「記憶の齟齬(そご)」2

授業が終わる頃には気分が悪く、お昼の時間だったが食欲が湧かない。イッタに声を掛けて、保健室で休むことにした。



保健室には誰も居なかった。勝手にベッドに横になろうと思い、仕切りのカーテンを開く。するとそこには、驚きの人物が待ち構えていた。まるで僕が来るのを分かっていたみたいに、ベッドの上に座りこっちを見ているのだ。



「ユミさん?」



マイ・レメディーの中と同じで、此処の制服を着ていて髪も長いままだ。これも幻覚なのだろうか。驚きで何も言えずにいると、ユミさんは真剣な表情で立ち上がり、目を逸らさずに言う。



「逃げて。もう時間がない」


「何、言ってんの。というか、ユミさんがどうして現実に――。」


「いいから聞いて。此処から先に進んでは駄目。終わってしまう」


「何が?」


「記憶だよ」



切羽詰まったように見えた。もしかして僕、まだマイ・レメディーから目覚めてなかったのだろうか。



「今は現実じゃなくて、マイ・レメディーの中だって言いたいの?」



そこで保健室に誰かが入ってきた。ユミさんは慌てるようにして、隣のベッドの仕切りのカーテンの中に隠れる。



「あら、どうしたの?具合悪いの?」



現れたのは、保健室の先生だった。



「いえ――。」



そう言いながら、そっと仕切りのカーテンをずらし中を覗く。ユミさんは消えて居なくなっていた。



ダメだ、今日は頭が可笑しい。病院を出られる様な状態じゃなかったんだ。先生に頭を下げ、保健室を後にした。とりあえずイッタに今の状況を話して、傍に居てもらおう。1人だと気が狂いそうだ。



足早に廊下を歩いていると、背後から声がした。



「ハル!行かないで、お願い!」



振り向くとまたユミさんが居た。これは幻覚だ。話してたら周りに変な目で見られるだろう。そのまま何事もなかったように小走りで駆けるも、ユミさんはずっと付いてくる。逃げるように走り続けていると、体育館から叫び声が聞こえた。



思わず足を止め、少し開かれた扉の隙間から中を覗くと、ユウダイと数人の男女が居た。盛り上がるように騒ぐ声が聞こえている。よく見るとカシワギも居た。



様子を伺っていると、その男女がカシワギに向かってボールを投げつけている。ユウダイがスマホをカシワギに向け続けている事から、恐らく撮影しているのだと思った。無意識に、導かれるようにして中に入ると、皆が一斉にこっち見る。ユウダイはゆっくりと、手にしたカメラを僕に向けた。



そして無表情で無機質な声を出す。



「はい皆、あいつに当てたら100点ね」



僕は男子に羽交い絞めにされ、カシワギの隣まで運ばれてしまう。腕を後ろで組まされ、動けないようガムテープで固定されてた。



「ユウダイ、何してんだよ!正気になれよ!」


「正気だけど。おまえはイッタ共々に潰す。忠告したのに首突っ込んでくるし、カシワギと同様に邪魔だから。正義感振りかざして自己陶酔してるやつって、見てっとむかつくんだよね」



ユウダイはしゃがみ込んでスマホを向け続ける。カシワギの顔には、痛々しいあざが出来ていた。



「それ―― こいつらに?」



そう問うと、悔しそうな表情を浮かべ隠すように目を逸らす。まるでゲームでもしてるみたに盛り上がる奴等を睨み付けた時、ボールが一気に飛んできた。無数のボールが当たって落ちる音が響く。その中に交じっているのは、100点だの50点だの叫ぶ男女の声だ。



僕には分からなかった、ユウダイの気持ちが。そして、こんな風に人を痛めつけて笑う奴等の事が。この時はこいつらを、幸いにも自分より下の低俗な奴等だと思えた。



ユウダイは表情を変えずに僕等に声を掛ける。



「おまえらって生きてて意味あんの?偽の正義感振りかざして、自己満足して、自分はこの世に必要だーとか思っちゃってんの?言っとくけど、本当におまえらを必要としてる奴なんて居ねーから。現実見ろよ」



挑発してるだけだと思ったけど、抑えていた怒りがこみ上げてくる。つい怒鳴り声を上げた。



「おまえみたいな屈折して落ちてった奴に、そんなこと言う資格ないんだよ!おまえこそ、そこに居る奴らは友達なのか?それこそ偽物だろ?」



ユウダイの目が鋭くなる。ゆっくり立ち上がり、スマホをポケットにしまった。



「お利巧なイッタ君の影響か?そんなハルは求めてないんだよ」



そう言うと、拘束されていたカシワギの手を解き、足で蹴り上げる。



「おまえもう邪魔。次またチクったら殺すぞ」



カシワギは足がもつれながらも走り去って行く。それを冷めた目で見送った後、ふっと不敵な笑みを浮かべ僕を見た。



「おまえも落ちんだよ、ハル」



ユウダイが目で合図を送ると、男達が殴りかかってきた。女子は笑いながらスマホで写真を撮っている。



ここに居る奴等、全員の気持ちが理解できない。おまえ達は、こんな風にしていると優位に立てて、この世に存在する意味があると思えるのか?だとしたらそれは間違いで、それこそ不必要だという現実を見ろよ。



心には怒りと憎しみが灯る。反撃できないもどかしさで抵抗するも、ひっきりなしに殴られて倒れこんだ。



その時、誰かが体育館に入ってきた足音が聞こえた。男が殴る手を止めたので、ぐったりしながらも何とか顔を上げる。格好と髪が紫色で、黒のアイマスクの仮面をつけた女が立っていた。



