【035】「ここで退いたら、女が廃るってもんだろう?」

 ファイは相対する。

 眼前にゆらりと構えるのは大商会『シラタキ商会』をまとめあげる豪商、鍋太郎。

 値段がいくらするのか、そもそも値段がつけられるのかも怪しい魔術武具マジックウェポンのローブを悠々と羽織り、こちらを値踏みするかのような嫌らしい笑みの下にはエルフらしからぬ悪趣味な金歯をニヤニヤと覗かせている。

 世の中に存在する全てのものは値札で価値が決まると常日頃から公言してはばからない傲岸不遜の体現者にして、熱狂的な拝金主義者。


 しかし、この男がただの守銭奴ではないことは周囲の様子が雄弁に物語っていた。頑丈なはずのドワーフの石畳は今や見る影もないほどに荒れ果てている。

 そこに刻まれた無数の傷痕は、ファイが鉱山のドワーフたちとの商談をまとめるまでの時間を稼いでみせたイーワンの戦いの跡だ。


 その惨状は常軌を逸しているという以外の表現が見つからない。とてもではないが一個人同士の戦いの跡だとは思えなかった。ドワーフたちも目の前でその様を見ていなければ、ファイがどれほど言ったところで信じはしなかったろう。

 加えてファイは知っている。

 イーワンの得意分野は守りであり、この地面を抉り砕いたのはあくまでも鍋太郎がイーワンを狙った攻撃――それも攻撃の余波であることをファイは正しく推察していた。


 個人が持つにはあまりに過ぎたその力。

 酒場で聞けば与太と一笑されるような『国堕とし』鍋太郎の片鱗。

 もしイーワンがいなければ、こうして商談の場につくこともできずにこの力が故郷を蹂躙していたかもしれないと思うと、ひやりと腹の底が冷えるようだ。

 途方もない化け物を前にして、足が震えそうになる。豪胆が売りのドワーフらしくもない。

 そう考え、ふと自嘲する。


――らしくないのは今に始まったことじゃないだろうに。


 そうだ。

 ドワーフらしく、なんて今更どの口が言えたことか。

 変わり者で結構。爪弾き者で上等。

 それが自分だ。それがファイ・タータマソという女だ。

 小胆でいい。それよりもしっかりと、冷静に。自己を商人として定義する。

 これから行うのは商談――必要なのは勇気や気迫ではない。損得勘定の釣り合う秤とよく回る舌。


 さぁ、始めよう。

 ファイ・タータマソの戦いを。


「それで? 大事な大事な故郷を救うたったひとつの冴えたやり方ってヤツは見つかったのかよ?」


 ニヤニヤとした笑みを浮かべ、鍋太郎はそう問いかける。その嘲るような笑みに周囲のドワーフたちが怒気を膨らませるのを感じた。

 ファイはその笑みが鍋太郎にとってのポーカーフェイスであることを知っている。笑みを貼り付け、自分はこういう人間だぞと相手に伝える思考誘導だ。

 これは鍋太郎の挑発だ。どう返すか、まずは小手調べ。

 ならば答えは、こう。


「そんなものあるワケないだろう」


 その答えに鍋太郎の瞳がちらりと揺れる。


――正解、そう告げるような面白がるような色。


「タータマソ鉱山が抱えている問題は大きく分けて3つ。その全てを一挙に解決できる方法なんてあるもんかい」


 タータマソ鉱山が迎えた経済破綻は単なる借金ではない。単純な借金のみであるのなら極論、巨額の財宝でも見つければ解決する。

 それができないのは結局のところ、食料自給率が大きく影響しているからだ。


「1つ。大飯食らいのドワーフにとって、もうこの人口は山で賄える頭数をとっくに超過している。食料調達を自分たちで解決できない以上、人間が生産した食料を買い取るしかない」


 元々、ドワーフの食料事情は歴史を顧みえても決して豊かとは言えない。


「ドワーフの元々の食生活は山で獲れる獣や季節の木の実。あとは山芋や坑道で栽培しているキノコぐらいだ。量はもちろん、味だって一度、覚えたらもう戻れないだろうさ。それらを手に入れるには輸入に頼る必要がある」


 肉と穀物の味を覚えたドワーフたちの欲を満たすことはできない。

 ファイが人間社会で暮らし始めて、最初に衝撃を受けたのはその食生活だ。素材はもちろん、多種多様な香辛料で味付けされた豊富な食事は故郷では決して味わえない。

 知らなければ我慢もできようがファイ自身、舌が肥えた今では昔の食生活に戻れる気がしない。


 自分たちで手に入れられない以上、取れる手段は輸入だ。しかし、これも問題がある。


「2つ。タータマソ鉱山には外貨がいかがない」


 それはタータマソ鉱山にとって、あまりに致命的な急所だ。


「鉱山でありながら、タータマソ鉱山は閉じた経済圏けいざいけんだ。まともな貿易路は開拓されちゃいないし、鉱山で掘った鉱石類は山で死蔵されている。これじゃあ、回る金も回らないよ」


