【004】「ま、こんなもんか」

「む……無茶だ、イーワンさん! 腕が立つといっても白晶犀の群れなんて無謀だ!」


 歩み出たイーワンを庇うようにマーシュは止める。白晶犀はこの近辺では確かに最も強いモンスターだ。これ以上となれば残っているのはダンジョンボスぐらいしかいないだろう。

 村民は突然、口を挟んできた余所者を訝しげに睨みつけている。


「小僧、どこの誰かは知らんが妙なことを言うな。今はお前みたいなガキに構っている暇はないんだ」


 イーワンの容姿は線の細い美少年だ。外套から覗く手足は白銀の装甲、背に背負った長柄は布に包まれている。武の心得はあるのだと分かるが、屈強な戦士とはかけ離れた美麗な容姿が不安を感じさせるのだろう。

 そんな村民たちの不安を感じ取りながらも、あえてイーワンは無視してマーシュに問いかける。


「マーシュさん、この村に女は何人くらいいる?」

「え? た、たぶん50人くらい、かな……?」

「お前、こんな時に何言ってるんだ! ふざけてるのか!?」


 あまりに空気の読めていない発言に、村民たちは殺気立つがイーワンは気にも留めない。イーワンにとって大事なことは目の前の村民ではないからだ。

 イーワンにとって男はさほど重要ではない。興味が無いと言ってもいいだろう。


 でも女は別だ。

 イーワンにとって女は特別だ。『私』の記憶が無い今のイーワンには『イーワン』としての価値観しかない。それだけしか、ない。


 しゃがみ込み、マーシュの服のすそを泣きそうな顔で握るビビに視線を合わせる。いつもと違う村の空気を感じ取り怯えるビビの瞳は今にも涙があふれ出しそうで、それを見た途端「守らないと」と感じた。

 ビビを、女を守らないと。


――そうじゃないとオレは『イーワン』でさえなくなってしまう。


 それはとても、とても怖い事だった。

『私』がどんな人間だったのか。何も思い出せない。

 何が好きで、何が嫌いだったのか。


 何が大切だったのか――『私』には何も残っていない。


「ビビちゃん、安心して」


 残されたのは『イーワン』しかない。これしかないのだから。


 背負った長柄の封を解き放つ。

 陽光を受けて銀に輝く長柄の武器。

 身の丈を超える柄は細やかな紋様が彫られ、穂先はついていない。イーワンが運営から与えられた二つ名である『銀』の由来にもなった八角柱の長柄を持つ銀棍ぎんこん――<白銀八角はくぎんはっかく>

 エルフの魔工師セリエラが手ずから作成したサーバーに2本と無い正真正銘の専用装備だ。

 イーワンのプレイスタイルに完璧に合わせたオーダーメイドであり、これがあるからこそイーワンはサーバーランク第十位になることができた。


「オレは守るよ。ビビちゃんも、みんなも」


 イーワンが白銀八角を握った途端、空気が変わる。

 透き通るような静かな闘気。その場にいる誰もが息を飲んだ。

 先ほどまでにいた線の細い美少年はどこにもおらず、尋常ならざる実力を持つ戦士がそこにいた。


「村の人を1ヶ所に集めて。それと白晶犀の群れについて、もう一度詳しく教えてくれ」


 村人たちはイーワンの言葉に声を失った。それは目の前の少年の変貌から来る畏怖、そしてその続く内容の荒唐無稽さになんと言っていいか分からなくなったからだ。


「オレが白晶犀の群れを倒す。村には1匹だって入れやしない」


 あまりにもそれは突拍子のない妄言に聞こえただろう。

 白晶犀は強い。こんな村の戦力では、撃退するなど思考に浮かびすらしなかったに違いない。大雨で川が氾濫しそうになったからといって、誰も川の水を全て汲み出そうとは思わない。イーワンが放った言葉はそれと同質のものだ。


