【036】「終わりじゃないよ」
「まずタータマソ鉱山は今日よりシラタキ商会を通した金属製品の生産を行いたい。現在、多少なりとある他の商人たちとの繋がりは今後はシラタキ商会を通すようにする」
「独占契約……ねェ。それ自体にそれほど旨みはねェな。元々、この鉱山に商品を卸していたのはうちが主だ。ほかの連中のシェアなんざその気になれば簡単に消し飛ばせる」
鍋太郎はそう吐き捨てた。
確かにタータマソ鉱山の現在の貿易状況はほぼシラタキ商会の独占状態にある。一部、個人的なやり取りのある職人もいるが、総数としてみれば決して多くはない。
「分かってる。だからタータマソ鉱山は受注生産を全面的に受け付けるよ」
「ほう? そりゃあ、また思い切ったな」
ドワーフの金属製品の品質はいいが、実は在庫という概念がない。ドワーフにとって鍛冶は信仰であり、鍛錬だからだ。自らの腕前を鍛えるために鉄を打つことはあれども誰かに頼まれて、何かを作るということは実のところはほとんど無い。
もちろん、自分たちで使う日用品や武具の類などは必要に応じて作るが、それを売るという発想は今までのドワーフにはない概念だ。
極稀に友誼や恩義のために頼まれて作ることはあるが、それはそれだけ特別な儀式を意味する。同じ山のドワーフ同士でさえ、誰かに武具などを作ってやるという発想はない。剣にしろ、鎧にしろ身に着けるのは自分が作ったものだけだ。
シラタキ商会を通した独占貿易、および受注生産。
それは本来、市場に出回らないはずの高品質のドワーフ製の品物を仕入れることが可能になるということだ。
身内の贔屓目を抜きにしてもドワーフの作る金属製品の質は高い。それこそ鍋ひとつとっても人間の街で出回るそれとは雲泥の差がある。
「ただし条件がある」
「クハッ、今のお前らが条件を出せる立場かよ?」
「じゃあ提案と言い換えてもいいよ。底値はこっちに決めさせておくれ。具体的な値は後日、決める。けど、その底値以下では売らないでくれ。その代わり、この山で打った代物は全て刻印を入れさせる」
「贋作防止か。だがそれ以上に底値を決めるってこたァ……なるほど? ブランド化するつもりか」
ドワーフの製品は高品質だ。しかし、どうしても手は足りない。人間社会に広く流通させるほどの数はとてもではないが、生産できない。
タータマソ鉱山の評判が高まれば贋作の類も出てくるだろう。街の鍛冶組合から見放されて食うに困るような三流鍛冶師に粗悪品を作られても困る。
それを防止するための刻印だ。
「シラタキ商会の組織力ならこの手の宣伝は大得意だろ。ドワーフが手ずから打つ商品だ。宣伝の仕方はいくらでもあるはずだよ」
複雑な刻印を意匠として取り入れれば贋作は当然難しくなる。そして底値を定めることで、価格破壊を防ぐ。
品質では買っていても、生産力では数で勝る人間に勝ち目はない。なら同じ土俵で戦わず、価格を調整して客層の差別化を図るべきだ。
ターゲットはいい物であれば金を惜しまない客。あるいはドワーフの武具という珍品に価値を見出す客。狙う客層はそういった貴族や富裕層だ。
「まぁ、確かにな。顧客の当てもある。……いいだろう、その条件呑んでやるよ」
よし、と心の中でファイは握り拳を作った。
まずは外貨獲得方法の確立。
これが安定すれば食い扶持程度は稼げるようになるはずだ。
「だがテメーのところで受け入れた難民はどうする気だ? 働かせようにも炉が足りねェだろ。新しい作業場を用意するにしろ、限度があるはずだぜ」
問題はそこだ。
タータマソ鉱山の人口は約2000人――対して難民のドワーフたちは約1200人。総人口のおおよそ6割に達する難民は寝床にさえ困る始末だ。
タータマソ鉱山の台所事情は
その様は憐れみを超えて、ある種の恐怖さえ感じさせた。
