「リスタート」2

かばんを取りに行こうと、現実と同じ校庭、廊下、教室を通り過ぎていく。今日の昼間と同じだけど、違う世界。とても不思議で奇妙だ。



場面が目くるめく変わるので、考える暇さえ無かった。



ユミさんと話した内容を思い返す。僕が過ごす現実と同じこの世界で、何故死を望むのだろうか。この世界のイッタが、ユミさんは学校でいつも1人で、虐められていたと言っていた。それが現実でもそうで、虐めが原因で死にたいのかもしれない。



教室に入ろうとすると、猛スピードで走るイッタとすれ違った。



「ハルおっせー!」



そんな言葉を吐き捨て駆け抜けていく。



あのイッタも、現実と同じイッタ。性格に少しの誤差もない。相変わらず何も思い出せず、目を閉じ首を左右に振った。かばんを手に取り顔を上げた時、扉の前にユウダイが立っている事に気付いた。黒のフードを頭から被り、真顔でじっと僕を見つめている。



駆け寄ろうとしたら、走って逃げてしまった。慌てて教室を出て後を追う。



「ユウダイ!ちょっと待って!」



3mくらい先に居たユウダイが、ピタッと足を止めた。



「何で逃げんの?そもそも、何でユウダイがこの世界に――。」



突然、廊下の窓の外の景色に雲が掛かる。立ち尽くした床にゆっくり影が入り込み、辺りが暗くなった。そこでユウダイが、ゆっくり振り返る。



その目は鋭く、凶器的に感じた。



「ユウダイ?」


「――おまえのせい。だろ?」



何故か心が傷付いたようにズキッと痛くなる。息苦しくなって、つい胸を押さえて俯いた。顔を上げた時、ユウダイは姿を消していた。



早まる鼓動を落ち着かせていたその時、雲が消え太陽が顔を出す。それを睨みながら、ゆっくり歩き出した。



僕のせい?一体、何が僕のせいなんだ?ユウダイをこの世界に呼んでいるのは、僕のせいだって言いたいのか?僕の記憶がユウダイを引っ張って来ているのだろうか。もしかしたらこの世界は、ユミさんだけではなく、僕とユミさんが作り出した世界?



思っているよりも、僕の記憶が反映されてしまっているのかもしれない。そしてユウダイは何故、あんなに暗くて冷めたをしているのだろうか。僕の記憶の中のユウダイは違う。不良っぽい所は確かにあるけど、根は優しくて良い奴だ。



謎は増える一方だった。この世界に居ると、混乱する。



“廃墟”に戻ると、イッタとユミさんが既に塀の前に居た。2人とも不機嫌そうな顔をして、僕が来るのが遅すぎると責めてくる。



「ごめん。疲れたから、歩いてきた」


「なあーんだよおまえ、爺さんじゃあるまいし!」



ユミさんは途端に黙って、哀れむような眼差しを向けてきた。まるで全て見えていて、真実を分かっているかのように。僕も見つめ返し、話がしたいことを目で訴える。だが直ぐに逸らされてしまった。



「イッタが先にやる気?ジャンケンで決めようよ」


「いやもう俺、気持ち出来上がってっから」


「何そのドヤ顔ー!バッカじゃないの?」



ユミさんはけらけらと笑っている。まだ話すつもりがないのだと思った。きっと、何故か欠けてしまった僕の記憶が、少しも戻っていないから。少しでも集まれば、その時に何か教えてくれるかもしれない。



諦めてこの世界で起こる出来事に身を委ねる事にした。そうしていれば、少しずつ何かを思い出せるかもしれないから。



「ぃよーし!やってやるぞ、見てろよ2人とも!」


「だから、何でイッタが先なの?」



ユミさんの声が聞こえてないようで、イッタは体操着のシャツを腕まくりし、長ズボンのジャージを膝まで捲り上げる。かばんを塀の向こう側に投げ捨てると、離れた場所まで移動し塀に向かって走り出した。



