第7話 あと三匹

「ゆっくり休む暇もなく、次の任務を言い渡すのは気が引けるが、どうか堪えてほしい。事態は切迫している」

 翌日。お城の会議室に集められたあたしたちに向かって、アトレン王子はシリアスな顔で話し始めた。あたしたちといっても、部屋の中にいるのは、あたしとイクタ王子、そしてアウスンの三人だけ。重要そうな話題のわりに、たったこれだけのメンツでいいのかとソワソワしてしまう。

 アトレン王子は全員を見渡したあとで、あたしに視線を留めた。目があった瞬間、アトレン王子が温和な微笑みを浮かべる。

 どきりとして他の人の方を伺うが、二人は特に気にしてもいないようだった。別に、アトレン王子はあたしをリラックスさせようとして微笑んだのであって、何の含みもないことはわかっているし、昨夜のことを特別なことだと勘違いするのはよくない。でもなんでもなかったと思うにはちょっと刺激の強すぎる体験だった。男の人の――しかもほとんど初対面同然の――胸で泣くなんてやりすぎだったんじゃないかとか、当然の役得だとか、頭のなかがぐるぐるして、あまりよく眠れなかったくらいだし。

 そんなあたしのことはお構いなしに、アトレン王子が話を続ける。

「これをみてくれ」

 アトレン王子はテーブルの上に見慣れない地図を広げた。おそらくこれが、テルミア世界の地図なのだろう。

 地中海みたいな内海と、その周囲を囲む大陸の一部が描かれている。確か、いまいるのはリオニアという国だったはずだけど、文字も読めないから、現在地すらわからない。

「今、世界で起こっている異変について、改めて説明しておく。“魔の狂乱”といわれる現象と、それとともに起こる危機についてだ。魔物の出現数の増加と、ドラゴンの凶暴化。それによる、人や町への被害。伝承によれば、これらの危機は過去にも幾度か起こり、世界を荒廃させたという。その度に、異界の勇者が現れ、世界を救ったとも。キヌカが現れたことで、疑惑は確信に変わった。現在われわれの置かれている状況は、伝承にある危機と完全に一致する。祖竜ストレックは倒れたが、過去の伝承を考えれば危機はこれで終わりではない」

 マートアの惨状を思い出して、あたしは浮かれた気分が吹き飛んだ。

「終わりじゃない……?」

 アトレン王子が頷く。彼の話は他の二人にとっては既に知っている話のようで、彼はあたしに向かって話し始めた。

「祖竜ストレック。彼は長い間リオニアの北の山脈を住処としていた古いドラゴンだ。リオニアでも長い間、守り神として信仰されてきた。それほどのドラゴンでも、“魔の狂乱”によって正気を失い、リオニアの村々を襲うようになった。われわれはストレックを倒すために討伐隊を編成し、キミの協力を得て、ストレックを討ち取った。魔物の脅威は続くだろうが、しばらくの間は、リオニアは安泰だろう。ただ、ドラゴンは一匹ではない」

「他にもいるってこと?」

「そう。リュトリザのルビリム、ウェトシーのロウロルア、ウェルルシアのプリシーズ。有名なものでは、この三匹。ストレックを入れて、かつては四大ドラゴンと言われていた存在だ。知恵と長寿の象徴であったドラゴンも、今では危険要素でしかない。われわれはこのドラゴンを狩る。彼らがリオニアの――テルミア全土の脅威となる前に」

 アトレン王子は内海の上、北の土地を指し示した。

「ここがわれわれのいるリオニア。その東がリュトリザ。西がウェトシー。レーテス海を挟んで南がウェルルシアだ。プリシーズはおそらくウェルルシアの首都ラーフナにいる。だが、ラーフナの場所はウェルルシア国民にすら秘されている幻の都だ。ウェルルシアの広大な森の中からラーフナを探しだすのは不可能に近い。ウェルルシアとは現在停戦しているとはいえ、長年敵対していた歴史もある。いくつか方法は考えているが、プリシーズ討伐については、今のところ現実的な案はない。次に、ウェトシーだが、こちらはリオニアの同盟国として、現在共同でロウロルア討伐隊の編成を進めているところだ。話がまとまり次第、きみたちにも参加してもらう。少し待ってほしい。つまり、差し当たって標的としてほしいのは――ここだ」

 アトレン王子は指を滑らせて、リオニアの東、内海からかなり内陸に奥まった地点を示した。

「リュトリザのルビリム」

 テーブルから少し離れた場所に立っているイクタ王子が口を挟む。

「そうだ。リュトリザには既に密偵を送り込み、有力な部族に協力をとりつけてある。ただし、ルビリムと唯一交流があるといわれるトマクト族には使者を追い返された。リュトリザは遊牧民の部族連合国家だ。一枚岩ではない。きみたちには、秘密裏にトマクトの地に入り、ルビリムを倒してもらいたい」

 ――秘密裏にってことは、隠密行動ってこと?

