「さようなら」3

白く濁った山道から、ユミさんの姿が見えてくる。長い髪と制服は雪まみれだ。



「ハル――。」



目が合うと、泣きそうな顔を見せて走り出し、そのまま抱き付いてきた。



「ちゃんと思い出してくれたんだね。居場所を教えてくれてありがとう」



これも幻覚な気がして、恐る恐る抱き締め返した。ユミさんは僕を救う為、マイ・レメディーの使用を承諾したという事だろうか。半信半疑のまま体をゆっくり離し、ユミさんの頬を伝う涙を拭った。



「ユミさんが、救命制度で選ばれて、僕に会いに来てた?」


「選ばれたんじゃないの。窪田 ユウダイの父親に頼んだんだ」


「ユウダイの父親に?」


「あの男―― 窪田は、自分の悪事全て自分のスマホで撮影してた。それが警察に押収されて、今までの事件全ての主犯格が窪田だと立証された。ハルがホテルの屋上から落ちた事も、窪田のせいだろうって警察から説明された」



確かにユウダイは、いつもスマホ片手に色々と撮影してた。仲間内で楽しむ為に撮影してるのかと思ってた。今思い返すと、ユウダイはイッタを刺した後、転がっていた自分のスマホを丁寧に置いて消えた。もしかして、こうなること全て分かっていたのではないだろうか。全てが計画的だったように思えてくる。



「それでユウダイは―― どうなったの?」



ユミさんは目を逸らし、冷めた瞳で言う。



「死んだよ」



目を瞑ってゆっくり首を横に振った。最悪だ。



僕がユウダイを道連れにして落ちた事が、計画の内に入っていたかどうかは分からない。どの道、あいつも僕もイカれてたんだ。全ての罪が、ユウダイがした事だと分かるよう証拠を残していたって、犯罪を犯した事に変わりない。そしてこの僕も、ユウダイを殺すという罪を犯した。僕等が罪深き人間になろうがなるまいが、状況は変わらない。



イッタはもう、戻らない。



「私が死にたいって言った意味、分かってくれた?」


「マイ・レメディーを使って僕の世界に入るのが、死を望むユミさんにとって色々と好都合だった―― って事だね。承諾したのはユウダイの父親だ。この世界で死ねば、ユウダイの父親の責任になる」


「窪田の父親は、息子の罪滅ぼしの為、ハルと私をマイ・レメディーに繋ぐことを了承せざるを得なかった。全てをマスコミにバラすって脅したから。向こうはまさか、私が死ぬ気だなんて知らないけどね」


「この世界で死ねるって分かってたの?」


「うん。それを知れたからこそ、この方法を思い付いたの。ハルが記憶を取り戻せば、私の案に賛成してくれる。だから早く記憶を取り戻せるよう、私も極力記憶と同じような行動を取った。ハルが記憶を取り戻す度、死に近付けた。時が来たらハルに殺してもらおう、それが取り残された私の、唯一の我儘で願いだから。最初はそう、考えてたんだけど――。」



そこで顔を俯かせ、難しい顔をする。降り続ける雪の量は変わらず、引っ切り無しに下りてくる。ユミさんの頭や肩にまで積もってきていた。



「現実とは違って、ハルが告白してきた。両想いだって知って、分からなくなったの。マイ・レメディーの中では、好きな人の彼女になれる。恋人として一緒に過ごせる。イッタもまだ、生きてる――。3人でまた同じ時を分かち合えのが幸せすぎて、分からなくなった。決意が揺らいだの」



僕もこの世界に居れば居るほど、こっちのが居心地が良いと思っていた。だけど現実と同じように、幸せはずっとは続かない。僕の人生はきっと、何があろうと最終的に待っているのは絶望なんだ。これ以上、絶望の中を生きていける自信はない。



そう考えると、好きな人に最期を委ねられる事が幸せに思える。だからユミさんも、僕に殺してもらおうと思ったのだろうか。僕なんかにそれを望んでるなんて、勿体ない話だ。



何も声を掛ける事が出来ずにいると、強い眼差しを向けられた。



「だけど、決意が揺るごうが何だろうが、もう終わりだって事に変わりないんだよね。目覚めたら私達、お互いの記憶を無くして別々の道を歩むって決まってる。 ――そうだよね?ウサミ先生」



