【005】「こりゃあ一体何の騒ぎだい?」

 自分の口が阿呆のようにぽっかりと空いているのを頬に傷のある男は自覚していた。それでもとてもではないが目の前の光景を信じることは彼にはできなかった。


「信じられん……これを、1人でやったのか……? あの少年が……?」


 イーワンと名乗った少年が帰ってきたのは村人たちを1ヶ所に集めてからほんの十数分経った後だった。

 彼が木工職人のマーシュの娘を森林狼から救ったというので、半信半疑ながらも白晶犀の元に向かわせた。

 もしも少年がただのホラ吹きだったとしても、彼は村の人間じゃない。足止めにでもなってくれれば上等。

 勝てるはずがない――村の誰もがそう思っていた。

 それは少年の知り合いだったマーシュだって例外じゃない。その証拠にマーシュは彼が白晶犀を止めに行くのを最後まで止めていた。死地に向かうのが明白だったからだ。


 森林狼と白晶犀ではハッキリ言って格が違う。

 森林狼が行う群れでの狩りは確かに驚異的だ。経験豊富なオスに率いられた森林狼は時に人を欺くほどの狡猾さを発揮するし、その毛皮は森の暗がりでは見えづらく不意に襲われれば命はない。

 しかし臆病なモンスターなのでこちらの方が数が多ければ襲われることはないし、遠くから弓で1頭でも仕留めることさえ出来れば群れは驚いて逃げていく。


 森林狼の毛皮はモンスターだけあって軽く丈夫だ。

 その森に溶け込む色合いから狩人には特に人気があり、他の地方に持ち込めば場合によっては3倍以上の高値がつくこともあるという。

 だから急な大金が必要になった村の人間は、命の危険を覚悟で森林狼を狩ろうとすることも無くはない。


 しかし白晶犀は違う。

 弓矢がそもそも刺さらないし、たとえ1頭だとしてもこちらが仕留める手段は皆無だ。白晶犀の皮は1頭分でも森林狼の皮30頭分以上の値がつく。しかし狩ることができない以上、村人にとっては何の意味もないし、だからこその高値である。

 感覚としてはドラゴンのそれに近いが、見たことも無い竜種よりも確かに存在を認知している白晶犀の方がよほど怖い。

 本来は森の奥、迷い込めば出ることはできないとされるダンジョンにのみ生息しているはずで、本来は村の脅威にはならないはずだった。


 白晶犀を倒せるとすれば領主を通じ、帝都にいる国軍に討伐してもらうしかない。

 腕利きの冒険者ならば倒せるかもしれないが、わずかな農産物が年に数度取れるだけのこんな小さな村にはそんな冒険者を呼ぶことの出来る報酬は用意出来ないだろう。

 国軍だって派遣してもらってからこの村に到着するまでいつになるかもわからない。そもそも派遣してもらえるかだって怪しいのだ。

 ハッキリ言って、この小さなカルハ村には選択肢など最初から存在しなかった。如何に急いで村から逃げ、どうやって新しい家を見つけるか。それしかないはずだったのだ。

 村人を集めたのだって少年の言う事を聞いたからではない。とにかく村民全員に事態を説明して、逃げる用意をする為だった。

 なのに。


「大したことはない。白晶犀なんてザコだからな」


 戻ってきた少年が案内した先には、血の一滴すら流さずに事切れた白晶犀が20頭近く転がっていたのだ。


――◆――


「白晶犀の群れを1人で……」

「何をどうやったらこんな真似ができるんだ……?」


 顎が外れんばかりに驚く村の狩人を尻目に、イーワンは自分の身体の感覚を確かめていた。

 AWOの環境はVR技術が開発され始めた21世紀の頃によく映画やアニメの題材にされたダイブ型という技術に良く似ている。

 もちろん前時代的な表現にありがちな『脊椎にプラグを有線接続する』とか『脳波を読み取るヘッドギア』なんてモノではない。第一世代の頃にはそういったタイプもあったらしいが、どれも今では骨董品だ。

 AWOのような第三世代のVR技術ではそんな大仰なモノは必要ない。普通に第八感覚からゲームデータをローディングするだけで、自意識は寸分違わずに好きなゲームの世界に入れる。

