- Episode 4 -「ドールカフェ」

 夕焼けに染まる街並み。龍之助と紫苑は、肩を並べて帰り道を歩んでいた。「不機嫌」と清書された龍之助の横顔を窺うと、紫苑は大きな溜め息をついた。

「もう、ゴメンって言ってるでしょ?」

 謝罪の言葉にも、龍之助は口をへの字に曲げたままである。当てるつもりはなかった……とは紫苑の弁だが、その現実は龍之助の顔面に刻まれていた。鼻の詰め物には血が滲み、眼鏡のフレームは曲がっている。レンズが無傷だったことは、不幸中の幸いであった。

「……怒るの、苦手なくせに」

 紫苑の呟きに、龍之助は観念して鼻の詰め物を取り去る。血はとっくに止まっていた。紫苑は満足したように頷くと、ここぞとばかりに口火を切った。

「ところでさ、教室に残って何やってたの?」

「あ、ああ、あれね? あれは……」

 龍之助が言い淀むと、紫苑の眼がすっと細まる。獲物を見つけたハンターの眼だ。

「へぇ~、言いにくいことなんだ?」

「そ、そんなことないって、そんなこと、ないんだけど……」

 龍之助の語尾が萎んでいく。まさか、幼馴染に恋文を書こうとしていたとは言えない。

「ラブレターでしょ?」

 紫苑が何気なく放った一言に、龍之助の足がぴたりと止まった。果たして、いかなる推理がその頭脳で展開されたのか、龍之助には検討もつかない。一方の紫苑は、したり顔で頷いた。

「やっぱりね。ふふ~ん、私が何も知らないと思ったら、大間違いよ!」

 ……何を知っているというのだろう? 龍之助の額に大量の汗が噴出す。心臓は鼓動を早め、顔は熱く、のぼせたようにくらくらと、眩暈すら覚える龍之助であった。

 龍之助の狼狽を楽しむかのように、紫苑は微笑を浮かべる。それが全てを知った上での表情であったら、まさに魔女の微笑みといったところであろう。魔女の唇が、甘やかにうごめく。

「あなた、ラブレターを貰ったんでしょ?」

 一瞬の沈黙。龍之助は、ありったけの空気を、溜め息として吐き出した。想定外の反応に、紫苑は首を傾げる。一回りも二回りも小さくなった龍之助は、とってつけたように呟いた。

「うん、貰った」

「……何よそれ。ラブレターを貰ったら、もっと嬉しいものなんじゃないの?」

 素直に同意できない龍之助。嬉しい、嬉しくないでいったら、嬉しいに決まっている。それでも歯切れが悪くなってしまうのは、また違う要因によるものであった。

「理奈ちゃん、とっても良い子だよ?」

「何で相手まで知ってるのっ!」

 龍之助は思わず声を上げた。それは、正人にも教えなかった極秘情報である。紫苑は龍之助に向かって右腕を伸ばすと、人差指を揺らした。

「ふっふっふ……オンナのコのネットワークを、甘くみちゃ駄目だぞ~っ!」

 紫苑は得意気である。甘く見るどころか、末恐ろしさまで感じる龍之助であった。

「……で、オッケーは出したの?」

 紫苑は興味津々に訊ねる。龍之助は伏し目がちに顔を背け、ぶっきらぼうに答えた。

「そんなの、どっちだっていいだろ?」

「よくない!」

 紫苑は噛みつかんばかりの勢いで断言すると、龍之助の前に素早く回り込む。鋭い眼差しで真っ直ぐと見詰められ、龍之助はたじろいだ。今度は顔を背けることもできない。

「理奈ちゃんの気持ちを考えたら、ちゃんと答えてあげるのが筋ってもんでしょうがっ!」

 紫苑が一歩踏み込むと、龍之助は一歩後退る。龍之助は、嘘と誤魔化しが無力だと悟った。

「……断ったよ」

 龍之助の言葉に、紫苑は拍子抜けしたように瞬きする。全く予期せぬ答えだったようだ。

「えっと……何で?」

「何でって言わても……」

「他に好きな子でもいるの?」

 ダイレクトな質問に、龍之助は絶句した。「君の事が好きなんだ」とは口が裂けてもいえない龍之助は、「まぁね」と言葉を濁すしかなかった。紫苑は感心したように、何度も頷く。

