Log13 "エンカウント"





 時折、闇の彼方から聞こえてくるグルルという唸り声に肝を冷やしながらも、瞬はメイの後にぴったりくっついて、ダンジョンを奥へと進んでいた。


 男として情けないが、完全に及び腰である。

 つばは勝手にたまり、それを飲み込むのにも一苦労。


 ――いや、あの、普通に怖いんですけど。


 何が出てくるかわからないうえに、またトラップに引っかかる可能性もある。メイに付き合うとは言ったものの、いざとなったらお亡くなりになりかねない。その実感が今になってようやく追いついてくる。


 と、絶えず緊張状態にあるせいで、疲労感も三割増しになり、そろそろ休憩を求めようかとした矢先、


「……? どうかしたんですか」


 足を止めたメイは、


「におう」

 鼻をスンスン鳴らしつつ端的に口にした。


 におう? ためしに瞬も探すものの、別段何か違和感があるようなにおいは感じられなかった。


 だが、メイは無言を保つ。


 同時に、自分たちが三叉路に遭遇していたことに瞬は気づいた。


 右、左、片一方は天国、片一方は地獄に通ずる。そんな縁起でもない言葉が浮かんでくる。


「はてさて、こっちかにゃー」


 しかし、半ば確信があるかのようにメイは左の路を選択する。

 

「え、あの、メイさん、もしかしてどっちへ行けばいいかわかるんですか?」

「いんや、それなら話は早かったんだけどね」

「じゃ、どうして」

「いい質問だ。ダーシュンくん」


 メイは、歩みを緩めることなく、

「右の路は足元の岩がすり減っていたり、傷があった」

 

 つまりは人の通りがあったという痕跡だと指摘する。そんなとこよく見てたな、冒険者ってこういう観察力も求められるのかと感心していた瞬も、


「あれ、でもさっき、何かがにおうって言ってましたよね」


 メイは頷きを返し、

「鼻が利くのさ。昔から、特に危険なニオイに関してはね」


 なんだよそれと瞬はメイに見えぬ角度で顔をゆがめる。

「まっ、普通なら右が正解なんだろう。普通なら」


 要するに。

 

 普通に攻略するだけなら向こうの路を選択していたわけだ。大多数が目指す目的と違い、我々が目指しているのは通常ではないルートである。みんなと同じ進路をたどったところでみんなと同じ場所にしか至らない。


 全部が全部、逆に張っていく勢いでいかないといけない。だがそれは、安心安全レールから外れることと同義なわけで、やっぱり早まった――


 後悔のどつぼにはまっているうちに、休憩を要求することを忘れていた。






    ×   ×   ×   ×   ×   ×   ×   × 






「行き止まり……ですけど」






 そう、行き止まりだった。


 三叉路以降まっすぐ進んできたが、急に広い場所に出たと思えば、次なる路がなかった。

 いささか拍子抜けを覚えつつ、瞬は隣のメイの様子を窺う。


 当てが外れたことで落胆している、わけでもなく、

「ところでダーシュンは、腕っぷしに自信ある?」


 この状況で何を言うのだ。何度でも言うが、行き止まりである。これ以上は進めないのである。その現実をメイは認めていないのだろうか。


「いやないですけど……」


 きっと今まで何人もの冒険者志望の人間が左右の選択を間違え、ここに到着し、はずしたと舌打ちをこぼして来た道を戻っていったのだろう。


 何にせよ、行き止まりなら行き止まりでいいが、このまま帰るという展開にならないものだろうか。


「無理かなぁ……無理だろうなぁ……」

「キキッ」


 小声で瞬がぼやいている間に、メイはその場の中央にまで来ると周囲を見回している。そして、地面に膝をつくと慎重に何かを探し始めた。


 不審に思い、瞬もメイに向かって近づいていく。

「あの、何をしてるんです――」


 その時、足下に違和感が走った。


 続いて、どっかで聞いたようなカチッという音が耳朶を打った。

 やれやれと瞬は肩をすくめると、視線を落とし、自分の右足が踏んでいる場所が何故だか一段へこんでいることを確認し、面を上げる。こちらを指さし、固まっているメイに、


 一言、


「やっちゃいました」


 洞窟中が鳴動するような衝撃と共に、瞬のいた地面だけが急に支えを失ったかのように、傾いた。とてもじゃないが踏ん張れないそのえげつない角度に、なすすべもなく瞬は滑り始める。


