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「ついにはじまるぜっ、俺たちの伝説が!」


 一人テンションの上がった正樹が、先頭を切って中に飛び込んでいく。そのはしゃぎように苦笑いしつつ、俺と信もあとに続いた。


「四ヶ月ぶりってとこか」 

「たしか、雪が降り出す前に訪れたのが最後だっけ」


 並んで歩きながら、信は懐かしさを噛みしめるように小屋の中を見渡している。俺もそれに倣って目線を動かした。

 まず目につくのは中央に据え付けられた二本の太い鉄柱。計四本のアームを生やしたそれは、二柱リフトと呼ばれる自動車の車体を持ち上げるための大がかりな装置だ。

 次いで目に入るのが、洗濯機ぐらいはありそうなでかい工具箱。その周りには、タイヤを組み替えるためのタイヤチェンジャーや溶接機をはじめとした一般人にはまず馴染みのない特殊工具が並ぶ。

 俺たちみたいな車バカにとって申し分のない設備がそろったこの場所は、夢とロ

マンがぎゅうぎゅうに詰まった『ガレージ』だった。


「正樹じゃないけどさ、たしかに気持ちがはやるよね。ついにここまで来たんだ

なって」


 ガレージ内をぐるりと見渡して、信が感慨深げつぶやく。


「ここまでじゃなくて、すべてはこれからだろ」


 そう云いながらも、俺もまた感動が沸きあがってくるのを自覚していた。ガキのころから憧れ続けていた夢が、今ようやく手の届くところまでやって来ようとしているのだ。

 そして、それだけじゃなくて、俺にとっては夢の実現以上の意味が――――。


「ところでさ、今日は加奈子ちゃんが用事でこっちにいないみたいないだけど、彼女抜きで話を進めてもいいのかい?」


 信が口にした名前が、俺の思考を途中で打ち切る。ここにはいないもう一人の仲間の名前だった。彼女が今日いないことはわかっていた。それを知った上で俺は二人を呼び出したのだから。


「今回は、あくまで現状の確認だ。本格的なミーティングはまた後日やればいい。別にカナを仲間はずれにしようってわけじゃないよ」


 俺が偽りの理由を平然と述べたところで、「おーい! お前らも早くこっちに来いよ」と、奥にある小部屋から正樹の声が響いた。


 *******


 ガレージの奥にある六畳ほどの小部屋は、事務テーブルやパイプ椅子が並べられ、ちょっとしたミーティングルームのようなレイアウトになっている。

 レーシングカーのポスターやパーツメーカーのステッカーが壁や棚にあちこち所狭しと貼られ、本棚には車雑誌や部品のカタログに加えて、整備解説書までそろっていた。云わば、俺たちの作戦会議室だ。

 俺は部屋の隅に置かれていたファンヒーターのスイッチを入れると、置いてあったマジックペンを手に取って、正面の壁に備え付けられたホワイトボードに『第0回 北鷹学園自動車競技愛好会ミーティング』と力強く書き殴った。


「自動車競技愛好会か、間違ってはいないけれど、ちょっと堅苦しいね」


 信はそう云いながらも、まんざらではない様子だった。

 当然ながら、こんな愛好会は非公式で非公認だ。そもそも、大学生や社会人ならいざしらず、高校生が自動車競技、つまりレースをしようというのが無謀極まりない。

 第一に運転免許の問題がある。

 法律上、どうやったって満十八歳にならなければ自動車の運転免許は取れない。となると、活動期間はせいぜい高校三年の一年に限られてしまう。

 第二に金銭的な問題。

 モータースポーツというのは恐ろしく金がかかるのだ。車輌代だけではなく、オイル、タイヤ、燃料、その他諸々を含めたメンテナンス費用。加えて、競技に合わせたチューニングを行うための費用だって必要になる。どう考えても一介の高校生の資金力では賄いきれない。

 高い障壁があることは最初からわかっていた。だが、俺たちはガキのころからの車バカで、高校を卒業するまでなんて我慢できなかった。だから、高校に入ったばかりころ、今と同じようにこのガレージに集まって、ある計画を打ち立てたのだ。


「まずは現状の確認といこうか」


 俺は進行役としてホワイトボードの前に立ち、パイプ椅子に腰かけた二人に向き直る。


「いよっ、待ってました!」


 喜色満面で手を叩く正樹に口元を緩めながら、俺は言葉を続けた。


「俺のほうは特に問題はない。教習も順調、このペースなら四月の半ばには無事免許を取れるだろう」


 計画の手はじめとして、ドライバー候補の俺は、学校が春休みに入ると同時に教習所に通っていた。ただ、十八歳の誕生日が四月の三日なので、それまでは仮免にすら進むことが出来ず、まだ三月中の今は足止めを食らっているのが現状だ。


「次はオレだな。車輌のほうも問題ナシ。こないだ山さんが適当なエンジンを見つけたらしくって、そいつが載っかり次第いったん車検を通すってさ」


 俺に続いて説明をはじめた正樹が、この場にいないもう一人の協力者の名前を口にする。

 もともとこのガレージはその人の所有物件で、さらにありがたいことに、俺たちはその人からベースとなる車輌の提供まで受けていた。


「それぞれ順調ってことだね。じゃあ、僕も報告といこうか」


 トリを務める信は、おもむろにバッグに手を入れて、一枚の預金通帳を取り出した。正樹が緊張した面持ちでゴクリと喉を鳴らす。


「発表するよ。現時点での僕たちの総予算は……、一八一万とんで三〇三七円だ」


 俺は思わずヒュウと軽快に口笛を吹いてしまった。二〇〇万の大台にこそ届かなかったが充分に大金と呼べる額だ。この資金は、俺たち三人が高校に入学してから今日までアルバイトをして貯めてきた汗と苦労の結晶だった。

 たった一年しか活動できないのも、レースをするのには金がかかるのもハナから承知していた。

 けど、それでもよかったのだ。三人とも、ただ純粋に車が好きで、レースに出たいという欲求のほうが勝っていたから。

 あらかじめ協力しあって資金を貯めておき、活動期間をむしろピンポイントで一年に限定すれば高校生の資金力でもレース活動ができる。

 計画を立てた当初は、わざわざ車の免許を取るまで待たなくてもよく、より低予算で遊べるレーシングカートやミニバイクレースにでも妥協しようかという案もあった。

 しかし、一度イメージしてしまった実車を使ってのレース活動の魅力は、車バカにとって何物にも代え難く、結局は三人そろってバイト漬けの高校生活を送る羽目になってしまった。

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