「ふ~ん、そうなんだぁ……」

 いつになく神妙な顔つきで、顎先に指を当てて考え込む紫苑。微妙な間。紫苑はそのままの姿勢で方向転換すると、ゆっくりと歩き出した。その背中を追って、龍之介も歩き出す。

「し、紫苑はいつも断ってるよね、ラブレター?」

「私? ……あぁ、そうね、うん」

 紫苑は曖昧に答えると、「それがどうしたの?」と言わんばかりに振り返る。龍之助は何度もわざとらしい咳払いをすると、探るように言葉を紡いだ。

「そ、その、ほらさ、正人とか、よく噂になってるじゃない?」

 正人と紫苑の関係を噂する声は根強い。事実、二人はよく一緒にいることが多いし、休日のデートを目撃されたこともある。ただし、その全てに龍之助の姿もあったのだが。

「正人君は凄いよねぇ! かっこいいし、面白いし、頭も良いし……誰かさんとは大違い!」

「……悪かったね」

 紫苑の言葉が事実なだけに、龍之助のちっぽけな自尊心が疼いた。紫苑は指折り数える手を止めると、心外だと言わんばかりに言い放つ。

「誰も龍之助のことだなんて言ってないでしょ?」

「そうだけど……」

「えーっと、あとは、眼鏡じゃないし……」

「おいっ!」

「あははは、ごめん、ごめん! でも、いいじゃない眼鏡! うん、よく似合ってる!」

 紫苑は笑いながら、とってつけたように龍之助を褒め称える。龍之助は平静を装いながらも、口元の緩みを堪えることができなかった。紫苑は龍之助と肩を並べ、茜色の空を見上げる。

「……好きな人かぁ、そういえば、あんまり考えたことないな」

「そうなの?」

「うん。だから、ラブレターを貰っても『ごめんなさい』としか言えないんだよね。私じゃ、その想いに答えてあげることができないから」

「そう……そっか」

「龍之助もそうじゃない?」

 同じだった。自分を好きだと言ってくれる人を、自分も好きになることができれば、それは幸せなのだろうが、想いとはそう簡単に割り切れるものではない。だから龍之助は「まぁね」とだけ答える。紫苑は龍之助の横顔を一瞥し、笑みを浮かべた。

「私には龍之助がいるしね」

 紫苑の何気ない一言に、龍之助は動揺した。だが、紫苑は気にした風もなく先を続ける。

「こんだけ手がかかる幼馴染がいるんだから、おちおち恋愛なんかしてられないわよ」

「……ああ、そういうことね」

 龍之助は吐き出した言葉に落胆が篭ることを隠せなかった。そして、悔しさが呟きとなる。

「僕はいつまで紫苑の幼馴染なんだろう……?」

「ずーっとよ! 私の一番の幼馴染なんだから……って何? 不服なの?」

 口には出さない心の揺れが、満面に出てしまったようだ。だが、龍之助は思い直す。自分が紫苑の恋人として……というイメージはこれっぽっちも出てこないが、幼馴染として傍にいる姿は、容易に想像することができた。それは、決して気分の悪いものではない。

