娘の言葉に過剰に反応したのはラースの方だった。


「はい!店長からの食材調達の依頼だったとはいえ、1人であれだけの量のシルバーギルを狩って来きたんですから、それくらい宣伝しなきゃ。それにほら、こう言っておけば、どこかのパーティーの目に留まるかもしれないじゃないですか」


 毎日来ているという事だし、話しぶりからよく依頼も受けているようなので、2人は顔馴染みなのだろう。

 パーティーメンバーが集まらずいつも1人で居るので、きっと気を利かせてくれていたのだろう。


「それじゃ、それを1つお願いします。けどラースさんって見掛けに寄らず結構強いんですね。確かシルバーギルって相性によってはレベル10でも手こずるモンスターだった気がしますけど」


 セフィーは一先ず注文をしてから、ラースに感心の目を向ける。

 シルバーギルはその名の通り銀色の身体で羽の生えた魚だ。

 生意気な事に魚のくせに水の中には棲んでおらず、羽があるというだけで空を飛んでいる。

 討伐適正レベルは8で体力も防御力も低いのだが、その分スピードが異常に速く、攻撃が当たりにくい上に必ず群れをなしている厄介なモンスターだ。

 大量がどれくらいの数なのかは分からないが、お勧めメニューの食材として扱われているくらいだから相当な数量を狩って来たのだろう。

 セフィーがラースと出会ったのは、太陽が無いので正確な時間は分からないが、昼過ぎくらいのはずである。

 流石にセフィーと別れてからの短い時間で狩りをするのは無理だろうから、朝から探索に出掛けていたと考えても約半日程度。

 そんな短時間でシルバーギルを大量に倒せるという事はラースはかなりの実力者だと予想される。

 店員の彼女の話が真実ならばの話だ。


「いやいや、単に相性が良いんだよ。まだレベル9で腕力も強くないけど、動体視力が良くて素早いから、シルバーギルみたいな速いけどダメージが通りやすいモンスターは得意なんだ。だけど結構前から時々自分を見つめる視線を感じるなぁとは思ってたけど、その原因ってまさかこの店で過大に宣伝されていたせいなのかなぁ……」


 ラースがここに落ちてきた当時はまだ6レベルで、周囲のパーティーも新しくメンバーを加える余裕が無かったり、ほぼ同時期に落ちてきたラースよりも高レベルの冒険者の方が注目されて、殆ど見向きもされなかったのだが、きっとこの店が彼の事を過大に、それもソロでも十分に探索出来ている事を宣伝したせいで、他の冒険者から注目され始めたのだろう。

 ただシルバーギルを100匹狩って来たとか、10体のモンスターを一瞬で葬ったとか、その動きは目にも止まらぬ速さだとか、店員が話す内容があまりに荒唐無稽過ぎて、実力があるのか計りかねていたのだ。

 もし全ての話が事実だとするならば、ソロでも相当な実力者である為、それなりのパーティーでなければラースに断られると思って低中レベルのパーティは二の足を踏み、もし話が店員の主観と希望の混じった過大評価ならば、高レベルのパーティーは足手纏いというハズレを引く羽目になる為、メンバーに誘う事を躊躇する。

 実際に何組かの高レベルパーティがラースの勧誘を行った事もあるが、レベルが1桁だと聞くと、苦笑いを浮かべながら「この話は無かった事にしてくれ」と言って立ち去って行く事が殆どであった。

 ラースの優男風な外見が実力者に見えないのも要因の1つではある。

 整った顔立ちの好青年なので、冒険者としての実力を測る視線以外に、別の意味の視線も多分に含まれているのだろう。

 そんなこんなでラースは色々と本人の望まぬままに衆目は集めるのだが、様々な要因により仲間に恵まれずにいたのだ。

 そのおかげでセフィーはラースと出会う事が出来たので幸運だと言えるかもしれないが、ラースにとっては傍迷惑な事だっただろう。

 それをなんとなく察したセフィーはラースが不憫に思えてしまったので、料理が運ばれてくる前に本題を切り出す。


「さっき別れた後に神殿に行って、私もレベルアップして丁度同じ9になったんですよ。それで冒険者を続ける事を決意したんですけど、1人ではやっぱり心細いので昼間のお誘いを受けようと思ってラースさんを探しに来たんです」