「もしかして、三人だけで!?」

 驚いて声を上げると、アトレン王子が申し訳なさそうに眉尻を下げた。

「すまない。協力を断られた以上、こちらも大々的な行動はとれないのだ。かといって、ルビリムが凶暴化するのを黙って見ているわけにはいかない。われわれにしか、できないことだ」

 アトレン王子はそう言うと、突然あたしの前に跪いた。お姫様にするように、あまつさえ手までとって、いまにもキスしそうなほど――と思ったけれど、セリフの内容はカケラも甘くない。

「リオニアの代表として――いや、テルミアの人間として、君に協力を願いたい。それとも、きみの使命の助力をさせてくれと言うべきか」

「え、あ……どうだろう。勇者の使命とかいわれても、ピンとこないし……」

 まっすぐに見つめられて、つい、しどろもどろになってしまう。やりたくないというか、どうしてあたしが勇者なんてものをやらなきゃいけないのかサッパリわからないだけだけど、アトレン王子にこんなふうに頼まれたら悪い気はしない。人助けなんかしたくないといいきるほど人格がひねくれているつもりはないし、あたしにできることなら力にはなりたい。

 でも、あのでっかいドラゴンとまた戦うのか――。

「おれひとりでいい」

 そこで声を上げたのは、イクタ王子だった。

「ルビリムとはおれが戦う。おれがひとりでいく」

 アトレン王子はあたしの手を放すと、イクタ王子を振り返り、言い含めるような抑えた声で言った。

「……おまえの気持ちはわかる。だが、おまえひとりでは結局ストレックを倒しきれなかったそうじゃないか。キヌカに協力しろ。次は失敗するな」

 イクタ王子に歩みより、その肩に手を置く。そのまま彼の耳元に顔を近づけた。何かを囁きかける。

 内容は聞こえなかった。

 あたしは改めてこの二人は兄弟なのだということを考えていた。外見だけ見れば、似ているところを探す方が難しいような気がする。健康的で明るい容姿のアトレン王子に対して、イクタ王子は精緻な作り物みたいでどこか無機的な印象を受ける。色味もあわない。しいて言うなら、ふたりとも瞳が青系なくらい……。そんな対照的な容姿だけど、どちらも見た目がいいので、並んでいると大変絵になることは確かだ。

(キヌカって、もしかして面食い……?)

「……」

 尻尾を踏まれたリオノスがギャウッと動物的な鳴き声を上げて床を転がる。

「道中の護衛と案内のためにイクタとアウスンをきみにつける。その他必要なものがあればすべてこちらで準備しよう。わたしにできることがあれば何でも言ってくれ」

「やっぱりあたし、やらなきゃダメですかね……?」

 弱気を見せると、アトレン王子はやや困惑した様子で肩を竦めた。

「なんにせよ、君はすでにストレックの魔力を手にしている。恐れることはないと思うが……」

「ストレックの魔力……?」

(アトレン王子の言うとおりだよ。あれ以上のドラゴンはそうゴロゴロいるもんじゃない。量的な意味でいえば、キミはテルミア一だろうね)

「……ほんと? じゃあ、次のドラゴンも楽勝ってこと?」

「楽勝、か。おまえにとっては、テルミア最強のドラゴンもその程度か」

 イクタ王子に急に話しかけられて、ギクリとする。

 ――やっぱり、あたしがストレックを倒したこと根に持ってる……!

「任務の準備にかかる」

 さらに嫌味のひとつや二つあるかと思いきや、イクタ王子はあっさりと背を向けた。

「待って! 今のは撤回。ぜんぜん楽勝じゃなかった。あたしひとりだけだったら。でも、あなたがストレックの動きを止めてくれたから、倒せたの。だから、ありがとう。あたしが来なければあなたは負けていたし、これでお互い様よね?」

 半ばやけくそになってあたしは早口に言った。

 ――互いを殺しそうになったのも、お互い様。これでイーブン。そう考えないと、このもやもやはおさまりそうにない。

「……それでいい」

 どうでもいい、の間違いじゃないかと思うくらいの素っ気なさで、イクタ王子が頷く。

 そのまま、彼が扉の外に消えるのを見送って、あたしは大きなため息を漏らした。彼が何を考えているのか、さっぱりわからない。

 ――なんか、なし崩し的にやることになってるし……。

 落ち込むあたしに、他人事のようにのんきな顔であくびをていたリオノスが言う。

(お互い様といっても、キミはイクタ王子を斬ったことについて結局謝ってないよね)

「あーっ!」

 頭を抱えたあたしの横で、アウスンも頭を抱えていた。

「これから三人で旅をするのに、この二人大丈夫なのかな……」

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