また幻覚が出た―― と思っていると、その女は腰から銃を抜きぶっ放した。弾が当たった男女は傷を追うのではなく、ぱっと瞬時に消えてしまう。気付けばユウダイも居なくなっていた。僕と女以外、全員が消えて居なくなる。



呆然としていると、女がガムテープを外し腕を解いてくれた。



「私だよ、ハル」


「――え?」



聞き覚えのある声だと思っていると、女がアイマスクの仮面と紫色のウィッグを外す。アメコミ映画の登場人物だと思っていたが、ユミさんだった。



ホッとしたのと何やってんだという思いで、力が抜けたように床に顔を寝かせた。



「ユミさん―― 何やってんの」


「望んだらこの格好になれたの。お陰で記憶を変に塗り替えることが出来た」



そう言いながら差し出された手を掴み、ゆっくりと起き上がった。体の色々な部分が軋み、痛みを感じる。口元を拭うと流血している事に気付く。ユミさんは哀れむような目をして、僕の頬に触れてきた。



「大丈夫、じゃないよね。友達だった人に―― 裏切られたんだもんね」


「そうだけど、それよりも訳が分からない。今は現実で、ユミさんは僕にしか見えてない幻覚、だよね?」



ユミさんは真っ直ぐに見つめてくるだけで、何も言わない。少しすると、何かを思い出したような表情を見せた。



「もう行かなきゃ。ハル、此処から先は記憶にない行動を取って」


「ちょっと待って。てことは今ここは、マイ・レメディーの中だって言いたいの?」



ユミさんはウィッグを被り、足早に歩き出す。追い掛けるも、時間に迫られたように走り出した。着いた先は体育館の裏で、バイクが止めてあった。映画に出てくるような、派手で厳ついバイクだ。僕の問いに答えないまま、ヘルメットを被りそのバイクに跨った。



「ユミさん、何処に行く気?」


「記憶を阻止してるの」


「え?」


「これ以上、進めたくないの」



エンジン音を響かせ、バイクは颯爽と走り去っていく。ユミさんの名を叫んだけど、戻ってくることはなかった。周りにちらほら人が居て、みんな怪訝な表情で見てくる。変人を見るような目つきで、こそこそと何か話していた。周囲のこの様子からして、やはり僕は幻覚を見ているのかもしれない。



頭が混乱する。息をする事さえも上手く出来ない。自分の身に危機を感じた。このままどんどんイカれていって、頭も心も壊れるのではないだろうか。不安で胸が押し潰されそうだ。



せっかく久しぶりに来たのに、かばんも持たずに学校を飛び出す。暴行を受けたから、制服が乱れて汚れているし血も流れてる。だけどお構いなしに走った。



その道中も、可笑しな事ばかりが立て続けに起きた。



空を泳ぐ透明の人が近付いてきて、僕の顔に雲を被せ視界を遮って来たり、全身炎に包まれた人が追い掛けて来たりする。それらを振り払おうとする僕を、通行人が驚いた表情で見てきた。きっと精神異常者だと思われているのだろう。



様々な幻覚に悩まされながらも、何とか家に到着した。嫌いなはずなのに、最終的に縋ろうと思ったのは母親だ。専業主婦なので家に居るはず。扉を乱暴に開け家に入っていくと、母親はキッチンに立っていた。鍋を火にかけている事から、恐らく料理をしていたのだろう。



「母さん、ただいま」



背を向けたままの母親に向かって声を掛けるも、無視されていた。



「あれのせいで僕、頭が可笑しくなってるんだ。助けて欲しい」


「あなた、学校は?」



こっちは切羽詰まっているというのに、振り向かず冷静な口調でそう言ってきた。トントンと包丁がまな板に当たる音がする。



「学校どころじゃないんだって!今まではここまでじゃなかった。そうだ―― ウサミ先生じゃない人が担当になってからだ。きっとあの人に何かされたんだって!」


「あの人って?」


「ウサミ先生は今海外だから代わりに担当するって、知らない女医が現れたんだよ。父さんに連絡して確かめて、早く!」



事の重大さが全く伝わってないようで、母親はくすくすと笑いながら言った。



「そんなに慌ててどうかしたの?お父さんは大事なオペがあるって言ってたから、今日は連絡取れないと思うわよ」


「母さん、僕を見てよ!」



たまらずに大声を上げてしまう。すると、包丁片手にゆっくり振り返った。



母親の顔は何故か、のっぺらぼうの様に目鼻口がない。恐怖で後ずさりすると、包丁を持ったままゆっくり近付いてくる。



「あなた、誰?」


「え――。」


「うちの子じゃないわ」


「母さん、何を言って――。」


「ユウダイは何処?」



そこでズキンっと頭痛が走る。あまりの痛さに転び、尻をついてしまう。母親は包丁を突きつけながら、じりじりと迫ってきていた。



「うちの子を返してちょうだい」


「母さん?」


「ユウダイを返して!」



そこで包丁を持った手を振り上げる。咄嗟に避けると、刃がフローリングの床に刺さった。だが母親は手を伸ばし、僕を掴もうとしてくる。それ振り払い、慌てて家を飛び出した。



誰か、誰か助けてくれ。



この異常な状況を理解し助けてくれるのは、きっとウサミ先生しか居ないはずだ。

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