その様子を目で追い、僕とユミさんはポカンと口を開けてしまう。



イッタがまるで猿みたいに、壁をトントンッと2歩だけで登り1番上に手を掛けたからだ。ぶら下がるような形になった後、そこから腕力で這い上がる。そして頂上に立ち「いえーい!」と叫んだ。



感動して2人で拍手してしまう。



「すご、イッタってやっぱ凄い」


「本当、あっという間に登って凄かった!」


「だろ!?身体能力と心意気だけは誰にも負けねぇから!」


「うんうん、さすが私の弟。じゃ、出来る限りジャンプするから、私とハルをそこから引き上げてね」


「は?」


「バカだね、私達そんな事出来ないから。イッタみたいに力馬鹿じゃないし」


「騙しやがったな!」


「いいじゃない、イッタが1番なんだから。それより早くしないと見つかっちゃう。ほらハル、先に行って」



そう言いながら背中を押された。イッタは塀の1番上でしゃがみ込み、口を尖らせ拗ねたような顔をしている。



「イッタ、無事サボれたら、今日はイッタが好きな映画選んでいいよ。あと、じゃがりこ買ってやるから」



イッタは途端に目を輝かせて立ち上がる。



「Lサイズな!」



ユミさんは「もうっ!」と言って軽く叩いてきた。



「まったく、ハルはホント優しいんだから。イッタを甘やかしすぎ」


「あいつ拗ねるとやっかいなんだ。1週間くらいグチグチと根に持つし」



ユミさんはふっと柔らかい笑みを見せる。



「イッタの事、よく分かってるね。さすが親友」


「おーい、何話してんだよ!早く来いよ!じゃがりこが待ってんだ!」



イッタは上から意気揚々と手を伸ばし待っていた。かばんを向こう側に投げ捨て、助走をつけてジャンプする。イッタが瞬時に僕の手を掴んだ。



「おもっ――。ハル、早く自力で這い上がれ!」



イッタに引っ張られつつも足を使い、時間を掛けて何とか1番上に上がれた。運動神経があまり良くない僕は、普段使わない筋肉を使ったため、塀の上でぐったりとしてしまう。ユミさんの番が来たが、イッタが意気揚々と手を伸ばしているので任せようと思った。



だがユミさんはその場でぴょんぴょんジャンプしているだけで、イッタの手には到底届きそうもない。



「マヌケ姉貴、助走つけてちょっとは登って来いよ!」



言われた通りにするも、ユミさんも僕に負けじと運動神経が良くないようで、このままだと日が暮れてしまいそうだ。



「ハル、手貸せよ。2人で引き上げてやるしかない」


「分かった」


「とりあえず力振り絞ってジャンプして!俺とハルで引き上げっからさあ!」



下に居るユミさんが、見上げながらにこっと笑顔を作る。



「うん、分かった!2人に任せるね!」



可愛さのあまり、胸がむず痒くなった。早くあの手を掴んでこっちに来て欲しいと思う。イッタは僕とは真逆で、呆れたような表情を見せていた。



「まったく、言い出しっぺが1番手間掛かってんじゃねぇか」


「え!?イッタ、何!?」


「何でもねぇよ!早く飛べ!」



ユミさんが助走をつけて走り、こっちに向かってジャンプする。先にイッタがユミさんの手を取り、遅れた形で僕ももう片方の手を握った。ユミさんは大笑いしている。



「ちょ、ちょっと待って、ここからどうしたらいいの?無理、無理ー!」


「おい、動くなよ!何を能天気に笑っちゃってんだ。ちょ、無理なのこっちだし―― 姉貴も足使えって!」



僕達はありったけの力を使い、ユミさんもジタバタしつつ何とか上がってきた。上がり切ったその時、力を込めっぱなしだった僕は、ユミさんを引っ張ったまま専門学校の方へと落ちてしまう。体が地面に着く前に「終わった」と思った。



