第三章 散りゆく桜と生命流転
1.信頼じゃなくて不用心
翌日――土曜日。
休日だというのに、良香と彩乃は朝早くから理事長室へ呼び出されていた。
といっても、別に銀行強盗の一件での活躍が認められて褒められる――という訳ではなく、むしろ逆だった。
「幸いにも相手が妖魔遣いであり、事件発生時至近にいたことなどから即座に対処に当たることの必然性や正当性も認められたため今回は不問とできましたが――貴女がたの行いは本来の領分を越えた危険な決断だったということは覚えておいてください」
紺色のレディーススーツを纏い腰まである長い総白髪を後ろで纏めた老女は、静かな語り口で良香達を諭す。
「何も相手が妖魔関係の者であれば問答無用で対処して良いという訳ではないのですよ。その地区には担当となる
「す、すみません……」
「気を付けます」
「……釧灘さんの方は、どうも分かっていてやっていたようですが」
全くの無表情で答える彩乃に、理事長は真面目な表情のまま困ったように言った。
「それと、被害が少し大きすぎます。セーフハウス破壊については致し方ないとしても、コンテナや倉庫、果ては排水口上部のコンクリートまで……苦情が入りましたよ。これでは軍隊を呼んだのと変わらないと。尤も、
「す、すみません……」
「気を付けます」
「……釧灘さん、さては反省していませんね?」
全くの無表情で答える彩乃に、今度こそ理事長は片眉を吊り上げ真面目な表情を崩した。
「まあ、建前はここまでで」
表情を崩した――というのは、つまりここからは私人としての『個人的感情』ということだ。
「私個人としては、今回の一件は上出来だったと考えています。釧灘さんのサポートもあったので心配はしていませんでしたが……子供に戻って出力が少なくなっている状態の釧灘さんと、まだ巫術師になって日の浅い端境さんだけでよくぞ此処まで見事に勝利を収めましたね」
「それなのですが……敵に関する情報は?」
「……確か、『
微笑みすら湛えて言った理事長の言葉から連鎖して、彩乃が疑問を放つ。それに対し、理事長は表情をにわかに曇らせた。
「釧灘さんの存在を知っていたということは『本流』の流れを汲んでいるのでしょうが、生憎詳しい情報は……ただ、今も捜索には当たらせています。心配するようなことはありませんよ」
「そうですか……分かりました」
「話は以上です。お二人とも、もう下がって良いですよ。朝早くからご苦労様でした」
そう言われ、彩乃は頭を下げた。良香も釣られて頭を下げて、理事長室から退室する。理事長室から出た良香は、扉を閉めるなり興味津々といった様子で彩乃に問いかけて来る。
「彩乃、お前理事長の生徒だったの?」
「まあな」
歩きながら、彩乃は短く答えた。
「あの人も生まれた時から理事長をやっていた訳じゃない……理事長になったのは、大体四年前くらいだったか? 私が学生をやっていたのは今から九年前だから、その頃は現役バリバリの鬼教師だったよ」
「……お、鬼教師かぁ」
理事長室では『お説教』をされていた訳だが、そんな中でも理事長は一度として声を荒げなかった。それどころか、終始穏やかな語り口で、特に圧迫感をおぼえるような言動もなく、宥めるように懇々と諭していた。
もしも理不尽な話の流れになろうものなら噛みついてやろうと荒々しい方向に『男らしさ』を見せようとした良香がすっかり毒気を抜かれて素直になってしまったくらいだ(尤も、彼女の場合はけっこうチョロいのも原因かもしれないが)。
「ま、今は仏様みたいな人だけどな。それでも私としては怖くて逆らえない人の一人だ」
「……その割にはかなりフランクだった気がするけど」
一応立場は弁え、無礼な言動はしていなかったが、二人のやりとりはどこか親しみを感じさせるものだったような気がする。遠慮がないというか、堅苦しい形式が取り払われているというか。
「私はあの人の地雷を心得ているからな」
そんなことを言う彩乃の横顔は、まるで様々な戦場を潜り抜けてきた歴戦の兵士のような貫録を漂わせていた。こんなことが言えるようになるまで、多分色々な地雷を踏み続けてきたんだろうな……と思うと良香は彩乃の新たな一面が知れたような気がして新鮮な気分になった。
と、彩乃はふと懐から携帯を取り出すと、一転して渋い顔を作った。
「…………どうやら地雷を踏んでたかもしれん」
「どうした?」
「呼び出しだよ」
彩乃は自分の持っていた携帯を掲げてみせる。見てみると、そこには確かに理事長から彩乃だけを呼び出す内容の文面が来ていた。しかも関係者以外他言無用という但し書きまでついて。
完全に、『秘密の特別個人授業』の様相を呈していた。
「…………それ、オレに見せちゃって良いのかよ?」
「良香は関係者だからな」
少し警戒気味に言う良香に対して彩乃はのんびりと答える。が、良香としては内容も良く分からないのに勝手に関係者認定されるのはちょっと怖い。
(前々から思ってたけど、コイツちょっと秘密情報に対する意識がちょっと低いんじゃないかな……?)
