「さようなら」2

決意を固め立ち上がった。此処に居ても、裁きが下されそうもない。



「きっと天国も地獄もないんだ。だから、僕はもう行くよ。例え僕が作りだしたものだとしても、伝えておく。ウサミ先生、ありがとう」



寺院を後にし、自分が消える方法、残っているこの意志全て消し去る方法を探し歩き出す。だがウサミ先生が、笑顔で何も言わずについてきた。巻こうと思って走っても、振り向くと、何食わぬ顔で少し離れた場所に居た。



「何か用ですか?」


「用というか、君の動向を見守ってるだけさ。気にしないで」


「気になります。ウサミ先生は僕が作り上げた幻覚なんですよね?心の底から消えてくれと願えば、居なくなりますか?」



ウサミ先生は肩を竦め、両手をあげて首を傾げる。



「さあ?どうだろうね。僕はやっかいでしぶといと思うよ」



深いため息を吐き、前を向き直して歩く。



“やっかいでしぶとい”これに妙に納得したからだ。この幻覚は中々手強そうだ。消えてくれる事は諦めて、この世界を、僕の人生を終わらせる事だけを考えよう。無視するしかない。



「突然だがこの機会に解説しよう、僕が与えていたヒントについて。特に重要だった点を上げてね。まあ、幻覚の戯言だと思って聞いてくれればいいよ」



お言葉に甘えて戯言だと思い、聞いていない振りをしてひたすら足を進めた。



「最初に言った“真実は過去にある”という事については、説明しなくても分かるね。だからここから解説しよう“いくら優雅で美しくても、あまり近付くと傷付けられる”これは両方の意味を持つ。林 ユミさん、彼女に近付くと君の記憶が蘇り、やがて現実を知り傷付くだろうという意味と、窪田 ユウダイくん、君は彼に憧れていたよね?自分にない外見と内面に惹かれていた。彼は確かに容姿端麗だが、内面が変わってしまった。理解しようと近付いても、傷付くだけだって事さ」



捲し立てるかのように、べらべらと早口で話している。今の僕には正直、どうだっていいことだった。解説など聞いた所で、現実は変わらないから。



「次にインディアンのジェロニモの話を通して、考えた所で歴史、つまり過去は変えられないと伝えた。そして最後に道化師だ。道化師は裏で苦労していると告げたね?君は僕がただ愚痴を言っているとしか思ってないようだったけど、伝えたかったのは、林 イッタ君の事さ」



思わず足を止めた。



先生の言う通りだ。イッタは人をよく笑わせていたけど、本当は誰よりも繊細で優しい奴だった。ユウダイの事も、最初は僕の知らない所でどうにかしようと奮闘していた。僕を助けた事によって先輩に目を付けられた時は、何て事ないと笑ってた。自分は強いからと。



本当にそうだったのだろうか。僕はイッタの言葉と強さに甘えて、何もしなかったのではないだろうか。頼ってばかり、楽しませてもらってばかりで、イッタに何もしてあげられなかった気がする。



“失ってから気付く”この言葉が嫌いだった。



自分にとってかけがえのない存在ならば、相手を思い遣って大事にしろよと思っていたのだ。だが実際は難しい。どんなに大事に想っていても、相手に伝わらなければ意味がない。1人よがりになっても仕方がない。嫌われたくない想い、照れやプライド等が付き纏ってきてしまう。



結局人間ってのは自分を守る事に必至で、誰かに甘えて依存し、調子に乗る生き物なんだ。僕はそういう奴なんだろう。生きていても、誰の事も幸せに出来ない、守ることも出来ない。だからこの世には、必要のない人間だ。



ふと顔を上げた時、気付けば鳥天狗からすてんぐ像がある寺の中に居た。そのまま進み、鳥居の先にある果てしない石段に目を移す。



まるで今までの人生を悔み噛み締めるかのように、長い長い石段を一段ずつ上がっていった。ウサミ先生は腕を後ろに組み、適度な距離を保ちながら付いてくる。僕が立ち止まれば先生も足を止めた。表情はずっと朗らかで優しい笑みだ。



あの人が現実に居ないなんて、残念でならない。それはそうだ、僕が思い描いた理想の大人なのだから。



突然、雪が降ってきた。風はないものの、直ぐに積もってしまう程の量で、あっという間に体中雪まみれになる。寒さは全く感じなかった。



今思えば長い間、四季を感じていない。寒かった記憶であれば寒いと思ったけど、実際のところ体感はしてなかったように思う。あれはある意味、夢の中だという事を知らせる一つだったのだろう。



吐く息が白い。雪が降れば気温が下がって、このように息が白くなる。それだって記憶にあるからそうなっているだけだ。見渡すと、辺りはもう一瞬にして雪景色になっている。まるで一日中降り続いたかのように。木には枝先にまで繊細に降り積り、石段も狛犬も、数センチの雪を被っていた。