驚いてウサミ先生に目を向けると、ユミさんに向かって笑顔で頷ている。



「ユミさんにも見えてんの?」


「うん。来た時から」



ユミさんは制服のポケットから何かを取りだす。それは、普段なら絶対に手に入らないものだった。手には黒い拳銃が握られていたのだ。



「それ―― どうやって手に入れたの?」


「ハルが姿を消してから、突然この世界が無人になった。だから警察署に入って取ってきたの。明確に死ねる方法が分かったから。死にたいと願う気持ちと、脳に強い衝撃を与えること。それを知って、銃が最適だと思って」


「それで死ぬってこと?」


「うん。目覚めたら、待ってるのは孤独と絶望だけだもん。私達が出逢う事ももうないし、生きる意味がない。だったら今、この場で――。」



ユミさんは銃を持つ手を掲げ、空に向かって引き金を引いた。静寂の雪景色の中、重い銃声が響き渡り、包まれる様にして静かに消えていく。



たまはちゃんと入ってる」



手を取られ、銃を握らせてきた。包み込むユミさんの両手は震えている。



「お願い―― 今すぐ私を殺して。生きる苦しみから解放されたいの」



銃を握った僕の手を引いてきて、誘導するように、ゆっくりと自分のこめかみに銃口を押し当てた。ふとウサミ先生に目を移すも、表情も立ち位置も変えずに、ただ僕達を見守っているだけだった。



ユミさんを殺すなんてこと、出来るのだろうか。



「イッタが死んでユミさんが死んだら、僕は――。」


「これは復讐なの。ハルも窪田 ユウダイに復讐したでしょ?それと同じ。私を撃った後、ハルも自分を撃てばいい。2人が居ない世界を生きるなんて、考えられないの。私達、死んだ方がマシだよね?そうでしょ、ハル――。」



ユミさんの瞳から、綺麗な涙が一筋頬を伝った。



現実には、多くの恐怖と不幸が存在する。僕達の心はやがて枯れ果てるだろう。そんな風に堕落した狂人が世界に溢れるほど居る。その中を駆けずり回った先に、何がある?善人も悪人も、辿り着く先は必ず死だ。



僕達は完全に汚れる前に、人生から手を引こう。死だけが、唯一の明るい未来なんだ。だから死ぬ事に、何の未練もない。



空いている手で、ゆっくりユミさんの頬に触れる。綺麗なまま、殺してあげよう。



震えながら引き金に触れた時――。



「バカだな、おまえ達」



イッタの声が聞こえた。ユミさんにも聞こえたようで、目を大きく開いて辺りを見回し出す。



目を移すと、ウサミ先生の隣に制服姿のイッタが居た。両手を制服のポケットに突っ込み、いつもと変わらない笑顔を見せている。恐らくあれも、僕が生み出した幻覚みたいなものだろう。



「ハル、イッタはもう死んだの。登場させなくていい」


「姉貴、何してんの?おまえってそんなにバカだったっけ」


「うるさい!」



思わず突きつけていた銃を下ろしそうになると、ユミさんがそれを止めるようにして腕を強く掴んできた。



「止めないでハル。それで、イッタを黙らせて」


「どう、やって?」


「ハルが出してるんでしょ?」



そんな事コントロール出来ない。戸惑う中、イッタは構わず声を掛けてくる。



「ねぇ、何でおまえら死ぬの?2人とも生きてんのに」



ユミさんは聞こえない振りをしてる様だった。何も答えず黙っている。ぎゅっと閉じた目からは、止めどなく涙が零れ落ちていた。



銃口を向ける僕の手は、動揺と震えを隠せない。この緊迫した状況の中で、イッタがあっけらかんとした様子で喋り続けるからだ。



「いいよなあ、おまえらまだ生きてんだもん。俺ももっと生きたかったよ。まだ食べてねーもんもいっぱいあるし、3人で行きたかった所だっていっぱいあったのにさー」


「止めてってば!」



ユミさんは泣き崩れてしまう。



幻覚のようなものなのに、イッタはまるで、そこに魂が宿ってるかの様に見えた。



「あのさあ、何が復讐だよ。かっこつけてんじゃねぇって。むしろダッセーよ。大体、誰がんなこと頼んだよ。おまえら本当、バカなんじゃねーの?そんな死に方でこっちに来られても、俺は絶対に迎え入れねーからな。二度と遊んでやらねぇ、絶交だ」