 当然だが物はなんであれ、売らなければ金にならないのだ。

 タータマソ鉱山自体は決して枯れた鉱山ではない。その鉱脈は深く、豊かだ。

 上質な鉄のほかに鉛や銅が豊富に採れる。数は少ないが翠玉エメラルド紅玉ルビーのような宝石類も見つかる豊かな鉱山だ。

 しかし、それらはドワーフたちにとって山の恵みであり、安易に金銭に替えることのできない宗教観があった。

 

「宝石が採れても、それをさば伝手つてがない。これじゃせっかくの上質な武具も、磨けば輝く宝石だって金になりやしない」


 経済として破綻している。どれほど価値があるものでも、それが滞っていては真に豊かとは言えない。


「それでも伝統を守り、山で火に抱かれ、鉄を打って暮らしていれば生活できただろうさ。でも、それは商会長ギルドマスター、あんたが壊した」


「壊した、なんて人聞きが悪ィぜ。酒も肉も喜んで、買ったのはテメェらじゃねぇか。なァ、オイ」


 鍋太郎は直接、何かを壊そうとしたことは今回まで1度たりともなかった。

 見たこともない香辛料がたっぷりと使われた肉。遠い異国の豊潤な香りを持つ酒。鍋太郎が持ち込んだそれがドワーフの常識を破壊した。

 一度、肥えた肉を削ぐことはできない。鍋太郎が行ったのは、そういうことだ。


「……3つ。そしてこの食料問題はドワーフが生きる限り続いていく。いや、それどころか悪化していく」


 食料というものは当然だが、消耗品である。食べれば減るし、腐りもする。

 生きていくために必要なものであり、改善された食料自給率によって人口の増えたドワーフはこれからも食べなければならない。

 そしてそれは子供が成長するほど、加速する。必然、ドワーフの経済状況は悪化こそすれ好転することは無い。


「こりゃただ借金さえ返せばいい、って単純な話じゃない。飯を食う金は毎日、必要なんだ。今ある分の借金だけじゃなく、明日の飯代を払えるようになる必要がある」 


 まともな外貨手段がなかったタータマソ鉱山は食料のために金を借りた。それ自体は別に問題があるわけではない。証券取引や債権による経済活動は個人のそれとは比較にならないほど大規模になる。

 ひとつの自治体の食料を賄うだけの輸入を行うのであれば、当然のことだ。


 問題は、当然ながら返済する当てがないこと。

 そして相手に『貸し続けるだけの利益』も提示できていないことだ。


「金を借りること自体は別に問題じゃない。問題はドワーフが一方的に依存していることだ」


 実は場合によっては借金の類は返さなくてもいい場合がある――といっては語弊があるが『借り続けること』は可能だ。

 例えば単純に借金に対して発生する利益、利息を払い続けることができる場合。当然、借金が完済されてしまえば利益を得ることはできなくなる。そのため、長期的な利子を得るために返済期限を延長したりする場合がある。

 借りている側からは長期的には損をしているが、短期的に金を借りることができるため得になる。

 一方、貸す側から見れば当然、貸している期間が長くなればなるほど利益は多くなるため、やはり長期間貸している方が得となる。

 これらの借金は『融資ゆうし』や『投資とうし』と言い換えることが可能だ。


「依存している限り、ドワーフは言いなりになるしかない。それを正すにはドワーフ側からも借金――融資を受け続けられるように価値を提示する必要が出てくるわけだ」

 

 ただし、これは相手にある程度の返済能力、あるいは資産としての価値が維持されている場合に限られる。利子を払えなくなった時点で、貸す側はそれ以上の返済を待つも貸し続ける理由がなくなる。なにせ手元にあるはずの資産がないのだ。増える当てもない以上、手元に戻さないのはリスクでしかない。


「現状では、それが無い。それなのに難民なんて受け入れたんだ。融資を打ち切られても文句は言えない。……これがタータマソ鉱山の現状だね」


 今回、鍋太郎が動いたのはつまりはそういうことだ。

 ただでさえ債務超過にあるタータマソ鉱山がドワーフの難民を受け入れたせいで、その経済は完全に破綻した。今までタータマソ鉱山から『利子』として支払っていた金属製品だけでは難民が増えた分、返済が間に合わなくなったのだ。

 結論として、鍋太郎は『貸し付けた資産』の回収に踏み切る。それがタータマソ鉱山のドワーフたちという『人的資源』だったわけである。


「OKOK、まずは合格だ。膨れ上がった赤字を殺してくれる『銀の弾丸などない』ってな。ま、強いて言うなら俺様をブッ殺して、商会も潰せば借金自体はなくなるぜ?」


 借金を踏み倒す一番手っ取り早い方法はいつの世も暴力だ。無ければ奪えばいい。奪われたくなければ殺せばいい。

 そういう意味では鍋太郎の言葉は一見、正しく思えるが――


「それこそ無理だ。仮にアンタを殺せたとして、商会も潰せたとしても今度は誰から飯を買う? シラタキ商会の規模がなきゃ麦も肉も運ぶのさえままならないってのに」


 勘違いしてはいけないのは鍋太郎は『敵』ではないということだ。

 シラタキ商会が世界各地に広げる巨大な貿易網。ファイのような行商人たちが無数に行き交う行商路に、海や川を越えて運ばれる海運。

 品物が例えあったとしても、それを運ぶことができるかどうかは別の問題だ。単純な距離に加え、盗賊やモンスターに襲われないかどうか安全性が判断できる『道』が必要だし、関所などを超えれば関税も必要になる。

