【021】「もうないんだよ」

「クハッ! まさか腰抜かすなんてな!」

「笑いごとじゃないぜ、まったく……」


 ファイは結局、あの後ソローヤの売値を聞き、腰を抜かしてしまった。

 血相を変えたファイと笑い転げる鍋太郎の説明によれば、金貨一枚もあれ一ヶ月は食う寝るに困らないという。

 今回、手に入れた白晶犀の素材は結局、その全てをシラタキ商会に卸すことになり、相場よりもかなり高く買い取られることで話がまとまった。薬の材料になる肝や丈夫な革鎧など素材として、総額金貨3000枚。ファイの普段の行商での儲けが金貨50枚程度だと聞けば、ファイの反応もさもありなん、といった具合だ。

 元手がほとんどかかっていないことを考えると破格の儲けだと言える。ならばその何倍も儲けが出たソローヤなどファイにとってはまさに驚天動地きょうてんどうちだったろう。

 それでも廃人ハイエンド級装備としてはかなり安価な部類に入る。魔刀ソローヤに関しては、イーワンの知り合いであるエルフの廃人ハイエンド級鍛冶師が中堅プレイヤー向けに性能を落としたものであり、元々の性能からすればかなりダウングレードしているからだ。


「ま、金貨が2万枚って言ったら小さな街くらいは養えるからな。無理もねェよ」


 結局ファイは商談をまとめた後、憔悴した様子で休んでいる。今頃は受付の男に連れられ、静かな部屋で休んでいるはずだ。

 ではイーワンは何をしているかと言えば、この悪趣味な男と商会の最上階の部屋、鍋太郎の私室にいた。

 外観と同じく部屋にはいくつも高級そうな彫刻や絵画が飾られ、部屋に置かれた家具はどれもが高級品だと一目で分かる風格がある。

 それなのにレイアウトの関係なのか、そのどれもが激しく自己主張をぶつけ合い、恐ろしいほどに調和が取れていない。センスのなさもここまで来ると感心するほどだ。


「まぁ、食えよ。昼飯まだなんだろ? 食いモンなんて値段が高けりゃ高いほどウマいんだよ」

「いいけどなんで鍋が金色なんだよ……食欲失せるんだけど」


 木目の美しい食卓に置かれたのはコンロとギラギラと存在感を放つ純金製らしき鍋。徹底されたことに手元に配られた取り皿と箸まで純金だ。手に持ってみれば不自然に重いので、鍍金メッキではない。

 鍋からは香ばしい食欲をそそる匂いが漂ってくる。鍋に盛られているのは脂肪が網目のように入った牛肉らしきもの。漂う香りは醤油のものだ。

 ネギに春菊、焼き豆腐まで入ったそれは『すき焼き』と呼ばれる料理だった。イーワンは食べることはおろか、直接見るのだって始めてだ。


「酒はどうする? 金粉はどれぐらいが好みだ?」

「いらないよ」


 正直、言ってウザい。というかそのこれでもかという金推しが嫌になる。

 鍋太郎はそんなイーワンの心情など気にも留めず、肉を頬ばっていた。

 

