- Episode 7 -「共犯者」

 スクリーンを下から上へと流れていく文字の羅列。音程の高い電子音が一つ、鳴り響いた。久留美の手が止まる。それが、作業の終了を告げていた。久留美は深く長い溜め息をつくと、椅子を回して立ち上がった。その視線の先には、毛布を頭の上から被り、寝台の上で体育座りをしている龍之助の姿があった。寝台近くの床には、投げ出された拳銃が転がっている。 

 久留美は寝台まで歩み寄ると、龍之助の隣に腰を下ろした。龍之助は虚ろな眼をしたまま、じっとスクリーンを見詰めている。久留美も正面を向き、自らの手を離れて進み行くプロセスを眺めていた。沈黙の中、時間だけが刻々と流れる。やがて、久留美が口を開いた。

「作業は終了した。細かい調整は残っているがな」

 龍之助は答え得る言葉を持たなかった。結局、龍之助は引き金を引くことができなかった。

「感謝、するべきなのだろうな」

 そう前置きすると、久留美は龍之助を一瞥した。龍之助は僅かに震えている。

「ありがとう」

 龍之助は何も答えなかった。だが、それからしばらくして、龍之助は乾いた唇を動かした。

「これで……共犯者ですね」

「ああ」

 久留美は答える。二人の関係を表すもので、これほど相応しい言葉はなかった。

「紫苑は……生まれ変わるんですよね?」

 龍之助の切実な問いに、久留美はゆっくりと頷いた。

「ああ、取り戻すんだ」

 その言葉に、龍之助の心は少しだけ軽くなった。だが、それでも龍之助は、久留美に訊ねなければならないことがあった。それは、引き金を引けなかった自分への、龍之助なりの罰だったのかもしれない。龍之助はスクリーンの一つに映し出されている、人間の脳を指差した。

「……あれは、どうするんですか?」

 龍之助は考え抜いた末に「あれ」と口にしたが、その瞬間、後ろめたさと罪悪感、そして自分に対する嫌悪感で吐きそうになった。紫苑が生まれ変わる以上、その亡骸を紫苑と呼ぶことはできない。なぜなら、世界に紫苑はただ一人だけなのだから。龍之助は口元を押さえた。

 久留美は瞳を閉ざし、龍之助が発した言葉の意味と重さに、じっと耐えるかのようである。

「無論、丁重に扱うさ。あれは……あれは……あれは……」

 久留美は言葉を何度も繰り返す。そして、ついにその答えが紡がれることは無かった。


 喫茶店に暴漢が押し入り、アンドロイドを破壊した……それだけなら、大きなニュースにはならなかったであろう。アンドロイドが「被害者」となる事件は、そう珍しいものではない。

 今回の事件が多くの紙面を騒がせた原因として、犯行現場がマヌカンであったことも挙げられるが、最大の原因は被害者が人間だったからに他ならない。

 被害者の名前は神崎紫苑。フロアスタッフとして、マヌカン天照あまてる駅前店に勤める十七歳の女子高生である。被害者は店内に押し入った暴漢に襲われ、全治一ヶ月の重傷を負ったものの、命に別状は無かった。しかし、犯人は依然として逃走中で、警察が捜査を進めている。

 重要参考人として、反アンドロイド団体は警察からの事情聴取を受けたが、団体側は当然のように関与を否定。犯人が捕まらない以上、真実はまだ闇の中であった。

 以上は、部外者から見た事件の概要であるが、当事者に近しい人々は、これらとは異なる本質的な部分で、事件と向き合わねばならなかった。被害者は病院に運ばれ面会謝絶。そして、唯一の目撃者である少年は、自宅で妹から責め立てられていた。


「もうっ、信じらんないっ!」

 小虎は堅く拳を握り締め、龍之助を鋭く睨みつけた。龍之助は俯いたまま、黙ってその非難を受け入れている。リビングで向かい合う兄妹を、母親の虎子は心配そうに見守っていた。

 念願のライブを堪能し、上機嫌で自宅に戻ってきた小虎を待っていたのは、余りにも理不尽な現実だった。高揚感や満足感は一瞬で消え失せ、心が耐え難い憤りで満たされていく。

「何やってたのよっ! 紫苑姉ぇを助けられるのは、龍兄ぃだけだったんだよ!」

 紫苑は自ら犯人に向かって行ったのだという。なぜそれを止められなかったのか……小虎は強い口調で龍之助を責め立てる。その間、龍之助は一言も弁解することはなかった。その態度が小虎をより一層苛立たせ、言葉の棘を鋭く研ぎ澄まさせていく。

