1.05〈芽衣《めい》〉

(先週のウィークリークエストは結局クリアできませんでした。今週はヴァイオリンのレッスンが月水金とあるし、塾は火曜と土曜で……。あ、日曜日は1番目と2番目の弟の運動会があるんでしたねぇ。と言うことは、土曜日の塾の後はお弁当の下ごしらえしてあげなきゃ。水曜はお母さんがPTAの総会に出席するって言ってましたから、レッスンの後で夜ご飯の用意をしなくちゃいけないし、みんなとゲーム出来るのは木曜日と月金の食事後だけですねぇ)


 フルオートでアサルトライフルをぶっ放しながら、芽衣めいは今週の予定を頭の中でおさらいする。

 問題になった萌花の[レアリティ8]鮮血石ブラッディムーンはとりあえずポケットにしまっておき、せっかく集まったのに時間がもったいないと言う芽衣の提言に従うかたちで、3人は今週のウィークリークエストに挑戦していた。


(お話してるのも楽しいですけど、せっかくみんなで集まれたのに冒険に行かないのは、時間がもったいないですよね)


 [狙撃手]と言う近距離戦闘に向かない職業クラスを選んだ芽衣は、非効率な低レベル狩場や、アンチマテリアルライフルなどの特殊な武器を必要とする超長距離戦闘を行う以外、ソロでの冒険にはかなりのテクニックを要する。

 一部のプレイヤーは、特殊な技能スキルを使用して暗殺サイレント・キル生業なりわいとする者もいるが、それにはそれ専用のスキル取得や能力値の配分が必要であり、一般的な楽しみ方とは言い難い。

 もともと萌花もえかと早苗に誘われてみんなで一緒に遊ぶために、「前衛職、魔術攻撃職以外の何か」と言う縛りで選択したこの職業クラスなのでそのことに対しての文句があるわけではないのだが、自分の力量の無さで他人に迷惑をかけてしまうかもしれないという意識から、所謂「野良パーティ」に参加する事も出来ない芽衣は、じわじわと差を付けられる経験値に、少し不安を覚えてはいた。


 GFOの中で最も一般的な前衛職でソロプレイにも向く[戦士]の萌花は、ちょっとした時間を見つけては一人で冒険に出かけてしまう。その狩場ので野良パーティにもよく誘われているようだ。

 早苗は、本来なら芽衣と同じくソロには向かない[魔術師]なのだが、低レベルとは思えないGFOに対する知識と正確な戦略を駆使することで、同レベルの冒険者たちの評判はすこぶる良く、助っ人として名指しでパーティに誘われては冒険に出かけていた。


(私も、もえちゃんたち以外にも一緒に冒険できるお友達が居たらいいんですけど)


「芽衣! あぶない!」


 無心で周囲のライカンスロープの眉間を一つ一つ丁寧に撃ち抜いていた芽衣は、萌花に突き飛ばされて地面に転がり「ぶにゃ」と声を上げる。

 一瞬前まで彼女が立っていたその場所で萌花の剣が火花を散らし、鎧を着けたライカンスロープを切り伏せた。


影縫シャドー・バインド


 残り3体。

 全体が呪文の効果範囲に入った瞬間を狙って落ち着いた声の早苗の呪文詠唱が響き渡り、身動きが取れなくなったライカンスロープの1体を萌花が切り伏せ、もう1体を早苗の魔法の矢マジック・ミサイルが貫く。

 砂利の上に転がった芽衣は、地面に伏せたまま最後のライカンスロープの眉間を撃ち抜き、紫煙を燻らせたままゆっくりと立ち上がると、顔の泥を払った。


「芽衣、大丈夫?」


「ごめんなさい。今度からもっとがんばりますね」


 少しうつむいてそう答えた芽衣は、震えそうになる手をぎゅっと握って顔を上げ、にっこりと微笑む。


――迷惑をかけるのはダメ。わがままを言うのもダメ。落ち込んで暗い顔を見せてもダメ。


 芽衣とは年の離れた3人の年子としごの弟たちを育てるのに大変そうな親に迷惑をかけないよう、小さな頃からそうやって生きてきた彼女の、それは絶対のルールだった。


「いいのよ、芽衣。頑張らなくても。これはゲームなんだから」


「そうよ、芽衣はいつもがんばりすぎ!」


 笑顔でそう言ってくれる友達にこちらも笑顔で「うん、ありがとう」と返事を返しながらも、芽衣は「この友達を失いたくない」と改めて思い、「迷惑をかけないようにもっと頑張らなくちゃ」と心の底から強く思うのだった。



