【014】「聞きたくなかったなぁ……その名前」

 ユーズの身体を抱き留めたイーワンが次に取った行動は素早かった。


誓技せいぎ:<報復ほうふく縛鎖ばくさ>」


 再びスキルを起動。元々あった11本に加え、さらに2本。片方はユーズの胸元に、そしてもう一方をイーワンは力強く引き寄せる。

 想像していたよりも軽い手応えと共に、陰気な男がイーワンの前に転がる。

 肌は青白く、目が異様にギラついている。ほかの盗賊たちとは違い、質のいいローブをまとっている。もっともイーワンが無理やり引きずり出したせいで、せっかくのローブも土埃にまみれてしまっているが。


「……ザガン、ごめんなさい。しくじったわぁ……」

「ザガン? コイツら『邪教盗賊団』か……!」


 ファイが引きずり出された陰気な男を見て、顔をしかめた。ユーズにザガンと呼ばれた男はそれを否定も肯定もしない。


「オッサン、先言っとくけどオレ男には容赦しないからな?」


 言葉尻にわずかに殺意を滲ませ、イーワンは凄む。無論、殺す気はないがそれでもユーズを、女をイーワンに突っ込ませたのは頭領であるこの男だろう。理性では優秀な剣士であるユーズが前衛を担うのは当然だと分かってはいるがそれとこれとは話が別である。


「……アンタ、さっきの術式何やったんだい」

「え? あぁ、アレ? 


 ファイは零れ落ちんばかりに目を見開き、口をパクパクと開閉させる。ちょっと面白いが、そこまで驚かせると悪い気もする。

 魔術の自作はAWOの頃からそれなりに盛んな技術だったはずだ。AWO、『エンシェントワードオンライン』というタイトルはこの仕様が由来でもある。

 世界観の設定ではこの世界は全て『古代文字エンシェントワード』で構築されている、ということになっている。創造神とやらが『在』と『無』を作り、それを無数に組み上げた結果、この世界は生まれた――そうなっている。そう設定されている。

 察しのいい人はこれだけで分かるがこの古代文字エンシェントワード、何ことはない『』と『』のことだ。1と0からなる言語――つまりはなんのことはない。プログラムのことである。

 プレイヤーは多少の制約はあるもののある程度、この世界の文法を理解していれば自由に魔術を作り上げることができる。もちろんキャラクターのスペックに超えるようなものはまず作れないようにはなっている。なってはいるが、それも技術次第である。サービス開始直後の黎明期れいめいきには膨大な量があった魔術だが、それも用途に合わせ自然と淘汰とうたされていった。今では多少の際はあれど、それなりの性能の魔術がプレイヤーの間で流通している。


「まぁ、無理やりな力技だけどな、アレ。ただの麻痺らせるだけのためにあのMP、魔力消費は割に合わねぇよ。そのくせ、再発動リキャストに86時間とか産廃だよ、産廃」


 イーワンが使う魔術の多くも元は別のプレイヤーが編んだ術式だ。先ほど使った『アミームの極光』もそのひとつである。プログラムの心得のあるプレイヤーは自分のプレイスタイルに合わせ、アレンジを加えることも多いが生憎、イーワンは専門外である。廃人のたしなみとして術式が読める程度には把握しているが、自作となるとからっきしだ。

 新たな魔術を作ること、それ自体はそう難しくはない。しかしプログラムに制約があるのと同じように魔術も無駄が多ければ多いほど、その魔力消費は悪化するし、効果も弱く雑になる。

 先ほどの急増した自作術式『イーワンの銀針』も見る者が見ればひどい出来である。イーワンの基本スペックに任せた無駄だらけの術式だ。本職の魔術師が組んだものに比べれば燃費など100倍は違うだろう。『イーワンの銀針』の消費MPは信じられないことに『アミームの極光』の約18倍である。そんな恐ろしい無駄遣いゲーマーとしては当然、容認できるはずもない。ちなみに『アミームの極光』はイーワンの即席魔術よりも数段格上の魔術である。

 いかんせん状況が状況だったが為に無駄も無用も全てを無視して、ただ麻痺させる


「つかファイちゃん、コイツらのこと知ってんの?」


 自分の不出来な術式について考えると嫌になってくるので、話題を変える。変えるというよりは戻した、という方が正しいか。


「あぁ、そこそこ名の通った盗賊団だよ。何度か討伐隊が編成されたって話も聞いたことがある。まあ、雑魚はともかく、頭領のザガンは幾度となく逃げ果せたって話ばかり聞くね。つかちゃんづけすんな」


