「疑心暗鬼」4

                  ***





翌朝、3人ともイッタのお母さんに叩き起こされた。重たい体と瞼を起動させ、何とか皆で学校に行った。



だが授業をきちんと受けていたのは僕だけだった。イッタもユウダイも爆睡している。というか、イッタが寝てる意味が分からない。僕とユウダイの寝不足の原因が、イッタのイビキだからだ。



眉間にしわを寄せながらイッタを眺めていると、ふごっと大きい鼻息を立てた為、先生に頭を叩かれている。バチが当たったなと思いながら、僕も何度か落ちかけた。だけど何とか持ちこたえ、午前中の授業を終えた。



お昼休みにイッタは完全回復していたけど、ユウダイは気付くと居なくなっていた。午後の授業が始まる頃、ユウダイからラインのメッセージが届く。



【もうムリ。今なら母親仕事でいねーから、今の内に家で寝る。イッタには内緒な】


【平気?ところで今日も夜ふらつくの?そうなったら連絡して】



イッタの熱さが伝染したのかもしれない。僕はユウダイの事が放っておけなかった。だけどそれから返信はなく、気になりつつも放課後を迎える。



「ハル、一緒に帰ろうぜー。ユウダイあいつ、まじで何処行きやがった。今日また見掛けたらうちに連れて来いよな」



そう言った後、イッタなりの耳打ちをしてきた。



「これからまたおまえ、パンのミミみたいな先生の所に行くんだろ?」


「パンのミミみたいなの先生ね。パンのミミみたいな先生だと意味変わってくるから」



イッタは横で大爆笑している。恐らく、突っ込まれたくてわざと言ったのだ。



「それと、2つ突っ込みたい所がある。1つは、パンのミミみたいな名前の先生じゃなくて、ウサミ先生って名前で全然違うから。2つめは、声大きいから気を付けて」


「何マジで怒ってんだよー、おまえうけるー!」



いつまでも笑いが治まらないイッタを見て、ため息を吐きながら肩を落とした。



まったく、お気楽な奴め。



「あ、ハル、そういえば昨日も例のあれで、知り合いの女子に会ったの?」



普通に大きな声で言われ、キッと睨んだ。すると笑顔で叩かれる。



「大丈夫だってー、こんくらいなら誰にも分かんないって」



それもそうだなと思い、昨日のユミさんとの事を伝えた。イッタは偉く驚いていた。



「え?おまえ好きな女居たの?まじで?何それいつ?何で隠してたんだよ?」


「違うよ。信じてもらえないかもしれないけど、隠してたんじゃない。綺麗サッパリ忘れてたんだ。昨日、あれに入るまでは――。本当、自分でも何で忘れてたのか不思議で堪らない」



するとイッタは、きょろきょろと辺りを確認し、腕を引っ張ってきて人気ひとけの無い場所に移動した。



「なあ、その記憶がなくなってたこと、おまえはどう思ってんの?」


「どう、って――。ウサミ先生と話してて思ったのは、僕が何らかのきっかけで、ユミさんの事を記憶の奥底に沈めてしまったのかなって。ウサミ先生が、生きていくために、辛い記憶を抑圧してしまうという仮説が存在するって言ってたし」



イッタはうーんと唸りながら、珍しく難しい顔をして黙り込んでいる。

そして、チラッと目だけで僕を見た。



「あのさ、そのパンのミミ先生って、まじで信用できる奴なのか?」


「え?」


「ハルのお父さんと何か企んでる、とか、そういうのないよな?」



父親とウサミ先生がグルになって何か企む?何故そんな事を?確かに父親は、今回未成年の僕がマイ・レメディーに入る事を実験だと思っていると思う。その実験にウサミ先生が加担して、僕の記憶を操作してるかもしれないという事?



ユミさんに対する懐かしい気持ち、思い出した恋心は、操作されて抱いているだけ―― だとしても、その意図が分からない。色々な考えを巡らせ固まっていると、イッタが気まずそうに肩を叩いてきた。



「わりぃ、今のは本当ごめん。おまえの家族を疑うなんて、俺が悪かった」


「いや――。」



イッタの言う事に、一理あるかもしれない。うちの父親なら、あり得ない話でもないだろう。だけどウサミ先生は父親と仲が良くなさそうだし、何よりも僕が気に入っている唯一の医者だ。



もし共謀していたとしたら、僕は人間不信に陥るに違いない。









色々な事を思い返して、全ての事に疑心暗鬼になりながらも、いつもの病棟を看護師さんと共に歩く。白い部屋の扉の前で看護師さんがIDカードをかざす傍ら、息を深く吸い込みゆっくり吐いた。



僕はウサミ先生に、父親と共謀しているか聞くべきか。聞いた所で本当の事を教えてくれるのか。途中でマイ・レメディーの使用を止める事は可能なのか。色々な疑問が頭の中を駆け巡る。



部屋の中に入ると、ウサミ先生は既に机に座っていた。目が合うと、片手を上げながら籠った声で「やあ」と言う。ウサミ先生は、またしてもヘンテコな格好をしていた。白衣の上から天使の羽のような物を背中に背負っていて、鳥の口ばしの形をしたマスクを身に付けている。



