第3話 持ちつ持たれつ2



 学校から人が居なくなるのは早かった。今は登校を自粛している生徒も多く、部活動も完全に禁止されている。教員も早々に帰宅するよう指示が出ているから、日が暮れる頃には校内から人の姿が完全に消えていた。

 赤く鮮やかだった空に、少しずつ紫の染みが広がりはじめる。

「あー、ついに来ましたねええ、この時間が」

 気合のこもらない声で、奏が悠々と言った。

 蓮は、妙な意地でも張っているかのように、ソファに細い体を長々と横たえて眠り続けている。しかたがないので、奏と崇子は二人で校内の見回りを始めていた。学校へ結界を張る前に、人がいなくなっているのを確認する必要がある。それに、事件のあった現場を確認しておきたかった。

「鬼頭さんは、ご兄弟なんですか?」

「ん、なんで?」

 用務員が帰る前に届けてくれた懐中電灯を両手でもてあそびながら、のんきな声で奏が応える。

「お二人まとめて「鬼頭」だとおっしゃいましたよね。どことなく似てらっしゃる風だし、ご兄弟なのかなと思って」

「似てる?」

 奏は少し怪訝そうだった。それから、似てるかなあ、とつぶやく。

「……ご兄弟ではないんですか?」

「まあ、兄弟といえば兄弟だな」

 まわりくどい言葉の意味をはかりかねて、崇子は困った顔をした。それを見て奏はのんびりと付け足す。

「あ、ごめんごめん。今のは君が欲しい答えじゃないよな。俺たち、遠い親戚みたいなものだと思うけど、俺もあんまり知らないんだ。でも俺たちは、ちゃんと「家族」だと思ってる」

 蓮なら「だから一心同体だってば」というんだろうけどね、と奏はつぶやいている。義理の家族とか、遠縁みたいなものだろうか。

「すみません、踏み入ったことを聞いてしまったかも……」

「いや全然、気にすることじゃないだろ。まあ、兄弟って言うよりは、俺はお父さんみたいなものだけどね」

 奏が楽しげに言う。

 階段の前にたどり着いたところだった。中庭を囲む「ロ」の字形をした校舎を、一階ずつ一巡りしていて、二階が終わったところだった。ふたつ上が最上階で、その上が屋上だ。

 階段を昇ってから、右手に続く廊下を見る。見周りを始めた時よりもずっと暗く。懐中電灯をつけるべきか、廊下の電気でもつけるべきか。崇子が思っていると、奏は右手の壁の電気のスイッチを見て、手元の懐中電灯を見比べながら、言った。

「なあ、ここで電気をつけたとして、やっぱこの階の廊下全体が電気つくわけじゃないよな?」

「ここの一線だけだと思いますよ。曲がったところでまた向こうのスイッチが別にあると思いますけど」

「そうだよな。全部つくと見やすくて楽なんだけどなー。しかたないな」

 奏は廊下の電灯のスイッチに手を伸ばした。

 けれど、止まってしまう。



 世界は暗く、宵の藍色に満ちているはずなのに、突然明るくなって、奏は思わず目を瞬いた。

 LEDの無機質な明かりではない。真昼の日の光だった。壁を見ていた顔を上げて、首を巡らせて、あたりをみまわす。

 身を刺す冬の空気と共に、あたりを苛(さいな)んで、蝕んでいたのは闇であったはずだった。暗くて先の見えない廊下が続いて、中庭の側にはガラス窓、反対側には教室が並んでいたはずだった。クラスを表示するプレート、ドア、窓、そしてまたドアの繋がり。

 なのに、そのどれも見えない。冷たいコンクリートの壁も、床も見えない。建物の中に居たはずなのに、いつの間にか足元は土の地面だった。

 目前にあるのは、木で造られた小さな家だ。質素で、古くて狭くて、家族が身を寄せ合って暮らす小さな建物。それが、あちらこちらにある。ここは小さな村。

 驚愕に目を見開いて、奏は目をまたたく。最初の衝撃が去ってしまうと、次いで感じたのは、痛ましいまでの懐かしさ。泣きたくなるくらい、切なくて恋しくて、けれどもう、どうすることもできない悲しみ。

 ――そんな馬鹿な。

 ありえない。ここは「学校」の中だ。目に映っているこんな場所、もうこの世界中探したって存在しない。

 ――――帰りたい?

 問いかけが、頭の中に響いた。

 当たり前だ。できることなら帰りたい。

 でも、これは違う。目の前のものも、頭に響いた声も。

 これはどこにもない場所。この声は、自問自答なんかじゃない。

 だって、帰りたくても帰れない場所だということを、奏自身が誰よりも知っている。それはもちろん、帰りたいけど。できることなら、帰りたいけれど。

 思って、奏は苦笑してしまった。

 ――そんなこと言ってたら、蓮に殺される。

 うつむいて、奏は目を伏せた。手探りで壁を探す。のばした手のひらに冷たい壁が触れた気がする。村の光景が本当なら、こんなものなかったはずなのに。

 ――ああ、なるほど。なるほどね。

 奏は、やれやれとため息をつきながら、スイッチを探した。壁とは違う、どこかぬるいプラスチックの突起の感触。それをそのまま少し力を込めて押す。

 カチ、と単調な音がして、同時に彼は目を開けた。

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