スペース・フリーターズ! ~天駆ける銀河の乙女たち~

あいはらまひろ

序 章 星の海の自由人《フリーターズ》


 星空を『星の海』と呼んだのは、どこの誰だったのだろう。

 宇宙という、その過酷な環境を考えれば、それはあまりに詩的な表現である。


 しかし。

 あるいは、それゆえに、だろうか。

 人類はそれを好意的に受け入れた。

 そして、宇宙を旅する乗り物を当然のように≪船≫と呼んだ。


 それから、はるか時は流れて……。

 人類は、2度目の宇宙大航海時代を迎えていた。


 それは1度目の、人類が未踏みとうの星系を開拓し、その版図はんとを拡げていた希望と拡散の時代とは異なる、混沌と再生の時代であった。


 銀河系における人類文明の中心であった太陽系中央星府セントラルが長い戦乱の末に滅び、独立を果たした植民星系が、苦しみながらもそれぞれの歴史を生きようとしていた時代である。


 この時代の主役となったのは、星系国家でも航宙軍でもなく、自由と冒険を心に秘めて旅立った、勇敢で無謀な若者たちだった。どこの組織にも所属せず、一隻せきの船で銀河をけた彼らを、人は自由航海者ランナーと呼んだ。


 これは、そんな自由航海者ランナーとなって、星の海に生きた少女たちの物語である。




 星の海を、1隻の航宙船こうちゅうせんが航行していた。

 船籍番号YRX-778。

 ラーブリア星系、惑星ユーリア船籍の快速輸送船≪ラリ・ホー号≫である。


 メタリックレッドとグレーのツートンカラーに塗装された船体が、恒星の光に鈍く輝く。鋭角なボート型をした船体、その両舷りょうげんにロケット型ブースターを搭載した速度重視の船である。


探査機プローブからのデータ消失ロスト! 拡張レーダー消失により、有効範囲レンジ84%へ縮小です!」

 艦橋ブリッジ左舷さげん側、航宙士席のクルミがはっと顔をあげて叫んだ。立体表示された球体レーダーが、一瞬のちらつきの後、ひとまわり小さく再描画びょうがされる。


「さらに、未確認目標アンノウンによるレーダー妨害を確認! 航行レーダーにレベル2の障害発生!」

 クルミの声に重なるようにして、艦橋ブリッジに鈍い警告音が鳴り響く。球体レーダーにも、通常ではあり得ない量のノイズがあらわれはじめていた。


「出力をあげて、再走査スキャンします!」

 ゴーグル型ディスプレイをはねあげ、クルミは船長席をふりかえって確認を求める。すると、空席になった操舵そうだ席を挟んで右舷うげん側、機関士席のマリコが異論を唱えた。


「あと1分待って! 今、機関エンジン出力あげるから!」

「そんなに待てませんわ!」

 2人の視線がぶつかりあい、そのまま艦橋後方にある船長席へ向けられる。


「レーダーは出力そのまま。全天走査フルスキャンを連続で、何か見つかるまで続けて。あと、ありったけのセンサーもフル稼働させて」

 船長席から、ラナが落ち着いた声で指示を出す。


「了解。各種センサーを増感。レーダーは出力そのまま。全天走査を連続で行います」

 クルミは復唱しながらディスプレイに向き直る。


「まろうど! 通信ポートを監視して。パターン通りなら、探査機プローブとの通信回線経由で、システムに侵入してくるかもしれない」

了解イエス


 ラナの指示に、船に搭載された人工知能AI≪まろうど≫が、抑揚よくようのない声で応答する。そしてクルミの左隣、空席になっている通信士席のディスプレイに、ウィンドウが次々と開いていく。


