第6話 言いたくない

 見上げると、翼獅子が気持ちよさそうに空を旋回している。それが宣伝用バルーンのように人目を引きつけ、次々と町中から人を引き寄せる。

「勇者さまだ」

「まだ子どもじゃないか」

「本物の翼獅子だー!」

「ドラゴンを倒してくれてありがとう!」

「ミア様の御使いだわ」

 歓声と雑談が耳に届いて、あたしは思わず俯いた。たくさんの人々が馬上のあたしを見つめている。道を取り囲む人垣の切れ目が見えない。建物の窓からは平均三人の顔が飛び出しているし、屋根の上に登っているひとすらいる。そのすべてがあたしとリオノスを見に来ているのだ。居たたまれなさでハゲそうだった。それにも関わらず――おしりが痛くならないのはありがたいけど――馬の歩みはじれったいほど遅い。

 手綱を握っているのは、相変わらずあたしじゃなかった。あたしの背後で二人乗りしている人物が、ゆっくりと馬を進ませながら、あたしだけに聞こえる声でそっと囁きかけてくる。

「顔を上げて。みんなキミの顔を見たがっている」

「――あたしの顔なんか見たって面白くないけど」

 背後の人物はひねくれた返事にも朗らかに笑った。あたしと違って、彼は民衆に向かってにこやかに手を振り続けている。

 茶色い短髪。少しタレ目ぎみの目は彼に優しげな印象を与えている。長身でがっしりとした身体に甲冑を着て、なかなか貫禄もある。

 彼の名は、アトレン。リオニア王国第一王子。

 つまり、イクタ王子の兄だ。

「キミがこの世界にきてくれて、どれほど人々が安堵しているかわかるかい。ただ滅びを待つ他ないと絶望しかけていた私たちをキミは救ったんだ。ミア様はわれわれを見捨ててはいなかった。キミをこの世界に遣わせてくれたのが何よりの証拠だ」

「あたしは、そんな――」

 隊列が少し開けた広場に出たところで、アトレン王子は馬を止めた。その場で馬を足踏みさせ、ゆっくりと一回転する。

「みな、よく聞け!」

 よく通る声でアトレン王子が呼びかける。

「ストレックは滅びた! 王国の危機は去ったのだ。勇者キヌカがわれわれを救いにきてくださった!」

 人々が一斉に喜びの声を上げる。逃げ散ったイクタ王子の兵士とは違って、ピカピカの甲冑を身につけた立派な兵士たちが槍を振り上げた。喜びに沸き立つ人々の向こう、兵士たちの最後尾を歩くイクタ王子と目が合う。

 ここにいる中で、本当にドラゴンと戦ったのは、イクタ王子とアウスン、そしてあたしだけだ。

 ドラゴンとワイバーンを倒したのは、確かにあたしだけど。それができたのは彼らがいたから。本当に傷だらけになって戦ったのは、彼らだ。

 ――本当にここにいるべきなのは、あたしじゃない。

 歓声を遠くに感じながら、あたしは寒気を覚えた。あのときのことを――締め付けられた喉の痛みを思い出す。

 あたしはもしかして、彼の手柄を横取りしてしまったのではないだろうか。

 あたしがストレックを倒さなければ、ここで国の英雄として歓声を浴びるのはイクタ王子だったはずだ。

 彼があたしを憎む理由として、大いに考えられる。

 あたしは答えを求めて彼を見た。

 イクタ王子の目からはなんの感情も見て取れない。

 羨望も、怒りも、蔑みも、何も――。



 二日前。ストレックを倒したあと、あたしたちはマートアの町の復旧を見届けることなく、逃げるように町を出発した。見送りも感謝の言葉も大してなく、どちらかといえば冷たく追い出されたような気がしないでもなかったけど、特に変には思わなかった。町が大変な状況で、あたしたちに構っている余裕がなかったのだろう。

 馬車での長い移動のあと、リオニア王国の首都クースの近くで迎えにきたアトレン王子と合流した。どうやら移動している間に、勇者が現れたという噂は国中に広まっていたらしい。そして王都ではこの騒ぎだ。

 お城へ入場したあとも、王様との謁見に貴族へのお披露目と、あたしは見世物のように引きずり回された。受け答えはアトレン王子が全部やってくれるからいいけれど、物珍しい視線と愛想笑いには辟易してきた。着飾った人々の中でひとり、異界の服装の方がウケがいいからといって、少し小汚くなったセーラー服のままでいるのはいかにも居心地がわるかった。