疑心暗鬼だった心も吹っ飛んだ。



「ウサミ先生、今日は一体何なの?」


「白鳥に決まってるじゃないか」



結構良い歳した小父おじさんが謎のコスプレをしているその様は、滑稽かつ不気味だ。



「白鳥が好きすぎて、そんな格好をしてみようと思ったんですか?」


「うーん、そうだね、まあ好きだよ。優雅で美しいし、2羽が寄り添い首を曲げると出来るハート型は、実にロマンチックだしねぇ」



口ばしマスクのせいで、声が籠ってしまっている。過ごし辛い事この上ないだろう。だけどそこを指摘した所で、昨日のように『何でも事がスムーズにいかないのが人生』とでも言って流されるだけな気がする。だから、あえてそこは突っ込まなかった。



椅子に座ろうとすると、ウサミ先生がすっと立ち上がったので、何となく座ることを躊躇う。先生は僕の前までやってきて、人差し指を立てながら言った。



「だけどねハル君、白鳥っていうのは実は非常に攻撃的なのだよ。いくら優雅で美しいからといって、あまり近付くと傷付けられるぞ」


「あー、はい、気を付けます―― って、僕は別に、白鳥に近付きたいなんて事は思ってませんけど」



ウサミ先生は眉を下げ、困ったような表情のまま微笑む。



「そうかい?」


「はい」


「――ま、それはさておき、今日は僕予定いっぱいなの。だから早速だけど、もう入ってくれない?」



背中を押され、準備万端のマイ・レメディーの前まで誘導された。



今は質問をする暇がなさそうだ。大人しく上着を全て脱ぎ去り、マイ・レメディーの中に入る。扉が閉じると、目の前にカラフルな星が散りばめられた。



そこで、スピーカー越しのウサミ先生の声が響き渡る。



「ハル君、さっきの僕の話、人間だと思って考えてご覧」


「え?どの話?」


「まあいいや。バーイ、ハル」



カラフルな星達が、不規則にチカチカと早く点滅し出す。機械音を聞きながら、緩々と訪れる睡魔に従い目を閉じた。






――



――――




スピーカーから音楽が漏れている音が、徐々に近付いてくるように聞こえてくる。

そこで、ガツン!と頭にお馴染みの衝撃が走った。



これ本当、どうにかならないものか。次のカウンセリングでは、僕が疑心暗鬼に思っている事よりも先に、この衝撃がどうにかならないかって事を聞こう。心にそう決めた所で、ゆっくり目を開く。



直ぐ目の前に、うつ伏せで本を読むユミさんが居た。耳にはイヤホンをさしていて、そこから音楽が漏れている。



此処は――。



辺りを見回し、懐かしさで胸がぎゅっと締め付けられた。



薄いピンク色や黄色など、パステルカラーの色合いが多い部屋だ。白い壁には、沢山の映画のポストカードが飾らている。此処は、ユミさんの部屋だ。思い出せないけど、何故か懐かしいと感じるこの感情のお蔭で、来たことがあるんだなと思った。



僕の目の前には教科書とノートがあり、手にはシャーペンが握らている。恐らく宿題でもやっていたのだろう。再びユミさんに視線を戻す。



僕もユミさんも制服姿だ。うちの学校の女子の制服は、首元に赤いリボン、ジャケットは紺色でスカートは緑色のチェック柄。ユミさんはリボンを外していて、ブラウスのボタンを上から3つ開けていた。伏し目がちに本を読んでいて、長い睫毛がよく見える。白い肌に、ピンク色の唇、そして首元から下へ、見えそうで見えない胸元をじっと凝視する。



思わず触れてしまいたくなる透き通った肌へと、無意識に手が伸びてしまった。

気付けば片手が髪の間をすり抜け、ユミさんの頬を包み込んでしまう。



大きな目が、瞬時にこちらに向けられた。



「ハル――。」



ユミさんの表情は驚いている。僕も自分の行動に驚き、そのまま固まってしまっていた。ユミさんはイヤホンを外し、困ったような表情でさらりと言う。



「記憶と違うことしないで」


「ごめん」



咄嗟に手を引っ込めるも、言われた言葉を思い返してぎょっとした。



「今、何て言った?」



ユミさんは瞬きを何度もしながら、動揺したように早口になる。



「だから、私が覚えてるのは、ハルはこの後、イッタはまだ帰らないのかなって言って、私はどうせ寄り道でもしてるんでしょ?って返すの。それでハルが此処の数式を教えてって聞いてきて――。」


「そうじゃなくて、もしかしてユミさん、今が記憶の中だって事を―― 分かってるの?」



ユミさんは困った顔で僕を見つめたまま、何も言わない。そのまま沈黙の時が流れ、イヤホンから漏れ出る軽快な音楽だけが聞こえていた。この曲は、アメコミ映画のサウンドトラックに収録された「Bad Reputation」という曲だ。



ユミさんは体を起こしてウォークマンを止める。再び僕を見つめた後、小さなため息を漏らした。



「ハルは一度も、私に手を出して来なかったよね」



ズキッと頭と胸が痛くなる。つい目を瞑ってその痛みを耐えると、ユミさんが慌てたように肩に触れてきた。



「もうこの話止めよう?戻されちゃう」


「え――。」



脳波に異常が出たら、きっと光の玉が僕を迎えに来るだろう。ユミさんはそれをも分かっているように思える。



もしかしたら、僕達がマイ・レメディーに居るという事を理解した上で、この世界に留まっているのかもしれない。

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