進む先は霧掛かっているように真っ白で、何も見えない。雪が降る音しか聞こえてこなかった。辺りは圧倒的な静けさに包まれている。



そんな中現れたのが、山の斜面の岩場に並び立つ、烏天狗からすてんぐ像の群れだ。雪景色の中にあるその光景は、まさに圧巻だった。暫く呆然と立ち尽くして見入ってしまった。



僕には彼等が、この地を守る勇ましいヒーローのように見えた。だからイッタに似てると思ったのだ。本人に伝えた時、まぬけな顔をしてたけど。それから何度か此処に来て、イッタも烏天狗からすてんぐをカッコイイと言うようになった。そして僕に言った、あの烏天狗からすてんぐのように勇ましく、悪いことをする奴等を成敗するのだと。



正義感を持つことは悪いことなのだろうか。悪い奴を悪いと言う事、立ち向かうことは、死に繋がってしまう事なのだろうか。だからこの世には良い人が少なくて、悪い奴等が我が物顔でそれぞれの地でのさばっている。僕のようにどちらでもない人間は、気が小さくなるばかりで心が死んでいくんだ。毎日少しずつ闇が広がり、伝染し、蝕まれた人が新たに生まれる。世界はそんな風にして成り立っているのではないだろうか。



足を進めようとしたその時、烏天狗からすてんぐの像がゆっくり動き、睨むように僕を見た。幻覚だと分かっていても、恐怖で後ずさりしてしまう。低く、ゆっくりと話す声が、響くようにして聞こえてきた。



「現代の者の魂は弱い。おのれが弱ければ、誰も守れぬ」



そう言うと顔が元の位置に戻り、何事もなかったように動かなくなった。慌てて振り返り、ウサミ先生に声を掛ける。



「今の見ました?」


「何がだい?」


「声、聞こえませんでしたか?」


「さあ?」



今居るこの世界は現実ではないし、可笑しな事が起こっても不思議ではない。気を取り直して再び前に進むも、烏天狗からすてんぐ像の側を通る度に、一体一体が動き声を掛けてくる。



「現代の者は容易に命を落とす」


いくさにて死んだ者を称えよ」


「正義を貫き命を落としたのならば、本望であろう」


こころざしおのれが持つ魂の剣に現れる。弱き者の剣は未熟故、大切なものまで斬ってしまうのだ」



無数の声に責められているような気になり、両耳を塞いで走り抜けた。



山道に入り、険しい登り坂を上がっていく。雪のせいで足が酷く重たく感じる。埋まりながらも、無我夢中でひたすら歩き続けた。



「ハル君、一体何処まで行く気だい?こんな大雪の山道を黙々と歩いて、まるで修行僧のようだよ」



何も答えずに足を進めた。風が強くなってきた所で顔を上げると、見た事のある場所に辿り着いていた。此処は僕のお気に入りの場所、見晴台だ。柵に手を付いて景色を一望したけど、四方八方が真っ白で何も目に留まらなかった。



「凄いなこれ。世界が終わったみたいだ」



もしかして僕は、あの世に辿り着いたのではないだろうか。雪景色と圧倒的な静けさのせいで、そんな風に思う。



「ハル君、世界は終わってなどいないし、君はまだ死んでもいないのだよ」



驚いて振り向く。ウサミ先生は相変わらず距離を取っていて、少し離れた場所に居た。目尻のしわを増やし、温かな笑みを見せる。



「此処はまだ、マイ・レメディーの中さ」


「いや、そんなはず――。」


「向こうはいま大慌てだろう。現実を知って、君の心と脳は死にかけている。脳神経の働きが極端に鈍ったせいで、あっちは君の居場所が掴めない状況下に置かれてるんだ。要するに君は今、記憶の奥底に雲隠れしてるって事だね」


「マイ・レメディーは、僕が作り上げた設定ですよね?」


「いや違う。それだけはハッキリ伝えておくよ。此処はマイ・レメディーの世界だ。相手は今、君を捜す事に必死だよ」


「相手?誰のことを言ってるんですか?」



ウサミ先生はひとつ手を叩いた後、指差してきてバカにするように笑う。



「ほうら、また出た!それだよそれ!始まりもそうだった。君は大切な人を1人忘れてやしないかい?現実で君が1番幸せを感じた瞬間、それをよーく思い出してみなさい。ヒントはこの場所だ」



辺りを見回す。



此処に雪の日に此処に来たことなんてあったっけ。こんな景色も何も見えない、世界の終りのような場所で――。世界の、終わり?