「いや、それもいいかなーってね」

「でしょっ~? そうこなくっちゃ!」

 紫苑は嬉しそうに手を叩く。その表情を見ているだけで、龍之助は満足だった。

「そのためにも、龍之助はそろそろ勉強を始めないとね」

「えっ?」

「来年になったら三年生よ? そうしたら、大学受験はあっという間に来るんだから!」

「それはどういう……?」

 龍之助は嫌な予感がした。そして、それはほどなく的中する。

「もちろん、私と一緒の大学へ入るために決まってるじゃない!」

「それって、ロボ大じゃないか!」

 龍之助は悲痛な叫び声を上げた。国立ロボット科学技術大学。通称「ロボ大」。二十年前に新設された、ロボット工学専門の大学である。「世界に通用するロボット工学者の育成」を掲げ、全国からトップクラスの頭脳が集う登竜門であった。当然、並みの成績では入れない。

 紫苑が亡き父と同じ道を歩もうとしていることは、龍之助もよく知っている。そして、紫苑がどれだけ優秀なのかも知っていたので、その進路に何の心配も抱いてはいなかった。だが、そこに自分も……となると話が別である。龍之助の成績はお世辞にも良いとは言えず、ロボ大は雲の上どころか宇宙の果ての存在であった。龍之助の困惑を余所に、紫苑は平然と答える。

「心配しなくても、ちゃんと勉強は教えてあげるから! 一緒に頑張ろ、ねっ!」

 龍之助は眩暈を覚えた。有数の進学校である晴嵐高校への入学に関しても、実力と言うよりは紫苑に放り込まれたと言った方が正しい。それでも、紫苑に「頑張ろう」と言われた以上、頷くことしかできない龍之助であった。


 放課後は部活だけでなくアルバイトもこなす紫苑とは違い、龍之助の放課後は読書に費やされていた。もちろん、紙の本である。繁華街が近づくと、龍之助は紫苑と別れて自宅へと足を向けようとしたが、紫苑が腕を取って引き止めた。

「お詫びをするっていってるでしょ!」

 比較的アバウトな龍之助と違って、紫苑は律儀だった。事情はどうあれ、顔面にボールを蹴り込んでしまったのである。紫苑の罪悪感も一入であった。

「帰っても本を読むつもりなら、どこで読んだっていいでしょ?」

 そこまで言われては、龍之助には打つ手がなかった。龍之助は、駅前にある紫苑のバイト先まで引きずられていく。紫苑が働いているのは「ドールカフェ」と呼ばれる喫茶店だった。

 十九世紀英国調のアンティークな内装も特徴的だが、何よりもフロアスタッフにアンドロイドを起用している点において、他に類を見ない。店名は「マヌカン」と言った。

 

 階段を昇り、木製の扉を押し開くと、チャイムが歓迎の響きを立てる。シンプルなロングドレスにエプロン。頭上にはカチューシャ。そんな姿の小柄な少女が深々と頭を下げ、不思議と大人びた声がそれに続く。頬の両側に垂れた二房の黒髪が、優雅さを伴って揺れた。