「山から出てもらう。シラタキ商会を通して、街へ鍛冶師として出向させる」
ファイが静かな声で言い切ると、声にならない呻きがドワーフたちから漏れ出た。痛みを堪えるようなそれは難民たちの断末魔だ。
それでも異を唱える声はひとつたりとも上がらなかった。
タータマソ鉱山の規模では難民を受け入れるのは、到底不可能だ。受注生産受け入れの提案など、所詮は小手先の金策に過ぎないことをファイは自覚している。
受注生産を受け始め、それが軌道に乗れば鉱山の経営を立て直せるかもしれないという程度。
そこまでやって、ようやくスタートラインに立てる。やっとの思いで立ち上がろうとしているタータマソ鉱山は赤子のようなものだ。同族とはいえど面倒を見ている余裕などありはしない。
「山を追われても、元々はドワーフの鍛冶師たちだ。腕っ節には自信があるし、手先も器用。街で普通の鍛冶師としてもやっていけるはずだ」
それは明確な決別だった。
折れ、肉の死んだ足を切り落とすような取捨選択。
山を失ったドワーフは人里に紛れ、生きていく。
背後ですすり泣く声が聞こえた。子供の声だった。
ファイよりも、まだ幼い子供の声。故郷を追い立てられ、ようやく辿り着いた場所さえも今、追い出されようとしている。子に責はない。だが親の犯した失敗と向き合っていかなければならない。
それは、とても理不尽なことだと思う。けれどそれを正すだけの力はファイには無い。
だから切り捨てる。
仕方がないとは言わない。
きっとこの泣き声をファイは死ぬまで忘れないだろう。
「初期投資はどうする? 移動、新居、道具。もちろん、俺様に今日払う分もだ。シラタキ商会のトップが自ら取り立てに来たんだ。当ォ然『来月まで待ってください』なんて話は通用しねェぞ? 言っとくが、難民が野党になるようだったら俺様は喜んで討伐依頼の仕事を手配するからな」
食うに困り、暮らすに困った者が悪事に手を染めるなど珍しくもない。その多くは生きるために悪徳を積む。ほかの方法があれば、彼らも悪党家業から足を洗うかもしれないが、それ以外の方法を知らないのならば討たれるまでそのままだろう。
山での暮らししか知らないドワーフが街へ下りず、タータマソ鉱山を頼ってきたのも街での暮らし方を知らないからだ。
「魔刀ソローヤ。その売値、金貨2万5000枚を頭金としてアンタに渡す。それで当面は取引を続けてほしい。山を出るドワーフたちには路銀として、タータマソ鉱山で採れた装飾品類を持たせる。品としては古いが、ドワーフ手ずからの一品だ。とりあえず生活の下準備ぐらいはできるだろう」
「市民権は? いきなりこの数の移民を受け入れる街なんてありゃしねェぞ」
「ひとまずは出稼ぎだ。人手が足りない鍛冶場に行かせる。力は強いんだ、なんなら開拓村でもいい。
ドワーフに農耕が向いていないのは土地柄が大きい。山で暮らすドワーフは畑などはロクに作ったことのない門外漢だ。
岩を見ればどう砕け、どう磨けばいいかは分かるが、その土地で作物がどう育つかなどの土の良し悪しは分からない。ノウハウというものがないのだ。
しかし、往々にして農耕とは力仕事が多い。未開の土地を切り開く開拓村ならなおさらだ。
木を切り倒し、株を掘り起こし、土を耕す。文字通り骨が折れるような重労働である。男女問わず、それこそ老若さえも区別せず総じて種として、力に秀でているドワーフは重宝がられるはずだ。
しかし、それは鍛冶場を捨てる道でもある。ドワーフとして、祈りの場である
それでも、ドワーフは変わらないければならない。痛みを恐れて、ここまで来てしまったのだ。変化の痛みを受け入れなければならない日が来た。
それが今日という日なのだ。
「3年だ。アタシが山を出て、こうして商人になった3年、それと同じ時間だけ待ってほしい。きっと、変わってみせるから。アタシたちは――いや、ドワーフは変わってみせるから。だから、この取引を受けてほしい」
