#9 農夫は二度アウトを鳴らす




「オレ、はじめは大叔父さんが犯人なんじゃないかって、思ってたんだ」


 とりあえず、ケント少年と私は彼の家の方角に向かって歩いていく。


「親父と大叔父さん――ドモンさんって言うんだけど――は、爺ちゃん家をどっちが継ぐかで揉めていて」

「ああ、なんか村の奥様達が噂してたのを聞いたわ。養子に出したはずのキューザンさんじゃなくて、自分が継ぐべきだって大叔父さんは言ってるんだよね」


 私は温泉で聞いた話を思い出しながら口を挟むが、ケント少年はきょとんとした表情を浮かべる。


「え、違うよ。親父も大叔父さんも、本当はどっちも継ぎたくないんだ。親父はそのうち都会に戻りたいって言ってたよ。大叔父さんも売れるほど価値はないのに土地だけ広いから、相続税ばっかりかかるって」

「あ、そうなの」


 人の噂とは意外に宛てにならない物であるらしい。

 まあ、温泉施設の脱衣所で話すうちに、よりドラマティックな方向に設定が盛り上がっちゃったのだろう。火曜サスペンス観賞が趣味の人とかが混じっていたに違いない。あるいはエツコさんが混じっていたか。


「えーっと、確かキューザンさんは以前は町に出稼ぎに出てたんだよね。そこでナオミさんに会ったって」

「うん、そう。オレもその頃は町の小学校に通ってたよ。ナオミさんと親父は同じ工事現場で働いていたんだって」

「マジでか!」


 あの細い身体でドカタとか! いや、人は見かけによらないわ。


「昨日は大叔父さんがうちに泊まりに来て、親父と相続の事で話し合ってたんだ。でも、なんか言い争いになって、夕方頃、大叔父さんが怒って帰っちゃったんだ。それを親父が追いかけて、オレが見たのはそこまでなんだけど……」


 おいおい、かなり決定的な状況証拠じゃないか。なんか、もうそれで確定なんじゃないかと思うけど、違うのかな。

 ケント少年は酷く思い悩んでいる表情だった。


「オレ、今日一応大叔父さんに電話掛けたんだ。そしたら大叔父さん、親父のことに物凄く驚いていてさ。爺ちゃん婆ちゃんに連絡したのかとか、ナオミさんは大丈夫なのかとか、ちゃんと飯は食えたのかとか。物凄く心配してくれて、それでやっぱり大叔父さんが犯人じゃないのかもって思ったんだ」

「えーっと、演技してたとかは?」

「分かんないけど、そんな風には聞こえなかったよ」


 唇を噛んで俯くケント少年を見て、私はなるほどと納得する。

 つまり、ケント少年は大叔父さんのことも好きで。だからナオミさんのための犯人探しをすると同時に、大叔父さんが犯人じゃない証拠も欲しかったのか。


「でもさ、オレの親父ってでっかいだろ? 力も強くって村で一番なんだ。それで大叔父さんも親父と同じくらいに大きくて、喧嘩しても勝てるのは大叔父さんくらいかもって」

「まあまあ、想像はそれくらいにしてさ。ようするに、大叔父さんが帰った後もキューザンさんが生きてたって分かればいいんでしょ?」


 今にも泣きそうな顔で思いつめるケント君の肩を、私はパーンと張り飛ばす。ケント君は勢いよく吹っ飛んで転んだ。あ、ごめん。

 しかし、起き上がってこちらを見たケント君は、私の言葉に大きく見開いた目を輝かせ、戻ってくる。


「そ、そうか。そうだよな。それなら、ドモンおじちゃんは犯人じゃなくなるもんな」


 そうそう、その通り。だから私がうっかり突き飛ばしちゃったことは忘れてくれ。


「大叔父さんと喧嘩したキューザンさんが、家に帰る前に寄り道しそうなところってある?」

「うん! ある、あるよ! こっちだ」


 ケント少年は威勢良く頷くと、一直線に走り出した。


「あ、ちょ! 待って、置いてかないでって!」


 こちとら二世紀半に及ぶ引き篭もり生活者だ。体力のなさには自信がある。

 元気の良い少年の後姿を追いかけながら、ケント少年探偵団の助手は、永遠の20代(後半)にはキツいらしいと実感したのだった。



  ※   ※   ※   ※



 ケント少年の心当たりは、この村で唯一の飲み屋だった。

 もっともこの時間は当然飲み屋は閉まっており、店員もいなかったため、私たちは店の常連である男性のところへ向かった。


「ああ、来てたぜ。昨日の夜だろ」


 農作業を一段落させたタンデンさんは、タバコを吸い背を向けたまま私たちの質問に答えてくれた。今年七十歳になるタンデンさんだが、高齢化が進むこの村ではまだまだ現役バリバリだ。

