Log20 "Yes, lolita. No, touch!"




 いい加減、限界だった。



 残りの力を振り絞って、けつまろびつ瞬は見るも無残に風穴の開いた扉から飛び出る。その際に、


「お、瞬、お前こんなとこにいたのかよ。手間かけさせんなって――」

「あ、貴方は、憎っくき」

 突き飛ばした。


 邪魔過ぎた。


 そのまま、右肩から横転し大の字になって、ようやく正常な呼吸を再開する。危なかった。あと3秒いや、2秒で越えてはならないラインを越える所だった。ギリギリだった。いつも生きていたかった。霞みがかっていた視界が、やっと晴れていく。空気って存在してくれるだけでこんなにもあり



 自分だけ?



 ね起きて、再び紫の煙が渦巻く室内に突貫しようとして、


「待て待て、お兄様を無視か」

「離してっ、まだ中にメイさんたちが!!」


 肩を掴んだ吾朗に噛み付くように訴える。もう室内には竜瘴気りゅうしょうきから逃れる空間がほぼなくなっている。現にガンモがそう感じているのが伝わってきているのだ。一刻も早く。


「あ? どこのどちらさんだよ。つーかあのエテ公も見当たらないんですけど?」


 煙のせいで窺い知れぬ室内の奥へ目をらす吾朗に、説明している暇はないと、


 スッと、ごく自然な動作だった。


 横から視界に割って入ってきた見覚えのある輝く金髪の持ち主。


 一閃いっせん


 両手に持っていた剣を振り下ろした。その瞬間――


 道が出来た。


 モーゼの十戒とはこのことかと思った。あれは荒れ狂う海を割ったが、ここではその一振りでもって紫煙を切り払った。光が差し込むように、まっすぐ祭壇にまで至る一本の道が何をどうやったのかわからない理屈で出来ている。


「本日の善行ぜんこう、その95!」


 謎の発言の後、猪突猛進とばかりに自ら切り開いた道を金髪の女性――たしか、セラとかいう名前だったはず――セラが一直線に駆け抜ける。はやきこと風の如くと言ったのは誰だったか。


 瞬が呆気に取られている間に、セラを先頭にして、メイがその肩にガンモを乗せこちらに走ってくる。ゴールテープを切るように両手を挙げ、そのままくの字に身体を折ると、


「ぷっはーっ、さっすがにヤバかった」

「キィ……」


 同感と小刻みにうなずくガンモとお疲れとばかりに軽くこぶしをぶつけ合うメイに、瞬はタオルでもかけてやるのかという勢いで駆け寄り、


「メイさん!? だ、大丈夫だったんですか!!」

「ごぶさた。そこのおねーさんのおかげでね」


 今気づいたと片眉を上げて、メイは「ダーシュンもなかなかにしぶといですな」と付け加える。ダメだこいつ、お互い死線にどれだけ近づけたかというチキンレースをおこなったばかりなことをわかってないのではないかと瞬は思う。


「まっ、さすがにちょーっち危なかったけどね。万素マナの流れが変わったのに気づいてけなかったら真っ二つだったからさ。ダーシュンも、」


 ここ、スパって切れてるぜ?


 と額を指差され、シュンもようやく自分のおでこに出来ていた切り傷から血が流れていることに気づく。てっきり頭を扉にぶつけた際に切ったのかと思ったが、メイの発言からどうやら原因は別にあることを悟る。


 背後からやりとりが聞こえる。その片方の金髪が持っている剣を横目で瞬は見つめる。


「ふふん、やはり、今日もライオットの調子は抜群です。我が愛剣に一点の曇りとてないのですっ」

 ふんすーと、豊かさの欠片もない荒涼たる胸を張るセラに、

「いや、お前さ。そりゃいいんだけど、言っていい? なんかその剣、生ぐさくない? 肉とか魚さばいたろ」

「なななな、何故それをっ」


 曇りありまくりじゃんというツッコミを耳に入らぬ程度に打ち込み、額の傷に関しては助けられた手前、我慢していると、


「それで? こっちのおねーさんと……おにーさん方は?」

 つんつんと指で突っつかれ、メイに紹介を促される。あ、そうかと、


「こっちのアレな方は、袴田はかまだ吾朗ごろうっていう、僕の兄です。で、こちらは、えっと、エドガー・セラさんといって『万雷の喝采ライジンクラップ』ってギルドの「はっ!?」


 自分の名前が口にされたと気づいたらしいセラは、目を見開き、脂汗を垂らすと、自らの腰のあたりをさぐり出す。目的のものに触れたとなるや否やそれをかぶり、


「セラ? 知らない子ですね……わ、私は……えー、……わ、わた、しは、リ、リヒトっ、さすらいの人助ひとだすにん、リヒトとお呼びください」


 クソダサいお面がしゃべっていた。


 戦隊ヒーローが複雑骨折しましたとでもいうべき表情を浮かべたそれに、これは指摘したら負けだと瞬は自制していると、横からメイがわざとらしい声で、


「んー? 変ですなぁ、認定ダンジョンにすでに登録されている冒険者が挑むことは固く禁じられていた「わぁーっ、わぁーっ!! 知りませんっ、何も聞こえないですっ」


 そういえば石神さんもそんなことを言ってたと記憶がよみがえる。まだ一日と経っていないことだというのに、もう遠い昔の出来事に思える。無事に帰ることができたら、あれも絶対に許さないリストに追加だと心に誓う。