「マリコ、最大出力は?」

 ラナは船長席から身を乗り出し、機関士席のディスプレイをのぞきこんだ。

「現在58%、なお上昇中。荷物を積めるだけ積んでるから、めいっぱいで95%くらいかな」

「とにかく、最大まであげて」

「りょーかい」

 マリコは、だぶついた作業着の袖をまくりあげる。


全天走査フルスキャンに反応あり! 7時方向、仰角ぎょうかく+3度に1隻! 船体規模120、小型艦クラス。識別信号なし!」

 ノイズ混じったレーダーの外縁がいえんに光点が浮かびあがり、船籍・船名欄に【信号なし:所属不明】の文字が表示される。


所属不明船ボギーとの相対速度は-7%、目標から接近中。およそ21分39秒で、中距離ミドルレンジ交戦可能距離エンゲージです」


 正面ディスプレイに、簡略化された2隻の予想進路がアニメーションで表示される。ラリ・ホー号は、その最接近点の少し手前から、所属不明船ボギーの射撃管制レーダー内に入ってしまうことが示されていた。


所属不明船ボギーだなんて生易なまやさしい」

「では、呼称を宇宙海賊パイレーツにでも変更します?」

 口のはじをゆがめて笑うマリコに、クルミが冷たく言い返す。

「そんなのどっちでもいいよ。あれは敵、でしょ?」

 船長の指摘に、2人はそろってうなずく。


「まろうど! この周辺にある航路圏の方位と距離を表示して」

了解イエス

 船長席のディスプレイに新たなウィンドウが開いた。


 無数の航路標識ビーコンが作りだすレーダー網を、船乗りたちは航路圏と呼んでいる。そのレーダー網は航宙軍が常に監視し、異変があればすぐに警備艦隊が駆けつけるため、海賊といえども追いかけてはこれない安全圏であった。


 しかし、常に移動しつづける星々へ追いつくため、時には危険を覚悟で航路圏を外れることも多い。特に、後ろ盾のない自由航海者ランナーにとって、燃料代が報酬を超えるような航路を選ぶわけにはいかないのである。


 安全かつ経済的な航路の作成。

 それこそが成功のカギであり、コンピューターの計算能力を駆使してもなお難解な、宇宙を舞台にした壮大なパズルなのである。


所属不明船ボギー船種クラス判明。ナイトメア社製スリング級哨戒艇しょうかいてい照合しょうごう率92%」

 クルミが各席に観測結果とデータベースとの照合結果を転送する。


 スリング級哨戒艇しょうかいてい

 公式データによれば中距離2連装レーザー1門、汎用ミサイル発射管4基、対宙迎撃砲塔4基を標準装備。哨戒任務パトロールを目的とした、れっきとした軍用船であった。


「通常加速で、航路圏まで逃げられると思う?」

「こいつ相手なら、大丈夫。逃げ切れるよ」

 ラナの問いにマリコが答えた。

「相手は軍用ですわよ?」

 クルミの疑問にも、マリコは首をふった。


「こいつは、哨戒艇のくせに機動性より武装重視っていう変な船なんだ。武装すれば重くなるから、足も遅くなる。独立戦争末期に太陽系中央星府セントラルが採用したものの、使い道がなかったって話だ。建造は30年以上も前の老朽船だし、どうせまともな整備だってされてないだろうし、主砲の2連装レーザーだって、確か連射はできない仕様だったはずだから……」


 途中から陶酔とうすい気味に言葉を足していくマリコをそのままにして、ラナとクルミは自分の仕事へと戻る。気づいたマリコが不満げに口をとがらせた。


警告ワーニング。通信ポートに侵入検知。強度C。システムが自動対応中』

 鋭い警報音とともに、航宙士席のディスプレイに新しいウィンドウが割り込む。

「お約束通り、来ましたわね」

 クルミは素早く隣の通信士席に移ると、鋭い笑みを浮かべて、その指を華麗に踊らせはじめる。

「ボクらも、なめられたもんだな。強度Cなんて、宇宙港の公共ネットでさえ日常茶飯事だってのに」

 マリコも、自分の席から支援を開始する。


「えーと、本船は電波妨害およびシステムへの攻撃を受けました。救援を求めます、っと。航路圏外だから、いつ受け取ってくれるかわからないけど。……よし、救難信号の発信開始!」