「ッ! 何を……何を言っているんだッ!?  白晶犀だぞ!? それも1匹じゃない、群れだ! お前に何が出来るっていうんだッ!」


 頬に傷のある男がイーワンに詰め寄る。村民に余裕はない。自分たちの命が、生活がこうしている瞬間にも脅かされているのだ。

 男は激昂した様子で拳を握りしめて、胸倉をつかみ上げようとして――止まる。


「守ることしかできないよ」


 男とイーワンの体格差はまるで大人と子供のように違う。腕の太さは倍ほど違うだろうし、背だって男の方が高い。

 なのに。

 男はイーワンの身体を揺らす事さえできなかった。

 力を込めて、イーワンの首を締め上げようとしても外套が揺れるばかりでイーワンの身体は微動だにしない。傍から見れば、イーワンは力んだ様子さえない。

 男の表情が驚愕に変わり、困惑に変わり、得体の知れないモノに対する恐怖に変わった。


「『オレには』誰かを守ることしかできない」


 今のイーワンにはそれしか出来ない。

 この世界も、今起きている事もイーワンの理解や常識をはるかに超えていた。

 どうすればいいかなんてわからない。ただ今のイーワンにはゲームだった頃のように戦い、誰かを守ることしか出来ない。


 イーワンは自分の胸倉を掴む男をぼんやり眺め、腰に狩猟鉈を見つける。

 錆が浮いているが、刃は分厚く堅牢な作りをしているのが一目でわかった。

 怯える男の腰からそれを抜き取る。露わになった刃物の輝きに男はイーワンから手を離し、数歩後ずさった。


「い、イーワンさん! 気を悪くされたなら、謝ります! だからどうか――」


 何を勘違いしたのか、マーシュが群衆から飛び出し、イーワンに叫ぶ。

 イーワンが狩猟鉈を手に取ったのは単純に『ちょうど良さそう』だと思ったからだ。


「だからさ。……頼むよ、オレに守らせてくれ」


 自分でも驚くほどにその声は弱々しく、まるで哀願のようだった。そんな思いを振り切るように狩猟鉈の刃を腕甲に包まれた手で握る。

 イーワンにとってさほど力を込めたつもりはなかったが、手の中で金属の塊が焼き菓子のように砕けていく。

 村人たちが悲鳴を呑み込んだ音が聞こえた。飛び出したマーシュでさえも、だ。

 視線の色が変わったのを感じながら、イーワンはわざとからかうような口調で村人に問いかけた。

 イーワンは強い。

 サーバーでも指折りのトップランカーだ。弱さを見せるわけにはいかない。そんなのは『イーワン』ではない。

『イーワン』ならきっとこういう時は不遜に、外連味けれんみをきかせ、冗談交じりにこう言うはずだ。


「もしオレより強いヤツがいるなら代わるけど、どうする?」


 手を払いながら言った言葉に答える声は無かった。


――◆――


「さてと……」


 イーワンはカルハ村の北東、村の入り口のひとつに立っていた。すでに村人はみんなマーシュと村長の先導で広場に集めてある。

 白晶犀には回り込むだけの知能は無い。むしろ目の前に障害があれば、それに対して激昂し排除しようと向かってくるのが白晶犀だ。そしてモンスターの注意ヘイト誘導はイーワンの得意分野である。

 イーワンはここから先1匹たりとも通さずに村を守り切ればいい。たったそれだけの楽なクエストだ。


「……来たか」


 木の影から白い巨体が現れる。重厚で分厚く白い皮膚はまるでコンクリートのようなざらりとした質感だ。特徴的な額の角は水晶のように白く透き通っており、陽光を受けてキラキラと光っている。輝く角と白で統一された体色は森林狼とは違い、森の中ではよく目立つ。

 白晶犀。

 それが18頭。村の狩人の報告より、4頭多い。


「でも、大したことないな」


 白晶犀と目が合う。

 白晶犀の瞳はその白い身体の中で唯一黒く、白目が無い。まるで昆虫のようなそれがイーワンの姿を捉え、敵として認識する。

 数体はイーワンに向かって得意の突進攻撃をしようと前屈し、前足で地面を引っ掻くが、イーワン以外を警戒して周囲をきょろきょろとしている。

 村人の気配を感じ取っているのだろう。動物型のモンスターは種類にも寄るが、感知範囲が広い。

 このまま戦えば、何体かはイーワンを狙わずに村の方に流れるかもしれない。村に白晶犀に対抗する術はない。1体でも村への侵入を許せば、待ち受ける未来は蹂躙にほかならない。

『ジェスチャー』として腰を落とし、白銀八角を構える。使い慣れたスキルだ。その一挙一動は例え世界が変わっても身体が覚えている。


 確かに白晶犀ならば村を蹂躙するのは容易い。だがそんな事はさせないし、ありえなかった。


誓技せいぎ:<殿しんがり栄誉えいよ>」


 イーワンが『キーワード』を発した途端、場の空気が変わる。

 それは村でイーワンが白銀八角を手にした時の変化と近い。近いが、それとは同質であっても、同格ではない。イーワンから威圧感がプレッシャーとなって、白晶犀たちを包み込む。イーワンから放たれるプレッシャーは白晶犀たちの生存本能を刺激し、余所見をさせる余裕を根こそぎそぎ落とす。