 お目付け役のアトレン王子が貴婦人方に囲まれ、輪からはじき出されたのをいいことに、貴族たちが集まるホールを抜けだして中庭に出る。

「はー、疲れた」

 あたしは綺麗に剪定された生け垣の間に設置された石のベンチに腰掛けた。

 とんでもないことになってしまった。いや、この世界に来た時からずっととんでもないことになっているのだけど。

 テルミアと呼ばれる異世界にどうしてか落っこちてしまった。魔法があって、ドラゴンがいて、ライオンが空を飛んでいて、まったく現実離れしている。アトレン王子は優しいし、お城でVIP扱いをしてもらえるようだから、この世界でやっていくのをさほど悲観しなくても良さそうなのは救いだけど。話は通じてるし、生活文化も日本とは違うけど、ドラゴンうんぬんさえ無視すれば、文化的差異の範囲内といえる。とはいえ、外国程度の距離感だからといって、ホームシックがないわけじゃない。

 夜になると、流石に家が恋しくなる。両親はきっと心配してるだろうし、捜索願を出されたり、誘拐を疑われたりとかもしているかもしれない。

(その点は心配ないよ。テルミアと地球では、時間の流れが違うから。数ヶ月過ごしてやっと向こうで一時間くらいだよ)

「そうなの……? でも、あたしはこっちにいればいるほど余計に年をとるわけでしょ?」

(まあ……)

 身長の伸びは中学で止まっているし、変化があるといっても髪の長さくらいだろうけど、この先の人生をずっと年齢をサバよみながら生きていくのはあまり好ましくはない。さっさと帰るに越したことはない。

「ねえ、界渡りの魔法とかを使って、はやくあたしを帰してよ。ドラゴン、倒したんだし」

(え、もう帰りたくなったの?)

「当たり前でしょ。あたしが好き好んでここにいるとでも思ってたの!?」

(でも残念ながら、まだ――)

 リオノスが何かを言いかけたとき、中庭に無造作に配置されていた石像が動いて、あたしは悲鳴を上げかけた。

 石像――ではない。人間だ。月明かりが逆光になって、深い陰影が石像の一つのように見せていただけだ。彼がそのままの姿で非常に造形物として絵になる容姿だったということもある。

 銀色の髪と大理石のように白い肌。人間離れした美貌。

 ――イクタ王子。

 今日は、髪を顔の横で結んで肩の下に流している。石像みたいといっても、今はちゃんと刺繍が施された青の礼服を着ている。なんとなく記憶の隅に追いやっていた彼の裸の身体が思い出されて、あたしは密かに赤面した。いや、はっきりみたわけじゃないけど。ちょっとだけ……彫刻みたいに滑らかな白い肌に、程よい筋肉がついていて、そう、まるでダビデ像みたいな……。

 そこまで考えて、おぼろな記憶があの有名な丸出し彫刻に上書きされそうになり、慌ててイメージを振り払う。

 たぶん、その瞬間、ひとりで変な顔になっていたのだと思う。イクタ王子が怪訝な顔になる。

 ――いつからそこにいたのだろう。

 イクタ王子とは、一緒にクースまで移動はしていたが、ストレックを倒してからというもの、一度もまともに会話を交わしていない。アウスンを挟んで行動していたから、さほど意思疎通に不便はなかったけど、もはや気まずいという次元ですらなくなっている。

 もっとも、相手も同じように考えているかはわからないけど……。

「またひとりごとか」

 イクタ王子はそう言うと、ベンチの横をすり抜けた。どうやら、あたしと同じく人目を避けて時間を潰していたらしい。

「待って」

 咄嗟に呼び止めてしまってから、後悔する。一体、何を言うつもりだったのか、自分の中で整理がつかない。結局、どうでもいい弁解をしてしまう。

「こ、これは、その、ひとりごとじゃないから。リオノスと話してるの」

「……」

 それは既にきいた、といった目つきでイクタ王子が振り返る。

(そもそも、念話なんだからキヌカも声に出す必要はないんだけど……)

「……」

 あたしは無言で横にいるリオノスの尻尾を踏んだ。ギャッと声がして、ライオンが地面を転がる。

「あのさ……怒ってるんでしょう。あたしが、ストレックを倒して、あなたの手柄を奪ったから。だから――」

 あたしを殺そうとした……?

