002

 チリンチリンと、再びドアベルが軽やかな音を立てた。

 知らず知らずの内に、カウンターからチラチラと"カイゼルひげの君"を盗み見ていたわたしは、慌てて視線を店の入口に向ける。

「あれ、まこちん?」

 そこには、遠慮がちに手を振りながら、何やら目配せして来るわたしの親友の姿。「──と、古池ふるいけくん?」

 そして見つけてしまった、親友の隣に並んだ男の子の存在に、今更目配せの意味が分かって、わたしはこっそりと戸惑った表情を浮かべた。

 古池くんと言うのは、大学に入学してから知り合った男の子だ。学部が同じで、履修りしゅうする授業も被っていることが多いから、とある授業でたまたま隣に座って以来、学食で一緒にお昼を食べたり、隣で授業を受けたりすることが増えた。

 と言っても、わたしと古池くんが一緒に居るのは、あくまでも大学の中だけの話だ。それに、大学の中でも二人きりになることはほとんどなく、わたしたちは三人で行動することが多かった。わたし、古池くん──そして、わたしとは中学校時代からの付き合いで、めでたく大学も一緒になった親友、まこちん。

 とにかく、古池くんは、わたしにとってただの友達──そう思っていたのだけれど。

「ゆっこは甘い!」

 ある日、わたしの家で、まこちんは目を吊り上げて言った。

「古池はさー、あんたのことねらってんの!」と、祖父母の店からわたしが持ち帰って来たケーキにぱくつきながら、まこちんは顔をしかめる。

「あいつ、あたし一人しか居ない時は近寄っても来ないくせに、ゆっこが居ると、頼んでもないのにすぐ近寄って来るんだから! もーバレバレ!」

 まこちんの咀嚼そしゃくの速さと言葉の勢いに、若干じゃっかん引きながら、わたしもまた、自分の分のケーキにフォークを突き刺した。

 人のことならまだしも、話題が自分のこととなると、なかなか思い切った発言は出来ない。

「えー……そんなことないと思うけど」

「そんなことあるの!」

 長い付き合いの親友に勢い込んで言われてしまえば、最早もはやぐうのも出なかった。

 押し黙ってもくもくとケーキを頬張ほおばるわたしに、まこちんは今の今までケーキに突き立てていたフォークをビシリと向ける。

「いーい、ゆっこ! 押しに弱いあんたの場合、いつの間にか古池と付き合うことになってました~、なんてことだって起こりうるんだから! カドが立つとか考えずに、コクられたらきっぱりはっきり断ること! 分かった!?」

 細く整えた眉を大きな目と一緒に吊り上げるまこちんの勢いにまれ、引きった口元を引き締めながら、こくこくと勢い良くうなずきを返したのが、数日前の出来事。それからというもの、どうにもわたしは、古池くんのことが苦手だった。

 いや、苦手というのは言い過ぎで、どうにも気になるというのが本当の所なのかもしれない──もちろん、悪い意味で。まこちんに指摘されるまではちっとも気にならなかった、と言うよりは、気が付かなかったのに、今では古池くんの押しの強さがいちいち目に付いて仕方がないのだ。

 例えば、まこちんと二人で帰ろうとしているのに、無理矢理間に入って来たかと思えば、そのまま連れ立って歩き出す所とか。例えば、他の男の子と授業内容を確認しているのに、無理矢理間に入って来たかと思えば、そのままわたしに話しかけ続ける所とか。

 そして、今。

「いやー、小笠原おがさわらさんから惟子ゆいこちゃんがケーキ屋でバイトしてるって聞いてさー。どんなとこなのかなーって気になって、それで連れて来てもらっちゃった」

 どうやら、バイト中のわたしを冷やかそうと大学を出たまこちんを見つけ、なんやかんや言いながら無理矢理ついて来てしまったらしい。さっきからしきりに、まこちんがすまなさそうな顔を作ってわたしを見ている。

 そんな二人に、わたしはぎこちない笑みを作ることで答えた。こういう時、大人なら──いや、少なくともわたしじゃなければ、もっと上手な笑顔を作れていたんだろうけど。

 不器用な自分自身を笑顔の下で恨めしく思いながらも、気を取り直して、カウンター越しに聞く。

「ケーキ、どれがいいかな?」

「あ、じゃあオレ、モンブラン! 小笠原さんは?」

 うきうきとガラスケースの中を覗き込み、一瞬の迷いもなく明るく言った古池くんとは対照的に、聞かれたまこちんの声は低かった。

「……あたし、チョコレートケーキ」

 分かり易いまこちんの態度に、古池くんにはバレないよう苦笑をこぼしながら、わたしは二人からお金を受け取る。

「じゃあ、すぐ用意して持って行くから、二人は座ってて」

 "カイゼル髭の君"が座っていない方の空席を、手で二人にすすめた。

「ごめんね、ゆっこ。ケーキ食べたらすぐ帰るからさ」

 古池くんが先に席に向かったのをいいことに、まこちんはカウンター越しにわたしの耳に口を寄せると、そうささやく。それに、今度は自然な笑みを作ることで答えた。もう一度すまなさそうに眉尻を下げたまこちんが、今度こそ古池くんを追って席に向かう。

