1-3

「ようやく、俺たちにとって本当の青春がスタートするってわけか。へへっ、今から燃えてきたぜ」

「ゼロヨンに賭ける青春か。悪くないな」

「ゼロヨンは俗称だけどね。厳密には400mじゃなくて、1/4マイルなんだからさ」


 みんなが同じ光景を思い浮かべているのだろう。

 ふたつのレーンに分けられたアスファルト舗装のレースコースが、遥か視界の果てまで真っ直ぐに伸びていて。そしてコースの表面には、ブラックラインと呼ばれるタイヤの焦げ跡がくっきり刻まれている。


 ――1/4マイル。


 約402・33mの直線をいかに速く駆け抜けるのかを競う自動車競技。その名をドラッグレースという。

 俺たちはこれから一年を通して、そのドラッグレースに挑むつもりなのだ。

 数あるモータースポーツの中でも、このレースほどシンプルで勝ち負けがはっきりする競技はない。

 二台横並びでスタートラインを飛び出したら、あとはゴール目指してアクセルを床まで踏みつけて全開にするだけ。

 マシンの持てる性能を余すことなく出しきり、そして、速いほうが先にゴールラインをくぐる。

 そもそも車好きになったきっかけなのも手伝って、俺はこのシンプルでわかりやすい競技をたまらなく気に入っていた。

 カーレースの花形ともいえるサーキットを周回するタイプのレースもまた魅力的ではあったが、レースの性質上勝ちに行くためにはドライバーのテクニックに依存する割合がどうしても高くなる。

 いくら気合い充分でレースに臨んでも、経験に基づいた確かなドライビングテクニックがなければ、まったくお話にならない。

 こればかりは車の性能だけで補いきれるものではなく、たとえ本気で取り組もうと、一年という期間では単なる思い出作りで終わってしまうのが関の山だ。

 対してドラッグレースならば、ドライバーのテクニックに依存する割合が周回レースよりも軽くなるぶん俺たちにだって勝算はある。

 無論、本気で勝ちにいくためにマシンをステップアップしていけば高度なドライビングテクニックを求められるだろうが、それ以上にモノをいうのがマシンの性能だ。

 サーキット周回レースはドライビングテクニックの競い合いとしての側面が大きく、ドラッグレースはマシン性能の競い合いとしての側面が大きい。

 全員が力と知恵を結集し、速い車さえ作り上げることができれば、俺たちのような素人だって表彰台に上ることが夢ではないのだ。


「ここまで長かったぜぇ。ああ、本当に長かった~っ」


 これまでの苦労と我慢の日々を思い返しているのだろう、正樹はわざとらしいオーバーアクションを交えながら、しみじみとこぼす。

 俺もまた、長かったという言葉を噛みしめていた。信も感慨深そうに表情を緩めている。きっと全員が同じ気持ちなのだろう。

 バイトをしている学生自体は周りにも少なくなかったが、何か一つの目的のために、せっかくもらった給料をひたすら貯金し続けていたのなんて、俺たちぐらいのものだ。我ながらずいぶんとストイックな学生生活を送ってきたものだ、と苦笑いせずにはいられない。


「周りのみんなが眩しい青春を謳歌している間、僕らと来たら春夏秋冬アルバイト三昧だったからね」

「くそ重たい米袋の運搬に、死ぬほど冷たい吹雪のなかの年賀状配達。色々やったっけなぁ」


 どれも汗臭さい記憶ばかりだが、今になって振り返ってみれば不思議と懐かしく、楽しかったように思えてくる。

 そうやって思い出話を交えて、それぞれ担当している部門の報告を終え俺たちは、そのまま続けて、これからの予定についてもいくらか話し合った。

 あえて第〇回と書いたように、今日集まった目的はあくまで現状の確認のためだけであり、これからの予定については後々きちんと話し合うつもりだった。だが、一度熱が入ってしまった議論はなかなか収まらない。