 白晶犀の群れの殺気を一身に引き受けてもイーワンは緊張するどころか、スキルがゲーム通りの効果を発揮した事に安堵のため息をもらす始末である。


――挑発系スキルの1つ『誓技:<殿しんがり栄誉えいよ>』


 イーワンの主力であるスキルツリー――使えるスキルの系統――誓技に存在する挑発系スキルだ。

<殿の栄誉>は敵対対象の注意を引き付けて、攻撃対象を自分に集中させるスキルの1つである。敵の攻撃を引き付けるスキルは他にもたくさんあるが、この<殿の栄誉>は発動させたプレイヤーの能力を大きく引き上げる効果を持つスキルだ。

 非常に優秀な効果を持つが、対象に取ったモンスターが全て戦闘不能になるまで、再発動する事ができず、逃亡などの戦闘を放棄する行動の一切を行えなくなるというデメリットを持つ。

 まさに殿を務める為にあるスキルであり、今この状況においてこれ以上のスキルはない。


<殿の栄誉>の最大の特徴は対象にした敵の数が増えれば増えるほどスキルに補正がかかり、上昇する能力が大きく上がるという点だ。この効果により多くの敵を1人で相手にする、という状況においては無類の強さを発揮するスキルである。

 使い勝手の良さや性能がプレイスタイルと噛み合っており、イーワンがよく使うお気に入りのスキルの1つだ。


 AWOのようなMMOではプレイヤーは『自分の役割』を遂行する能力が求められることが多い。


 率先して敵に攻撃し、火力を叩き出す――火力役ダメージディーラー

 傷ついた味方を回復させ、戦線を支える――回復役ヒーラー

 味方を強化し、敵を弱体化させることで戦いやすくなるよう立ち回る――支援役バックアップ

 そして、味方が自分の役割に集中できるように敵の攻撃を一挙に引き受ける――盾役タンク


 正確に分類していけばもっと細分化されるのだが、大別するとこのようになる。

 イーワンは『銀盾』の異名が示すように、その中でも盾役タンクに分類されるプレイヤーである。


 殿の栄誉などの挑発系スキルは盾役タンクの代表的なスキルであり、戦闘においてパーティの守りを一挙に引き受ける盾役タンクにとっては最重要スキルといっても過言ではない。イーワンも例外ではなく<殿の栄誉>の熟練度はレベルマックスまで上げてある。

 イーワンの<殿の栄誉>の効果を無効化できるほどのステータス差があるプレイヤーは存在しない。守りの要である盾役タンクにとって挑発系スキルの成否は大前提だ。白晶犀程度のモンスターが突破できる道理はない。


 盾役タンクの役割は敵の攻撃を「出来るだけ長く」引き付ける事が必要とされる。敵の攻撃を集中して受け続け、目標をクリアするまで戦線を維持することが求められる役割だからだ。その為には激しい攻撃を受けても、生存し続ける必要がある。どのような戦法で敵の攻撃をしのぐのかによって、盾役タンクの動きは大きく変わる。


 オーソドックスなのは盾役タンクの由来にもなった盾や鎧で防御力で耐え切るビルド。金属鎧や大盾で防御力を高め、単純に受けるダメージを少なくすることで生存能力を求める堅実なDEFディフェンス型。

 そして回避盾、とも呼ばれる敏捷性に優れたAGIアジリティ型。回避力を高め、そもそも被弾率を下げる事で生存力を高めたビルドだ。こちらは鈍重になりがちなDEF型とは違い、高い敏捷を活かした軽戦士としての役割も期待できる。


 主流なのはこのどちらかだが、イーワンはそのどちらにも当てはまらない。


「試運転くらいにはなってくれよ?」


 目の前の脅威を排除せんと白晶犀がイーワンに迫る。

 白晶犀の最も得意とする突進攻撃だ。硬く鋭い角を構え、地面を揺らしながら猛突する白晶犀。その滲み出る殺気は未熟な戦士ならそれだけで萎縮し、身動きを封じられる。この美しい角に貫かれれば、命はない。しかし、それは常人の話である。


 イーワンにとっては物の数ではない。

 落ち着いた鼓動。乱れない呼吸。動きを見切り、身体から無駄な力が抜ける。イーワンの中で戸惑いが消え、自分の中のスイッチが切り替わったのを感じ取る。


――いける。


 白銀八角を軽く握り、白晶犀の突進を受け止める。受け止める、といっても相対したのは一瞬。

 イーワンは巧みに銀棍を手の内で操り、白晶犀の巨体から繰り出される衝撃を柳のように受け流す。

 圧倒的なステータスに由来する高い技巧、<殿の栄誉>によって得たボーナス、そして何よりもイーワンが積み重ねてきた膨大な戦闘経験が過不足なく、必要なだけの力で衝撃を逃がす。足元の土さえも沈まずに、白晶犀の巨体から発生する凄まじい破壊力が霧散した。