  ◇  ◇  ◇



 現実リアルの時間で午前1時。

 GFOの世界ではジリジリと真昼の太陽が照りつけていた。


 3時間ほど前に萌花たちと別れて一度はログアウトした芽衣だったが、胸に渦巻く焦燥感に駆られてまたログインし、今は一人、岩だらけの高台に伏せて獲物を狙っている。

 体に巻きつけるように羽織った厚手のマントと、体を隠すように乗せた枯れ木が、静かに息を吐く彼女の胸の上下に合わせて微かに揺れていた。


 芽衣の銃[レアリティ3]MG-33には二脚バイポッドを取り付け、マガジンは連結して90発撃てるようにしてある。

 所謂狙撃スナイプ用に換装された装備で、それはテクニックさえあればソロでも高効率に立ち回れる装備だった。


 上下左右に揺れるスコープの端に砂漠蟹デザートクラブの姿が横切る。

 距離約500。

 MG-33の有効射程距離ギリギリの位置。


 芽衣は息を止め、揺れるバツ印の中央にそれを収め、3点バーストモードでトリガーを引いた。


――ダララッ


 砂漠に銃声が響く。


 硬い甲殻に覆われた蟹の弱点、飛び出した眼球をかすめて、芽衣の銃弾は砂を飛び散らせる。


(外してしまいました!)


 マントを翻して起き上がり、芽衣はバイポッドをアイテムインベントリへと収納した。

 反撃のために高速でこちらへ移動する蟹の眼球は、甲殻のくぼみに収められ、移動中は横から狙うことが出来ない。芽衣はアサルトライフルを腰に抱えるようにして、蟹の前面へと回り込むために全速力で走った。


 距離は350。

 走りながら狙うには遠い。


 それでも獲物の移動する方向を規制し、こちらの有利なポジションをとるために、大体の方向だけを定めて何度か銃弾を撃ち込み、蟹の体勢を崩す。


 上手く蟹を引き離した芽衣は、この状況になった際のポイントとして目星をつけておいた、高低差の沢山ある岩場に駆け込んだ。

 肩で荒く息をしながら銃を背中に背負い直し、汗で固まった砂埃を腕で拭き取ると、そのまま休む間もなく大きな岩によじ登る。

 くぼんだ岩に背を預けて何とか息を整えようと深呼吸しながらちらりと目を向けると、蟹はもう距離100程度のところまで迫っていた。


(うまく見失ってくれたようです。……おりこうにしてて、私の心臓)


 砂漠の乾燥した空気が肺を焼き、心臓は体に酸素を送り出そうと荒馬のように跳ねている。それでも歯を食いしばり細く長い呼吸をすると、一度目を閉じた芽衣は決意を固めて、足元にあった瓦礫がれきの一つを背中越しに大きな溝の中へと放り込んだ。

 音を……と言うより地面の振動を感じた蟹が、ものすごいスピードで瓦礫に襲い掛かる。


 正面。斜め下方45度。距離30。


 絶好の位置で動きの止まった蟹へと銃口を向けて、芽衣は落ち着いて引き金を引いた。


 甲殻のくぼみに収められた眼球を貫き蟹の体内へと侵入した銃弾は、強靭な甲殻に阻まれて蟹の体内で跳弾する。

[215][187][202][195]……

 体内をめちゃくちゃにかき回された形になった砂漠蟹デザートクラブは、頭上に赤いダメージの数値を何度も表示させ、最後には甲殻の隙間から黄色い体液をにじませると、その巨体を横たえて光の粒子となり消え去った。