 これが航路圏内であれば、航宙軍は星系ネットワーク経由で、ほぼリアルタイムに事態を把握し、救難要請にも即座に応えてくれる。しかし航路圏の外では、誰かが信号を受け取るまで、誰もここで何が起きているかわからないのだ。


「本当なら、一発ぶちかましてやりたいけど、反撃はなしだよ。救難信号も発信したし、とっとと逃げる!」

 ラナはそう宣言すると、船長席から前方中央の操舵席へと移動する。


「操船コントロール、セミオートへ移行。準備はいい?」

機関エンジン出力95%維持。加速準備、完了」

「航路再設定、入力完了です」

「よし。ラリ・ホー号、最大船速!」


 機関部から生み出されたエネルギーが、推進器へと注がれる。

 ラリ・ホー号はまばゆい航跡を描きながら、再加速を開始した。




「目標との相対速度、+3%を超えました」

 妨害の影響から離れて鮮明になったレーダー上で、2つの光点がゆっくりと離れていく。それを確認した3人は、安堵あんどの息を吐いた。


「ま、この船が本気だせばこんなもんだろ。逃げるが勝ちだ」

「でも、逃げるばっかりで、もう、ストレスたまるっ!」

 ラナは短く切った赤銅しゃくどう色の髪をかきむしる。


「本船は相対速度+5%で加速停止、慣性航行へ移行。クルミは、航路圏到達までレーダーとセンサーの出力をあげて厳重警戒。マリコは現在の機関エンジン出力を維持。まろうどは、所属不明船ボギーの情報をまとめてファイルして。圏内に入ったら、軍の公式チャンネルへ送るから」


 必要な指示を出すと、ラナは大きく息をはいて操舵スロットルから手を離した。頬を紅潮させて、その横顔はどこか少年めいて見える。


「まったく、気に入らないなあ。こっちの素性すじょうを知って、いいカモだと思ったんだよ、あいつら!」

 ラナは座席の肘かけを叩くと、腕を組んで航路図とレーダーを見つめる。


「まぁ、こっちは正直に信号出してるし、燃費重視で速度も抑えてたからな。駆け出し自由航海者ランナーの処女航海くらいに思ったんだろ」

「まったく、失礼なやからですわ」

「ほんとだよ。無駄な燃料を使わせやがって」

 逃げ切った安堵感からか、今になって怒りがこみあげてくるマリコとクルミである。


「あーあ、探査機プローブ1基ロストかー」

 ラナがなげきながら、操舵席から船長席へと戻る。

「残りは3基です。せめて、回収できたらいいんですけど」

「ま、どうせ撃ち落とされてるさ」とマリコ。


 危険の多い航路圏外では、探査機を運用して、レーダーの範囲を拡げておくのが一般的である。しかし今回のように、先に探査機が無力化されてしまっていては、何の意味もない。


「ああ、もう! できることなら、木っこっぱみじんにしてやりたいっ!」

 船長席から発せられる咆哮ほうこうに、マリコとクルミは視線を一瞬交わしあい、静かに聞き流す。代わりに、空気を読まないAIが生真面目に反応した。


『本船に搭載されたレーザーでは、軍用船の装甲に対する有効なダメージが期待できません』

「知ってるよ。言ってみただけ。全艦180度回頭、全砲門開けー!」

「そういうのはゲームでやって」

 こぶしをふりあげるラナに、マリコが小さくつぶやいた。


 ラリ・ホー号は、両舷前方にそれぞれレーザー砲を1門ずつ装備している。

 しかし、それは隕石やデブリなどの障害物を破壊するための自衛用火器であり、最大出力で使用しても、装甲してあれば表面ではじき返されてしまう程度の威力しかない。


 その代わり、軽量かつ剛性ごうせいの確保された船体と、その規模に不釣り合いなほど高出力な機関を持ち、『快速』の名にふさわしい加速性能を誇っている。さらに、燃費無視のブースターや高精度の姿勢制御装置スラスターを使えば、戦闘艇まがいの曲芸航行も可能であった。


