第三話 ヒーローは元の世界に帰る方法を探すことにしました

 結局どれだけ念じても、リイトが元の世界に帰ることは無かった。

 なんだか気まずい空気のまま、とりあえず山を降りて麓の町まで歩こうということになり、ベギオス山地を抜けて宿場町に着いたのはすっかり日の暮れた頃だった。

 幸い帝都と北部地方を結ぶ街道上であったため、山道も整備されており、歩くのにさほど苦労はなかった。それでも宿の一階にある酒場の一角には、重苦しい疲労と沈黙が立ち込めていたのである。

 道中は悲惨の一語であった。

 一言も言葉を発さず俯いて黙々と歩く青年と、それを気まずい笑みで励ましながら先導する少女。

 幸い火吹き大蜥蜴以外の危険生物に出会うこと無く(本来、山道とは言え人の行き交う街道に火吹き大蜥蜴のような危険生物が現れること自体稀である)無事に宿場町まで辿り着くことは出来たが……この有様だ。

(なんとかリイトを落ち着かせて『英霊の館』ヴァルハラへ送還しないと……不味いわね)

 邪神堕ちされたら即ち世界の危機なのだから。

 そうしないためにも、まずは彼に希望を持たせるのが先決だ。

 クリムが最初に思いついたのは学院アカデミーの教員に英霊の送還方法を尋ねる事である。

 学院アカデミーは召喚術士の育成機関だ。

 帝国中から集められた才能ある者達が、ここで召喚術士になるための教育を受ける。超常の力を引き起こす召喚術は、先の火吹き大蜥蜴のような危険生物の蔓延るこの世界において、身を守るための力になる以外にも、人々の生活を豊かにする上で欠かせない物になっている。そのため彼らの育成には、多くの叡智と経験を宿した大召喚術士があたるのだ。彼らに助力を求めることが出来れば、元の世界への道も開けるかもしれない。

 他の術士を頼る時点で、自分が太古の英雄を唯一召喚できる術士になる事は出来なくなるが、未知の英雄の発見という功績だけでもを挽回するには十分だ。

(だけど……)

 今にも邪神化しそうな英霊を顕現させたまま帝都に連れ込む事など、重犯罪どころかテロの域である。見つかった瞬間、大騒ぎになるのは目に見えている。

(信用の置ける教員に連絡をとって、外部で秘密裏に研究を進める必要があるわね)

 そこまで考えたクリムは、顔を上げ、大きな瞳を弓なりに細めると、重苦しい空気を振り払うような満面の笑みを浮かべてこう言った。

「ご安心くださいリイト様、私に良い考えがあります」

「良い考え……?」

 机に突っ伏していたリイトが、前髪の隙間からこちらを覗き込んでくる。クリムは投げ出された彼の手を優しく握ると、努めて明るい声で語り始める。

「ご自身で元の世界に帰れないとなると、私はそれ以外の送還方法を知りません。ですが私の師であるミネルヴァ・ハイマンならば、何か知っている可能性は高いと思います」

「ミネルヴァ・ハイマン……」

「ええ、学院最大の『神話の詠い手』ミンストレルと呼ばれる女性です」

 ミネルヴァ・ハイマン。

 『英霊の館』に太いパスを持ち、騎士王の分霊を使役する女召喚術士だ。二十二歳の若さで導師――文字通り、他の術士を導くに足る力を持った召喚術士に与えられる称号だ、これを持っていれば、帝都においてまず食いっぱぐれない――の資格を得、それ以降も様々な功績を上げてきた文句なしの大召喚術士である。

「ここから次の大きな街に向かい、そこでハイマン女史に連絡を取ります。早いほうが良いでしょうし、今日はゆっくり休んで明日の朝にはここを出ませんか?」

「そうだな……」

「歩き詰めでお腹も空いていますよね、ひとまず夕飯にしましょう。すいませーん! 何か適当な食事と飲み物を二人分お願いします!」

 クリムの鈴を転がしたような声に、厨房から上機嫌な返事が返ってくる。食事は迅速に運ばれてくるはずだ。こういう時に美少女は得である。

(……って、英霊はお腹が空くのかしら?)