「……やっ……た!」


 芽衣の乾いた唇から、思わず声が出る。

 自分でも信じられない、自分より5レベルも高いLV16のモンスターをソロで倒したのだ。


 GFOでは高レベルのパーティーに連れられて、初心者のレベルを一気に上げてしまう所謂「パワーレベリング」を防止するために、自分より5レベル以上レベルの高いモンスターを倒しても経験値は殆ど入らないようになっている。

 そのため最も経験値効率がいいのは、自分より丁度5レベル上のモンスターをソロで倒すこと。と言う理屈になる。

 当然それはとても難しいし、時間単価で見ればパーティーを組んで複数のモンスターを倒した方が危険も少なく見返りも多いと言う結論にはなるのだが、そのとても難しいミッションをこなすことが出来たという喜びが、そんな理屈など吹き飛ばして、芽衣の心の中を満たしていた。


 ずるずると岩に寄り掛かって尻餅をついた芽衣の頭上に「レベルアップ」の文字が浮かぶ。

 蟹の居た場所に輝く星の形のアイコンが浮かび上がると空中をスウっと彼女の体に向かって飛んできた。


(あ、未鑑定アイテム?!)


 魔法によって小さな箱に封じ込められた[レアリティ5]以上のアイテムは、上位の魔術師か鑑定所でお金ジェムを払わなければ使うことも何なのかを知ることも出来ないが、とにかく低レベルの彼女にとっては初めてのレアアイテムである。

 萌花も早苗もまだ手に入れたことがないレアアイテムを一人で勝ち取ったという喜びが、また彼女へ押し寄せた。


(あ、違いました。もえちゃんは[レアリティ8]のイヤリングを持っていたんでした)


 うらやましくないと言っては嘘になる。そんな気持ちはあった。

 それでも、芽衣の手に入れたこのレアアイテムは、萌花のものとは違って正規の冒険報酬として手に入れたアイテムだ。

 芽衣は、このゲームで初めて周りから認められるを成し遂げた気がした。


 岩の上で幸せに浸る彼女の顔を照らしていた太陽が、一瞬だけ何かに遮られる。

 砂漠エリアのこの辺に雲が湧くなんて珍しい。芽衣は額に手のひらをかざして、太陽の方向を見上げた。


 その上空で、また太陽が遮られる。

 さっきより長く遮られたその影は、首の長いコウモリのような形をしていた。


(変な雲……)


 幸福感に浸ってボーっとそれを眺めていた彼女は、一瞬で現実に引き戻される。


「――え?! 飛龍ワイバーン?!」


 太陽を遮る影の横に浮かび上がる[飛龍ワイバーン]の文字と、表示されていない[LV]の表記。

 レベルが確認できないと言うことは、そのモンスターが自分より20レベル以上強い「ほぼ絶対に勝てない」相手であると言うこと。あまりにも強すぎて、相手の本当の強さが分からないと言うシステムの警告だった。


 その有翼の爬虫類は、ゆっくりとした旋回から革製の翼を一つ羽ばたかせると、そのまま一気に急降下に移る。

 まっすぐに芽衣へと向かうそれは、彼女の目には死を告げる悪魔のように見えた。


 獲物として狙われている。たかだか11レベルの冒険者が飛竜の急降下から逃げられる訳がない。


(あ、さっきレベル上がったから今は12レベルですね)


 その1レベルの差など今は何の意味も持たないのだが、律儀な芽衣は頭の中で訂正する。

 きっとこのまま街へ死に戻って、さっき手に入れたばかりのレアアイテムも消えてしまうだろう。今日はレベルが上がっただけでも良かったのだと彼女はあきらめ、やがて訪れるであろう衝撃を目を瞑って静かに待った。


――今日はこれで充分。わがままを言ってはダメ。


 そう頭の中で呟いた彼女の目尻に、じんわりと涙が浮かぶ。


「……やっぱり嫌です!! こんなの嫌!」


 大声で、普段の芽衣からは想像もつかないような大声で、彼女は叫んだ。

 その声に呼応するように、飛竜の頭が爆ぜる。


[999,999,999]


 空中に浮かび上がったダメージを表す赤い数字は、先週も見たありえない数値を示していた。

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