「ハル、お願いだからもうあいつを黙らせて。辛すぎて耐えられない」


「俺は黙らねーぞ姉貴、生きてたらぶん殴ってやる所だ。おまえ、母ちゃんと父ちゃんの気持ち考えたか?ふざけんな、姉貴がそんなんでどうすんだよ。俺がもう出来ない分、自分が2人を支えようとは思わないのか?」



ユミさんは噎せ返るほどに泣いていた。支えるようにして抱き締める。



僕達はイッタを失った悲しみを分かち合うように、強く抱き締め合った。僕は復讐するよりも先に、こうすべきだった。



「ハルもしっかりしろ!んで、うちのダメ姉貴のことを支えてやってくれ。おまえなら芯が強いから、出来るだろ?俺からの頼みだ。じゃねーと、もう遊ばねーからな」



涙を流しなら、つい鼻で笑う。本当、小学生じゃないんだから。もう一緒に遊ばないって言葉で、誰が怯むんだよ。



だけどイッタは、こうと決めたら絶対な男で、頑固で融通が利かない。天国が存在するのか、生まれ変わりがあるのかも分からないけど、僕は何処かでまた、純粋で頑固なイッタと出逢いたい。そして友達になりたい。その時に遊んでもらえなかったらと考えると、イッタの願いを聞いておいた方が良いのかもしれない。



「でもイッタ―― 此処から目覚めたら僕は、ユミさんだけではなく、イッタの事も忘れちゃうかもしれないんだ」


「えー、まじかよ。それは嫌だなあ」


「それでも何かの拍子に思い出したら、またこんな喪失感に駆られて死にたくなる。それでも生き続けろって言うの?」


「うるせーな!生きろって言ってんだよ!」



思わず吹き出して笑った。イッタらしい雑な意見だ。



「2人が何もかも忘れようと、俺はおまえ等を絶対忘れねーんだよ!それだけは間違いないだろ?こっちはちょっと寂しいからさ、思い出してもらいたくて念でも送っちまいそうだけど。その念のせいで、2人とも死にたくても死ねないと思うよ。俺の分も生きてもらうって、もう決めてるからさ」



空を仰ぎながら目を瞑り、深いため息をゆっくり漏らす。そっと手から銃を離した。それは積もった雪の上に落ちて、音もなく埋まっていく――。



イッタは僕とは真逆な奴で、ずっと尊敬してた。絶対に曲げない強い意志があり、これと決めたら強情だ。おまけに死んでもポジティブなんだから恐れ入る。



僕は―― 僕達はきっと、死ぬ事は出来ないだろう。イッタの分も、生きていくのだろう。そうでなければならないんだ。



抱き締めていた体を離し、ユミさんの顔に触れた。



「ユミさん―― 僕達はまだ、生きてる。だからユミさんを殺すなんて事は出来ない。それに僕は、何があってもユミさんの事が好きなんだ。例え忘れてしまっても、この想いは生き続けると思う」



ユミさんは再び僕の胸に顔を埋める。肩を揺らし、声を上げながら泣いていた。



「ごめん。ユミさんを1人にして」


「本当だよ―― イッタもハルも、勝手なんだから」



僕達は抱き締め合ったままいつまでも泣いた。降り積もる雪に、僕達のすすり泣く声しか聞こえてこない。顔を上げると、イッタとウサミ先生は変わらずそこに居て、僕達を見守っている。



ユミさんの手を取りベンチに座った。どの位そうしていたのかは分からない。誰1人として何も言葉を発さないまま、噛み締める様に雪景色をただ眺めた。目を瞑り、3人で過ごした楽しい日々を思い出す。



映画を観て過ごした放課後、球技大会をサボって塀を乗り越えたこと、映画しりとりに、罰ゲーム。くだらない事ばかりして遊んだ日々を思い返すと、つい顔が綻ぶ。学校で辛いことがあっても、3人で居る時だけは全てを忘れる事が出来た。