 リイトを励まそうと明るく振る舞い、勢いで注文してしまったが、まずそこから分からない。ハイマン女史が使役する騎士王の分霊ならば何度か目にしたことはあるが、もっと幽霊っぽかった気がする。

 英霊と分霊は違う。『英霊の館』に住まう英雄の魂そのものが英霊であるとしたら、分霊は彼らが現世に遣わした化身アバターだ。分霊召喚は英霊に気に入られた上で、さらにそれが顕現できるほど太いパスを繋いだ者だけが行使できる、実質最大の召喚術である。というのは、本来英霊自身がホイホイ現世に顕現することなどあり得ないから。

(そう思うと、コイツ本当に英霊なのかしら……)

 召喚陣を通して何もない場所から現れたのだから、それ以外にあり得ないと思うのだが……どうもリイトというこの英霊、妙に人間臭いというか、英霊らしくないというか――いやいや英霊だって元人間なのだし、こういうのが居たっておかしくはないはずだ。そう思いたい。

「ありがとう、クリム」

 と、一人頭をひねる彼女に、リイトが憔悴しきった笑みを向けた。

 きょとんとするクリムに彼は構わず語りかける。

「見ず知らずの俺にここまでしてくれて……君は本当に良い子だな」

「いえ、そんな……」

 照れたように手で口元を覆った下で、クリムはニヤリと口端を歪めた。この程度で英霊から気に入られるのであれば安いものだ。

「いや、謙遜しなくても良い。右も左も分からない土地で、クリムのような人に会えて良かった」

 それはリイトの本心から出た言葉だった。これまで誰も頼れず妹を守りながら生きてきて、ジーク・ブルーになってからも頼れる仲間は居たが、常に守る側の人間だったリイトにとって、クリムは初めて、一方的に自分を助けてくれた相手だった。

 だからそれは、長い復讐の日々から開放され、これまでの自分を知る者の居ない異世界だからこそ漏れた、これまでにないほど穏やかな笑顔と声だ。

「本当にありがとう、クリム」

 その真摯な感謝は、さすがのクリムの心にも深く刺さった。

 英霊だからと言って、こちらを信頼しきっている相手を利用しようとしている自分が、とんでもなく矮小な存在ではないかと思えてならない。

 目的のためとはいえ、自分は一体何をしているのだろう。

 引き攣った笑顔から漏れた弱々しい「どういたしまして」は、酒場の喧騒と、威勢のいい店主の声に掻き消えた。

「はいよお待ちどう! 嬢ちゃんにはサービスしといたからね!」

 運ばれてきたのは木の器に盛りつけられた川魚のムニエルに、ライ麦パンと野菜のスープだ。同じく木製ジョッキの中に波々と注がれているのはビールだろうか。

 落ち着きを取り戻し周りを観察する余裕の出来たリイトが見るに、クリムの方も同じメニューである。いや、若干川魚が大きい気がするし、パンが一つ多い。だがジョッキに注がれているのはリイトの物と同じようだった。試しに一口飲んでみる。

(ぬるい)

 リイトの居た世界よりも科学技術の遅れているこの世界に冷蔵庫は無いのだから当然ではあるが、ビールは冷えたものと思っている現代日本人にとっては、ぬるいビールなど言語道断である。そもそも味自体も苦味というかエグ味があるし、茹でた麦汁を飲んでいるような気分だ。