「え?まだ1日も経ってないけどそんな簡単に決めちゃっていいのかい?」

「はい!ラースさん!一緒に地上目指して頑張りましょう!!」


 セフィーは真正面から決意に満ちた瞳でラースを見つめる。

 その瞳に強い意志と覚悟が宿っているのは一目瞭然だった。

 一方のラースはといえば、先程ここで別れる直前まで、突然地下に落とされたショックで何も考えられない程に沈んでいた彼女が、まるで別人のように明るくなっている事に困惑する。

 ダメ元でパーティーに誘ったのだが、まさかこんなに早く、それも快諾されるとは思っていなかった。

 ラースでさえ冒険者を続けるかどうか決断を下すのに2日を要した。

 あの塔を踏破したという話は未だ聞いた事が無いし、いくら天井まで届いているからと言って、本当に地上に続いているかも分からない。

 その上、塔の上階に昇る程、モンスターは強くなりトラップなどの仕掛けも強力になっていく。

 発見されていない宝や貴重なモンスターの骨や肉などの素材を手に入れられる可能性はあるかもしれないが、命を賭けるには見返りがあまりにも薄過ぎる。

 それだけ塔の探索は険しく厳しいものなのだ。

 それでもなお塔の探索に向かう冒険者が居るのは、やはり地上へ戻りたいという気持ちが強い者が多いという事だろう。


「えっと、誘った僕がこんな事を言うのもなんだけど、塔はとても危険でいつ死んでもおかしくないんだよ?もっとじっくり考えた方がいいんじゃないかな?ほら、セフィーさんは女性だし、冒険者以外にもやれる事は沢山あると思うんだ」

「いえ、考える事なんて一切ありません!私は幼い頃から冒険者になって未知の世界を探索する事が夢だったんです!ようやく冒険者になり、そして目の前には未だ誰も頂上に到達していない未知の場所があるんですよ。簡単に夢を捨てるなんて、たとえ死んでも出来ません!!」


 セフィーの勢いに思わずたじろぐラース。

 だがその気持ちは痛い程理解出来た。

 ラースが冒険者を続けると決めた切欠も彼女とほとんど同じだったからだ。

 彼がアンダガイナスに落とされて来た時は1日中宿の中で蹲り、ずっと冒険者を続ける理由を考えていた。

 塔の頂上に何があるのかを見てみたい。

 そして地上にはまだ自分が行った事の無い場所、見た事の無い場所が数多く存在する。

 生きている限り、冒険者として世界のありとあらゆるところを冒険したい。

 幼い頃に冒険者を目指したのはそういう理由だった。

 生まれ育った狭い村で一生を過ごすより、外の世界を見てみたい。

 本で読んだ冒険譚のような未知の世界を冒険したい。

 絶望しなかったのはそういった冒険者になったばかりの頃に抱いていた夢や希望を思い出したからだ。

 そしてそれは命を掛けてでもやり遂げたいものであった。

 セフィーも同じ夢を抱いている。

 それが自分と全くと言っていい程同じなだけに、その強い想いは尊重すべきだし、否定など出来る訳が無い。

 否定してしまえばそれは自分自身をも否定する事に繋がるから。

 だからラースの答えは1つしか無かった。


「セフィーさんの気持ちは痛い程分かりました。その未知なる世界を冒険したいという夢は僕も同じです。それが冒険者なんですから。その夢を実現させるためにお互い頑張りましょう!」