 あるべき手応えが無かったことで白晶犀はたたらを踏み、体勢を大きく崩す。それは踏ん張りの利かない体勢に変わったことを意味する。

 白晶犀のタフネスはその分厚い皮膚、そして皮膚の下にある強靭な筋肉が二重の鎧として機能するのが大きい。体勢を崩し、筋肉が弛緩するということは鎧を1枚剥ぎ取ったということに等しい。


 そしてそのわずかな隙をイーワンは決して見逃さない。

 くるりとイーワンの手のうちで白銀八角が回り、石突で一突き。鋭い刺突は的確に白晶犀の急所を捉え、白晶犀の内臓にダメージを与える。臓器のいくつかを破壊した手応えを確かに感じ取り、イーワンは他の白晶犀に向き直る。


「ま、こんなもんか。次」


『パリング』という技術がある。

 敵の攻撃を弾き、無効化するという技術である。

 攻撃には全て無効化できるタイミングがあり、そのタイミングで適切な行動を行う事で敵の攻撃を無力化、そこから隙をこじ開けることで様々な行動に派生する事が可能となる。

 しかし攻撃方法によりパリングの難易度は大きく変動する。攻撃方法によってタイミングもその為に必要な行動も変わってくるからだ。

 ハイリスクハイリターンな防御行動であり、パリングそのものをプレイスタイルの主軸に据えるプレイヤーは少ない。『安定した生存能力』を求められる盾役タンクにおいてリスクが大きすぎるからだ。


「白晶犀なんて久しぶりに相手にするけど、やっぱチョロいな」


 次々と白晶犀がイーワンに突撃してくる――がダメージどころか外套の裾にすら触れることはない。次々と突進を仕掛けてくる白晶犀を受け流し、いなして的確にカウンターを決めていく。


 パリングを行う為には隙を見極め、的確なタイミングで攻撃を弾かなくてはならない。

 その為にはDEF型のように動きを阻害するような金属鎧や重い大盾を装備することはできないし、攻撃を受け止めて弾くという以上、AGI型と違って回避行動そのものが取れない。


 またパリングの成功率にはステータスの技量――DEXデクスタリティが大きく影響してくる。

 プレイヤー本人の技巧、プレイヤースキルとしての成功率とは別にキャラクターとしてのステータスがパリングの成功には必要不可欠なのだ。

 プレイヤーが如何に的確に攻撃を受け流しても、ステータスのDEXが足りなければ失敗してしまう。逆にDEXがいくら高くても、攻撃を見極めるだけの技巧が足りなければやはり失敗する。


 そういったハードルの高さが原因でパリングを主軸にした弾き盾――DEX型はほとんどいない。

 イーワンはそんな数少ないDEX型盾役タンクのトッププレイヤーである。

 大盾はおろか、まともな鎧さえ装備していないイーワンが『銀盾』と呼ばれるのはその銀棍があらゆる攻撃を受け流す『盾』だからに他ならない。


 AWOにおいて最も堅い守り手。

 それがイーワンだ。


「残り……10。さ、続けようか?」


 イーワンを攻撃しようと突進した白晶犀はその全てが例外なく、地面に沈んでいる。そして1頭たりともイーワンの影すら捉える事はできない。

 白晶犀の攻撃手段は突進、それに加えせいぜい角を振り回す程度しかない。白晶犀の強さはそのタフネスと単純な質量から来る攻撃力である。

 そしてその強さはイーワンには通じない。白晶犀の攻撃がイーワンに届く事は決してないし、そのタフネスもイーワンの前では意味を成さない。


 白晶犀の知能は高くない。野生動物と同程度しかなく戦術的な動きは取れない。しかし逆に言えば野生動物と同じように『脅威から逃げ出す』程度のことは出来る。


 しかし、それを<殿の栄誉>は許さない。


 挑発系スキルの利点の1つは注意をこちらに向けることである。対プレイヤーならともかく、この程度の敵ではイーワンを排除する以外の行動は取ることができない。<殿の栄誉>の効果によって、白晶犀たちの行動の優先度は自分たちの命よりもイーワンを倒す事しか考えられない。

 そしてイーワンを倒すことは白晶犀には不可能だ。


 イーワンが全ての白晶犀を倒すまで、それから10分とかからなかった。

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