 それにしても、まこちんのことは「小笠原さん」で、わたしのことは「惟子ちゃん」か──。あまり考えないようにはしていたけれど、もしかすると本当に、まこちんの考えは当たっているのかもしれない。

(古池くんが、わたしのことを好き──)

 と言っても、だからと言って何がどうなる訳でもない。わたしが古池くんに覚えている印象は、押しが強くてちょっと面倒臭い所もあるけれど、そのノリの良い性格はムードメーカーとして良い方向に働くことの方が多いし、要するに。友達としてなら付き合っていて楽しい相手──それくらいのことだ。

 それはつまり、友達より上の存在としては見れないと、あんに言っていることに他ならないのだけれど。

 トレイに古池くんのモンブランとまこちんのチョコレートケーキを乗せ、カウンターを出て二人の席に近付く。待ってましたと言わんばかりに明るい表情をこちらに向けて来る古池くんの存在が、今はちょっとだけ心に痛い。

「お待たせ。はい、モンブランとチョコレートケーキ」

 言いながら、二人の前にそれぞれケーキを置くと、分かり易いむくれた顔で古池くんの相手をしていたまこちんも、ぱっと顔色を明るくさせる。

「これがおいしいんだよね~」と食べる前から早速舌鼓したつづみを打つまこちんに、古池くんは不思議そうに。

「何、小笠原さんは良く来るの? 惟子ちゃんのバイト先」

「んー、まあね。だって、あたしとゆっこ、中学生の時からの仲だし」

 古池くんは、いまいちまこちんの言っていることの意味が分からないらしい。そんな古池くんの様子に気が付いていながら、まこちんはしれっとした顔でチョコレートケーキを食べ続けている。どうやら、古池くんにくわしく説明してあげる気はないようだ。

 そんなまこちんに代わって、あからさまに顔の周りにクエスチョンマークを飛ばす古池くんに、わたしは言う。

「このお店、わたしのおじいちゃんとおばあちゃんがやってるお店なの。バイト自体はついこの前、始めたばかりなんだけど、まこちんとわたし、昔から学校帰りに良く寄ってたから」

「へー、そうなんだ」

 わたしの笑いながらの説明に、古池くんはようやく納得した様子で頷いて、ぱくり、モンブランを一口。

「え、じゃあ、惟子ちゃんってここに住んでんの?」

「え? あ、ううん、違うよ。ここはおじいちゃんとおばあちゃんの家で──」

「じゃあ、一人暮らし? どこら辺に住んでんの? 今度さー、遊びに行ってもいい?」

 瞳をキラキラさせながら次々と質問を飛ばして来る古池くんに、わたしの顔色が隠しようもなくくもる。まこちんなんて、わたしよりもあからさまに、ぎゅっと顔をしかめて嫌そうな表情を作るから、何でかわたしの方が申し訳なくなって、テーブルの横で体をもじもじと心地ごこち悪く揺らしてしまう。

 別に、住んでる場所を知られるのが嫌って訳じゃない。ただ、この流れで場所を言おうものなら、古池くんが自宅に遊びに来ることが確定してしまいそうで、それが嫌だった。そもそも、わたし、一人暮らしじゃなくて実家住まいだし。

 もしかしたら、それを言えばあきらめてもらえるかもしれない。つたないい希望的観測が、胸をよぎる。

「えっと──」

「申し訳ない」

 口を開いた時、不意に、聞き覚えのある低い声がわたしの耳に届いた。

 パチパチとまたたきを繰り返した後、目の前のテーブルから隣のテーブルへと視線を移す。

 "カイゼル髭の君"が、真面目まじめ腐った表情でわたしを見つめていた。

「は、はい。何か……?」

「飲み物を注文することは出来るだろうか?」

 チラリと見遣みやった"カイゼル髭の君"のテーブルの上には、まだ三分の一程しか減っていないいちごのタルトが、ちょこんと。

 偉くゆっくりと食べているんだなあ、と妙に感心しかけた頭の中が、"カイゼル髭の君"の発言で真っ白に染まる。男の人にとって、流石さすがにそれだけで食べるには、苺のタルトは甘過ぎるのだろう。もしかしたら、わたしがまこちんたちと話している間も、"カイゼル髭の君"はわたしに注文する機会をうかがっていたのかもしれない。