 とにかく、グレーゾーンを超えてブラックゾーンに踏み込んでいるらしいセラのせめてもの言い分として、お面をかぶった別人でございますと主張しているらしいが、


「いや、あの、さすがに無理が、



 ――キンッ



 そんな何かをはじく音だけが聞こえた。


 遅れて、足元に転がった何かの破片に瞬は気づき、


「不意打ちとは卑怯ひきょうにも程がありますね。出て来なさい」


 軽く剣を構えたセラに、今の一瞬で、飛来して来た何かを斬ったのかとようやく因果関係が結びつく。


「わし抜きで、何を楽しそうにくっちゃべっておるんじゃよ」


 紫煙の向こうから影がこちらに歩いてくる。ただよってくるのは竜瘴気だけではなく、静かな怒気も含まれている。皮膚が粟立つのは本能的な恐怖か。


「ほれ、忘れもんじゃ」

 瘴気を突破して投じられてきたのは、完全に存在を忘れかけていた、


「ふぎっ」


 サロモンだった。誰も受け止めず、いや、地面が優しく受け止めてくれたおかげでにぶい音が聞こえたが、今の衝撃で目を覚ましたらしい。


「ハッ、こ、ここは、どこっすか!? 天国っすか!?」

「お前、悪魔としてプライド持てよ」


 つい声が低くなったが、気を失っている間も竜瘴気りゅうしょうきの中にいた訳で、一応、平気なの? と瞬が声をかけると、


「腐ってもコアデビルじゃ。あれだけ薄めたわしの瘴気くらい屁でもないわい」


 首を鳴らしつつ、少女が現れた。爆発事故現場のような扉の有様を一瞥いちべつし、


「おーおーおー、まぁよくもやってくれたのう。これ、もしや後でわしが直さないといけないんじゃなかろうか……」


 誰も言葉を発さなかった。それもそのはず、誰も一触即発の人間に不用意に話しかけたくはないだろう。頬の筋肉がピクピク動いている鬼教師が教室に飛び込んできたかのように、完全にその空気が伝わってきている。うつむいて、出来るだけ視線を合わせないように細心の注意を払い、


「あ、それこいつのせいでーす」


 気のせいだろうか。

 すごい、身内の声が聞こえた。


 というか、吾朗だった。


 おそらく空気を読むという社会においての必須機能が先天的に備わっていないのではないかと瞬は思う。


「なっ!? ち、違いますっ。あんな風に壊したのはあなたのせいでしょうっ!? 私のせいではありませんっ!!」

「せんせー、信じないでください。こいつ嘘ついてます。さっき俺に私がやりましたって耳打ちしてきました」


 平然と偽証を続ける吾朗に、もう堪忍袋かんにんぶくろの緒が切れたと剣の切っ先を向けようとするセラ。両者の不毛なやりとりに、少女ドラゴンのこめかみに井桁いげたが浮かんだのを瞬は確かに見て取った。


「どちらでもよいわ。とりあえずぬしらには遊戯おあそび虚仮コケにされた報いを」

「待て待て、遊戯おあそびってなんだ。瞬、まさかお前らイケない室内遊戯ゆうぎをこんなとこでしてたんじゃねーだろうな」


 何言ってんだろうコイツと正直思った。イケないとか訳わからない枕詞まくらことばつけんなと思った。


「はーっ、なんで、そういう時は家族に相談しない。お前、普通、弟のもんは兄貴のもんだぞ。呼べよ、イケないことする時は。マジで。いの一番だぞ」


 全世界の兄に悩む弟からタコ殴りにされろと心の底から願う。


「つう訳で、その遊戯おあそびとやら、俺が代わりにやりまーす」


 高らかに宣言した後で、空気は実に白けた。


 目が死につつ呪詛の言葉をつぶやき続ける瞬、吾朗のことをゴミカスと認識していたらしいガンモ、ひんひんと泣き続けるサロモン、ふーんと面白そうな顔で吾朗を凝視しているメイ、やはりここは手元が狂ったということにすべきでしょうかと物騒なことを吐き捨てるセラ、そして、


