#8 道での遭遇



 素晴らしい解放感である。

 神官長が出て行った後、私は畳の上で座布団を枕にゴロゴロして、久々の自由を満喫していた。

 神官長はイケメンだが、口うるさく横暴で手が早いのが欠点だ。端的に言うと暴力ドS男である。

 あれでもう少し人当たりが良ければモテるのだろうに、今はかなりのマニア専門物件となっているのが勿体無い。そういえば、あいつって嫁さんとかいるのかな。


 出不精の私は、ついでに他人に対する興味も乏しいのか、これまで神官長のプライベートに興味を持ったことはなかった。

 というか、そもそも神官長自身も、やれ儀式だ式典だと行事に私を引っ張り出そうとする以外は、ほとんど私のところに来ることがなかったもんな。歴代の神官長就任者の中でもぶっちぎりの放置っぷりだ。

 なのでこうやって共に遠出して、神官長の人となりを知ることはなかなか新鮮で面白くもある。


 唯一不思議なのは、これまで私に対する関心が極めて薄かった神官長が、何故今になってこうやって私を外に連れ出したのかということだけど。

 まあ、彼には彼の理由があるということだろう。


「さて、じゃあそろそろ温泉に行きますか」


 私は思う存分ゴロゴロした後、おもむろに立ち上がる。

 襖の前には、『瞑想中。立ち入り禁止結界』の札を張っておけば覗かれることもだいだろう。

 鬼の居ぬ間に洗濯だ。

 手にしっかりと手拭いと、念のためのローブを持った私は、浮かれた気分で部屋を後にしたのだった。




  ※   ※   ※   ※




 温泉はやっぱり良いものだ。

 湯煙がぼんやりと視界を霞ませ、お湯もちょうど良い湯加減で、じんわりと身も心もほぐれていく。ぬくぬくと肩まで浸かって温まっていると、さては此処こそがこの世の極楽だったのかと盛大な錯覚が起きたりもする。

 あるいは異世界もなかなか悪くないじゃないかと、しみじみ思ってしまうのである。そもそもの話として、この世界で困ったり嫌な思いをしたことなんて、私にはほとんどないんだけど。

 むしろ、これ以上ないほど大事にされて、好きなだけダラダラごろごろさせてもらっているのだ。それが某暴力ドS神官から、ニート女神だの駄女神だのと言われちゃう原因でもあるのだが。


 かと言って、女神として勤勉に働くのは難しかったりする。

 しがないプログラマーでしかなかった私には、神の御業なんてものは一切使えない。それなのに、やれ儀式だ式典だに出席して、さも女神でございと振舞うのは我ながらインチキ臭くすぎてどうにも勘弁して欲しくなるのだ。

 例えこの世界の人達が、何十年間も私に神様としての振る舞いを期待していたとしても。

 なかなか難しいもんだと、私は鼻先まで温泉に沈みこんで、ぶくぶくとため息を漏らした。



 せっかく気持ちよく温泉に浸かっていたのに、最後についつい余計なことを考えてしまったため、ヨーグルト牛乳を飲み気分を切替える。慣れてくると、これはこれでなかなかオツなもんである。