 そう思うと、気がかない自分が恥ずかしくなってしまって、わたしは慌てて言った。

「気が付かず、申し訳ありません……! えと、コーヒーと紅茶がございますが……!」

「それでは、コーヒーを頂こう」

 言った"カイゼル髭の君"の口元には、いつの間にか笑みが浮かんでいた。あわあわと目に見えて慌てるわたしがおかしかったのか、それとも、気をつかってくれたのか。どちらにせよ、恥ずかしいことには変わりない。

 わたしは赤い顔を伏せながら、かしこまりました、と蚊の鳴くような小さな声でつぶやいた。

 奥に注文を伝えに行く前、まこちんと古池くんが座るテーブルを振り返る。

「何か、ごめんね、ゆっこ」

 わたしが何かを言う前に、まこちんが申し訳なさそうに言った。

「これ以上仕事の邪魔じゃましちゃ悪いし、早く食べて帰るわよ」

 後半はわたしにではなく、古池くんに向けて放たれた一言だ。押しかけるようにここにやって来た古池くんも、流石に申し訳なさを覚えたのか、それに反対することはない。それどころか、今の今までわたしに質問を飛ばしていたことすら、忘れてしまったようだ。わたしにとっては、何よりもそれが嬉しかった。

 二人に目配せをしてから、おじいちゃんにコーヒーを用意してもらいに、奥に向かう。

 しばらくもしない内、おじいちゃんが丹誠たんせい込めていれたコーヒーを手に、わたしは"カイゼル髭の君"のテーブルへと舞い戻った。ちょうどまこちん達も、そのタイミングで席を立ったらしく、またね、と笑うまこちんと古池くんに、小さく手を振る。

 二人の姿が入口から店の外に消えて行くのを横目に、"カイゼル髭の君"にコーヒーを差し出した。

「お待たせいたしました、コーヒーになります。お好みでミルクと砂糖をどうぞ」

有難ありがとう」と"カイゼル髭の君"は律儀りちぎに礼を言って、それからブラックのまま、コーヒーを一口飲んだ。「──ああ、美味おいしい」

 おじいちゃんのいれるコーヒーは、身内の欲目を抜きにしてもおいしいと思える逸品いっぴんだったから、"カイゼル髭の君"にそう言ってもらえると、自分のことのように嬉しかった。

 自然と口元が緩むのを止められず、わたしの方こそありがとうと、"カイゼル髭の君"に伝えたかった。もちろん、わたしは口をつぐんだままだったけれど。

「ご友人との会話を邪魔してしまい、申し訳ありませんでしたな」

 と、不意に、"カイゼル髭の君"がそんなことを言って、わたしは緩んだ口元を思い出したように引き締めた。

 慌ててコーヒーから"カイゼル髭の君"へと視線を持って行けば、ばっちり"カイゼル髭の君"と目が合って、どぎまぎする。カウンター越しに目を合わせる時とはまた違う感慨が、そこにはあった。

「あ、いえ──そんな」

 むしろ邪魔してもらえて嬉しかった、とは流石に言えない。それに、客がいる場で友人と雑談していたのはこちらの方だし、本来なら文句を言われても仕方がない場面だったのだ。それなのに、"カイゼル髭の君"は、怒るどころか優しくわたしを気遣ってくれている。

 照れと恥ずかしさ、そして何より、嬉しさがわたしの体の内からぽかぽかとき上がって来て、わたしは今まで"カイゼル髭の君"に見せることの出来なかった自然な笑みを漸く口元に浮かべた。すると、わたしを注意深く見つめていた"カイゼル髭の君"が、驚いたように瞳を見開かせる。けれども、それは一瞬の出来事で、わたしが一つ瞬きをした後、そこにあるのは、"カイゼル髭の君"のいつも通りの穏やかな微笑みだった。

 でも、わたしの勘違いじゃなければ、その穏やかな微笑みはいつもより優しく、わたしに近しさを感じさせる物だったから。

(もしかして、"カイゼル髭の君"──わざと邪魔してくれたのかな)

 中途半端なタイミングでの注文は、古池くんの質問に戸惑うわたしを救うための助け舟?

(──なんてね)

 "カイゼル髭の君"の行動を都合良く考えてしまう自分に、心の中でちょこりと舌を出す。

 勝手知ったる仲ならまだしも、わたしと"カイゼル髭の君"は、所詮しょせんアルバイトと客──それ以上でもそれ以下でもない関係だ。今までも、きっとこれからも。

 わたしは頭を下げてから、"カイゼル髭の君"が座るテーブルの側を離れた。

 そう、わたしは予想もしていなかったのだ。

 この日を境に、まさかわたしと"カイゼル髭の君"が、アルバイトと客という関係をあっさり一足飛いっそくとびで飛び越えてしまうことなど。

 それどころか、切っても切れない、不可思議で不可欠な間柄になってしまうことなど──。

(それにしても、"カイゼル髭の君"って、あんな古風こふうなしゃべり方をするんだ)

 見つけた小さな発見に心ときめかせるばかりのわたしは、予想もしていなかったのだ。

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