 そんな中で、どこかで冷静になっている自分がいた。


 ――あ、今度は垂直じゃないんだ。まだいいか。


 嘘である。


「もう嫌だあああああああああぁぁぁああああああああっ!!」

「キキィ――――――――――――――ャッ!!」


 すぐさまガンモを抱きかかえながらも、瞬の悲鳴は遠ざかっていくのであった。







     ■     ■     ■     ■     ■





 あっという間の滑落体験を終え、ガムでも吐き出すかのような勢いで瞬はそこに転がり出た。


 ぐわんぐわん回る視界の中でどうにか身体を起こす。


「し、死ぬかと思った……」


 大丈夫だった? 胸元から飛び出し、被害を免れていたらしいガンモにも一応無事を尋ねる。


「ウッ、キーッ!!」


 これが野生育ちの差か。それか吾朗が深二の部屋にダイナミック侵入してきた時に学習したのか。


 とにかく、今度こそ意識を失わずにすんだ。着地の時に、足がとんでもないことにならなかったことだけでもプラスに考えてないとやってられない。


 が、そんな思考もつかの間、ガンモが何かに気づいたように、立ち上がろうとしていた瞬の背後を指差す。まさか――と身構える暇もなく、


「邪魔するよっと!!」

 背中に何かが激突してきた。


 魂的なものが口から飛び出るのを感じながら、再び瞬は地面に突っ伏す形になる。


 さて、そのぶつかってきた何かは、

「おや、瞬くん、受け止めてくれようとしたなんて紳士だね。おかげで傷一つないよ。やったね」


 呪詛の言葉が口をついたがうめき声にしかならなかった。が、それ以上、大して気にしたそぶりを見せずにメイは瞬を助け起こすなり、

「でかした。きみ、ツイてる」


 どこがだ、と、



 ――そこで、ようやく気づいた。




 さっきまで自分がいた場所はダンジョンという名の洞窟だった。日が差し込まず、どこか湿った雰囲気が絶えずつきまとい、足場もひどいもんだった。


 しかし、今。落ちてきたこの場所は、


「なんだ……ここ」


 つま先で床を数度、蹴ってみる。堅い感触。石には違いない。違いないのだが、平らなのだ。


 整備されている。

 そんな印象がまず来て、


「遺……跡みたいだ」


 石柱が一定の間隔を保ちながら奥へ奥へと連なっている。近くの柱に据えられた燭台から揺らめいている炎は、自分の影を何倍にも伸ばして床に貼り付ける。いつ頃からここに漂っていたのかわからない空気を肺に取り込む度、胸骨の辺りがなんだかむずむずする。


 天井も高い。大規模イベントホールに来た時のように思わず首が痛くなる角度で見上げてしまう。


 瞬の声は、そんな広大な空間に吸い込まれていった。


「こっちが、真の正解だ」

 声の弾みようからして、メイは上機嫌になっており、


「は、はぁ……」

 

 対する瞬は、呆気に取られ反応もそぞろである。


「不自然に開けた空間。何かあるとは思ったけど、トラップで隠されていたんだね。よく見つけたものだよ」


 見つけたくて見つけた訳じゃない。胃を重たくしていれば、肩まで上ってきたガンモが慰めてくる。


「それじゃ、攻略を開始はじめよう」


 正気かと思った。


「ちょちょ、ちょっと待ってください。あの、きゅ、休憩しませんか色々ともう限界なんですけど」


 むしろこれを逃すと、もうたぶんというか、絶対休めない気がして、頼み込む瞬に、




 ——タチサレ……ココカラ



 謎の声が響いてきた。


 一瞬、身を固くしたものの、


 ——タチサレ……ココカラ……

 ——イノチガ、オシクバ……



 ん? と思い、

 言葉の間に耳を澄ませば、小さく、


 ——タチサレ……ッス、ココカラ……ッス


 と後輩くんみたいな語尾が混じっていた。しかも何というか、声のトーンが怨念のこもっていそうな男の重低音というよりか、甲高いボーイソプラノのせいか迫力がなかった。


 ——イノチガ、オシクバ……ッス


 隣を見れば、メイもこれはどうしたものかと考えあぐねている様子だった。いや、しかし、なんかこれを放置しておくのもそれはそれでウザい。


「あ、あのぅ……、語尾、入っちゃってますけど」

「!?」


 息を飲む音がし、しばし動揺を抑え自分のリズムを取り戻すような間の後で、


「……イノチガオシクナイヨウダナ……ッス、ナラバ、ココデ」


 いや、直ってねーしと思ったのつかの間、


 

 何かが、それも巨大な何かが近づいてくるような揺れと音が聞こえてくる。自然とそちらに目を向けてみれば、


「さっそく、お出ましだ」

「な、何ですか、アレ……」


 メイは口笛混じりに、


 ――クレイゴーレム、ね。


 ゴーレムと聞いて、瞬の脳裏に岩のブロックで形作られた巨人が浮かんでくる。そして、事実、ゆうに10メートルは超える岩石巨人がこちらに向かって近づいてきていた。


 卒倒しそうになる瞬の耳に噛みついて、ガンモは意識をつなぎ止める。


 無理、無理とうわごとのようにつぶやく瞬に、


「さて、張り切っていこう」

 無情にも隣のメイが背中をはたく。


「無理無茶、ダメですって、アレ……っ、に、逃げましょうメイさん、早いとこ!!」


 むしろ一人で逃げるまであると、後ずさろうとする瞬の腕をガッチリ掴んで離さないメイ。


「な、ちょ、何すんですか!?」

「ダーシュン、君、腕っぷしに自信あるんだったね?」

「ないです。この状況であるバカいないでしょ!? ねつ造やめてください!!」


 こうしている間にも、ゴーレムは一歩ずつその距離を詰めてくる。頭をかきむしり、パニクる瞬を落ち着かせるように、


「なぁに、心配しなさんな。


 ——このメイちゃんさんにお任せあれ」


 メイは、ずいと歩み出るのだった。






 

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