『もう私の事を記憶の底に埋めないで。一緒に過ごした事を、思い出して欲しいの』



ユミさん――。



僕はずっと、ユミさんに片想いしていた。一目惚れだった。だけど相手にされないと思って、外見がたまたま好みなだけだったのだと自分に言い聞かせた。なのに高校生になってから、一緒に過ごす時間が増えてしまう。ユミさんの優しさ、悲しみ、笑顔、それ等に触れて、気持ちは増すばかりだった。



現実で実る事も伝わる事もなかったけど、1つだけ、大切にしていた思い出がある。それがこの場所だ。



イッタとユミさん、3人で初めて此処に来た日、イッタがトイレに行ってしまいユミさんと2人きりになった。こんな風に柵の前に立って――。



『もうすぐ閉まるからかな。誰も居ない。まあ、人が居ない方が落ち着くけど』


『私は、ちょっとだけ怖いかな』


『そう?誰も居ない中、広がる自然をこうやってみてると、世界に取り残されたみたいな心地良さがない?』


『心地良さ?普通は、恐怖や不安を覚えるんじゃないかな』


『普通の人はそう思うのかな。僕はこの世界が終わればいいと思ってるから、そんな風に感じるんだろうね』


『え?』


『いや、3人で遊んでる時は楽しいけど――。こんな風に一緒に居られるのは、今だけかもしれないじゃん。3人で居る時以外は、辛い事しかない。僕からイッタとユミさんを取ったら、何も残らないんだ。存在価値が全くない』



さらっとそう告げると、驚いた表情で見つめられた。引かれる様なヤバイこと言ったかもしれないと思った。だけど少しの沈黙の後、ユミさんの目が赤くなり涙を浮かべ出す。



『あ、変な話してごめん。同情してもらいたくて言ったわけじゃないんだ』



ユミさんは俯きがちに首を左右に振って、溢れ出そうな涙を拭っていた。



ヤバイ、イッタが戻ってきたら泣かしたって怒られる。そんな風に思っていたその時、ユミさんがそっと手を繋いできた。



驚きで何も言葉が出なくなってしまう。



もしかしたら、僕を慰めてるつもりなのかもしれない。そう思ったけど、ユミさんの口から意外な言葉が飛び出した。



『私達、似てるよね』



目の前に広がる夕焼けを眺めながら、暫く手を繋いだままでいた。その時、世界に取り残されたような気持ちではなく、世界に2人きりになったような感覚に陥った。



こんな感情初めてだった。いつも重たい心が瞬時に軽くなって、今まで辛かった事が全て吹っ飛んだような気分だ。歓喜に包み込まれ、頭がぼうっとする。このまま時が止まってしまえばいいのにとさえ願った。



だがイッタの姿が見えると、ユミさんが咄嗟に手を離した。その後何事もなかったように接してくるので、僕も合わせたけど、この出来事がずっと頭から離れなかった。俗に言う負け組人生を歩む僕にとって、その時だけが唯一、世界が輝いて見えた瞬間だったのだ。



「その女性は、林 ユミさんだね」



ウサミ先生の声で、現実に引き戻されたように顔を上げる。あの時に見た景色とは違い、今は寒々しくて悲し気に見えた。



「君は彼女をずっと想い続けていた。Repressed Memoryリプレッシド・メモリーの話を覚えてるかい?君は現実で起きた悲劇全ての記憶を奥底に沈めるため、まずは生存する彼女の記憶から無くしたんだ。そうすれば、現実で起きた事を引き出し難くなるからね。だけどね、君は彼女の気持ちを考えたことがあるかい?」


「ユミさんの、気持ち?」


「彼女は学校で孤立していた。それはもう知ってるよね?恋愛も上手くいかず、いつも心のよりどころを求めていたのだろう。それが弟のイッタ君と、君だったんだろうね。だが1日にして同時に2人を失ってしまったのだ。彼女の心はもう、壊れてしまったのさ」



ユミさんの気持ち――。それは考えていたようで、考えてなかったかもしれない。実際、記憶の奥底に埋めていたくらいだし。でもユミさんには彼氏が居た。だから僕など必要ないと思ったのだ。この世に必要のない僕が消えたところで、誰一人として気にしないだろうと。



「彼女は君の勘違いに途中で気付き、それにずっと付き合っていたんだ。それは目的を果たすため。その目的が何かは、もう直接本人から聞いたでしょう?」



『私を、殺してほしいの』



ユミさんは真剣だった。ここ最近の出来事を思い返しながら、頭の中を整理していった。やっと現実で何が起こってるのかが見えてくる。



「昏睡状態なのが僕で、ユミさんがマイ・レメディーを使って会いに来てた、ってこと?」


「その通りだよハル君!彼女の登場で、君は自分がマイ・レメディーに選ばれたと思い込んだ。記憶を沈めておくための、自己防衛さ」



次の瞬間、何処から僕の名を呼ぶ声が聞こえてくる。

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