 もはや定番になりつつあるやりとりをしながらの話を聞いて得心が言った。

 妙にレベルに差があると思っていたが、おそらくユーズ以外の盗賊たちは捨て駒だろう。


「殺すなら殺せ。もう打つ手がない」


 観念したようにのろりとザガンは身体を起こした。改めて見れば見るほど気の滅入るような男だ。水死体のように青白い肌、落ちくぼんだ眼孔。陽気に歌い出せ、とまでは言わないが陰気にもほどがある。

 アンデッド系のダンジョンで出会ったら確実にモンスターと間違えるであろう容姿だった。下手をするとサキュバスのような淫魔の類の方がまだ人間味がある。


「ねぇ……コイツら、どうするの?」

「……どうしようかねぇ」


 ちらりと視線を辺りに走らせれば、骨を折られた痛みに未だ呻く盗賊たちが野にゴロゴロと転がっている。もはや身の危険はないのだが――この盗賊たちをどうしたものか。


「とりあえず縄なら積んでるから、縛るか……イーワン、手伝いな」

「アイアイ、マム」

「なんだいそりゃ」


 程なくして大した抵抗も無く縛ることが出来たが、問題はこの盗賊たちの処遇である。当然ながらこの人数はいかにファイ自慢の荷猪車にちょしゃでも積載オーバーというものである。

 しかし、行くにも戻るにも中途半端な道半ば。かといって野放しにするのも無責任。わざわざ手間をかけて、生かした相手を無防備な状態でとどめを刺していくというのはなんとも間抜け過ぎるし、後味も悪い。

 なんとも宙ぶらりんになった困った状況だ。通報さえすれば飛んできてくれたセキュリティシステムが今ほど恋しいと思ったことはない。


「縛ったはいいけど――


 どうする、と問いかけようとしてイーワンは思わず固まる。

「信じられねェ」と盗賊の誰かがイーワンの心を代弁した。すっかり冷めた夕食をもそもそと口に運ぶファイを見れば誰だって同じ感想を持つだろう。


「なんだい? 文句でもある?」

「い、いや……ないけどさ、盗賊に襲われた直後に飯食うってすげぇなって……」

「だって飯と途中だったろう」

「そうだけどさ」


 何を当たり前なことを、と言わんばかりにファイは襲撃の直前とまったく同じペースで食事を進めていく。なんとなしにイーワンも釣られるように火の傍により、冷めた椀をすする。


「飯を用意したんだ。食わなきゃもったいない。それにコイツらをどうするかは食いながらでも話せるさ」

「まぁ、確かに」


 そうだけどさ、と理屈は分かるがなぜか釈然としない思いを抱きつつ、イーワンも食事を再開する。スープはすっかり冷めたが、塩っ気のある肉とパンは十分な満足感をイーワンに与えてくれた。

 こっちの世界に来てからイーワンは食の喜びを知った。現実リアルの遺伝子配合された固形食と錠剤など食事ではない。ただの栄養補給だ。それをイーワンはこの身体になってから知った。

 はぐはぐと匙を使いながら、ファイと今後のことを話し始める。


「次の街まであとどれぐらいだっけ? ええっと、名前なんだっけ」

「『クーメル』だよ。まぁ、あそこの衛兵に引き渡すのが真っ当っちゃあ真っ当なんだけど、まだ半日ほど距離がある」

「オレの鎖で引きずる? ユーズ1人なら乗せられるだろ」ぶっちゃけイーワンにとって男はどうでもいい。

「アンタ、男相手だとメチャクチャ言うね。しかし、野放しにするわけにもねぇ……」


 不安げに自分たちの今後を左右するであろう会話に無事な盗賊たちは聞き耳を立てている。イーワンの言葉に顔を青くしたりもしているが、ユーズとザガンは興味なさげに目を伏せたままだ。ユーズはともかく、ザガンの方は不気味な沈黙である。


「んー、今夜は私らが見張るとして明日、場所を衛兵に教えるか」

「置き去りにするってこと?」

「まぁ、そうなるねぇ。この辺は魔物も少ないし、一晩くらいなら大丈夫だろうさ」


 空になった匙を襤褸切ぼろきれで拭い、片付けながらファイはとりあえずの結論を出す。特にイーワンに思いつくような異論もない以上、話はこれで終わりになる。


「ふぁ……疲れた。アンタといるとロクなことがない。アタシは先に寝るよ。月が落ち始めたら代わってやる」

「あ、うん。とりあえず見張ってればいいんだよな?」

「そうさ。適当に火は絶やさないようにしとくんだよ」


 そう言ってファイは荷台に乗り込み、ごそごそと暖かそうな毛皮を取り出すとその小さな身体を器用に丸めて猫のようになる。ほどなくして規則正しい寝息が聞こえてくる。どうやら疲れたというのは本音らしい。ずいぶんと早い寝つきだった。