「で、どんな儲け話だ?」

「違う。儲け話じゃなくて、単に聞きたいことがあるだけだ」


 ファイを休ませた後、イーワンは鍋太郎に「聞きたいことがある」と切り出した。話の内容を聞きもせずに「じゃあ飯でも食いながら話そう」とこの部屋に連れられ、今に至る。

 話を聞く相手を間違ったかもしれなかった。

 しかし、目の前にいる男に聞きたいことは山ほどある。何せこの男は『イーワン』を知っている人間だ。

 イーワンが記憶を失ってから、初めて出会う『プレイヤー』でありこの世界に基盤を作っているのはファイや商会の反応を見れば明らか。

 イーワンよりも『この世界』について精通しているのは間違いない。

 本当は鍋太郎に聞きたくはない。この男の借りは恐ろしく高い。


「ここはどこなんだ?」

「クーメルのシラタキ商会支部だよ。何言ってんだ」


 何を分かり切ったことを、というように呆れ混じりに鍋太郎は返した。

 湯気の立つネギを頬張りながら、鍋太郎は無言で続きを促す。


「違う、そうじゃない。だって、そのおかしいだろ? ログアウト出来なくなってるんだぞ? 何か知っていることはないのか?」


 イーワンは記憶を失ってから初めて、その違和感を吐露する。口にするのは初めてだったが違和感は常に感じていた。

 イーワンは本来は『女』だ。

 股間に感じる異物感は慣れようがない。それは単なる感触や機能の問題だけではない。『自分』がズレたような違和感がずっとイーワンの自意識をさいなみ続けている。


「……お前、マジで何言ってんだ?」


 そんなイーワンの告白を聞いた鍋太郎の反応はひどく淡泊だった。

 怒りよりも先に沸いたのは疑問だ。なんだ、この反応は。

 鍋太郎は決して頭の回転が悪くない筈だ。本当に癪だが、イーワンが話を切り出した時点でこちらの意図を察した上で食事に誘ったのだと思っていた。

 思っていたのだが。


「まさか、鍋太郎はログアウトできるのか?」


 ログアウトできなくなったのはイーワンだけなのではないか。

 そんな疑問が浮かぶが、それも鍋太郎は首を振り、否定する。


「いやいや、ちょっと待て。イーワン、お前何の話だ?」

「はぁ? だからログアウトできなくなってることについてだよ。何か知らないか?」

「待て待て。話が噛み合わねェ」


 食べる手を止めて、鍋太郎は眉間のしわをほぐすように目頭を揉む。

 鍋太郎の言う通りだ。話が噛み合わない。


「鍋太郎。お前はプレイヤーだよな?」

「当たり前だろうが。お前マジで何言ってんだ? つか何の話をしてんだ?」


 鍋太郎はプレイヤーである。これは間違いない。

 さほど親しいわけではないが、なにせ鍋太郎は有名人だ。イーワン自身もトップクラスのプレイヤーとして、ゲーム内の物流を一手に担う鍋太郎の顔は知らないはずがない。ましてやこの男ほど見た目がひどいプレイヤーはさすがにいない。


「俺様はお前が3年も雲隠れした理由についてかと思ったんだが」


 ため息交じりに鍋太郎はそんな事を言い出した。


「お前、ランカーのくせにぱったり音沙汰なかったじゃねェか。あの女好きがとうとうを身を固めたか、って噂になってたんだぜ?」

「待て待て待て! 話が見えない! いったい何の話をしてるんだ!」


 今度はイーワンが話を止める番だった。


――3年も雲隠れ?


 何かがおかしい。

 それを確かめるために鍋太郎に話を聞くつもりだったが頭の中は混乱するばかりだ。なんだ、何を間違えている。

 居心地の違和感が強くなるのを感じた。何か大切な、他人と意識を共通させる何かが欠落しているのを感じる。それはコミュニケーションの欠如だ。常識や価値観といった『』の欠陥。

 同じ言語を話しているのに、話が通じないこの感覚をイーワンは、『███』が覚えている。

 歯車が噛み合わず軋みをあげる音が聞こえた気がした。

 脳幹を締め付けられるような痛みがイーワンを襲う。来ると分かっていたが、それでもこれはなかなかにこたえる。

 脳の奥底を万力で締め付けられるような痛みに奥歯を食いしばることで耐えた。今までと同じように熱が引くようにして消えていく。

 思い出したのは『███』の劣等感。


――あぁ、そうだ。


███』は欠陥品だったのだ。

 そう他ならぬ父親に断定されたのだ。███は欠陥品だった。だから愛されなかった。

 それを思い出した――思い出してしまった。


「……整理しよう。酒をくれ」

「あ? まぁ……いいけどよ」


 口の中がカラカラに渇いていた。

 とにかく何でもいいから、この劣等感を呑み込みたかった。

 鍋太郎が差し出す金の杯を受け取り、思わずその徹底した悪趣味さに苦笑する。今この時ばかりはその無駄な重さに感謝した。鍋太郎の趣味の悪さに救われる日が来るとは思わなかった。

 受け取った杯をよく確かめもせずにイーワンはその中身をあおり、思いっきりむせた。


「ッごふっ!? けほっ、かはっ……!」

「めちゃくちゃな呑み方すんな……お前、それバーボンだぞ。度数50超えてんのに」


 喉が焼ける。強烈な香りが鼻を抜け、視界がチカチカする。

 そもそもイーワンは飲酒の趣味がない。カルハ村の宴会の際に酒を勧められた時も一口、口をつけただけでその苦味に顔をしかめ、丁重に辞退していたのだ。

 それをこの男は。


「お、お前……すき焼きにバーボンってバカじゃないの……!」

「クハハハ、目も覚めたろ」


 悔しいが鍋太郎の言う通り、気付けにはなった。だからといってこの男に到底、感謝する気にはなれないが。

 鍋太郎なりの気遣いなのはイーワンだって分かる。

 おそらくひどい顔を浮かべていたのだということは自覚していた。そこでこんなやり方をする辺り、この男は徹頭徹尾てっとうてつび天邪鬼あまのじゃくなのだ。


「まずはログアウトの確認だ。少なくてもオレの記憶ではログアウトできた。でも今は出来ない。これについて確認させてくれ」


 天邪鬼のコイツに礼の言葉はいらない。

 というか安易に礼など言えば、高くつく。それは目の前の男も重々承知だろう。だからこんな迂遠な気遣いしかできないのだ。礼を言いたく無くなるような気遣いしか出来ないし、しないと徹底している。