「はい!!」


 同じ夢を持つ者同士。

 2人は同じ目的、同じ希望の為にパーティーを組んで共に塔に挑む事になる。

 こうしてセフィーはラースという新たな仲間を得る事となった。

 その後、運ばれて来たシルバーギルの焼き魚定食に舌鼓を打ちつつ、セフィーのアンダガイナス最初の長い長い1日は、ようやく終わりを迎えるのであった。




*  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *




 翌朝。

 セフィーは遠くから聞こえる鐘の音で気分良く目が覚める。

 朝といっても朝日が差し込む訳でも鳥の囀りが聞こえてくる訳でもない。

 薄暗かった世界が全体的に明るくなるだけだ。

 だがそれだけでも十分に朝だと感じられるのだから、人の対応力とは凄い物である。

 街では明るくなった時と暗くなった時、そしておおよそその中間頃の3回、居住区より更に郊外の四方と街のほぼ中央にある神殿に設置されてある鐘が鳴らされて、朝と昼と夜を告げる。鐘は魔法装置で動いているので、装置が壊れない限り鐘の音は正確に鳴り続ける。

 アンダガイナスでは地上のように太陽の傾き具合で時刻を確認する事が出来ない為に、このような方法を取っているのだった。


「よっし!今日からは新たな冒険の始まりっ!!」


 鐘の音と同時に目を覚ましたセフィーは朝から元気良く気合いを入れる。

 昨日は宿に戻る前に70ポイントくらい残っていたポイントの殆どを使って生活必需品と衣類を購入した。

 冒険中は我慢するとしても、こうしてちゃんと宿に泊まれる時くらいは服は洗濯したいし、それには着替えも必要になる。

 常に清潔な服を着ていたいと思うのは女性の最低限の嗜みである。

 それはともかくとして、買い物で最初に支給されたポイントを殆ど使い果たしてしまった為、今日からは依頼を受けたり、塔の探索でモンスターを狩って皮や骨肉といった素材を手に入れて売らなければ、今夜の宿代も支払えない状態なのだ。

 気合いを入れるのも当然の話である。

 最悪の場合は地上世界の貨幣である銅貨や銀貨、鉄製の剣というこの地下世界では貴重な金属製品を売る事で大量のポイントに交換できるが、冒険をする上で武器を売るというのは論外だし、貨幣を売るのも最後の手段と考えている。

 大怪我を負って長い期間に渡って探索出来なくなった場合とかの備えはあった方が良いし、ポイントはこのセブンスヘブンでしか利用出来ないので、地上に戻った場合には売った分が損をする可能性もあるからだ。

 五体満足で十分な状態の時は自身で塔に入った方が、塔の探索も進むし、経験値も得られるし、そして稼げるし、と一石三鳥だ。

 着替えを済ませ、身だしなみを整えていると部屋をノックする音が聞こえる。


「おはようございます、お客様。朝食の準備が整いましたが起きてらっしゃいますか?」

「はいは~い。おはよございま~す。起きてますよ~」


 清流のように透き通ったよく通る女性の声がドアの向こうから聞こえてくる。

 この宿は夕食は用意しないが、朝食は部屋まで運んで来てくれるいう事を思い出し、セフィーは返事をしながら急いで部屋のドアを開ける。

 そこには頭からピンと小さな猫耳が生えた猫人族の妙齢の女性が姿勢正しく立っていた。

 宿の主人は人族だったし、夫婦で経営していると言っていたので、この人が奥さんなのだろう。年齢的にも娘には見えないのでそう思って間違いは無いだろう。

 薄紫のゆったりとした質素な服だが、白い肌との相乗効果により貴婦人のような雰囲気を感じる。

 その顔には優しそうな笑みが浮かんでおり、正確な年齢は分からないが、かなりの美人だ。きっと若い頃は超が付く程の美人だったのだろうというのが窺える。

 落ち着いた佇まいや所作から、昔は本当に貴族か何かだったのかもしれない。

 胸元もボリュームがあり、セフィーとしてはちょっと、いやかなり羨ましい。


「うふふっ、若い方は元気で良いですね。では朝食はこちらになります。食べ終わりましたら、お部屋の中にそのまま置いておいて下さい。お掃除をする際にこちらで片付けますから」