 必要なのはゲーム中に身体が疲れないようにするベッドくらいだ。自動生活オートライフは肩が凝るし、燃費も悪い。


――ゲームの頃との違いはさほど無いみたいだな。


 AWOではゲームデザインに沿ったアクションが可能だ。元が例え体重100キロ越えの巨漢でもステータスが足りていれば、軽やかに跳ね回ることに何の支障も無い。ステータスによって身体能力に補正がかかり、アクロバティックな動きを補助してくれるからだ。高度な物理演算により適度な反動が感じられ、その現実感はVRゲームの人気の根幹である。


 当然、イーワンもその感覚に慣れ親しんでおり、この世界ではそれがどこまで通用するのか。それを確かめる為にも戦ったのだが、白晶犀の戦闘では特にゲームだった頃との差異は感じ取れなかった。

 強いて言うなら地面の感触や白晶犀の体臭など、ややリアル過ぎて感覚が鋭敏になったくらいか。

 白晶犀の攻撃を受け流した時の手応えやスキルの使い心地はゲームだった頃とほぼ同じと断言してもいいだろう。


「とりあえず見つけた白晶犀はこれで全部だ。ほかにはいないと思うが、どうする?」


 かなりの広範囲に大して<殿の栄誉>を発動させたので、村の近辺に差し迫った危機はないはず。村人たちが何も言わないところを見れば、ゲーム時代と同じく友好的な相手――フレンドやチームメンバー――には効果を及ぼさないという部分は変わらないようだ。

 <殿の栄誉>は範囲を大ざっぱに指定でき、指定した効果範囲内のモンスター、もしくは敵対キャラクターに対して効果を及ぼすスキル。例外はいくつかあるが、その気になれば隠れている敵を見つけ出す事も可能だ――向かってきた敵を全て倒す事ができるならば、というただきがつくが。

 イーワンの効果範囲にいない、ということは安全はほぼ保障できたと言っていい。


「あ、あぁ……オイ! 森の中をもう白晶犀がいないか確認して来い! 見つけたらすぐに逃げて来るんだぞ!」


 白晶犀の死体に呆気にとられていた狩人たちがその言葉に我を取り戻し、森の中へと散っていく。

 それをその場で見送りながら、イーワンは指示を飛ばした男――狩人頭に声をかける。


「この白晶犀はどうする? オレはいらないんだが、片付けるなら手伝うぞ」


 白晶犀のその分厚い体皮は中級者のレベル帯ではかなり高品質な革鎧の材料となる。

 重く、柔軟性は低いが革鎧としては破格の耐火性能と高い物理防御力を誇り、一般的な革鎧と金属鎧の中間のような性能の物が仕上がるからだ。

 戦士系の職業でなければ装備できない金属鎧と違い、革鎧は装備制限が緩く、多くの職業が装備できる定番だった。防御力に優れた白晶犀の革鎧はゲームだった頃は人気の装備のひとつで、これを手に入れる為に白晶犀を狩りに来るプレイヤーも少なくない。


「……無傷の白晶犀だぞ? 売れば一財産になるのに、いらないのか?」


 信じられない、という様子で狩人頭は目を剥く。村の金銭感覚では実際、あり得ないことなのだろう。

 イーワンは基本的に棒術、杖術をベースにした戦い方を好む。当然、打撃が中心になり死体の状態はかなり良い。AWOでもやはり人気があるのは花形の剣士であり、刃物であればどうしても多少なりとも体皮は傷つく。

 ここまで状態がいいものは珍しいのだろう。


「そうは言ってもな……オレには必要ないし、そもそも面倒くさい」


 しかしイーワンにとってこの程度の価値しかない。

 確かに白晶犀の革鎧は防御力に優れてはいるが、それはあくまで中級者のレベル帯の話。

 イーワンのレベルや装備では比べ物にならない。現にイーワンの腕装備――<セリエラの白銀腕甲>の防御力は白晶犀の革鎧の全身一式揃えた防御力を遙かに上回っている。


 それに、白晶犀の体皮を革鎧にするには、結構な手間がかかるのだ。

 本来はアイテムの制作を行うプレイヤー――生産者クリエイターが専用のスキルを使って行う工程であり、生産系スキルを一切取得していないイーワンには逆立ちしたって出来ない芸当である。