良香が気にしすぎなだけなのかもしれないが、何分彼女はついこの間まで一般人の素人だった身だ。熟練のドライバーが目を瞑っていてもしっかり運転できるみたいな離れ業を見せられても『凄い』なんて感想は浮かんでこない。ただただ『良いからしっかり運転してくれ』としか思えないのだ。
「じゃあ、私は戻る。良香は先に食堂に行っていてくれ。私も後で追いつくから」
そう言って、彩乃は手を振りながら来た道を戻って行く。良香も手を振り返して、一人になりながら朝食を取るべく食堂への道を急ぐ。
――実は良香達はこの後、才加達から呼び出されていた。彼女達は既に昨日の事件については良香から直接話をされているのでおおまかなあらすじは知っており、朝食ついでに詳しい話を聞かせることになっているのだった。
「憂鬱だなぁ……」
これからやって来る質問攻めに対し一人で対応しなくてはならないことを考えると、どうしても気乗りがしない良香である。しかし、足を進めている以上いずれは食堂に辿り着く。
食堂に入ると、休日だからか人気は少なかった。神楽巫術学院では休日は自由に学院から出ても良いことになっている――尤も学院は人工島の上に出来ているので出かけるならば朝早くに出るフェリーに乗って外に出るのが基本ということになる。この人の少なさは、そういったものが関係しているのだろう。
申請さえあれば外泊も許されているので、幾人かは三連休を使って小旅行にでも行っているのかもしれないが。
「おー、来た来た」
と、がらんどうな食堂のテーブル席に座っていた才加が良香に気付いて手を振ってくる。何だか久々に会うような気がしつつも、良香は手を振り返して食券(コーンフレーク)を選択し、カウンターでコーンフレークを受け取ってからテーブルにつく。
「彩乃は?」
「アイツは引き続きお説教だって。オレは先に解放された」
「それはご愁傷様ね……で、あんたは大丈夫だったの?」
「大丈夫って?」
意図を掴み切れず、良香は問い返す。才加は察しの悪い良香に呆れて、
「怒られなかったのかってことよ。あんたの話を聞いた限りでもかなりド派手なことになってたみたいだし……ニュースにもなってたのよ? 手柄は現地の
「ひええ……恨み買っちゃった……」
「当然ですわ。わたくしが同じことをされたら今頃直接怒鳴り込みに行っています」
「ひええ…………」
きっぱりと言い切ったエルレシアに、良香はさらにがくがくと震える。
当時はごく当たり前のように突撃していたが、よくよく考えたらどこにだって担当となる
…………いや、怒鳴り込みに行くのもアレだし、あの状況で
そんな風に慄いていた良香だったが、才加の方は特に気にした様子もなくもう一度問い直す。
「で、どうだったのよ?」
「あ、ああ……軽く怒られたけど、そんなには言われなかったよ。彩乃は何か話があるとか言ってたけど……何だったんだろ?」
「おそらく、釧灘様だけが見つけた情報があり、それについての詳細な報告がなされているのではないでしょうか?」
首を傾げる良香に、志希がふんわりとした見解を述べた。
「ああ、ありそうですわね。あの方はなかなかの実力者ですし、目ざとく何かしらの手掛かりを見つけていたとしても不思議ではありませんわ」
「ホント、彩乃って何者なのかしらね…………」
エルレシアの言葉を皮切りとして、話題はあの日の事件の後始末から彩乃の話へと移り変わっていく。この場に彩乃がいないというのも、そうした話題になる要因の一つだろう。その場にいない人のことというのは、何となく話しやすいのだ。
「これはあたしの予測なんだけどさ…………多分彩乃って、実戦経験あると思うのよね!」
ドヤ顔で言い放たれた才加の言葉に、事情を知る良香は内心の動揺を隠すので精いっぱいだった。完全なる図星である。まああれほどの実力と知略を持っていればそう思われても仕方がないところかもしれないが。
しかし、直後に良香はさらに肝をつぶすことになる。
「――何を言っているんですの? そんなものはちょっと見れば分かることでしょう」
エルレシアが『そんなの前提ですよ』発言をかまして来たからだ。ということは、『実戦経験がある』にプラスでさらにエルレシアは彩乃の正体について推測していることになる。
ちょっとヤバいのではないか? と良香は思うが、今この場でエルレシアの記憶を吹っ飛ばす方法なんて頭を思いっきりブン殴ることくらいしかない。色んな意味で無理だ。
渾身のドヤ顔が潰されたショックでヘコんでいる才加をよそに、無表情の志希は弁当――学食に喧嘩を売っているのだろうか?――を食べながら、
「実戦経験がある出自ということは、アマチュアで巫術師をやっていた――とかでしょうか」
「アマチュアで?」
「つまるところ違法な巫術師ですね」