 彼は立てた鍬に肘を付き、タバコの煙を吐きながらニヒルに答える。


「随分苛々した様子で来てよ、浴びるように酒を飲んでたんだ。珍味の沢蟹の酒漬けもバリバリ貪り食ってよ」


 沢蟹の酒漬けって、確かこの村の名物だったっけ。聞けば、生きたままの蟹を香辛料と焼酎に一昼夜漬け込んで作るものらしい。その味たるや酒や香辛料の香りと蟹の甘味とが溶け合い絡み合い、えも言えぬような美味だとか。

 上海名物の酔っぱらい蟹と同じかな? ちょっと食べてみたくなったかも。じゅるり。


「まあ、オレはあれは嫌いで、臭いを嗅ぐのも駄目なんだけどな」


 と、余計な一言も添えて言うタンデンさん。いや、あなたの好き嫌いは聞いてないから。


「あ、オレもあれ苦手」


 ケント、お前もか。

 そして二人の間で通じ合う何か。一種の絆のようなものが、双方に芽生えた瞬間だった。


「キューザンの奴、ぐでんぐでんに酔っぱらいやがった。こいつぁ、いけねえなぁと思ってたんだけどよ、案の定絡まれて、この様よ」


 そう言って振り返ったタンデンさんの片目には、見事な青タンが出来上がっていた。

 タンデンさんの青タン……。

 私はとっさに視線を逸らし俯く。落ち着け、落ち着くんだ。私の笑いの発作。こんな詰まらない事でツボに入っては沽券に関わる。ノラくろとかも思っちゃ駄目だ。


「ごめん、タンデンさん……」


 蚊の鳴くようなケント少年が謝るが、タンデンさんは首を振る。


「お前が謝ることじゃねえ、ケント」


 タンデンさんは往年からくべるとだいぶ薄くなった髪を、ばさっとかき上げた。

 ちょ、タンデンさん待って! せっかくのスダレが無残なことに! くそっ、ここは笑ってはいけない農村24時か!


「悪いのは全部キューザンの野郎だ。2年前、後妻を貰ってようやく落ち着いたかと思ったら、また酒飲んで暴れやがる。俺も他の奴も、何度も殴られてほとほとウンザリしてんだ。だからケント、親父さんが戻ってきたら言ってやれ。いい加減にしないと、せっかく町から付いてきてくれた嫁さんも逃げちまうぞって」


 タンデンさんはニヤリと意地悪く笑って言う。

 悪意はなく、むしろ心配しているのだろう。ケント少年も困ったように小さく笑って、頷いた。

 それにしても、この人の無駄にハードボイルドなキャラ付けは一体何なのだろう。

 渋い爺さんならまだ似合うだろうが、すだれ禿ちゃびんな田舎の爺ちゃんだとかなりのギャップだぞ。


「ところでタンデンさん。キューザンさんって、何時頃までお店に居たんですかね」


 笑いの発作がようやく落ち着いた私が口を挟むと、タンデンさんはこちらを見て、少し考えてから答えてくれた。


「閉店過ぎてもだいぶ粘ってたぜ。たぶん11時とかそれくらいだな。俺はその少し前に帰ったら、正確にはわからねえけどさ」


 って、あなたも閉店過ぎまで粘ってたってことですね。



  ※   ※   ※   ※



 タンデン老人と別れた私たちは、何か痕跡がないかと飲み屋から家までの道のりを辿っていた。


「キューザンさんが、夜中の11時ごろまで無事でいたっていうのは分かったね」

「うん、そうだな」


 ケント少年はほっとしたように、うなずいた。

 まだ完全に容疑が晴れた訳ではないけれど、キューザンさんがお店から出てくるのを、ドモンさんがずっと待ち伏せしていたというのはさすがに考え辛い。


「そうすると、お店から家に帰るまでに間に誰かに会って、山に向かったってことだね」

「11時過ぎだと、オレはもう寝ちゃってたからなぁ」


 小林少年、じゃなかったケント少年は悔しそうに呟く。確かに良い子はすでに眠っている時間だろう。

 しかし、そんな時間に果たしてどんな理由があれば、キューザンさんは犯人と山へ向かうというのか。


「あ、そろそろウチだよ」


 釈然としないまま歩いていたら、ケント少年からそろそろ家に着いてしまうと告げられてしまった。

 何の証拠も残ってなかったか、あるいは見落としてしまったか。

 とりあえず家に着いたら折り返してもう一度、今度はよく目を凝らして見て歩いた方がいいだろう。現場百遍とまではいかなくても、数度往復するくらいはしてもいいに決まっている。