 加えて、ゲームだった頃はモンスターを倒すと対応したドロップアイテムを確率で入手できたが、現状モンスターの死体は消えずにその場に残る。

 つまり白晶犀の革鎧を作ろうと思えば、まず白晶犀の死体から皮を剥ぎ、革鎧に使えるようになめし、鎧として縫い合わせなくてはいけない。

 面倒にもほどがある。そもそもイーワンにとって得が無ければ、意味も無い。

 アイテムを預けておく目途もない現状、重くて嵩張る白晶犀の体皮などもらってくれと言われてもごめんこうむる。


 ちなみに特徴的な透き通った角は鋭く、硬いが砕けやすく武器や防具には向かない。装飾品としての用途が無いではないが、大きすぎて使いづらく、砕くならもっといい物がほかにいくらでもあるので、生産者クリエイターからもさほど人気は無い。プレイヤーからの人気は体皮の方が上で、角はそこそこ良い値で売れる換金用のアイテムという認識が一般的だ。


「オレは帝都に急ぎたいんでな。この白晶犀は好きにすればいい」

「コイツらを倒したアンタがいらないって言うんならそりゃありがたく頂戴するが……本当にいいのか?」


 そこまで言って半信半疑といった様子でこちらを窺ってくるが、イーワンにしてみればくどいだけだ。

 女ならともかく、男に見られても面白いことなど何も無い。


「広場に運ぶぞ。死体を見れば、女たちも安心するだろうさ」


 金になるなら譲っても迷惑にはなるまい、と考えたイーワンは手近にあった白晶犀を担ぎ上げる。体長6メートルほどもある白晶犀の体重はリアルであれば4トンは軽くあるだろうが、イーワンは軽く持ち上げることが出来た。


 ゲームだった時のイーワンのレベルは6794。

 筋力を意味するステータスのSTRストレングスは5ケタを軽く超えている。メインであるDEXに比べればかなり少ないが、それでもこれだけあれば、白晶犀程度は余裕をもって担げた。


――我ながら化け物染みているな。


 背後で唖然とする狩人頭の気配を感じ取り、思わず笑いをかみ殺す。

 先の戦いの手応えで、半分予想していたとはいえ本当に担ぎ上げられてしまうと妙な笑いさえ込み上げてきた。


 ゲームと同じ身体。ゲームと同じ能力。ゲームと同じ性別。


 どこまでもゲームだったAWOを思い出させるのに足元の土が、白晶犀の獣臭さが、異性の違和感が否応無しにそれを否定する。

 これはゲームなんかじゃない。

 イーワンにとっての紛れもない現実リアルだと、突き付けてくる。


 自分が何者なのか。

 どうしてこんな事になったのか。

 なにをすれば、元に戻れるのか。

 そもそも自分に『戻る理由』なんてあるのか。


 なにひとつとして、今のイーワンは答えを持っていなかった。


――◆――


 イーワンは苦戦していた。

 まさかこんな事になるなんて、思いもよらなかった。

 ゲームのままのこの身体なら、例えどんな相手でも身を守る程度は出来るだろうと考えていた自分がどれほど甘かったことか。

 その考えの甘さは今まさに自らの身体に代償として降りかかっていた。


「すっげー! かっけー!」

「ねぇねぇ! それどうなってるの? さわらせてー!」

「おい、やめっ……! コラ、白銀八角に触るな! 髪を引っ張るなッ!」


 イーワンは村の小僧どもにおもちゃにされていた。

 声を荒げ、イーワンの身体を遊具か何かのように勘違いした子供たちがよじ登り、次々と身体中をまさぐる。


 好奇心が生きる全てといっても過言ではない小僧どもはまずイーワンが倒して持ち帰った白晶犀に目を輝かせ、村の危機を救った英雄を自分たちのおもちゃにすることを速やかに決定した。

 白晶犀をひとりで倒し、あまつさえどう考えても人では持て余すような白晶犀の巨体をあろうことか肩に担いできたイーワンに驚きを通り越し、呆けていた大人たちがイーワンの悲鳴を聞いて我に戻った時にはすでに小僧たちはイーワンに飛びついていた後だった。