 しかし、いくら可能だからといって、急な航路変更や予定にない加速をすれば、それだけ余分に燃料を消費し、秒単位で収益を削っていくことになる。特に、建築資材や工業製品といった重量級の品物を運ぶ場合、常に燃料代が報酬額を超える危険性があるのだった。


 減速するにも燃料が必要な宇宙において、燃料代と整備費の悩みは尽きない。さらに、かつて航宙軍少尉にして、戦闘艇のパイロットでもあったラナにとっては、反撃できないストレスも重く積み重なっていくのであった。


「それにしても、物騒になりましたわ」

 クルミがゴーグル型ディスプレイをはずし、乱れた長い金髪を整える。

「まったくだ。仕事範囲を惑星間に拡げた途端、この手の追っかけっこばっかりじゃないか。もう、いったい何度目だよ」

「7回目ですわ……」

「軍はなにやってるんだよ」

 言ってしまってから、マリコはあわててラナに視線を走らせる。特に気にする様子もなくラナは答えた。


「そりゃ、ピリピリしてるって話だよ。この30年、作戦行動なんてほとんどしてないけど、それでも、星系の平和を支えているのは自分たち航宙軍だー、っていう自負は強いからね」

 植民船団の護衛艦隊をルーツとする航宙軍は、辺境星系の中では比較的高い戦力と士気を有しているとされる。しかし、ラーブリア星系をめぐる独立戦争の停戦から、およそ30年。星系内で起きることといえば、遭難や事故による救難任務レスキューか、せいぜい民間船同士のささいなケンカくらいであった。


 軍の主力は航路局や警備局に移り、航宙軍が誇る防衛艦隊が活躍する機会はほとんどなかった。人々も、武装船で略奪を働く宇宙海賊なんて、子どものおとぎ話か、旅人の話す遠い星系での出来事だと思ってきた。


 ところが、この数年で状況は大きく変わった。

 途絶えていた星系間貿易が復活し、他の星系からの船が増えるにつれて、不審船の目撃例や追跡事件は増加。さらに帰港予定の船が戻らない事例や、戦闘が行われた形跡までが確認されるに至って、航宙軍は新たな外敵の存在を想定しはじめていた。


「でも、不思議ですわ。どうせ襲うなら、もっと高価なもの積んでいる船がいくらでもありますのに」

 クルミが不満げにつぶやく。

 船の積荷や目的地の概要は、航路局で公開されている。星系ネットに接続できれば、誰でも調べられることである。


「積荷より、船の方に目をつけたんじゃないか?」

「それはあるかもね」

 マリコの指摘にラナは同意して、コンパクトにまとめられた艦橋を見回す。


 航宙船は、多くの部品が共通規格化されたことでコストが下がり、超光速航行オーバードライヴできない小型中古船なら、個人でも入手可能になった。しかし、正規に船を購入できないような者たちにとっては、まともに動く船そのものが積荷以上に価値あるお宝である。


注意アテンション。優秀な航行支援AIの存在をお忘れです。売却すれば、この船と同型の船を2隻買ってもお釣りがきます』


 不意に、まろうどが割って入った。笑ったところで、まさかAIが機嫌を損ねるはずもないが、なぜか3人とも思わず笑いをこらえてしまう。

 奇妙な沈黙が艦橋を支配した。


 確かに経験豊富な人工知能AIには、船よりも高い値段がつくこともある。とはいえ、航行経験5年未満の人工知能では、少し高く見積もりすぎである。


「っていうか、お宝ならここにもいるだろ? 2人とも、ボクなんかよりずーっと危険なんだからな」

 沈黙に耐え切れず、マリコはわざと下品な冗談を口にした。

 その意味を理解したラナが苦い顔をする。


 噂によれば、海賊は水や空気を消費する人間を最も価値が低いと考えるという。実際、海賊に襲われて生還した船乗りは、自分たちの船が乗っ取られた後、救難カプセルに詰め込まれ、宇宙へ放り出されたと証言している。