そして、この世界でユミさんと過ごした日々は、願いが叶った夢みたいな日々だった。映画のような世界に入ってしまった事も面白かった。何よりも、想いが通じ合って、付き合う事が出来たこと。これが僕にとって、本当に奇跡だった。



無人の駅でユミさんがはしゃいだ姿は、無邪気で可愛かった。現実でも僕が勇気を出して告白していれば、あの姿を見る事が出来たのかもしれない。現実とは違う道を、歩むことが出来たのかもしれない。そんな想いもあって、思わず呟いた。



「目覚めた後、僕達が出逢える可能性はあるのかな」


「私も―― 同じこと考えてた」


「また出逢えた時、ユミさんに好きだって言えるかな」


「私も伝えられるかな。傷付くことを恐れて、自分を守ってばかりだったけど、次にまたハルに出逢えた時は、勇気を出したいな」


「ユミさんが勇気を出してくれたら助かる。目覚めても僕は、勇気のない卑屈な奴に変わりないだろうし」


「ちょっと、ハルも頑張ってよ。きっと次に逢えた時だって、私に引いてるみたいな態度を取るんでしょ。くじけそうだよ。だけど――。」


「だけど?」


「映画に誘うね、とりあえず」


「初対面で?」


「そう」


「分かった」



思わず笑った。



これは記憶に深く刻んで、奥底に隠しておこう。いつか出逢えた時に、引き出せるように。この景色とこの場所、好きな人が居たこと、親友が居たこと、そいつの為にも生きること。大切な時に思い出せるように、鍵を掛けてしまっておくんだ。



ユミさんは顔を上げ、目を閉じたまま空を仰ぐ。



「生きていけるのかな、私達」



その時、耐え切れなくなったのかイッタが大声で叫んだ。



「かなじゃなくって、生きろってば!」


「ははは」



ウサミ先生は横で楽しそうに笑ってる。変人医師と超ポジティブ少年、あの2人にもう会えなくなるのは、寂しすぎる。



だけど―― 形はどうであれ、出逢て良かった。本当に。



「あんなウルサイのに見守れてたら、僕達は死にたくても死ねないんだろうな」


「そうだね」



その時、微かな光を感じて顔を上げた。ピタッと雪が降り止む。分厚かった雲がどんどん去っていき、青空が顔を覗かせた。そこには大きな太陽がある。



思わず2人とも立ち上がり、繋いだ手にぎゅっと力を込めた。



見渡すところ、太陽は1つではない。まるで僕達を包囲するかのように、空の彼方に光の玉がいくつもあった。それらが一斉にゆっくりと動き、徐々に近付いてくる。



「目覚める時が、来たようだね」



ウサミ先生がそう呟く。



ユミさんは僕の両手を握り、向かい合うようにして立った。眉を下げ、不安気な表情で見つめてくる。



慰めるべきかもしれないけど、何も言葉が出てこない。僕も不安と寂しさで胸が押し潰されそうだった。ただ、ユミさんを想う気持ちは変わらない。何なら今までよりも、強い想いを抱いてる。それを表すように、そっとキスをした。



「好きだよ、ハル」



丸い光達が距離を縮めてきて、辺りがどんどん明るくなってくる。



イッタはしゃがみ込んでいて、頬杖をつきながらニッと笑顔を向けていた。その顔を見ていたら、感極まって再び涙が溢れ出てきた。



「イッタ、今までありがとう。本当に、言葉にならないくらい、たくさん感謝してる」



イッタはただ嬉しそうに微笑んでそこに居る。無数の光の玉が重なり、眩しくて目を開けているのが辛くなってきた。手を振るウサミ先生の姿が辛うじて見える。



「今度こそ本当のさようならだ」



光が一気に僕達を包み込む。最後に見たのは、光に包まれて目を瞑るユミさんの姿。感じたのは、繋いだ僕の手に落ちたユミさんの涙。聞こえたのは、ウサミ先生の声だった。



「バーイ、ハル」



さようなら。



さようなら、イッタ、ユミさん。ウサミ先生。



僕は忘れてしまうだろう。辛かった事も、楽しかった事も、幸せな時を過ごした事も。だから、感謝を込めて別れを告げるんだ。



深淵しんえんの悲しみも、煌めく程の喜びも――



全て、さようなら。

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