【013】「オレ、この中で一番ダサくね?」

「……くふ。あはは、ハハハハッ!」


 堪え切れなくなったと言わんばかりにユーズが呵呵大笑かかたいしょうする。夜の闇にユーズの心の底から愉快そうな笑い声が響く。

 まなじりに涙を浮かべるほどに笑いに笑ったユーズは、ひーひーと乱れた息を整える。


「死にたければ死力を尽くせ? くふっ、あはは……そりゃあないでしょう? 私は本気で殺せって言ったのに、その答えが、くく。あれだけ茶番を見せた挙句、答えがそれぇ?」


 目元の涙をぬぐいながら、ユーズは呆れながらもどこか愉快そうに問う。


「あは……『魔刀賊まとうぞく』だなんて呼ばれるようになって呼ばれるようになってからそれなりに経つけれど、まさか自分にこんな『真っ当』な感性が残っていたなんて、自分でも驚くわ』


 今までゆらゆらと揺れ続けていた。魔刀ソローヤの刃先が不意にぴたりと止まる。


「なんだかんだ言って私も一端の武芸者なのね。……こんなにもなんて」


 ユーズが笑みを浮かべる。その笑みは今までイーワンたちに見せてきたものとは質が違う。混じり気のない、それでいて純粋な笑み。その笑みからは悪意や殺意は感じられない。

 その笑みに浮かぶのは、己が死地を見つけた喜び。

 そこに込められた決意と覚悟にイーワンはまた圧倒されそうになる。


――まただ。


 この決意も、この覚悟も。

 AWOゲームだった時には無かったものだ。多くのゲーム同様、AWOの死は絶対ではない。多少の経験値喪失ペナルティと一定時間のステーテス劣化、所持アイテムのドロップ――『』だ。

 HPが『0』になり、『戦闘不能』になって『蘇生系スキル』を受けられず一定時間経過して『死亡』すればAWOの死は訪れる。最後に寄ったチェックポイントに前述の再復活リスポーンするだけだ。

 高レベルになれば失われる経験値はかなり痛いし、装備品を落とせドロップすれば出費は目を覆いたくなる。腹が立てば舌打ちのひとつでもしたっていい――その程度だ。

 イーワンとユーズでは『死生観』が全く違う。


「『最期』なんてどうせゴミクズのように死ぬと思っていたわ。私みたいな『盗賊風情』が全霊を尽くして、剣士として死ねるだなんて――あぁ、あぁ。なんて上等なのかしら」


 ユーズはここで死んでもいい――どころか『ここで死ぬ事こそが望み』と。笑いながら言ってのけた。

 そのユーズの覚悟を、


「死なせない」


 イーワンは一言で切り捨てる。


「いくら女の頼みでもそれは聞けないな」


 口の端を吊り上げて、精一杯の虚勢を張る。張らなければいけない。そうでなければ、どうしてこの覚悟に向き合える。薄っぺらな覚悟しか、辛うじて記憶に残るイーワンの面影をトレースしているに過ぎない自分が。

 文字通りの全身全霊をかけ、到底叶わないという相手に死を求める『剣士』にどうして向き合えるのか。

 虚勢のひとつでも張らなければ、震えてしまいそうだった。理性では負けるはずがないと理解している。手先の震えがパリングの成功率を下げることも把握している。

 それなのに、自分がその気になれば目の前の、生きている人間を『いつでも殺せる』という事実がどうしようもなく、怖い。

 イーワンはこの世界において、あまりに


「カッコつけるんなら最後までやりな、イーワン」

「いってェ!」


 震えそうになる肩をファイがバシンと叩く。ダメージこそ無いものの、ドワーフ種族特有の高い筋力で叩かれた衝撃はそれなりにあって。しかし、それ以上に『叩かれるまで気付かなかったこと』にイーワンは驚く。


「アタシを守るんだろ。命、預けたからね。……それと」

「それと?」

「ちゃん付けすんな、この色ボケ」


 フンと鼻を鳴らして、ファイは10歩ほど離れ――その場にあぐらをかいて座り込んだ。

 ふてぶてしくも頬杖までついてみせるその姿は堂々としすぎて、いっそ清々しい。


「……座ってたら逃げ遅れるわよぉ?」

「仮にアンタがイーワンを殺せるんならどう頑張ってもアタシは死ぬよ。それぐらいはアタシにだってさっきのを見てれば分かる。だからアタシはここで見物させてもらう。こっちは命賭けてるんだ」――見物料としてはぼったくりだろう、と。


 そう言ってファイは居直った。

 なんというか。


「胆が据わってるわねぇ……」


 感心とも、呆れとも取れる呟きをユーズが漏らすが問題はそこではない。ファイの堂々過ぎる態度で気付いたことがイーワンにはひとつある。


「……アレ? オレ、この中で一番ダサくね?」


 剣士として死を覚悟し、それでなお闘志を失わないユーズ。

 一方、出会ったばかりの男に命を預け、あまつさえイーワンの動揺――下手をすると本人よりも早く――見抜き、叱咤してみせた。

 ところがイーワンはどうだ?