「さて、寝ずの番ね……ファンタジーしてるなぁ」


 パチパチと爆ぜる焚き火をぼんやりと眺めながら、イーワンはひとりごちる。AWOだった頃に『寝ずの番』という概念はない。眠たくなればその場でログアウトすればいいだけの話だ。稀に一定時間ごとに復活リスポーンするレアモンスターやレアアイテムを狙って待つことはあるが、それだってあらかじめ目覚まし用のアラームをかけておくだけことである。

 ふと空を見上げてみれば、満天の星々が煌めいていた。

 その美しさを表現する言葉をイーワンは持ち合わせていない。ただひたすらにキレイだと感じた。

 その美しさに感動すると同時にイーワンはある種の諦観ていかんを実感させてくれた。あれほど動揺していた『異世界』――それを輝く星たちが理解させる。

 ゲームだった頃のAWOはこれほど美しい星空ではなかった。どれほど技術が進歩しても、この星の輝きを実感するには肌が必要だとイーワンは初めて知った。元の世界では当の昔に喪われた星空の美しさがイーワンにそれを教えてくれる。

 意識せずイーワンの口から息が漏れた。あれほどに受け入れがたかった『現実』に血が通うのを感じる。


 帰れるかは分からない。帰りたいかも分からない。


 それでも、少なくても今はここで『イーワン』として生きていく。

 そう感じた途端、なんだか急に眠くなってきてしまった。このままだと寝てしまいそうだ。


「……ユーズ、まだ起きてる?」


 眠気を紛らわせようとイーワンはユーズに声をかける。ユーズとザガンは他の盗賊たちと分けて縛ってあった。ほかはともかく、この2人の戦闘能力は突出している。人影に隠れて、何かされては困る。


「起きてるけど、なぁに? 私を犯したくなったのぉ?」

「そういうのじゃないんだけどね」


 イーワンは思わず苦笑する。

 男の身体であっても精神は女性のままだ。ユーズの艶めかしい腰や胸を見ても性欲は感じなかった。

 イーワンは自他ともに認める『女好き』で有名なランカーではあったが、当然ながら『そういう事』に経験はなかった。AWOだった頃は裏では『下半身直結野郎』だのなんだの散々に言われたものだ。イーワンが自分からAWOで知り合った女とリアルでは会おうとしたことはなかったし、向こうからの『お誘い』もあったが、そもそも会えるはずもない。まぁ、そういった下心のなさがイーワンのモテる理由でもあったのだが。

 この身体なら、まあ『デキる』だろうが少なくても今はそのつもりにはならなかった。


「『ソローヤ』のことが聞きたくてね。これ、どこで手に入れたの?」

「……昔の『仕事』よぉ。たまたま手に入った、それだけ」


 魔刀ソローヤは決して安い装備ではない。酷なようだがユーズではこの武器はオーバースペック過ぎる。買うには高すぎるし、そもそもそこらで十把一広じっぱひとひろげで売っているような代物ではない。


「その仕事ってのは?」

「さぁ……細かいことはよく覚えていないわ。ザーガーン、あなた覚えてるぅ?」


 鬱陶しげにザガンは縛られた身体をわずかに起こし、しばし逡巡した後、口を開いた。


「7年ほど前だったか。ここよりずいぶん北の行商路で商人を襲ったことがあった。それはその時の積荷のひとつだ」


 思っていたよりもはるかに素直にザガンはソローヤの経歴を離す、もう少し、話を渋るかと思ったが、予想が外れた。

 そしてその答えはイーワンの嫌な予感を急速に加速させる。


「ちょっと見せてもらうね」

「好きにすればぁ。敗者のものは勝者のものよ」


 ユーズの傍に、されど手が届かぬ場所に転がるソローヤをイーワンは改めて拾い上げる。なるほど、近くで見ればまさに素晴らしい刀だった。妖刀という形容詞が良く似合う。薄い刃はわずかに歪曲し、引き斬ることに特化している。イーワンの知るソローヤそのものだ。

