1.06〈株式会社GFOエンターテインメント〉

 砂漠に照りつけるギラギラとした太陽よりも明るく、飛竜ワイバーンは光を放って空中に四散する。

 一筋だけ流れた涙を拭うこともせずに、芽衣めいはそのバカバカしいほど大きな光をただ茫然と眺めていた。


「横殴りだったらすまない。それとPKはやらないから安心していい」


 今まで誰も居なかったはずの彼女の背後から、落ち着いた声がかけられる。

 まるで瞬間移動テレポーテーションでもしたかのように現れたその男は、中肉中背、短い黒髪と言う他には説明しようのない、至って普通の顔をしていて、まるでキャラクタークリエイトの際に、全て「標準デフォルト」を選択したかのような容姿だった。


「あ……いえ、助かりました。ありがとうございます」


 芽衣は眩暈にも似た既視感デジャヴュに襲われて半歩よろめく。しかし踏みしめようとしたその先に地面は無く、まるで暗闇へ落ちてゆく夢を見た時のような浮遊感を感じながら、彼女はそのまま大岩から落ちかけた。


「きゃっ」


 悲鳴を上げた芽衣の腕は、危ういところでその男に支えられる。男の頭上には、やはり先週見たのと同じ[シユウ42]と言うボットの名前が表示されていた。


「あ、すみません……ありがとうございます」


「問題ない」


 抑揚には乏しいものの、先週感じた合成音声っぽさの無い返事と、思ったより近くにあったシユウの顔にドギマギしながら、芽衣は彼の手の中から慌てて自分の腕を引き抜き、地面をしっかり踏みしめると顔にかかった髪を手櫛で直す。

 既視感と共に湧き上がった違和感に、芽衣はおずおずと男の顔を見上げた。


(あれ?)


 先週見たシユウボットとこの人は何か違う。

 まずあの人を寄せ付けないような、まるで感情を持たないロボットのような雰囲気が無い。どちらかと言えばこの人は、友達が欲しいのに作り方が分からず、途方に暮れている子供のように見えた。

 それから、装備も違う。

 ただ戦闘地域によって装備を変えているだけかも知れないが、この人の装備しているのは[レアリティ8]翠玉銃すいぎょくじゅうベリル・スマグナ。長距離射撃用のレーザー銃で、破壊力と弾速を兼ね備えた最強の大型銃だった。

 先週のシユウは2種類の剣を使っていた。不正プログラムなのだから断言はできないが、この銃を装備するステータスと剣を装備するステータスは全く別物だし、例え全ての能力が最大で、両方を装備出来たとしても、その武器を使いこなすためのアルゴリズムは全く別物のはずだ。プログラムは小学校で基礎を習った程度の知識しかないが、同じプログラムで両方を使い分けられるとは到底思えなかった。


 そして最後に……と、彼女は思い出す。


 名前が違う。


 同じシユウと言う名前が表示されていたことで思考が停止していたが、先週のシユウは[シユウ72]か[シユウ73]だったはずだ。ヘンリエッタさんの言った「73体居る中華製の蚩尤シユウボットのうちの一体」だという説明を思い出し、そこから急に思い当たったのだ。

 このシユウの名前には[シユウ42]とある。

 と言うことは、同じ73体のボットのうちの一体である可能性はあるだろうが、ヘンリエッタさんたちが追っていて萌花が逃がしたあのシユウでは無いのだろうと芽衣は結論付けた。


 思考の流れにとらわれて、思わずじっと見つめてしまっていた芽衣を、シユウは身じろぎもせずに見つめ返している。

 ハッと我に返った芽衣は、顔を赤らめて目をそらして可愛らしく咳払いをすると、自分の頬を指先でポリポリとかいた。


「少し聞きたいことがある」


 視線の端に見えるシユウは、未だに芽衣を見つめたままそう切り出した。

 芽衣はチラリとシユウに視線を向けて、目が合うとすぐに視線をそらす。


「な……なんでしょうか?」


 接触は避けた方がいいと萌花にはお説教をしたのに、自分がこうしてシユウと会話を交わしていることに一種の背徳感を感じながら、芽衣は微かに震える声で答え、シユウはその声を分析するように静かに耳を傾けて、一つ目の質問を口にした。


「ここはどこだ」


「えっと、ウェストエンドの街の北西にある砂漠地帯です」


 シユウの目がわずかに左上へと動き、「街……」と呟くと納得したように軽く頷く。その位置はだいたい地図マップウィンドウが表示される位置だ。つまり表示されたマップは間違っていないと、芽衣が嘘を言っていないと確認したのだろう。

 彼は一番聞きたかった次の質問に移った。


「人は……君以外に人は居ないのか?」


 芽衣の心臓が一つ、大きく鳴った。

 シユウが自分以外の人を求める問いに、芽衣の心に嫉妬にも似た感情が湧きあがったのだ。彼女は少し言いよどみ、きゅっと苦しくなった胸を一生懸命両手で押さえて、それでも正直にその質問に答えた。


「……今はゲーム外の時間が深夜ですので少ないかもしれませんが、街に行けば……人はたくさんいます。……でも」


「でも?」


「あなたは気づいてい居ないでしょうけど、たくさんの人に命を狙われています。街へは行かない方がいいと思いますよ」


「自分の命くらい守れる。俺はどんな奴でも撃ち殺せる」


「そうかも……しれません。でも、そうじゃないかもしれません。……あなたの知らない所には、この世界の全てのルールを取り決めている人たちが居るんです。そして……あなたの命を狙っているのは、その人たちなんです」