 この場にいる誰よりもイーワンは強い。それなのにユーズの言葉に戸惑い、動揺してその挙句、ファイに叱られた。

 

 恐ろしく


「ごめん、なんかすごいテンション下がってきた」

「よく聞こえなかったね。イーワン、次ふざけたこともう一度でも言ってみな」


 当然ながら、イーワンのぼやきにファイは青筋を立てる。その手が鉄書に置かれているの見ると、これ以上軽口はやめておいた方が身の為だろう。

 不利な戦いを早々に諦めて、改めてユーズを見つめる。


「先手はそっちで。元々後手のが得意でね」

「手を抜いて、ってわけじゃなさそうね。それじゃあお言葉に甘えさせてもらおうかしら」


 脱力していたユーズの姿がブレる。

 見事な踏込だった。姿勢を低くし、下から急所――喉を狙った鋭い一突き。

 だが。


「――短縮詠唱ショートカット


 イーワンの気は進まない。

 ただでさえダサい言動だったのこれから行うことを考えると憂鬱にもなる。なぜならそれは。


「<エレ=ガハド>」


 圧倒的ステータスとスキルで押し潰す、余りにも大人気のない『俺TUEEE』でしかない。

 イーワンの喉笛を狙って突き出されたユーズの魔刀は刹那の合間に差し込まれた銀棍によって刃先を逸らされる。

 紙一重、といっていいほどの寸前で魔刀は空を切る。

 ユーズと、そして見守るファイは息を呑む。


付与エンチャント:アミームの極光きょっこう


 イーワンの銀棍が極彩色のオーラを帯びていたからだ。

 それは絶えず湖面のように揺らぎ、色を変える。赤へ、青へ、緑へと変えながら見るものを魅了させた。

 思わず見惚れるファイとは正反対に、ユーズは反射的にイーワンから距離を取る。

 ユーズの肌には鳥肌が立っていた。その視線は美しい極光を纏う銀棍へと注がれ続けている。


「オレは元々パリングが基本だからな。その魔刀にはいい思い出がない」


 イーワンがユーズ相手にパリングを行わなかったのは、ユーズが女性であるという他にも理由があった。それは魔刀ソローヤの性質を知っていたからだ。

 魔刀ソローヤの特性は武器の耐久を大幅に削る。イーワンの銀棍を手入れできるほどの鍛冶系スキルを持つキャラクターは稀有だ。

 いくらイーワンの銀棍『白銀八角』が廃人ハイエンド級の装備といえどソローヤを相手にパリングを行えば、耐久値はかなり持って行かれる。修理できる目途がないうちは損耗を最小限に抑えたかった、というのが本音だ。


エレ級魔術……ボウヤ、その腕前でそんな高位の術式まで使えるの? 冗談でしょ……」


 エレ級付与魔術『アミームの極光』

 イーワンが使ったそれは様々な武器に特性を一定時間付与する付与エンチャント系の自己支援スキルのひとつだ。

『アミームの極光』で付与される特性は『魔法による物理的防御力の追加』である。イーワンのステータスでこのスキルを使えば、まずまともな物理攻撃は銀棍にさえ届かない。もっとも燃費が悪い上に付与されるのは物理防御力だけなので、そう良い事ばかりでもないのだが。


「そう言われてもなぁ……そもそもオレ、どっちかっていうとこっちが本職だし」

「……イーワン、アンタ一体どういう生き物なんだい」

「え、生物レベルで疑われるの? 一応オレ、そこそこの神官なんだけど」


 無言でファイとユーズの両名から抗議の視線を感じるが、嘘ではない。というか平均的な点から見れば『そこそこ』どころかほぼ『最高位』の神官系スキルをイーワンは修めている。というか僧兵モンクもどちらかといえば戦士系ではなく、神官系のスキルツリーに属するクラスである。

 イーワンの基本スタイルはパリングを主体としたDEX型の盾役タンクだ。しかし、その必要ステータスはほかの盾役タンク系のキャラクターと比べ、高くなりがちである。イーワンは神官系スキル、特に自分を強化バフするスキルを中心に修め、ステータスを底上げしている。

 真っ当な神官に比べれば定番の回復魔術は中級止まり、戦士として見れば僧兵モンク系のスキルが中心で決定打に欠けると器用貧乏もいいところだがイーワンのプレイスタイル、すなわち『大幅に底上げしたステータスでパリングし続ける』という尖った戦い方にはこれが最善だったのだ。