 と、それはまあいい。

「子供が酒を飲むものじゃない。それは俺が飲むから、クリムは別のものを頼め」

 自分も酒が飲めるようになってから数年しか経っていないが、大人として当然の配慮である。

「子供!? アナタ私が幾つだと……! ゴホン。リイト様は私が幾つに見えるのですか?」

「俺の妹よりは下だろう。十二、三歳くらいか?」

 ピキリ、とクリムのこめかみに青筋が浮かぶ。

「十七、です」

「そうか、じゅうなな……十七だと?」

 くりっとしたあどけない瞳と、リイトの胸ほどの背丈から、中学生くらいだろうと思っていたリイトだったが、予想外の答えに戸惑う。

「ええそうです! もう成人もしていますし、お酒も飲めます! とっくに働き始めている年齢なら出来ますとも! ええ!?」

「す、すまん。俺が悪かった、落ち着け」

 リイトの常識では十七歳はまだ未成年であるが、彼女の地雷を踏み抜いてしまったのか、身を乗り出して怒るクリムにそれ以上何か言うことは出来なかった。

 その後もプリプリと怒り続ける彼女を目の前に、リイトはそれ以上口を開かず、黙って食事を平らげた。


 ちなみに、川魚のムニエルは非常に美味だった。



                   ◆



 翌朝、日が昇る頃に起きだした二人は、未だ人気のない酒場のテーブルに地図を広げ軽く打ち合わせを済ますと、荷物をまとめて宿を出た。

 クリムの背負っていたリュックは現在リイトの背中にある。思ったよりも年上だったとはいえ、少女に荷物を背負わせて、成人男性である自分が手ぶらという訳にもいかない。

 目的地はここから東に一日ほど歩いた先にある、川沿いの街ピルケ。水運や漁業で栄える川港であり、昨夜のムニエルもここで採れた魚を使っている。

 ピルケからは帝都までの郵便船が出ているため、学院のハイマン女史と連絡を取るのに都合がいいと言うのは、クリムの提案だった。リイトとしては彼女の言葉に従うのみである。

「リイト様、いくつかお聞きしても良いでしょうか」

 その道中、クリムはリイトに尋ねた。

「リイト様が顕現された時のあの姿。あれはどういった物なのでしょうか」

 元の世界に戻る希望とクリムの優しさ(と、リイトが思っているもの)によりすっかり立ち直った彼になら、昨日聞くことのできなかったジーク・ブルーの神話について、詳しく聞く事ができるだろうとクリムは考えていた。まずはあの悪魔と見紛う奇妙な装束についてだ。

「あれは『エイユウスーツ』と言って、装着者の能力を数百倍に高めることのできる装備だ。あの姿に変身する事で、俺はジーク・ブルーとしての力を発揮できる」

 エイユウスーツは装着者――この場合、藤原リイトの力を超人の域まで高められるよう調整されている。その時のリイトのコンディションを読み取り最適な強化を施す他、登録されている健康時のフィジカルパターンと照らしあわせ、ある程度の負傷ならば瞬時に治癒することができる。また彼の脳波も測定されており、リイトの勇気に反応してその力を強めるのだ。

「では、エイユウスーツを着用すれば、誰もがリイトさんのような力を発揮できる訳では無いということですか?」

「そもそも、あのスーツは俺にしか着用できない」

 エイユウスーツを収納し、瞬時に着用するための道具こそ変身ブレスレット『エイユウギア』だ。

 エイユウギアにはリイトの様々な生体パターンが登録されていて、リイト以外の人間には起動することすら適わないのである。

(人智を超えた超常の神器……まさに英雄ね)

 他にもエイユウスーツの力を幾つか話すリイトと、神器の英雄らしさに納得するクリムの二人が森と小川に挟まれた道に差し掛かった時だった。

「丁度良い、ジーク・ブルーの力を見せてやろう」

 左手のブレスレットに手をかけて不敵に笑うリイトの言葉に合わせたように、森の中や川岸の岩の陰から十数人の男たちが姿を現した。

 誰もが見窄らしく擦り切れた服と鎧に身を包み、手には粗末な所しか統一感のない武器を携えている。

 リイトは彼らが自分たちへ害をなそうとしている事を瞬時に悟った。殺気を抑えようともせずゆっくりとこちらを取り囲んでいることから明白だ。

「と、盗賊!?」

「やはり平和を乱す悪党どもか。正義のヒーローエイユウジャーの前に現れたことを後悔するんだな――変身ッ!」

 

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