だが、いつまで経っても衝撃が訪れない。ゆっくり目を開いてみると、場面が変わっていて室内に居た。



視界に入ったのは、アメコミ映画に登場するヒーローだった。黒のボディースーツに身を包んだ男が高層ビルの上に立ち、僕に向かって指差している。そんなポスターが天井に貼られているのだ。



「大丈夫?」



ユミさんが顔を覗き込んできた。まだ体操着姿のままだった。ゆっくり起き上がると、イッタの部屋のベットの上に居た事に気付く。



「ビックリしたよもう。落ちた後さ、専門学校の警備員に何してんだって追われたじゃない?」


「そう、だっけ?」


「嘘、覚えてないの?やっぱり打ち所が悪かったんだ。ハルあの時は大丈夫って言って、3人で走って警備員から逃げたけど、ここに来たら仮眠取りたいって急に寝ちゃったんだよ。イッタと一緒に凄く心配したんだから」


「あれ、イッタは?」


「もしかしたらハルが頭打って具合悪いのかもしれないって、氷買いに行ったよ。うちの氷切れてて」


「ユミさんは、大丈夫だった?」



そう問うと、照れくさそうに俯いた。



「うん――。ハルが、下敷きになってくれたから」



咄嗟にその行動に出た自分に驚いたのと同時に、よくやったと褒めてあげたい気持ちになる。



「私よりも、イッタがパニックで大変だよ。ハル大丈夫かなを連呼して、猛スピードで氷を買いに行っちゃったから」


「なんか、想像つく」



ユミさんはくすくす笑いながら、一つに結った髪を解き髪を正す。



「なんかイッタとハルって、恋人同士みたい」


「え?!ちょっ、そっち系じゃないんだけど」


「知ってる。だけどお互いが思い遣ってるし、凄く仲が良いから」


「それを言ったら、ユミさんとイッタの方がお似合いのカップルだよ」



そう伝えると瞬時に眉を顰め、不快そうな表情で体を叩いてくる。



「止めてよもう、気持ち悪い」



この世界では姉弟きょうだいのようだけど、実際は違う。2人に接点があったかも定かじゃないけど、イッタに何か惹かれるものがあって弟という設定なのかなと思っていた。だけど今の反応で、恋愛感情ではないのかもしれないと思えた。



「イッタは最近じゃ彼女作らないで、ハルや私にベッタリくっ付いてる。だけど―― ハルも、同じだよね?」


「え?」



少し目が泳いだ後、気まずそうな眼差しを僕に向けた。



「ハルはどうして、彼女作らないの?好きな人とか―― 居ないの?」



そこでハッとした。この場面、台詞、ユミさんの表情、全てが前に経験したような気がする。デジャブのような感覚だ。この時、僕の脳裏に自然とある言葉が過る。



“知ってるくせに”



そう思い浮かんだ。これはユミさんに片思いしている感情と同じく、ずっと前からあった想いだ。ユミさんが口に出した訳じゃないけど、何となく分かっていた。ユミさんは、僕の片思いの相手が誰だか分ってる。知っててそんな事を言っているのだと。



返答を待つユミさんを見つめ、何て言おうか悩んでいたのも束の間、驚くほど勝手に言葉が飛び出た。



「恋愛とかそういうのに、興味ない」



自分の発言に落胆する。何を格好付けて言っちゃってるんだという後悔と共に、懐かしさも込み上げてきていた。



僕は自分に自信がない上に、卑屈な性格だ。好きだと気付かれるような行動を細やかながらに取りつつも、ユミさんがきっかけという名のチャンスを与えてくれると怖気づく。この攻防を何度繰り返したことか数知れない。その事をすっかり忘れていた。