 では、なぜもっと早く『アミームの極光』を使わなかったのか。

 ひとつはあまりに目立ち過ぎるスキルであること。

 オーロラのように極光を放つこのスキルは実に見栄えがよく、ゲーム時代は女受けしたので愛用していたスキルのひとつではあったが、そんなものこの闇夜の中で振り回せばどれだけ目立つかは、さすがにイーワンでも分かる。

 いくらイーワンがとぼけていても自分がこの世界で常軌を逸した強さを持っているのは白晶犀はくしょうさいの一件で流石に自覚している。悪目立ちするのもどうかと思ったので自重していた。

 そして、もうひとつの理由が。


「なぁ、ユーズ」

「……なによ」


 アミームの極光の脅威を察しているのだろう。ユーズはまるで毛を逆立てた猫のように警戒していた。


「ここまでして抜かないってことはさ。『魔刀セニーヨ』の方は持ってないんだろ?」

「……何の事?」


 何を聞かれたか分からない、というユーズの反応が何よりも雄弁にその答えだった。

 イーワンが『アミームの極光』を使わなかったもうひとつの理由。


「その魔刀ソローヤってさ。だぜ?」


 魔刀ソローヤ。そして魔刀セニーヨ。

 それはイーワンが昔倒したPKプレイヤーキラーの『双剣』だ。

『魔刀ソローヤ』は武器の耐久度を削り、相手の防御手段および攻撃手段を破壊する。『魔刀セニーヨ』はそれに対し『』という魔術対策を担っていた。

 戦士に対してはソローヤを主体に、魔術師に対してはセニーヨを主体にして相手を倒す。それが『本来の双魔刀』の戦い方だ。

 イーワンもこのスタイルに散々翻弄された。アミームの極光をセニーヨによって無効化され、ソローヤによって白銀八角があわや全損とまで追い詰められかけた苦い記憶がある。

 だからこそ、イーワンはユーズの持つ『魔刀ソローヤ』を見た時点で『魔刀セニーヨ』を警戒せざる得なかった。


「もしセニーヨを持っているなら抜かない理由がないもんな。ファイちゃんだけならともかく、オレ相手にソローヤだけじゃ力不足だろ?」


 ファイだけならば、ソローヤだけでも事足りる。イーワンの銀棍に対しても同様だ。不意を打つ為に隠し持っているのかとも思っていたが、それは先ほどまでのユーズの言動を思い返せばないと言える。ユーズにそんな余裕はない。


「悪いけど、こうなりゃ詰みだよ。ソローヤだけじゃこの極光は超えられない」


 強者はいつだって理不尽だ。

 レベルが上がればステータスが上がる。積み重ねてきたものは決して裏切らない。それはつまり『より積み重ねた相手に抗う術がない』ということでもある。

 ユーズにイーワンは倒せない。


「おいで。不本意だけど、とことんやってやるよ」

「……上ッ等ォ!」


 ざりッと足元の土を蹴り、ユーズが加速する。イーワンの左側、銀棍を構える裏に回り込んでの一撃。悪くない一撃だ。

 だが、実力差を埋めるには程遠い。

 銀棍を素早く手の中で滑らせ、手首を返す。銀棍のような長柄武器の基本は円の動きだ。右手と左手で銀棍の中心を調整し、振りかぶったユーズの腕に置く。

 人体は急停止できない。勢いに合わせて、引いてやることで力の流れは簡単にズレる。ソローヤの刃がイーワンの背後で虚しく空を切る。

 しかしユーズもそれは分かっていたのか、その勢いを殺さず足を薙ぎにかかる。足の腱を狙った一撃だ。決まればまともな動きは出来なくなるだろう。

 足元への攻撃はパリングしづらい。

 打点がどうしても低く、下からの選択肢がほぼ失われるからだ。


「よっと」手の中で銀棍を滑らせ、ユーズの攻撃を弾いた方とは反対側――持ち手側の方をグッと伸ばし、地面に突き立てる。さながら棒高跳びの要領でイーワンの身体がふわりと宙を浮く。

 イーワンは無理にパリングを狙わない。基本的にDEX型の盾役タンクであるイーワンにとってパリングは基本的なベースになる防御手段ではあるが、それにこだわってダメージを受けたのでは意味がないからだ。