 そんなことを考えていた私は、目の前を歩く少年の金髪の中に、白いものを見つけた。


「あ、白髪発見」

「えっ、マジで!?」

「うそうそ。ちょっとジッとして」


 頭を押さえて慌てるケント少年を宥めて、私は彼の髪についていたものを取り上げる。よく見れば、それは小さな白い花だった。


「うわ、恥ずかし……」


 どうやら白髪よりもダメージが大きかったらしく、ケント少年は顔を赤くしてしゃがみ込んだ。


「これ、村によく咲いてるの?」


 私が尋ねると、彼はしゃがんだまま首を振る。


「これ、うちの垣根に使っている木の花なんだ。魔術を使わないとうまく咲かない種類なんだけど、ナオミさんが好きで育ててるんだ」

「え、ナオミさんって魔術師なの?」

「魔術師というか、魔技師だったんだ。工事に使う魔術の資格をいくつか持ってて、園芸魔術は専門じゃなかったけど、趣味用とか緊急用とか他にもちょっと使えたはずだよ」


 そこで、おもむろにケント少年は胸を張る。


「オレにも魔術の才能があるんだぜ。頑張れば将来魔術師にもなれるぞって言われてるんだ。だからそのうちもっと大きな町に行って、魔術の学校に通うんだ!」


 つまり汽車に乗って、梟を飼って、箒に乗って玉の取り合いでもするのか。

 べっ、別に悔しくなんかないもんね! せいぜい名前を言ってはいけないあの人に気をつけな!


「ところでさ、魔術師と魔技師の違いって?」


 どっちも魔術を使うんだろうけど、それなら両者は何が違うんだろう?

 それを聞くと、ケント少年は信じられないという顔で私を見る。

 し、しょうがないじゃん! こちらと65年物の気合の入った引き篭もりなんだから!


「魔技師ってのは、丙種魔術師の別称だよ。丙種免許だと使える魔術は一種類だけだから、専門分野の人が自分に必要なものをそれぞれ取得するんだ」


 将来は魔術師になりたいだけあって、ケント少年はかなり詳しく説明をしてくれた。

 例えば丙種免許と一口に言っても、造園職なら植物操作の資格だったり、高所作業員なら固定魔術の資格だったりと、色々あるらしい。

 一方魔術師と言えば、一般的には甲種・乙種を指していて、こちらはもっと広い範囲で、大規模な魔術も使えるという。


「どっちも魔術協会が発行している資格だけど、魔術庁に入るには甲種か乙種の魔術師にならないと駄目なんだぞ」

「ああ、魔術協会なら聞いたことがある」


 確か私の召喚は、当時の魔術協会が中心になって行ったとかいう話じゃなかったっけ? 随分ワールドワイドな組織なんだなぁ。

 とにかく良く分からないけど、魔術も危険物取り扱いとか国家公務員Ⅰ種とか、そんな感じで管理されているらしい。

 魔術で何ができるのかは分からないけど、確かにそうじゃないと物騒極まりないだろうしね。

 とりあえず、ナオミさんが工事現場でツルハシを振るっている想像図は間違いだったらしい。


 そんな感じで説明をしてくれた後、ケント少年は手の中の花を手で弄びながら言った。


「良い匂いのする花だろ? 半日すると茶色く萎れちゃうんだけど、ナオミさんが良く摘んで家に飾ってたんだ。最近は体調が良くない事が多いみたいで、しなくなったけど」

「半日で萎れる……?」


 それを聞いたとき、私の中でいくつかの映像と想像がひとつの線で結ばれた。


「ちょっとケント君、急いで君んちに行こう」


 私はぐいぐいと彼の手を引っ張った。これはちょっと急いで確かめたいかもしれないぞ。


「えっ、待って。そっちじゃない、こっちこっち!」


 勢い良く道を間違えた私をケント少年が引き戻すの成功するまで、ちょっと時間がかかった。


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