ユミさんは少しだけ微笑み、落ち着かないのか、手にしたヘアゴムを弄りながら俯く。



「そう、だよね。ハルはそういう、感じだよね」



きっと呆れられた。だけどそもそもユミさんは彼氏持ちだし、いま此処で勇気を振り絞って告白した所で、報われる訳がない。負け戦は傷付くだけだから、したくないんだ。



不穏な空気が流れる中、扉が閉じられた音と、どたばたと歩く人の足音が聞こえてきた。この部屋の扉が開かれると、張り詰めた緊張が解けたような表情のイッタが現れる。



「ハールー!」



両肩を掴まれ上下に揺らされた。



「死んだかと思ったー!生きてて良かったー!」


「イッタ、具合悪い人を揺らさないの!」


「そっか!」



イッタが僕を押し倒して寝かせ、掛け布団を掛けてくる。買ってきた氷をコンビニ袋に入ったままの状態で頭に乗せてきた。なんだかこのアホさにホッとしてしまった自分が居た。イッタが来ると場が和む。ユミさんも同じ事を思ったのか、自然な笑みを見せていた。



「まったくもう、ガサツなんだから」


「何で?頭打ったかもしんねぇし、冷やした方がいいだろ」


「違う。そのまま乗せるのがガサツだって言ってるの」


「え?何が?」


「バカじゃないの」



2人がまた口喧嘩を始めそうだったので、このままで良いと告げた。



「なあなあ、暇だからしりとりしようぜ」


「暇なのはイッタだけでしょ。それに、今更しりとりとか面白くない」


「映画しりとりにしようぜ。んで、負けた奴は自分の秘密暴露ね」


「面白そう。乗った!」



ユミさんはそう言ってイッタとハイタッチする。そして2人に、おまえもやるだろと言わんばかりの、期待が入り混じったような目で見つめられた。



「分かった、やるよ」



仕方なくそう言って、3人で映画の題名のみ使用可のしりとりを始める。意外と面白くて、そんな映画あったっけってな題名を連発するイッタに笑った。イッタが発する謎の映画の題名を聞く度、ユミさんがスマホで実在するのかを調べ出す。



「うわ、本当にあったよ」


「ほらなー、だからあるって言ってんじゃん。カップルが死霊に捕まって張り付けにされて、何故か死霊達の踊りを鑑賞しなきゃなんねーんだ。くっそつまんなくてウケた」


「何それー!」



ユミさんもお腹を抱えて笑っている。



「はい、次。姉貴の番」


「り、ね。リトル・ダンサー。サだよ、ハル」


「サンダーバード」


「どつかれてアンダルシア」



ユミさんと同時にそれはないわと言って、イッタに突っ込みを入れた。だけど調べてみると存在していて、皆で笑うを繰り返した。



現実も日々楽しく過ごせているけど、マイ・レメディーの世界も楽しいと思える。それは、ユミさんが居る事が1番大きい。出来ればユミさんに目覚めてもらって、現実でもこうやって会いたい。だけど――。



『私を、殺してほしいの』



真剣な表情で言っていた、あの言葉を再び思い出す。



死ぬ事を望んでいるのなら、僕はこの世界でどうしたらいいのだろうか。ユミさんに“生きたい”と思ってもらうには、一体何をすればいいのだろう?楽しそうな表情を見せるユミさんをぼーっと見つめていると、イッタが大声を上げたのでハッとして我に返った。



「はい!姉貴の負けー!」


「えー、悔しいー」


「秘密暴露だぞ」


「秘密って言われてもなぁ―― どうしよう」



考え込むように俯いた後、意を決したかのように顔を上げる。そして、僕の目をじっと見た。



「もう1つ真実を教えてあげる。死にたいのは私だけじゃない。ハルだって、同じだよね?」


「え?何を、言って――。」



突如突風が吹き、僕達を包み込む。まるで竜巻の中に入ってしまったみたいに、物が全て吹き飛び何も見えなくなった。聞こえるのは風の騒音だけだった。

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