 芽衣の必死の説得に、シユウは考えこむ。


 そうだ、この人は何もわかっていないのだ。

 世界の事も、自分の事も、そしてもちろん私の事も。


 私が助けなければ、この人はすぐにでも[創世の9英雄]に捕らえられ、殺されてしまうだろう。

 芽衣はゴクリと喉を鳴らすと、高鳴る鼓動を抑えきれないまま、シユウに一歩近づいた。


「大丈夫です。……私が助けてあげますから」


 私の命を救ってくれたこの人を私は助けたい。それに……と、彼女はにっこりと微笑む。


(この人は……ただのプログラムです。私がわがままを言っても、誰にも迷惑は掛からないはずです)


 芽衣は、初めて自分の全てを見せられる運命の相手を見つけたのだという気持ちと裏腹な背徳感に、少しの痛みを伴って心が沸き立つのだった。



  ◇  ◇  ◇



 ヘンリエッタからのゲーム内メールで、GFOの外で会いたいと連絡が来たのは、最初のシユウボット騒ぎから3週間も経ったころだった。


 メールは同一の内容のものが3人に同時に届き、そこには「指定の日時・場所に迎えの車を寄こすこと」「ヘンリエッタは理由があって会えないため、代わりの者が向かうこと」「両親とお互い以外には口外しないこと」などが書かれており、心配ならば親に同行してもらってもいいし、親が反対するならば使いの者がきちんと説明すると言う一文が添えられていた。


 萌花は父親に相談したが、事前に説明に訪れた「使いの者」による説明で納得した父親は「心配しないで行ってきなさい」と笑顔で手を振る。最初に相談した時の反対からは想像もつかない見送り方に、萌花は逆に不安になったものだ。

 親に心配をかけないようにと秘密にした芽衣、事前に喫茶店で「使いの者」と直接会って説明を受けた早苗は、萌花の家に集まって、そこから迎えの車に乗り込む。

 黒塗りのハイヤーが3台並んだ萌花の家は、まるでヤクザか政治家の家のようだった。


「絶対近所から変な目で見られるよ、これ」


 3人別々の車に乗るのを断り、全員並んでもゆったりとしている後部座席で、まるで電車に乗ってはしゃいでいる子供のように後ろを振り返りながら、萌花は何故か少し楽しそうに不満を口にした。

 緊張でこわばりながらも笑顔を見せた芽衣は、それが精いっぱいだったのか、何も言えずに萌花の手を握り「そんなことないですよ」と言う意味を込めて小さく首を振る。

 その横で珍しげに車内の装備をあれこれ弄っていた早苗が、萌花に目を向ける事もなく口を開く。


「問題無いわ萌花。だってもともと『変な女の子の居る家』って思われてるもの。今更ヤクザだと思われようが政治家だと思われようが、たいした違いはないじゃない?」


 初めて乗る高級車を一人だけ満喫している様子の早苗は、さらりと酷いことを言い切った。

 一度は「そっか」と納得した様子でシートに背中をつけた萌花だったが、「……いやいやいや、どこ情報それ?」とツッコミを入れて吹き出し、それでその不満にけりはついたとでも言うように、ケロッとした表情で窓の外の景色を眺め始める。


「……それから芽衣も。そんなに緊張しなくて大丈夫よ。今回の事は私たちのためにしてくれてる事なんだから、落ち着いていればいいわ」


 今度は芽衣の方へしっかりと視線を向け、ゆっくりとそういった早苗に、芽衣はやはり笑顔を保ったまま「わかってますよ」と言う意味を込めて首を縦に振った。


 今日呼ばれた意味は、萌花の父や早苗に聞いて芽衣にもだいたい分かっている。前回GFO内で簡易的に行った「不正プログラムの影響検査」に問題はなかったのだが、あの一件からボットは行方をくらまし、ヘンリエッタたちにも見つけることができていない。

 ボットが自由に行動している以上、不正プログラムの影響は広がっている可能性が高く、その影響を一番多く受けているはずの彼女たちを検査し、実情の調査をする事になったのは極めて当然の処置といえるだろう。

 今回はGFOを管理運営する「株式会社GFOエンターテインメント」が全ての費用を負担する形で、現実とGFOの世界を結ぶ「イマーシブ・コネクター」の調査・調整を含めて、彼女たちの健康への影響など本格的な検査を行うことになったのだった。


 しかし、だからこそ芽衣の心中は穏やかではない。


 何しろここ2週間以上、ほぼ毎日シユウと2人で会っていたのだ。


 萌花と早苗は「影響が出てるとしたら萌花よね。なにしろ恋人みたいに抱きついたりしてたもの」と言って笑っていたが、どのような検査をするにせよ、影響が出ているとしたらそれは萌花ではなく自分だと芽衣は確信していた。


「……芽衣、大丈夫? 車に酔った?」


 心配そうに覗きこまれ、芽衣は萌花の手をずっと握っていた事に初めて気づいた。この場で具合が悪くなったと言えば帰らせてくれるだろうか?

 いや、そんなことを言えば、ますます厳しく検査されるのがオチだろう。芽衣はまた「大丈夫です」と言う意味を込めて首を振った。


 一時間半ほど車に揺られ、茨城県南部にある総合研究施設にたどり着いたのは朝の10時半過ぎ。

 萌花と早苗の後ろを遅れないように付いて歩きながら、芽衣はまるで地面がぐわんぐわんと波うっているような感覚に苛まれていた。

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