 仮に鍋太郎とシラタキ商会を倒し、潰せたとしてもそれらを把握できるはずがない。運用などもってのほか。シラタキ商会それそのものが巨大な人的資源を内包する経済動物だ。

 実行できるかどうかはともかくとして、そこから得られる利益こそがドワーフたちを生かしているのだから、殺してしまっては意味がない。


「金が淀みなく、流れ巡ること。それが『豊か』ってことだろう?」


 金を多く持っている、ということが豊かという意味と直結するわけではない。金は所詮は金でしかない。

 金はそれそのものには価値がない。金の価値はその金で『何が買えるか』ということに帰結する。金に相当する宝石類はこの鉱山にはいくらでもあるが、貿易路が発達していないから外貨に替えることができない。

 そしてそれを改善するには物流の大きく担うシラタキ商会が必要不可欠になる。


「上等上等。満点の答えだ。花丸でもやろうか?」

「いらないよ」

「つれないね。それじゃ商談を進めるか。……そこまで分かってンなら、俺様の話は分かるな?」


 鍋太郎の纏う気配の色が明らかに変わる。

 悪趣味な笑みはそのままにその奥にある瞳が鋭く、研ぎ澄まされる。ファイは無意識に息を呑んでいた。

 今までのやり取りはほんの現状確認。ファイが問題点を正しく把握できているかどうか、それを確認しただけに過ぎない。

 タータマソ鉱山はファイにとって身内だ。釘を刺してきた、ということだろう。


 鍋太郎は情をかけるな、とは決して言わない。だが必ず値段はつけろ、と釘を刺す。つい昨日のことだ。


――つまりは『身内を助けたいのなら相応の値をつけてみせろ』


 それが商人のやり方だ。


「それで、お前はどうするんだ? 一介の木っ端こ ぱ行商人に過ぎないテメェに何ができる?」

「いいや、違うよ」

「アぁん?」


 確かにただの未熟な行商人では交渉のテーブルにさえつけない――だから。


「今の私はタータマソ鉱山の大火事長おおかじおさだ。他の大火事長おおかじおさたちからも今回の件についての決定権を任されている。今、アタシはこの場における実質的な最高責任者だ」


 ファイの言葉に鍋太郎は意表を突かれて、顎がカクリと開く。ファイの言葉を、そしてその意味することを遅れて理解し、いつものにやけ面が崩れた。


「……テメェ、言ってる意味、わかってンのか」


 鍋太郎の言葉に込められているのは紛れもない怒気だった。肝が縮みそうなそれを正面から受け止め、ファイは受け流す。

 ビビったら、そこで負ける。


「なに、アタシだってタータマソの長子ちょうしなんだ。十分にあり得る話さね」


 とは言うが実際のところ、かなり異例だ。

 確かにファイはタンザの長子だが、女子である。大火事長おおかじおさは血統や人格以上に、鍛冶の腕前が重視される。いかにドワーフといえどやはり男女では筋力に差があり、鍛冶では一歩譲るのが常。

 通例で倣うならば、一族でもっとも腕の立つ鍛冶師が継ぐ。長子かどうか、というよりはむしろこちらの方が重視され、現に父親タンザは先代の次男である。

 長子が継ぐことが多いのは単純に先に産まれた分、長く技術を叩き込まれているというだけの話だ。同じ環境なら長く続けた方が腕前は当然、上になる。

 その点、商人として山を出奔しゅっぽんしたファイは鍛冶場から遠退とおのいていたのだ。必然、腕前は同世代の連中よりも何段も落ちるだろう。一族の代表である大火事長おおかじおさの後継者としては本来、認められるがない。


 商人としての仮面をも崩し、眉をひそめて鍋太郎は真意を問う。

 それはファイに商いのイロハを叩き込んだ師として、笑って看過かんかできる範囲を逸脱いつだつしている。


「テメェが大火事長おおかじおさとしての決定権を得るってことは、この鉱山が抱える借金もテメェのモンだって意味だぞ?」


 大きな鉄が重いように、大きな力には相応の重い責任が伴う。借金もまた然り。

 支える力が足りなければ、重い責は簡単にこの身を潰すだろう。鍋太郎は誠実に、ファイを確実に潰す。そんなことはファイも百も承知している――だが。


 こんな、どうしようもない親不孝者に任せてくれたんだ。信じてくれたんだ。

 だったら、全力で応えてやりたいじゃあないか。


「そうさ。でもこれで、アタシは立派な『当事者』だ。これに関してはいくらアンタと言えど、文句は言わせない。あの頭の固い連中がここまで変わってみせたんだ」


 本来ならあり得ない。今まで通りならばあり得ないことだった。

 だが変わった。

 変わってみせたのだ。

 ならば、ここから先は自分が変えてやろうじゃないか。


「ここで退いたら、女がすたるってもんだろう?」

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