 パリングは失敗すれば防御手段を取らない分、被害が大きくなるリスキーな防御手段だ。しかし相手からしても、パリングされれば大きな隙を晒すことになる。

 結果としてある程度の腕を持つ相手は『パリングしづらい攻撃』を積極的に行おうとする。そうなれば攻撃手段は自ずと絞られていく。

 相手の攻撃の選択肢を奪えば、対応は楽になる。


「まずは一本ね」


 頭上を越え、がら空きになったユーズの背に軽く踏みつけ、イーワンは着地する。蹴り、というほどの威力も無い、ただの足跡だ。本当なら女を足蹴にするなんて、と思う所だがそれをやってはさっきの二の舞だろう。


 ユーズが足元、下段の攻撃を好むのは既に分かっていた。最初の一撃。仕切り直しの一撃も姿勢を低くしての斬り上げだった。低い攻撃はそれだけで防ぎにくい。ユーズのしなやかな動きは関節が柔らかいから出来る技だ。


「ホント、嫌味なほど強いわねッ」

「そう言われると凹むなぁ……」


 地面に伏しそうになる身体を無理やり足のバネだけで支え直し、ユーズはイーワンに向き直る。立ち直りが早い。

 ユーズが振り返るままに文字通り返す刀でイーワンに切りかかる。


「甘い。体幹が右にズレてる」


 自然の地面はわずかに傾斜している。ほんのわずかであるが、地面の起伏に沿うようにしてユーズの体幹が右にズレていた。

 まず気付くことも、必要もないわずかなズレ。しかしそれは隙には違いない。迫るユーズの魔刀が銀棍によってその軌道は変わる。まるで川面に浮かぶ木葉のように滑らかに、しかしイーワンにはかすりさえせずに流れる。


「ホンットに……やり辛いッたらないわ!」


 ユーズの剣戟は続く。滑らかに、淀みなく、緩急のリズムを意図して乱しながらの剣は変幻自在で、まるで刃が揺れるようだ。

 しかし、傍から見るファイからすれば滑稽にすら見えるだろう。ユーズの剣は全てまるで示し合わせたように、イーワンの銀棍に吸い寄せられそらされる。事情を知らなければ、ユーズがわざと外しているようにすら錯覚するかもしれない。それほどまでに、自然に『防いでいる』とさえ感じさせないほど、イーワンの力は隔絶している。

 そしてそれは、


「どんどん手応えがなくなっていく……!」


 一合、二合と打ち合えば打ち合うほどに冴えを増して、否。その冴えを取り戻している。

 AWOの頃とは違う比重や環境、現実になったこの世界でイーワンの身体は変化している。足運びひとつ取っても、それは大きな差となって戦いに影響する。

 しかしゲーマーにとって、それはだ。アップデートやメンテナンスの度に、スキルの性能や能力にかかる補正は変化するのは当たり前のこと。

 ユーズという『まともな対戦相手』を得たことでイーワンはこの『世界が変わる』という異常事態に順応する。

 感覚がリアルになった? 恐怖を感じる? その程度、無慈悲な下方修正でコンボそのものが出来なくなることに比べればなんのことはない。

 出来るのだから、やればいいだけの単純な話だ。


 光が踊る。

 イーワンの銀棍に、手足の具足に、流れるようなその銀髪に。極光が煌めく。そこには歴然とした力量差が美しい絶望となって、存在していた。


「……さて、どうしたもんかな」


 問題はユーズがイーワンに届かないように、イーワンにとってもユーズに対して打つ手がないことだ。

 イーワンが取得しているスキルの大半は自己支援と盾役タンクとしての役割をこなす為に必要なもの。逆に言えば、こうして『相手を足止め出来ている』時点で、イーワンができることはほぼ無くなる。この状態を維持するのが盾役タンクに求められる役割に他ならないからだ。

 カウンターもイーワン自身が女を傷つけることが出来ない以上、論外。結果としてイーワンは手詰まりに陥っていた。


「しょうがない、慣れないことでもしようか」


 イーワンが取得しているスキルに相手を傷つけずに戦いを終わらせるスキルは無い。無いならば、どうすればいいか。


「我は月に誓う――あまねく乙女を守らんことを――」

「……詠唱?」


 答えは単純だ。無いならば作ればいい。


即興インスタンス――誓技せいぎ:イーワンの銀針ぎんしん


 右手で銀棍を繰り、空けた左手に月光の如き銀針が生み出される。ユーズの剣戟を弾き、わずかに空いた隙に銀針を指し込む。


「なっ……!」

「悪いけど、終わりだ」


 銀針は光の粒子になって、消え失せる。針が刺さったはずの場所には傷は無い。ダメージは発生しないスキルだ。そういう風に作成した。効果は単純だ。状態異常『』の付与。


「身体が……!」


 ユーズの手から魔刀が落ちる。筋肉が弛緩し、膝から崩れるユーズをイーワンは抱き留めた。


「燃費悪いわ、射程短いわ……使い物にならないな、これ。……ま、いいや。オレの勝ち、でいいよな?」

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