第4話 セイシヲカケル



 岸は一人で立ち上がる事すら出来ない益美の首根っこを掴むと、そのままズルズルと引きずり、出口まで辿り着くと無造作に益美を放り投げた。


「ぐはっ⁉︎」


 受け身もマトモにとれない益美は、地面に勢い良く叩きつけられた。

 益美は岸を睨みつけるが、岸は一向に気にした様子は無い。


「さて、これで俺の勝ちとなるな」


 道場の出口から放り出された益美を見て、満足そうに頷く岸。

 勿論、益美は喚き散らす。


「どこが勝ちだ!『相手が逃げ出したら勝ち』だと言っただろうが!私は逃げ出してなんかいない!私に勝ちたかったら殺す気で…」


「ほれ、ご褒美だ」


 益美の言葉など無視して、健闘した益美へのご褒美だと言わんばかりに、岸は自らの触手化した手で益美の急所を軽く撫でた。


「ピギャルゲラァァァァっ!!」


 とても女の子の悲鳴とは思えない、歓喜にも似た奇声を上げると、益美は身体を大きくけ反らせながらヒクヒクと痙攣した。


 体液は全て出尽くした筈ではあったが、益美は尿では無い何かを勢い良く放出させる。痙攣しながら体液を垂れ流すその姿は、完全なる敗者の姿であった。



「なかなか有意義な手合わせであったぞ。この敗北を糧にめげることも無く、今まで同様に日々精進するがイイ。最強では無い格闘技、空手道をな!」


「…私は…負けてない…勝ちたいなら…私を殺せ」


 益美の心は折れない。命を懸けてでも、敗北を認めたくは無かったのだ。



 元々、益美が空手を始めたのは、両親が空手の有段者で有ったが故、親の勧めで始めたにすぎなかった。


 なんとなく始めた空手ではあったが、自身の才能に気が付くとメキメキと頭角を現し、世界選手権で六連覇の偉業を成し遂げた。


 努力すれば結果を出せる。だから楽しい。益美にとって空手とは、そう言うものであった。


 命懸けで空手に打ち込み、人生の全てを空手に注いで来たわけでは無い。

 何故ならば、命懸けで修練を積まなければ勝てない程の相手など、一度たりとも巡り会えなかったからである。


 下手に才能があるが故に、お互いにライバルと呼びあえる者がおらず、命懸けで空手道を邁進することは無かったのだ。



 そんな益美が生まれて初めて、命懸けで勝負に拘った。負けたくは無い。負けるぐらいなら死んだ方がマシだと、思う程に。


 岸もまた、益美の決死の覚悟を理解した。同じ格闘家として、敗北に対する抵抗は理解出来ないわけが無い。


 だが、岸は最強を目指す者。対戦する相手に敗北を与え続けるのは、避けることの出来ぬ宿命さだめと言えよう。


 相手が負けたく無いからといって手心を加えるわけにもいかず、かと言ってわざと負けるわけにもいかない。



 相手が命懸けで勝負を挑むのであれば、岸もまた命懸けでそれに応える。

 それが真の格闘家としての正しい選択。



 益美の決死の覚悟を受け止めた岸は、改めてその覚悟を問う。


「お前は命を懸ける、その意味を本当に理解しているのか?手合わせなど、所詮はママゴトに過ぎないのだぞ?生死を懸けた闘いに敗れた時、自分の身がどうなっているのか、その身を案じたことは無いのか?」


「闘う前から負けた時のことを考えるのは…」


「武人にあるまじき行為であったな。だが、未来ある若者が命を軽んじるのは…」


「命を軽んじてるのではなく、勝負を重んじているだけだ!」


「…では本当に生死を懸けた闘いを望むのか?」


「ああ、それこそ本望」


「本当にセイシをぶっ掛けたり注いだりが望みか?」


「くどいぞ!生死を懸けると言っただろう!」


 岸の執拗なまでの確認に業を煮やす益美。覚悟は既に出来ているのだから、これ以上の問答など、もはや不要。



 すると岸は益美をヒョイっと担ぎ上げると、先程の首根っこを掴むのとは違い、丁重に抱きかかえた。お姫様抱っこである。


「んなっ⁉︎」


 驚く益美ではあったが、岸は気にすることも無い。


「場所を変えるからから、しっかりとしがみ付いていろ」


 そう言うと、岸は益美を抱えながら走り出した。




 四時間程、益美を抱えながら走り続けた岸が辿り着いたのは、先日まで岸が山籠りをしていた山の麓である。


「この先に俺が修行をしていた時に利用していた小屋がある。そこで決着をつけるぞ」


「…わかった。ではそろそろ降ろせ。あとは自分で歩く」


 そう言うと益美は岸の腕の中から降りようとするが、岸が益美を放さない。


「ある程度は快復しただろうが、ここから先はまだ山道が険しく、夜中では足元も覚束ないだろう」


 既に夜中の二時を回り、辺りは月明かりがあるとは言え、薄暗い。山での生活に慣れた岸ならば兎も角、益美ではマトモに歩くことすら叶わない。


「これからセイシを掛けた闘いが待ち受けているんだ。少しは身体を休めておけ」


 そう言って無理矢理益美を抱えながら、更に山の中をひた走る。一時間程して、やっと目的地に到着した。



 岸が住んでいた小屋の中に入ると、ここに住み始めた時に作ったボロっちいベッドに益美を座らせた。そして岸も同じ様にベッドに腰掛けた。


 備え付けのロウソクに明かりを灯すと、益美の前に真剣な顔をした岸の姿が浮かび上がる。

 岸もまたセイシを掛けた闘いに挑むのである。それはもう、真剣になるのは当然と言えよう。


 岸と益美、お互いに覚悟は決まっている。もう言葉など、必要無い。


 二人がベッドの上で向き合うと、示し合わせた様にお互い身構える。


 闘いの火蓋は切って落とされた。


 最強の格闘家を目指す二人が、山小屋のボロっちいベッドの上にて、雌雄を決する闘いを始めるのであった。



 そして益美は思い知らされる事となる。セイシヲカケル、その本当の意味を…。


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