 しかし、価値さえあれば、それが人であっても構わずに奪っていくだろう。


「ラ、ラナさんには指一本触れさせませんわ!」

「この中で1番、非力なヤツが何を言ってるんだ」

 クルミの悲壮な決意を一蹴すると、マリコは船長席を振り向く。

「まぁ、船長なら向かうところ敵なしだろうけど。自覚は必要だと思うよ」

「自覚かぁ。そりゃ、ドッグファイトと近接格闘くらいなら負ける気しないけど」

「それは自覚じゃなくて自慢だ」


 広大な宇宙では、常に人材難だ。

 元航宙軍の少尉、それも戦闘艇乗りという経歴は、それだけで引く手あまた、本人の自覚をはるかに超えた価値がある。それに加えて、本人がもっとも自覚していないその容姿も、じゅうぶんに周囲の目をきつけていた。


「そういうマリコさんだって危険ではありませんか」

「まぁ、ボクなんか、2人に比べりゃ……」

「いいえ。広い宇宙には、物好きもいっぱいいらっしゃいますわ」

「なんだよ、物好きって」

「ほら、『たで食う虫も好き好き』って言いますでしょ?」

 頭に巻いたバンダナから薄汚れた作業服へ。さながら、整備工場で働く下っ端の少年といった格好のマリコに、クルミは無遠慮な視線を送った。


『未収録語を検知:たで食う虫も好き好き/慣用句/食用に適さない辛くて苦い草を好む虫がいることから、人間の好みは様々であることのたとえ/収録完了』

 正面ディスプレイの最下部に、文字列が一瞬流れて消えた。

 常に会話をモニターして学習をおこたらない、勤勉なAIである。


「大丈夫。いざとなったら、2人は私が守るから」

「まぁ、頼もしいですわ!」

 ラナが腕をまくるマネをして、クルミが目を輝かせ、マリコがため息をついた。


 冗談にして笑いながら、それが冗談ではすまないことを3人とも自覚していた。

 宇宙で生きることを選んだ時から、ずっと。

 とはいえ、危機は去ったのだ。

 今は冗談を言って、笑っていいはずだった。

 しかし。

 獣は、1度見つけた獲物をそう簡単にはあきらめない。




「レーダーに反応あり! 6時方向、仰角+1度3分」

 艦橋ブリッジに警報音が鳴り響き、ゆるんだ空気が一瞬ではりつめる。


「さっきの船ですわ! 相対速度-11%、さらに増速して接近中!」

「ごめん、ボクのミスだ! 改造船かよ、くそっ!」

「マリコさん、お下品ですわ」


警報アラート。およそ8分47秒後、中距離ミドルレンジ交戦可能距離エンゲージへ入ります』

 まろうどが、正面ディスプレイに新たな予想進路図を表示した。

 さらに続けて、別の警報音が鳴った。

「射撃管制レーダーの反応をキャッチ! まだ射程範囲外ですが、撃ってくるつもりでしょうか……」

「そんなおどしは、無視!」

 少し青ざめた表情のクルミを、ラナが一刀両断した。


 射撃管制レーダーによって正確な位置を捕捉されれば、機関部やレーダーアンテナなどへの精密射撃も可能になる。大半の民間船も、エネルギー遮蔽しゃへいシールドを標準装備しているが、軍用火器が相手では気休めにもならない。