 嫌な予感をひしひしと感じながら握りに巻かれた革を丁寧に解いていく。外れてくれと願った予感は残念ながら当たっていた。


「うーわ……最悪……」

「どうしたのよぉ?」


 多くの鍛冶師は自分の銘を武器に彫り込む。優れた武器を見分ける際にも使うし、生産者クリエイターにとっては自分の作品は特別なものだ。

 そして件の『魔刀ソローヤ』に関してもバッチリと製作者の名前が刻まれていた。


「あー……一応聞いとくけどさ、このソローヤ作ったヤツのこと知ってる?」


 恐る恐る投げかけたイーワンの問いに、ユーズとザガンは揃って首を横に振る。


「確か『セリエラ』だっけ? 聞いたことのない鍛冶師ね」

「聞きたくなかったなぁ……その名前」


『セリエラ』――AWOだった頃は『ある一定のプレイヤー』の間で蛇蝎の如く嫌われていたプレイヤーだ。困った事にイーワンの知己――それも、ソロプレイヤーのイーワンにとって数少ない友人の名前である。

 種族はエルフ。魔術武具マジックウェポン専門の廃人ハイエンド級鍛冶師だ。イーワンの銀棍『白銀八角』や白銀に輝く腕甲脚甲もセリエラの作品である。

 腕前は超一級品――なのだが。

 AWOではプレイヤーが作成したアイテムには自由に『フレーバーテキスト』――雰囲気づけの為の説明文――を自由に設定できる。セリエラの場合はこれが非常に趣味が悪い。

 イーワンの『白銀八角』や『魔刀ソローヤ』のような廃人ハイエンド級装備はそのほとんどがオーダーメイドで作成され、所有者が明記されてあり、他人が装備する事ができなくなっている。その為、装備品が他人に渡ることは基本的にならないのだがこの仕様、実は抜け穴がある。

 装備品を『素材』にして、打ち直せば『別物』として扱われるのだ。基本的には打ち直すと性能が多少下がってしまう為に、引退したプレイヤーの装備品などを人に受け渡す時に使われる仕様なのだが、セリエラはこれを利用してPKプレイヤーキラーたちの装備品を同名の装備品に打ち直す。

 その際にフレーバーテキストを編集し、元持ち主のPKの名前を入れて『○○の怨念が宿っている』だの『悪霊○○が使っていた武器』などと書き加え、市場に流すのが趣味という最悪の性格をしている。

 なまじ鍛冶師として腕が立つせいで、中堅プレイヤーにとってセリエラの装備品は安価で高性能な掘り出し物だったりする。そのせいですぐに売れてしまい、十中八九、持ち主の手には戻らない。

 挙句、そういった武器が出回るということは『』ということがサーバー中に知れ渡ることを意味する。セリエラの装備品が市場に流れる度に、PKたちのコミュニティは荒れに荒れる。

 セリエラはそれを見ながら煽るのが一番の楽しみという最悪な性格である。ついた二つ名が『性悪しょうわるのセリエラ』――PKたちにはそれはもう親の仇のように恨まれている。

 PK可能ゾーンを出歩けば狙われない日は無い、というほどだ。セリエラが素材収集する度に護衛しているのはイーワンなので間違いない。


「ソローヤがあるってことはこれ1本だけ……ってことはないよなぁ」


 ソローヤがある以上、対になる魔刀セニーヨもどこかしらにあるだろうことは想像に難くない。

 廃人ハイエンド級装備の多くは過剰かつ特殊な能力を兼ね備えている。悪用されればどれほど厄介かは、手の中にあるソローヤが何よりの証拠だ。問題はそんな罪深い装備品たちの誕生の多くにイーワンが関わっていることである。

 セリエラはPKに常日頃から狙われている。その護衛はイーワンが務めることが多い。結果として、イーワンはセリエラ狙いの多くのPKを返り討ちにしている。イーワンの対人戦闘PvP経験の大半はセリエラ絡みのトラブルが原因だ。

 その際のドロップ品――PKたちの装備品――はセリエラの手に渡り、またPKたちの恨みを買う事になる、という負の循環が続く。なおセリエラ本人はご満悦である。

 この悪辣際回りない趣味ががセリエラが『性悪』たる由縁である。

 セリエラの作った悪趣味な装備品たちは厄ネタ以外の何者でもない。もし仮にその全てが市場に流れているのならば、そこかしこでトラブルの種になっているに決まっている。

 なぜならいつもその尻拭いをさせられていたのはイーワンに他ならないのだから。


「勘弁してくれよ、セリエラぁ……」


 イーワンの情けない愚痴は星空の下に虚しく響いた。

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