「ああ、もう! いい加減に離れろっ!」


 今は同性とはいえ、イーワンとて許容できる範囲というものがある。

 確かにこんな小さな村ではイーワンの持つ装備――ピカピカに輝く銀棍や手足の装甲、光加減によって見え方の変わる外套などは見たことも無いだろう。子供が見慣れぬものに興味を示すのは本能だ。仕方がないと言えば、仕方がない。

 だが身体をべたべたと触られたり、髪を引っ張られたり、外套で鼻水を拭こうとされるのは勘弁してほしい。

 もちろんイーワンの身体能力を使えば、子供たちを引き剥がす事は容易い――容易いのだが。


「きゃはははっ!」

「兄ちゃん、おれもー!」


 相手は男とはいえ、まだ幼い子供だ。仮に受け流したとして万が一、転んだりされても困る。

 子供という事は母親がいるということだ。子供が怪我をして心配しない親はいない。イーワンは女性を悲しませたりするようなことは出来ない。

 結果として、イーワンは自分をおもちゃにする小僧どもになんら有効な手を打てないでいた。


「おにいちゃんをこまらせちゃダメー!」


 万策尽きて途方にくれていたイーワンの救世主は意外と身近にいた。

 頬をぷっくりと膨らませたビビである。


「なんだよ、ビビ。あっちいけよ!」

「ダメったらダメなの!」


 ビビはぽかぽかとその丸く小さな手を振り回し、イーワンに纏わりついていた小僧どもを撃退する。「いてっ!」とか「なにすんだよ!」などと言いつつも、ご機嫌斜めのビビは同年代の子供にはなかなかの迫力があったようで、不貞腐れながらも渋々イーワンを解放する。


「あぁ……助かったよ、ビビちゃん。ありがとうな」


「えへへ。ビビえらい?」えっへんと得意げに胸を張るビビは天使のようにかわいらしい。あの憎たらしい小僧どもとは大違いだ。

 同じ笑顔でも男の笑顔と女の笑顔ではその価値に天と地ほどの差がある。


「ああ。えらいえらい。ビビちゃんはえらい子だ」


 イーワンはビビの愛くるしさに癒されつつ、その頭を撫でてやる。褒められたことでご満悦のビビはまさに天使の笑顔を浮かべ、イーワンの足にぎゅっと抱きつく。視界の外で「ビビのやつ、ずるいー」などと声が聞こえるが、無視。

 男を女より優先する理由なんてイーワンには無い。


「良かった……イーワンさん、ご無事でなによりです」


 村人の大人の中で、最も早く我を取り戻したのはビビの父親であるマーシュだった。 他の村人より早く立ち直ったのは、イーワンが森林狼を倒した事を知っていたからだろう。


「ほらほら、お前たち。イーワンさんが困っているだろう。あっちに行ってなさい」


「えー」だの「けちー」だの「はげー」だの憎たらしい口を聞きながら小僧どもは散っていく。可愛げのない小僧たちとは違い、ビビは満足げな顔をして「むふー」と胸を張っている。

 小僧どもから解放されたイーワンはがっくりとへたり込む。


「白晶犀と戦った時より疲れた……」

「はは、イーワンさんも子供には勝てませんか」

「おにいちゃん、だいじょうぶ?」


 特大のため息をついて、ビビの頭をわしわしと撫でてやる。

 一瞬、驚いた様子を見せるがくすぐったそうに「えへへ」とはにかむ。柔らかい髪の撫で心地が気持ちがいい。

 癒される。HPが回復する気さえしてくるから不思議だ。


――そもそもHP減ってないし、気のせいだけどね。


「久しぶりに来てみりゃ、こりゃあ一体何の騒ぎだい?」


 不意に声がかけられる。口調とまるで合っていない鈴を連想させるような可愛らしい声。

 振り向いてみれば、そこにはロリ巨乳がいた。

 赤毛のロリ巨乳である。


 赤毛で褐色のロリ巨乳の美少女がそこにいた。


「こりゃ白晶犀かい? なにがどうなったらこうなるんだよ……? オイ、マーシュ、説明しな」

「あぁ……紹介するよ。イーワンさん、彼女が――」

「ファイ・タータマソだ。アンタ、何者だい?」


 行商人ファイ・タータマソはイーワンにそう名乗った。

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