「だんまり決め込んじゃってさ、言い訳の一つぐらい、言ったらどうなのよ!」

「……小虎ちゃん、落ち着きなさい」

 堪り兼ねたように、母親の虎子とらこが口を挟んだ。小虎の背後に歩み寄り、震える肩に手を置く。

「ごめん」

 龍之助が口にしたのは、謝罪の言葉だった。それは、火に油を注ぐに等しい効果を生んだ。

「何で謝るのよっ! 違うでしょっ? 悪いのは、悪いのは……」

 小虎はその先を続けることができず、虎子にしがみついた。母親は娘を抱き留め、その髪を優しく撫でた。小虎のしゃくり上げる声だけが続く。ややあって、龍之助は顔を上げた。

「悪いのは、僕だ」

 小虎は大きく頭を振り、次いで振り返った時の表情は、一転して弱々しいものであった。

「……ごめんなさい。一番辛いのは龍兄ぃだって、分かってるのに……私、悪い妹だね」

「そんなことないさ」

 龍之助は心の底から言った。小虎は照れ臭そうに虎子から離れると、赤く泣き腫らした眼元を指先で拭いつつ、龍之助にぎこちない微笑を返した。

「でも、良かったよ……紫苑姉ぇが生きていてくれて……」

 ずきん。小虎の言葉を耳にした瞬間、龍之助は確かにその音を聞いた。それは幻聴であったかもしれないが、龍之助にとっては真実であった。龍之助は前屈みになり、胸元を押さえる。

「龍兄っ!」

「龍ちゃん、大丈夫?」

「あ、ああ、大丈夫だよ、小虎、母さん」

 言葉とは裏腹に、とても大丈夫そうではない龍之助の背中を、小虎は擦り続ける。龍之助は少しずつ落ち着きを取り戻し、小虎はほっとした様子で声をかけた。

「紫苑姉ぇ、早く元気になるといいね」

「ああ、すぐに退院できるさ」

 そう口にしながら、龍之助は久留美が残した別れ際の言葉を思い返していた。……三週間、いや、二週間の時間が欲しい。そうすれば……。龍之助は待った。その時が訪れる日を。


 市街から少し離れた一角に、天照霊園あまてるれいえんがある。時代と共に墓の有り様も変化していったが、墓石を立てる習慣は根強く残っていた。様々な宗教と、様々な想いで彩られた霊園の一角に、真新しい墓石がある。墓標に刻まれた名は、神崎紫苑。当初は別名も検討されたが、他に候補があるはずもない。墓には淡い香りのする、薄紫色の花が供えられていた。それは、その墓に眠る少女と同じ名を持つ花である。これほどお似合いな花はない……そう、龍之助は思った。

 夜が明けたばかりの早朝。龍之助は墓の前にいた。初めて行くなら今日しかないと、心に決めていた特別な日。昨日退院した紫苑が、今日から学校に復帰するのである。

 龍之助は墓標を見詰めていた。手を合わせるでもなく、頭を下げるでもなく、ただじっと、眼鏡の向こう側に見える現実を受け止めていた。それは龍之助自身が意外に思うほど、穏やかな対面だった。やがて龍之助は踵を返すと、振り返ることなくその場から立ち去った。


 事件から二週間。十月を迎え秋空は高く澄み渡り、吹き抜ける風は冷たさを増しつつある。登下校時には、一人寒さに身を震わせていた龍之助だったが、今はもう違う。

 校門を潜り、玄関を抜け、階段を昇る……当たり前のことが当たり前じゃない、まるで入学式当日のような新鮮な感覚を、龍之助は味わっていた。

 教室の扉が開け放たれた瞬間、クラッカーが一斉に鳴り響いた。正面のスクリーンには様々な色のラインが表示され、「祝・退院! 神崎さんの復帰を祝う会」の文字を彩っている。

『神崎さん、おかえりなさ~い!』

 申し合わせた歓迎の大合唱を受け、紫苑は大きく手を振ると、飛びっきりの笑顔で応えた。

「たっだいま~!」

 紫苑はたちまちクラスメートに囲まれ、花束を贈られたり、握手を求められたりと、もみくちゃにされる。次の授業が始まるまで、ささやかなもてなしは続いた。

 龍之助はその輪には加わらず、教室の外側から様子を窺っていた。その表情には、心からの安堵が浮かんでいる。これで全てが元通りだと、龍之助は思った。そう、信じたかった。

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