 お手軽に気を取り直したところで、私はぶらりと村の中を見て回ることにした。

 神官長の忠告もちらりと脳裏を過ぎるけれど、まだ日は高く、人通りもある。引き篭もるのは夕方になってからでもいいだろう。

 基本的に私は出不精の性質だけど、せっかくお目付け役がいない今は、ささやかな自由を満喫したい。


 そんな思いで、畑仕事中の人や小さな商店街を眺めながら歩いていた私だったが、人気のない休閑地や物置小屋のあたりに通りかかったとき、突如足に衝撃を感じた。


「でゅくしっ!!」


 何だかデジャヴュを感じるが、温泉後で気が緩んでいた所為か、今度は盛大にすっ転ぶ。


「あいたた……」


 この年になって転ぶと、なかなか被害が大きい。

 うおお、額の皮が擦りむけてるよ。どんな転び方をしたんだ、私。第三の目が開いてしまう。

 その他、怪我がないか確かめながら身を起こすと、背後にはどこかで見たような少年が尻餅をついていた。


「あんたは、えーっと……ケント君かな?」


 美少年未満の金髪碧眼の悪戯少年。たぶん彼が、キューザンさんとナオミさんの息子なんだろう。


「な、なんでお前、オレの名前を!? やっぱり宇宙人の仲間だな!」

「だから何で宇宙人なのよ。あ、コラ待て。人にぶつかっておいて謝りもせずに逃げようとは、そうは問屋が卸さないぞ」


 這う這うの態で逃げようとするケント少年の襟首を掴んで、しっかり謝らせる。その頃には、彼もすっかり観念したようだった。

 ケント少年は、びくびくしながら私に尋ねる。


「あんた、本当に宇宙人の仲間じゃないのか?」

「違うわよ。私は疫病の神殿から来た村長の客よ。この村で流行っている病気について調べに来たの。君こそ何でそんなに宇宙人を警戒してるのよ?」


 宇宙からの毒電波を受信したとかだったら、ちょっと病院を紹介したほうが良いかも知れない。

 私とケント君は、物置小屋の傍にある休憩用の錆びたベンチに並んで座る。

 ついでに私とぶつかったときにできたらしい彼の膝小僧の擦り傷に、手拭いを巻いてやった。

 ケント少年はおずおずとお礼を言う。なんだ意外と素直な少年じゃないか。ならばこれが綺麗な手拭いじゃないことは、黙っておいてやろう。

 怯えた表情であたりを伺っていた彼だったが、どうやら覚悟を決めたようで、おずおずと私に向かって理由を述べた。


「最近の村の人は、みんなおかしいんだ。すごく怒りっぽくなったし、病気だとかで居なくなっちゃう人もいっぱいいるし。かと思えば知らない顔が増えても、当然の顔で気にしないし……。きっと宇宙人がやってきて、村の人を攫って入れ替わってるんだ!」

「それは、ないない」


 私はぶんぶんと手を横に振る。

 とりあえず宇宙人によるアブダクション説は、かなり薄いと思うぞ。

 彼が気にしている半分は、この村で流行っている病気で説明がつく。まあ、この伝染病自体が謎なので、宇宙人が流行らせたと言われれば私も納得してしまいかねない危うさはあるが。


「それで、君は宇宙人の尻尾を掴もうとこの村を探っているの?」


 そもそも宇宙人には尻尾があるのか。

 ケント少年は首を振る。


「昨日まではそうだったけど、今日は違う。オレは今、親父を刺した犯人を探してんだ」

「刺したって……えーっと、確かキューザンさんは山の斜面を落っこちたんじゃ……」


 確かまだ対外的にはそうなっていたはずだ。


「親父が帰ってこないって分かった時、オレも内緒で山を探してたんだ。親父を見つけたのは大人たちだったけど、その時、親父は刺されてたって話しているのを聞いたんだ」


 うーん、ばれてる。バレテルヨ。

 神官長たちも、詰めが甘いなぁ。

 私は一応年長者として、無謀な少年の説得に掛かる。


「でも、それは警察に任せたほうがいいんじゃない? 君はまだ子供なんだし、危ないと思うけどな」

「ケイサツ? あー、駐在さんは頼りにならないよ。こんな田舎の村、まともに捜査してくれるとは思えない。親父が刺されたって大っぴらになってないのは、このままなかったことにされちゃうからじゃないの?」


 むむ。確かにそれはあるかもなぁ。

 このまま病気の症状のひとつで失踪してましたと言えば、大事にしなくて済むだろうと考える事無かれ主義者が、この村にいないとは限らない。

 それに、と彼はばつが悪そうに視線を逸らして呟く。


「犯人が分かれば、かー……ナオミさんだって、きっと安心するだろうし」


 なるほど、と私は納得する。彼は寝込んでしまった自分の義母のために、犯人探しをするつもりだったのか。

 私は、ケント少年の頭をぐりぐりと撫でくりまわす。

 まったく可愛いなー、少年。毛が薄くなるまで撫でてやろう。


「分かった。じゃあ私が君に協力してあげよう。その代わり、日が暮れる前には家に帰ること。もし君にまで何かあったら、ナオミさんが悲しむよ」

「え、なんでおばさんが協力を!?」

「おばさんじゃなくて、お姉さんね」

「痛い痛い!」


 私はケント少年を撫で繰り回す手にあらん限りの力を籠める。

 心はいつでも20代だぜ。

 意識がなかった時代も含めると、実年齢がいくつになるか考えるのも恐ろしいが。


「乗りかかった船だしね。まあ、大船に乗った気持ちにさせてよ」

「乗せるのオレのほうなの!?」


 次第はともかく、こうして私とケント少年はキューザンさん傷害事件の謎を一緒に探ることになったのであった。

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