ファイはそう言って、膝をつき頭を下げた。
それに倣い、背後のドワーフたちも頭を下げた。
これは懇願だ。
ドワーフたちが変化を受け入れても、それを相手が受け入れてくれるとは限らない。
言葉は尽くした。メリットも示した。
だからあとは祈るだけだった。
永遠にも感じるような沈黙があり、それを鍋太郎が裂く。
「甘ェよ」
「ッ!」
跳ねるように顔をあげれば、そこには口元を歪めて嘲笑う鍋太郎がいた。
「まだ分かってねェなァ、ファイ。まだまだ甘さが抜け切らねェ。いいか? 『やるなら徹底的に』だ。開拓民だァ? アホ抜かせ。貴重なドワーフの鍛冶師をそんな無駄遣いしてられるか。教えるコストだってタダじゃねェんだぞ」
「な……ま、待っておくれ。じゃあ、ほかに何か考えるから、だから!」
混乱する思考回路を必死に落ち着かせて、考えを巡らせる。タータマソ鉱山の生まれではなくても同族を見捨てたくはない。
例えそれが自分のツケがきっかけだったとしても、それを償う機会が失われて欲しくない。
「テメェらは街で鍛冶組合を立ち上げろ。金さえ寄越せば土地も建物用意してやる。ブランドを立ち上げるんなら徹底しろ。売った後のアフターサービスは充実させないとな」
「……は?」
予想もしなかった鍋太郎の言葉に思わず呆けた声が漏れた。
「俺たちは……鍛冶を続けれられるのか……?」
「もう一度……鉄を打っていいのか?」
ポケッと口を開けたままのファイよりも早く我に返ったのは、難民のドワーフたちだった。
「人材を遊ばせる趣味は俺様にはないんでね。ただし、ひとつ条件がある」
「な、なんだい?」
ようやく状況に思考が追いつき、ファイは慌てて返事を返した。
断るという選択肢は実質的にはないがそれでも聞かずにはいられない。鍛冶場で働けるなら、それに越したことはない。
「見所があれば、人間の弟子も取れ。技術に関しても、出し惜しみしていいのは組合の中だけだ。種族や血縁を理由にして出し惜しみは許さねェ。そんなのは俺様の商会にはいらん」
確かにドワーフの鍛冶師たちは自分たちの技術を誰かに教えることは同族でさえ、ほとんどない。例外があるとすれば、自分の子供くらいだ。
そういう意味では抵抗はある。しかし、それも腕を振るえなければ我が子はおろか誰にも伝えられずに消える技術だ。
素質があると認めた子供に、というのならば説得自体は可能だろう。どの道、街へ出て集団生活をするのなら、ある程度の技術の共有は必須事項だ。
「人間の弟子を……? ……そりゃあアンタがそういうのならこっちは従うさ。けども、そんなことをしたら街の鍛冶組合とトラブルに……」
「なるだろうな。当然」
ファイの懸念を鍋太郎はあっさりと肯定する。
「じゃあ、なんでそんな真似……まさか」
遅れて、ファイの理解が追いついた。
言葉を失うファイの様子を見て、鍋太郎はその笑みを深くする。
「やるなら『根こそぎ』だ。1年やそこらのチャチなスケールで考えてんじゃねェぞ、ファイ。この俺様を一枚噛ませようってンだ。ハンパじゃ終わるかよ、あぁ、終わらねェよなァ!」
「人間の鍛冶組合も潰す気で……!」
素質ある若者は人的資産だ。それはどこの街でも、どこの団体でも変わらない。生きるものは全て老い衰える。
それまでの知識を、これからの知識を次代へと継いでいかなくてはならない。
そのために必要なのは資質ある若者だ。
鍋太郎の提案は単にドワーフの鍛冶組合で使える人手を増やす、という意味ではない。10年後、あるいは30年後、50年後に対する明確な攻撃だ。
「ドワーフが人里に降りてくる。そして、人間と同じように仕事を始める。そりゃあテメェ、もう戦争だぜ? 人間社会が構築してきた