 ――そしてあたしは、あなたを殺そうとした。

 イクタ王子に血まみれの姿が重なって、胸が苦しくなる。あの時あったことを、あたしはアウスンには話さなかった。そもそもなんて言えばいいのかわからなかった。

 イクタ王子があの時の出来事をどう思っているのか、ずっと確かめたくて、でも、言い出せなかった。

 なるべく軽く切り出したつもりだったのに、手が震えている。彼を恐れていると、思われたくはなかった――けれど、相変わらず彼は美しさだけを彫り出された石像のように無表情だ。

 彼は張り紙の日時違いを指摘するように事務的な口調で言った。

「それは正しくない。おれはストレックに負けた。おまえがやらなければ、おれは死んでいただろう。それを感謝しても、逆恨みするようなことはない」

 言い切った。迷いも嘘も感じられなかった。だからこそなおさら疑問だ。

「じゃあ、どうして」

「……」

 彼は逡巡ののち、あたしを見た。あたしはその目に困惑の色を認めた。まるで、なぜ自分がその言葉を言うのかすらわかっていないみたいに。

「言いたくない」

 瞬間的に、罵倒したいくらいの怒りに駆られる。数多くの疑問が頭の中を駆け巡る。どれも言葉にはならない。

「だが、あれは間違いだった。おまえを二度と傷つけないと誓う。すまなかった」

「……」

 とってつけたような謝罪の言葉を意識の外に聞く。自分の感情を抑えるので精一杯で、顔を上げることもできない。イクタ王子はあたしの返事を待たずに一方的に頭を下げて立ち去った。

(許してあげないわけ?)

 後ろ足で首の下をかきながら、リオノスがのんきに聞いてくる。

 イクタ王子がいなくなって、我慢していた涙が溢れる。また彼に泣かされてしまったことが悔しい。

「なんなのよ……! あたしだって謝りたかったのに、これじゃ謝れないよ……!」

(イクタ王子の傷はキヌカが癒やしたんだし、正当防衛だったんだし、いいんじゃないかな)

「よくない……! あたしが納得出来ない!」

 無意識のうちに、身勝手なシナリオをつくりあげていた。彼があたしを襲ったのは、気が動転したとか、勘違いだったとか、とにかく何かの間違いで、あたしは謝罪を受け入れて、あたしもイクタ王子を鎌で斬ってしまったことを謝って、めでたしめでたし。

 それが、一番好ましいシナリオだった。

 それなのに。

「言いたくないって――」

 これじゃ、彼の殺意は否定されない。むしろ、本人自ら認めたことになる。

 少なくともあのとき、彼はあたしを殺したかった、その理由があった、ということを。

 ぺたんとベンチに座り込む。

 どのくらいそうしていたのか。

「キヌカ」

 名前を呼ばれて、ハッと顔を上げる。

「こにいたのか。探したよ」

 アトレン王子だった。彼は手にしていたランタンを持ち上げてあたしを照らした。

「泣いているのか?」

 涙はもう乾いていたはずなのに、目が腫れていたのかもしれない。見ぬかれたことに動揺して、ぶんぶんと首を振る。本当の事情を話すわけにはいかないから、否定するしかない。それが余計に哀れみを誘ったのだろうか。アトレン王子はあたしの前に膝を折った。その手が、あたしの両手を包む。

「一人で知らない土地にきて、さぞ心細かっただろう。キミへの配慮が足らなかったかもしれない」

 アトレン王子の手は温かくて、自分の身体が冷え込んでいたことに気づいた。

「わたしにできることがあれば、何でも言ってくれ。きみの力になりたいんだ」

「あたし、うちに帰りたい」

 方便のつもりだったのに、口にした途端涙が溢れた。大丈夫なつもりでも、本当は、辛かったんだ。泣き出してしまってから、自覚する。

 格好がつかなくて、両手で顔を覆う。アトレン王子が隣に座る気配がして、ついで、大きな手があたしの頭を引き寄せた。

「キミは勇者であるまえに女の子なのに。私は君に大変な使命を背負わせようとしている。すまなかった。許してくれ」

 自分が勇者なんて、相変わらず実感はわかない。そのこと自体がつらいことだとは、思っていない。まだ、いまのところは。

 ただ、知らない土地に放り出されている寂しさと、イクタ王子との一件に胸をかきみだされて、感情的になっているんだ。

 だからアトレン王子に優しい言葉をかけられただけで、涙が止まらない。

 他人の胸にすがって泣くなんて、小学校以来かもしれない。どこかで罪悪感を覚えながらも、アトレン王子に優しく頭を撫でられて、思う存分自己憐憫に浸ることができる。

 どうしてあたしがこんな大変な思いをしなくちゃいけないんだろう。

 悪いことをしようとした、罰が当たったのだろうか――。

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