「はい、分かりました」


 彼女の横には手押し式の配膳台があり、大きな鍋とバスケットに入れられたパンが置いてある。

 下の段には皿に小分けされたサラダがある。

 大きな鍋の中からポタージュスープを皿にすくい、パンとサラダと共にトレーに置き、セフィーへ差し出される。

 その仕草1つをとっても優雅でありながら、無駄の少ないテキパキした動きだった。


「ありがとうございます」


 セフィーが礼を言って受け取ると、猫耳婦人はより一層優しそうな笑みを浮かべて頭を下げた後、隣の部屋へと向かう。


(私もあんな奥さんになれたら良いなぁ)


 良妻賢母という言葉が頭に浮かび上がり、その後ろ姿を眺めながらセフィーは彼女に憧れを抱く。

 けれどずっと眺めていては失礼だと気付き、慌ててセフィーは部屋の中へ戻る。

 それに今はそんな遠い未来の事よりも、地上へ戻る為に冒険者として心も体も強くならなければいけないのだ。

 優しくて上品さを漂わせる奥さんを目指すのはその後だ。

 まぁ、それ以前に相手を見つける事が先であり、その上、セフィーの性格とはベクトルが異なるので、なれそうには思えないという客観的評価は棚上げされていたりするが、これは今後の本人次第ということにしておこう。

 何事も目標は高い方が努力しがいがあるというものだから。



 朝食を終えたセフィーは冒険者支援協会へとやって来た。

 一緒に塔を探索する事となったラースと合流する事が目的だが、冒険者支援協会から出されている依頼を受けるのも目的の1つだ。

 まずは先に隣の食堂の方へと向かう。

 そこには食後のお茶を飲んでゆっくりとしているラースの姿があった。


「ごめんなさい。待たせましたか?」

「いや、そんな事は無いよ。僕も丁度、朝食を食べ終わった所だからね」


 優しい男性は大抵、女性を気遣ってそう言うのが定番だ。

 その証拠にラースが手にしているお茶はもう残り僅かである。

 彼の事だからきっと、もっと遅くなったとしても同じ言葉を言うだろう。

 これは女性が支度に時間が掛かるという事をラースが十分に理解している証拠とも取れる。

 だがセフィーはそんな気遣いに感動しつつも明日からはもう少し早く来るようにしようと心に決める。

 

「もう食事の方は済んでるんだよね?」

「はい。大丈夫です。いつでも行けます!」

「それじゃあ、まず協会でセフィーさんの入塔証明書の発行と依頼を受領しに行こうか」


 依頼の受領については地上と同じなので良く知っている。冒険者ならば知っていて当然のものだ。

 というかセフィーは冒険者資格試験に合格した数日前に地上で説明を受けたばかりだ。

 冒険者に何かを頼みたい場合は必ず冒険者支援協会を通して依頼という形を取る必要がある。

 これは冒険者が自身のレベルや能力等に見合っていない分不相応な依頼を受けてトラブルになるのを防ぐためにある制度だ。

 例えば、レベル10の冒険者3人で倒せるようなモンスターの討伐依頼にレベル5の冒険者が3人で受けたとしても、幸運が重ならない限り討伐は難しい。それ所か逆に3人ともモンスターに返り討ちにあって死亡する可能性の方が高い。