「まろうど! 航路圏まで、あと何分?」

『現在速度で、およそ20分38秒』

機関エンジン出力! 遮蔽しゃへいシールド展開! 海賊が怖くて自由航海者ランナーなんてやってられるか! こうなったら20分間、回避機動で逃げ切ってみせる!」


 逃げ切れないなら、ひたすら相手の攻撃をかわすしかない。船をらせん軌道に乗せて相手の射線を外していく回避機動は、戦闘艇ではもっとも有効的な手法であった。

 ラナは頬を紅潮させ、燃え上がる闘志で覚悟を決める。その様子を見て、2人の乗組員クルーは、かえって冷静さを取り戻した。


「積荷満載で回避機動なんて、無茶だよ。ブースター使おうよ」

「賛成ですわ。安全第一です。仕方ありませんわ」

『まろうどはブースターの使用を提案します』

 3方向からの同意見に、意を決して操舵席に移ったラナは、きょとんとした表情で動きを止めた。


 船体両舷に設置されたブースターは、化学燃料を使った燃費無視の加速装置である。しかし、この状況で使用すれば、今回の仕事は収益マイナスが確定するのは明らかだった。


「今回のマイナスくらい、次でいくらでも挽回ばんかいできます」

「そうそう。それに改造も済んで、燃費だって多少改善してるはず……あ、いや、改造じゃない。調整だよ、調整」

 クルミの視線に気づいて、マリコはあわてて言い直す。

「そんな話、聞いてませんわ」

「点火プログラムをちょっぴり修正して燃焼効率を上げただけだって」

 あわてるマリコに、クルミは黙って大きくため息をついた。


警報アラート。エネルギー反応、上昇中』

「くそ、気が早いヤツらだな。射程外から撃ってくる気かよ?」

「でも逃げるなら、今のうちですわ!」

「わかった。ブースター起動! 全力で逃げるよ!」

「船内、全隔壁かくへき閉鎖を確認! ブースター起動シークエンス開始」

「姿勢制御プログラムとブースターシステムの同期、すでに完了ですわ!」


注意アテンション慣性制御装置キャンセラーの高負荷により、最大加速度7Gが24秒間の見込み』

 座席が自動で角度を変え、クッションがジェル状に軟化して体を包み込む。


「7Gですか……」

「大丈夫だって、痛いのは最初だけだから」

 マリコが下品な笑みでクルミにささやいた。

「あら、痛かったんですか?」

「……なっ、ちっが!」

『点火プログラム、最終チェック完了。ブースター使用可能』

「進路そのまま。シールド消去後、カウントダウン5秒でブースター点火!」


 カウントゼロと同時に、高価な化学燃料がブースターへ惜しげもなく供給される。まろうどによる正確な姿勢制御装置スラスターの噴射により、船は安定した姿勢を保ったまま、爆発的な加速を開始した。




 加速が終了し、船は慣性航行へと移行した。

 圧迫されていた肺に息が入り、轟音と振動の消えた艦橋ブリッジに、かすかな吐息といきがもれる。ひと呼吸の後、3人はいっせいに動き出した。


「状況確認!」

「レーダー、周辺に船影ありません。現在地、航路圏内を確認、星系ネットワークへ接続を開始。観測系、通信系、航法系、航行システム、すべて異状ありません」

「ブースター、安全停止を確認。機関エンジン及び姿勢制御装置スラスターは正常動作中。生命維持系、電装系、燃料系、すべて異状なし!」

 救難信号の解除や、その他必要な作業を手早く済ませると、3人はあらためて互いに顔を見合わせた。


「2人とも大丈夫? ケガない?」

「ええ、大丈夫ですわ」

「平気。肋骨ろっこつ、折れるかと思ったけど」

「誰かさんは、特にクッションがありませんから……」

「なぁんだって?」

「いいえ、空耳ですわ」

 2人も軽口をたたく余裕が戻る。


『ただいまの加速で、本船の最大加速度を記録更新しました』

「なんで、そんな統計を取ってんだよ」

 マリコがつぶやく。

『この船の性能を証明するデータとして有益です』

「はいはい。それを制御できるAIが優秀って言いたいんだろ?」

『いいえ。この程度の制御は簡単です』

 マリコは艦橋前方、AI本体が収められた半球状の装置に視線を向ける。何を言っても自信満々に聞こえるのは、抑揚のない合成音声にしてあるせいだろうか。


「ねえー、私たちもちゃんとした武器を買おうよー」

 ラナが船長席に戻り、2人に提案する。

「ボクらが戦って、得るものなんてないよ」

「ええ。逃げるが勝ち、ですわ」

『同意。本船の機動性を損なう提案には賛成できません」

「あう」

 またしても3方向から集中砲火を浴びて、ラナは妙なうめき声をあげながら、座席にずるずると体を預けた。

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