ドワーフたちの鍛冶師としての腕は一級品だ。それは間違いない。
それがシラタキ商会という巨大な流通網を背負って、街に入れば既存の経済に大きな変化を与えるだろう。加えて人材の確保、育成まで行うとなればそれは明確な攻撃に他ならない。
決して不可能な話ではないはずだ。シラタキ商会というバックアップが付き、ドワーフが契約として受け入れるならば。
本来は門外不出であったドワーフの技術を学ぶことができるというのなら、それは高みを目指す技術者にとってはひどく甘い果実に見えることだろう。
「アンタって人はどこまで……!」
「伝統やしきたりが悪いとは言わねェよ。そういう積み重ねた価値ってヤツは酒と一緒で、一朝一夕じゃあどうにもなんねェからな。だが、新しいものに負ける程度の『価値』ならい~らねェ。今のテメェらなら理解できるだろ?」
ぐうの音も出なかった。
ドワーフが守ろうとしてきたことはまさにそういった『価値』であり、その価値は『経済』という化け物に敗北した。ファイがその敗北を認めさせた以上、その敗北を否定することはもうできない。
次は逆になる、そう鍋太郎は言っているのだ。
人間の経済がドワーフの価値観を侵略し、征服したように。今度はドワーフの技術が人間の経済を侵略し、征服する。
鍋太郎の言う通り、これは宣戦布告だ。
剣も鎧も魔術もないが、これは紛れもなく戦争の始まりだった。
「さァ! どうすんだ、諸君! テメェらが持ちかけてきたこの商談、この鍋太郎様が受けてやろうじゃねェか! たーだーしぃー? 一度受けたら逃げは許さねェ。やるなら徹底的に、蹂躙して征服して、それだけが唯一無二の全員が幸せになる戦いだ。人間だの、ドワーフだの、エルフだのそんな金にならねェことはどうでもいい。金だ、世の中は金だぜッ!」
鍋太郎は金歯を絢爛に輝かせながら、朗々と声を張り上げる。
「ようこそ、このクソッタレな嘘だけはつかねェ金の世界へ! 大儲けしたり、大損しようって気概があるってンなら、俺様の鍋に放り込んでやるよ」
大きく手を広げ、鍋太郎は迎え入れた。
金の世界へ、損得勘定だけが唯一絶対の世界。
そこではドワーフも、人間も、エルフも区別はない。そこにあるのはいくらの値札がつくのかという明確な価値観のみ。
一度、踏み込んだならばもう二度とは抜け出せない世界との契約。
ファイはふと後ろ髪を引かれたような気がした。振り向けばそこにはファイが守ろうとしたドワーフたちの顔が、故郷があった。
かつて憧れ、尊敬し、今でも愛する父の顔が目に入る。いつも通りの仏頂面だが、その瞳には疲れが見えた気がした――いいや、違う。疲れではなく、それは老いだった。
ファイが山を飛び出し、3年。3年だ。
その3年で父は老けたという当たり前の事実に今更気づく。
子供が大人になるように、故郷が変わる。ドワーフが変わる。
失われるものはあるだろう。得るものもあるだろう。
それが何なのか。それが正しいのか。今のファイには分かるはずもない。
だから今できることは信じることだった。正しいかどうかではない。自分の選択を、自分で選んだこの先へ価値が、意味はあるのだと信じること。
それだけがファイにできるただ唯一のことだった。
ファイは未練を断ち切るように視線を戻し、鍋太郎の元へと一歩、踏み出す。
そしてその小さな手を差し出した。
「これで古き良きドワーフの時代とやらも終わりだな」
その手を一瞥し、皮肉気な笑みを浮かべながら鍋太郎は手を握る。
「終わりじゃないよ。これから新しい何かが始まるのさ」
こうしてドワーフたちは今までの自分たちと決別した。
これから先、どうなるかは誰にもわからない――今はまだ。
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