「――ほう、ぬしが代替かわりに?」

「うんうん。あ、で、何、どんな遊戯おあそびなワケ?」


 具体的なイケないことの内容を尋ねる吾朗に、少女ドラゴンは裂けそうなほど口の端を吊り上げると、


「簡単じゃよ、ぬしがわしに触れることが出来れば勝ちじゃ」

「おまっ」


 えー……マジ? と唇だけ動かし吾朗がこっちを向いてきたのにとっさに顔を背ける。確かにそうだが、間違ってはないが、この文脈でそれはどうなのだと瞬は汗をぬぐう。


「何か問題があろうか?」

「いやもう、お前結構あれだぞ、きわどい格好カッコしてんぞ。や、まぁね、確かに野郎ってそういうの好きだけどね」


 当然、そこは思っちゃうよねと瞬も、改めて少女ドラゴンの身なりについては同意する。薄衣を鎖で巻き付けただけにしか見えないのだから。

 やがて、拳を鳴らすと、


「はっはぁーん、要するにそういうことか。おしっ、素敵ルールはわかった」

「さて、それじゃ早速、始めると」


 嬉々として第2ラウンドを始めようとした少女を手で制し、一転して真剣な表情になった吾朗は、


「まぁ待て、その前に確認しとくことがある。最重要だ」


 ようやく真剣になったのかと瞬が胸をなでおろした矢先、



「はい、触る場所によってお会計は変わりますか」



 最重要、とは……?


 挙手をしながら真顔で質問する吾朗に、おのれは何を訊いとるんじゃーっ!! とついに瞬はキレた。仮に帽子をかぶっていたとしたら、地面に叩きつけていたに違いない。


「あん? 何って、料金体系だけど。男なら今はわからなくても、いずれわかる時が来る」

「いや一生わからなくていいんですけど!!」


 はーっ、と呆れたように頭をかくと吾朗は、


「お前な、あれだぞ伝票受け取って顔青くなったことねーから、ンなこと言えんだぞ? 頭が光の速さで何枚皿を洗えば許してもらえるのか計算しだすんだぞ? 洗ってる最中もどこのタッチがいけなかったのか、一人反省会だぞ?」


 瞬の顔から表情という色が消え去り、吾朗越しの少女ドラゴンに対して、


「ドラゴンさん、これ、ぶっ飛ばしちゃってください。応援します」


 セコンドにつくことを伝えると、逆にうろたえるのは少女の方だった。


「ぬしら、本当になんなんじゃ……? 仲間、なんじゃよな?」

「いや、……」


 思わず否定しかけた瞬に、


「待て待て、これは罠だ。勝手に答えんな。この質問の奥底に隠されてんのは、実は団体割引もありますよってことだ。つまり答えは、――はい、仲間ですっ!!」


 なので、そのぶん基本料金をこう2割ぐらい引いてくださいと、いい大人がなんの恥も外聞もなく意味不明な割引をフル活用しようとする様に、本気で瞬は血縁関係をどうにかしたくなった。


 見ろ、ドラゴンも反応に困ることがあるのだ。


「わしも長いことここにおるが、これは……初めて、じゃな」


 その気持ちはよくわかる。逆の立場だったら、どう扱えばいいのかすらわからなかっただろう。もし助言できるとしても、真面目に相手にしない方がいいですよぐらいしかない。


「はぁ……ま、まぁどこを触ろうとぬしの自由じゃよ。ただ、さわれれば、の話じゃが」


 出来てから物を言えという態度で肩をすくめる少女に、あごの下をポリポリかきつつ吾朗は、


「はい言質げんち取った。まぁ正直、ストライクゾーン外、もうちょいボンキュッバーンになってから出直してこいって感じだけど? んじゃ、行くぞ?」


 いたはずだ。


 確かにいたはずだった。


「ほう、速いな」


 では、なんで、そんな場所にいるのか。


「逃げんなよ。不二子ちゃん」


 隣でメイが口笛を鳴らす。そうだ。先ほどまでのメイとガンモの動作は辛うじて目で追うことができた。殴る蹴る、避けられる一連の動作の流れが線となっていた。


 でも今のはなんだ。なんで、すぐそこにいたはずの吾朗はわずかに位置のずれた少女の後方で腕を振り抜いていて、節足動物の裏側のように気持ち悪く指を動かしている。始点と終点しかなかった。すなわち、始まりの点と終わりの点しかなかった。中間はどこにいった。


 刹那、少女と吾朗がにらみ合うと、


 再び、それが開始する。


 予測不可能の周期で、少女と吾朗が必ず同時に視界のどこかに現れる。まるでやたらめったら動画をスキップ再生してるようにしか見えない。


「すっげ」

 修飾のない賞賛をメイがこぼす。


 確かに、と瞬も思う。そして、なんであんな速度で動けるんだとも思うのだ。完全に人の域を超えている。この世界で再会した時、ガフの放った電撃魔術を殴った際にも思ったが、デタラメ過ぎてついていけない。


「悔しいですが、さすがはマスターのご友人。ですね」


 静観していたセラがいつの間にか鞘に収めていた剣を再び抜き放つ。

「え――」


「ですが、少しばかり手伝った方が良さそうです」


 そこで、とセラは瞬とメイに向き直ると。ごほんと咳払いをし、


「何か、お困り事は。……訳ありまして、私は一刻も早く百の善行をこなし、マスターの元へと帰らないといけないのです」




 お前、わかってんな? とでも言いたげな顔だった。


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マグナセイバーズ 来真らむぷ @kurumalamp

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