 そうなれば貴重な人員を減らすことになり、依頼も失敗となるし、依頼主からの評判も落ちてしまう。

 下手をすれば、冒険者支援協会、ひいては冒険者全体の評判が落ちる事にも繋がってしまう。

 そういう事態を防ぐのが目的の制度だ。

 中には個人的に依頼する者もいるが、そういう依頼は大抵は公に出来ない裏のある依頼か、貴族が自身の体面の為に秘密裏に依頼するかのどちらかだ。

 冒険者支援協会を介するより報酬が高い事が殆どだが、真っ当な冒険者は本当に金に困っていない限り、裏のある依頼は受けない。

 場合によっては冒険者資格の剥奪やお尋ね者になる可能性もあり、依頼を達成してもかなりリスクが高いからだ。

 貴族からの依頼もコネを作りたいとか、借金を背負ったり人質を取られたりと逆らえない状態だとか以外では受ける事は殆ど無い。

 貴族の場合、最初は無難そうな依頼が多いのだが、そのうち無理難題を押し付けてくる事が殆どだった。

 断ったり依頼をこなせなかったりすると、最悪、反逆罪で死刑とか言われる始末であり、こちらにもそれなりのリスクがある。

 短時間で大金を稼ぐ必要が無ければ、冒険者支援協会の斡旋する依頼で十分、生活費は賄える。

 それにこの地下世界には地上と異なり貴族は居らず、恐らくは商人か高レベルの冒険者が一番の富豪である為、貴族が体面を繕うような個人的な依頼をされる事は無いだろう。

 またセブンスヘブンという狭い街しか存在しない為、もし裏のある依頼を受けたら、どこかしら必ず情報が漏れて、瞬く間に噂は広まり、冒険者支援協会の知る所となる。

 つまり冒険者支援協会の斡旋する依頼以外は受けるメリットが全くと言っていい程無い。

 それが分かっているのでセブンスヘブンでは個人的な依頼をする者は皆無なのだと、地上とは若干異なる部分をラースが説明してくれる。


「そっちについては理解しました。それで入塔証明書っていうのは一体何ですか?」

「これはその名の通り、塔に入る為に必要な証だよ。塔はモンスターがうろつく危険な場所だし、戦えない者が無暗に入れない様にするという意味合いが強いかな。誰が塔の探索をしているかの確認と管理をする為というのもあるらしい」


 セフィーは塔の入口前に門番が2人立っていた事を思い出す。

 あれは塔から出てくるかもしれないモンスターを監視する役目と共に、誤って塔へ入ってしまわないように監視する役目も担っていたのだ。

 地上であれば冒険者カードを所持していれば、それが冒険者としての証明書代わりになるのだが、セブンスヘブンではポイントという通貨を使用する必要性がある為、この街に住む成人以上の全員が冒険者カードを所持している。

 カードの有無だけでは冒険者かそうで無いかを区別する事が出来ないので、別の証明が必要なのだ。

 それが入塔証明書となる。


「流石に冒険者カードにはそんな機能はついてないから、こんな感じの紙切れでしか無いんだけどね」


 そう言うと、ラースは首に提げていたカードケースに入った自身の冒険者カードの裏側を見せる。

 そこには「入塔許可」という文字と冒険者支援協会の判が押されただけの簡素なカードが入っていた。

 正直、偽造しようと思えば簡単に出来そうな代物であるが、冒険者支援協会に行って塔に入りたいという意志を伝えれば貰えるらしいので、偽造する必要は全く無い。

 それにこの証明書は、危険と分かっていながらも塔へ入るという事を許可するだけのものであり、塔内部で瀕死で動けなくなったり、迷ったり、最悪死んでしまった場合でも、冒険者支援協会は責任を負わず、自己の責任であるという証明でもあるのだ。

 そんなものを偽造した所で得をするような人間はいないだろう。


「まぁ、冒険者って、どこで死ぬか分からないから元々自己責任なんだけどね。協会としては塔の探索者数を把握するための判断材料って所だと思うよ」

「そうなんですか。けど何となくですけど分かりました」


 セフィーはラースの説明に頷きつつ、手近な受付で入塔証明書を発行して貰う。

 その間にラースは掲示板に張られていた依頼の中から、適当な依頼を受領する。

 これで塔を探索する準備は整った。

 後は塔へ向かうだけだ。

 セフィーは初めての塔探索に気合いを入れると共に気を引き締めるのであった。

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