 タービンはあれがいい。目標タイムは何秒だ。ホイールはどうする。

 昼を過ぎ、陽が傾いても、話は尽きなかった。

 それもそうだろう。出てくる言葉の一つ一つが、これまでの夢物語とは違い現実味を帯びているのだから。


 ――ったく、なんて楽しいんだろうな。


 心の底から、そう思う。これからもずっと、今この部屋を満たしている心地よさに浸っていたかった。

 だけど、あえて俺はこの心地よさに波紋を投げかけよう。

 憧れ続けた夢の先へ、楽しさをもっと加速させるために。そう、そのために、俺は今日ここへ二人を呼び出したのだから。

 俺は深く息を吐いて、腰かけていたパイプ椅子から立ち上がると、再びホワイトボードの正面に立って、おもむろに口を開いた。


「二人とも、ちょっといいか?」


 呼びかけに応じて、二人の視線が俺に集まる。


「頼む。それも一生の頼みだ。レースのドライバーは俺にやらせてくれ」


 そう続けた俺に、二人は意外そうに目を丸くした。


「おいおい、ちょっと待ってくれよ。いくら、リュウのほうが先に免許を取るからって、そいつはずるいぜ」


 正樹が腕を広げて抗議の声をあげる。アンフェアなことを口にしているのは俺自身よくわかっていた

 どのみち、参戦するレースの性質上メインドライバーは一人に絞ることに決まっていた。

 候補は俺と正樹のどちらか。俺の誕生日が四月で、正樹の誕生日は五月。二月生まれで今年中に免許を取得するのが不可能な信は、計画発足の当初からメカニックに専念することを公言していた。

 どちらがメインドライバーになるかは、俺と正樹が共に免許を取ってから、適正を見て公平に決めよう。これが、俺と正樹が交わした約束だった。


「僕も正樹と同意見だね。そういうのはちょっとフェアじゃないよ」


 信もまた異議を唱える。信の公平さを重んじる性格からすれば、これも予想通りの反応だ。


「まず理由を云ってくれよ。その内容によっちゃあ譲ってやらないこともねえからさ」

「そうだね、正樹の云う通りだ。まずは理由を聞こうじゃないか」


 理由、か……。

 俺は考えるそぶりを見せて、適当な言葉を探る。


「そうだな、しいて云うなら、思い出づくりかな」


 案外的を射ているとはいえ、我ながらまどろっこしくて酷い理由だ。案の定、二人からはブーイングの声が上がった。


「思い出づくりって、そりゃあないぜぇ。俺だって思い出を作りてえよ」

「本当は、もっと別な理由があるんだろ? 顔に書いてあるよ。一生の頼みだなんて、隆太らしくないもの」


 信が納得のいかない様子で、俺に指鉄砲を向ける。なかなかの鋭い指摘に、俺はおどけて顔の表面に触れてみる。


「ハハ、そうか、顔に書いてあるか。じゃあ誤魔化しようがないよな」


 それだけ云って、俺は口を閉じ、黙り込んだまま二人の顔を真っ直ぐ見据えた。

 意図せず神妙な表情でも浮かべていたのだろう。俺と目があった二人が、反応に困って言葉を失う。小屋の外が静かすぎるのもあって、会話が途切れた室内は怖いぐらいの静寂に包まれた。


 ……まいったな、こういう堅苦しい空気はどうも苦手なんだが。


 本当はもっとさらりと云うつもりだった。だがこうなったのも、ありのままを口にするのを躊躇ってしまった俺の自業自得か。

 俺は瞼を閉じる。そして、自分自身に云い聞かせる。

 さぁ、腹をくくれ小林隆太。云おうじゃないか、一切の脚色なく、ありのままの事実を。

 ただ一言を告げよう。人生のゴールラインに向かって、全力で走り出すために。

 静寂の中、俺の耳に一つの音が届く。

 ただのイメージ。現実には存在しない音。どこか心臓の鼓動に似た、荒々しくも力強いメカニカルノイズ。

 On Your Mark位置について

 レースのスタートを告げるシグナルランプが点灯しはじめる。

 これは俺にとってはじまりだ。終わりなんかじゃない。俺の人生でもっとも有意義な時間のはじまり。

 閉じていた瞼を、ゆっくりと開く。

 いきなり瞑想状態に入ってしまった俺を、二人が黙ったまま不思議そうに見つめていた。俺は、精一杯の笑顔を作る。自らの人生を、これからスタートする素晴らしき日々を祝福するために。

 そして、なんでもないことのように、さらりと言葉を紡いだ。



「俺さ、あと一年したら死ぬみたいなんだ――」

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