 ならば貸しを大目に見ればいいのではないか、という話だがそれをしないのが鍋太郎というプレイヤーだ。損得勘定については誰よりもガメつく、誠実な守銭奴しゅせんどである。


「よく分かんねェがお前がなんかズレてんのは伝わったよ」

「お前にズレてるって言われるのすごいしゃくなんだけど」


 少なくてもイーワンはここまで悪趣味ではない。


「まずテメェが何を勘違いしてるかは知らないが、ログアウトは出来ない」

「それはお前もってことか?」

「あぁ、俺様も含め全プレイヤーはAWOからログアウト出来ない」


 ログアウトはやはり出来ない。

 それは間違いない。だが、それだとやはり腑に落ちない点がある。鍋太郎の落ち着きようはおかしい。


「正確には違うな。ログアウト出来ないんじゃない。しなくなったんだ」

「はぁ? どういうことだよ」

「言葉通りだよ。今から3年前のアップデートは覚えているか?」


 3年前のアップデートというと。


「『フォーシェンの落日らくじつ』か? ドラグハイブ帝国が一番乗りして、ギルマスのジョシュアさんがランカー入りすることになったヤツ」


 エルダーヴァンパイアによって腐敗した国とそれによって王位を追われた王女を中心とした大規模なストーリークエストが実装された大型アップデートである。

 確か『忌獣使きじゅうつかい』などが実装されたのもこの大型アップデートだったはずだ。

 この『フォーシェンの落日』を最速で突破したことでギルド『ドラグハイヴ帝国』はその名を轟かせ、ギルドマスターのジョシュアはランカーへとその名を連ねた。


「違う。『フォーシェンの落日』はのアップデートだ」

「……そんなはず」


 無い、と答えようとした声は音にならなかった。イーワンの記憶は欠落している。現実世界の『███』の記憶の大半は失われたままだ。

 ゲーム内のアバターであるイーワンの姿、能力、記憶を所持していたから、今の自分はイーワンだと思っていた。

 だがそもそも記憶が欠落しているのなら。

 ならばどうしてと思っていたのか。


 ピタリと当て嵌まってはいけないパズルのピースが嵌まるのを感じた。そこにあるのは理解による快感ではない。それは理解による恐怖だ。

 先程の鍋太郎の会話を思い出せばその不自然さに理解が及ぶ。

 噛み合わない筈だ。

 イーワンは自分の、イーワンとしての記憶は全て揃っていると思い込んでいた。


 イーワンの記憶も欠落していたのだから当然、会話は噛み合うはずがない。

 

「3年前……3146年4月20日に実施された大型アップデートは『進化しんか終結しゅうけつ』だ。そのアップデートでログアウト機能は削除された」


 アップデートに際し、不要になったシステムなどが変更、あるいはシステムそのものが削除されることはままある。

 だが、それは。

 ログアウト機能の、削除。


「ログアウト機能が削除って……それじゃあ、どうやって現実に戻るんだよ……」

「戻る必要があるか? 『進化しんか終結しゅうけつ』のアップデートはAWOだけじゃない。ほかのゲームにも適応された。いわばだ。それに伴い、味覚や嗅覚なんかの五感、SEXや睡眠も全てゲーム内で解禁された」


 鍋太郎の言葉が、イーワンの耳を打つ。

 それはまるで木霊こだまのようにイーワンを揺さぶり続けた。

 鍋太郎は言葉を止めない。


「3年前のあの日、『進化の終結』のアップデートが適応されて、人間は現実への帰依きえを放棄した。ログアウト機能が削除されたのはもう必要ないからだ。なぜなら現実に戻る必要はなくなったからだ。理解出来たか、イーワン?」


 鍋太郎は嘲笑わらった。

 その悪趣味な金歯を剥くように口の端を歪めながら、イーワンを真っ直ぐに値踏みするような視線で言葉を続ける。


「戻るべき現実なんて、もうないんだよ」

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る