「いらっしゃいませ……って、紫苑姉っ!」

 少女は顔を上げると一変、見た目通りの女の子らしい声を弾ませた。

小虎ことらちゃん、お疲れ様! ……ちょっと遅くなっちゃったかな?」

 紫苑が店内の柱時計に目をやると、小虎は笑顔で両手を振った。

「ううん、ぜーんぜんっ! それより、今日はごめんね、シフト変わってもらっちゃって……」

「そんなこと、気にしないの。困った時はお互い様でしょ?」

「あ~ん、やっぱり紫苑姉ぇは優しいなぁ! 龍兄ぃとは大違い!」

「……悪かったね、優しくなくて」

「げっ! 龍兄ぃも一緒なの!?」

 紫苑の背後からぬっと顔を出した龍之助に、小虎は露骨な表情を隠そうともしない。紫苑は険悪な火花を散らす兄妹を見比べると、妹に向かって優しく語りかけた。

「私が着替えるまで、龍之助のこと、お願いできるかな?」

 小虎は不満気に頬を膨らませる。紫苑は少し困ったように微笑むと、小虎に向かって両手を合わせた。すると、小虎は渋々……といった様子で頷きを返す。

「ありがと! じゃ、またあとでね!」

 スタッフルームへと急ぐ後ろ姿を、小虎は手を振って見送る。その背中が見えなくなると、小虎はわざとらしい溜め息をついて、龍之助を見上げた。

「……それではお客様、どうぞこちらにきやがれってんだ、べらぼうめぇー!」

 小虎の投げ遣りな接客に、龍之助は呆れたように頭を掻いた。そして、先行する小虎の肩に手を置くと、背後から声をひそめて耳打ちをする。

「……お前なぁ、もっと店員らしくしないと、まずいんじゃないか?」

「なんで?」

 平然と答える小虎。声も大きい。龍之助は一瞬絶句したが、なおも説得を続ける。

「なんでって、そりゃ、他のお客の迷惑に……」

「龍兄ぃ、勘弁してよ~! どこに他のお客がいるっていうのよ?」

 小虎はテーブルの間を縫うように駆け巡り、振り返って両手を広げる。龍之助は店内を見渡したが、小虎の言う通り、客の姿はどこにも見えなかった。小虎とお揃いの格好をした、アンドロイドのフロアスタッフ……ドールスタッフと呼ばれている……が、三名いるのみである。

 テーブルを拭くもの、観葉植物の手入れをするもの、壁際の待機エリアで控えているもの。……喫茶店というよりは、働くメイドを表現したアトラクションのようであった。

「ここんとこ、ずっとこんな感じだよ」

「こんな状況で、本気でスタッフ全員をアンドロイドにするつもりなのかな?」

「しらなーい。でも、あの人達はそうだと信じてるみたい」

 小虎はガラス張りの壁面まで歩み寄ると、手の平を押し当てた。龍之助も小虎の隣に立ち、その視線の先に眼を凝らす。「人間の職を奪うな!」「アンドロイドはいらない!」「アンドロイド商法反対」……数々の大弾幕を掲げた人々が、駅前の広場に集結していた。その五十を越す視線が向けられているのは、本屋……ではなく、その上にある喫茶店マヌカンである。

 一際龍之助の眼を引いたのは、マヌカンの制服を身に着けた少女……と呼ぶには高齢の女性達であった。「不当解雇には断固反対!」掲げられた大弾幕からも、彼女達がマヌカンとの契約を打ち切られた元スタッフであることが窺い知れた。

 ドールカフェの元祖、マヌカン。アンドロイドの店員というインパクトのある戦略で一気に注目を集め、ブームとなった。物珍しさだけでなく、高級感のある凝った内装と、驚きの低価格を実現させた点で、消費者のニーズに合致していたのである。都内に一号店がオープンし、二年足らずで全国展開。海外進出も果たした。大成功。だが、それだけは終わらなかった。

 マヌカンが目指す理想の喫茶店……「完全な環境」の実現には、全てのスタッフをアンドロイドにする必要があるとして、人間のスタッフの契約解消が相次いだ。……人間はアンドロイド以下だとでもいうのか……抗議が殺到した。だが、マヌカン側は全て契約時に説明済みで、契約書にもそう記載されていると反発。両者の溝は深まる一方であった。

 その結果、マヌカンは「反アンドロイド団体」にとって絶好の標的となった。事実、最初は直接マヌカンに関わりがあった人々だけで抗議をしていたのが、いつの間にか反アンドロイドを掲げる団体がその中心に取って代わっていた。反対者の数が増えるにつれ、その抗議の内容もエスカレートしていく。壁への落書きや、窓ガラスの損壊なども、日常茶飯事だった。

「でも、わっかんないな~」

 小虎は首を傾げる。龍之助は小虎に視線を向けた。小虎はガラスに指先を滑らせる。

「こんなところで文句言ってないで、さっさと新しい仕事を探した方が早いのに……」

 小虎の感想は、未来のある若者らしい健全さを持っていた。実際、未成年者は働き先に不自由することはない。若さには、ただそれだけで千金の価値があるのだ。

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