「違法!?」
もちろん彩乃は正規の巫術師だが、それでもその言葉の響きには驚かざるを得ない。というか、良香は巫術師に違法も合法もないと思っていた。
「端境様は巫術師となってから日が浅いので知らなくても無理はありませんね。巫術師の資格は国で厳密に管理されていて、申請されていない巫術師が指定区域外で巫術を行使するのは違法とされているんですよ」
そう言われて、良香は今日呼び出されて怒られた理由を改めて実感した。
学生で非常時だから許されていたが、それでもただの学生が指定区域外で巫術を行使することがどれほどの綱渡りか…………多分彩乃はゴリ押しすれば何だかんだで許されると分かっていてやったのだろうが、それにしても肝が冷える試みである。
「尤も、当人は幼さを理由に情状酌量の余地ありとされたり、国家の為に働くことを条件に司法取引されたりすることもあるそうですが。彼女の強さもそれなら納得がいきます」
「な、なるほどね……」
圧倒されつつも頷く才加だったが、こちらの流れは真相とはズレているので良香としてはほっとする一幕だった。しかし、そんな良香に冷や水を浴びせるようにエルレシアが続ける。
「わたくしは彼女の正体についてもある程度読めていますが――まあ、これはどうでも良いことでしょう」
…………あ、なんかもうこれバレてそう。
良香はそう思ったが、肝心のエルレシアは『どうでも良い』と切り捨てているのでとやかく言うのはやめようと決断する。彩乃も『バレたって別に良い』みたいなことを言っていたし、良香が必要以上に気にするのはやめた方が(精神的にも)良い。
が、思わせぶりなエルレシアの言い方に才加が不満の声をあげる。
「えー、ご令嬢さん、教えてくださいよー」
なんかもう呼び方と敬語だけで畏れ多い感じとかは全くなくなっているなーと良香は思ったが、そこは言わぬが花である。それよりそこを広げないでくれと祈らざるを得なかった。
そんな祈りに反して、エルレシアは馴れ馴れしくすり寄って来る才加の前に両手を突き出すようにして遮ってこう言った。
「…………その前にご令嬢さん呼ばわりと敬語をやめてくださいまし」
(あ、やっぱりちょっと気にしてたんだ)
敬語と言えばエルレシアもそうなのだが、彼女の場合は全員に対して一律だしそれが素なのだろう。しかし才加は見れば分かるように他の人達にはタメ口である。それがエルレシアには距離を感じるのだろう。
初対面の時には敬語じゃないことを窘めたところを見るに、順調に打ち解けられているということなのかもしれない。……あるいは、才加の敬語に込められているのが敬意ではなく隔意だと思っているのかもしれないが。
対する才加は少々難色を示したが、概ね素直に受け入れた。
「えー……なんか畏れ多いんだけどな……。……んー、分かったわよ、お嬢」
「…………何で『お嬢』なんだよ?」
「いきなり名前呼びは畏れ多いと葛藤した結果です! お嬢には敬語とご令嬢さん呼ばわりをやめろとしか言われてないしこれで許して!」
才加は笑いながら顔の前で手を合わせてエルレシアを拝む。エルレシアは少し納得していないようだったが、とりあえずこの場ではそれ以上言うつもりはないようだった。
気を取り直した才加は、改めてエルレシアに問い直す。
「で、正体って?」
「やめてくださいましとは言いましたが、やめれば教えるとは言っていませんわ」
「そんなーお嬢ー!」
完璧にあてつけなのだった。
ただ、そんなことを言うエルレシアの表情には確かな笑みが浮かんでいるのでこれはこれで良いのかもしれない。
と、
「皆、知りたがりだな」
全員が話に熱中しているところで、それを揶揄するような声がかけられた。振り向くと、そこにはやはりというか彩乃がコンビニ袋片手に意味深な笑みを浮かべて佇んでいる。正体についての詮索をされまくっていた訳だが、彼女は全然気にしていないようだった。
彩乃はテーブルの空いている席につきながら、
「心配せずとも、私が『話しても大丈夫』だと皆を信頼したら自然と教えるよ」
なんてことを言った。すぐさま、才加が不満の声を上げる。
「えー、ってことはあんたあたしのこと信頼してないの? 一緒に戦った仲なのにーぶーぶー」
「……あのな、いくらなんでも出会って一週間も経ってない友人に隠していた秘密を漏らすヤツは、義に篤いんじゃなくて不用心と言うんだよ」
呆れたように言った彩乃のツッコミは、何だかんだ言って全員に受け入れられた。
…………普通はそれでは割り切れないんじゃないかと思わなくもない良香なのだが、それが普通にまかり通る所がこの学院のこの学院たる所以なのかもしれない。
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